政治経済法律〜一般教養までをまとめます

 日本の政党制に見られる最も顕著な特徴は、1955年に単一の保守政党として自由民主党(以下、自民党)が結成されて以来、すべての総選挙で自民党が第一党の地位を保持し、93年まで38年間にわたって政権を独占してきたことである。ただ、自民党の議席率や得票率は、58年から60年の時期を頂点として、それ以後は長期にわたる低落傾向を示すことになる。自民党から失われた票がすべて社会党に流れていれば、いずれは社会党が多数党になることもありえたであろう。しかし実際には、60年代に入るとともに、社会党も含めた野党の多党化が起こり、自民党から流出した票は各野党に分散するか、棄権の形をとることになった。いずれにせよ、社会、公明、民社、共産などの野党が、与党の自民党と対立する形が見られることになる。ただ、こうした多党化にもかかわらず、自民党の優位それ自体は持続しており、一党優位政党制は崩れなかった。
 自民党は結党以来93年まで政権を独占してきたが、この自民党優位を支えた集票組織が後援会であった。それは、具体的な利益の配分と選挙での票とを交換するシステムである。この制度の最大の問題点は、後援会の運営には多大な資金を要し、金権選挙を招くことであろう。政権党としての自民党が国民の支持を集めるためにとってきた政策も後援会と同様の路線に沿うものであった。それは一言でいえば、イデオロギー的な争点をできるだけ避けながら、具体的な利益の配分を通じて支持票を増やしていく政策である。自民党はおともとイデオロギーに関心を持たない政党というわけではない。しかし、イデオロギー的争点を重視した岸信介政権が、戦前政治家の権力感覚によって安保改定を強行し、広範な大衆運動に直面して池田勇人政権と交代せざるをえなくなったとき、自民党の路線転換が行われたということができる。
 池田政権は、国論を二分するおそれのある改憲論には大きな関心を示さず、経済の成長を図ることに力点を置いた。こうした路線は、池田政権以後の自民党政権によって継承されていく。要するに、具体的利益の配分に基づく有権者の受益者化が、自民党の基本政策であった。国の財政が破綻状態となり、累積赤字が巨額に達するとともに、この路線も破綻する。それが93年に自民党の一党優位が崩壊した理由の一つといってよい(自民党一党優位の崩壊)。今日のわが国では、小選挙区制導入の影響で、自民党と民主党の二大政党化が進みつつあり、また、連立政権(わが国の連立政権)がほぼ常態化している。わが国の政党は、大きな変革の時代を迎えているといえる。

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