――終わりがあるのならばこれは始まりだろう。
 ただ一人の初代にして黒の剣士と呼ばれた■■と最強と呼ばれて立ちはだかる壁へとなった竜の。
 人は竜を討ち斃し、竜は人を蹂躪する。
 竜は人に討たれるもの――そんな御伽噺はこの世界には通用せず、語られるそれは無数の屍の上に聳え立ったボロボロの勲章に過ぎない。
 竜殺し、魔神殺し、悪鬼殺し、人類の裏切り者、最強、剣の化身、神剣。
 そう、彼は神の如き剣だった。
 だからこれは竜を覚醒へと導き、長きに渡る因縁の、あるいは絶望の、無数の世界に刻まれた楔のお話だ。

 いつか誰かが討ち斃す竜の物語/いつか物語を紡ぐ始まりの男の物語。



 ――1.


 歩く。
 進む。
 この領域の世界の空は常に淀んでいた。
 見上げる空は歪んで、夕闇の空は曲線を描くような太陽を浮かべて、夕弦の時と呼ぶという。
 大気中、否、環境領域内における全てのマナ……この時代において<瘴気>と呼ばれた空気が濃く、生半可な人族であれば息するだけで体が穢れて崩れ落ち、腐り果てて行く地獄。
 その大地、一度可燃物で叩けば即座に燃え上がるだろう枯れ果てた老木の森、灰色の森の中を歩く男がいた。
 背丈は決して高くはない、中肉中背の特徴に欠ける見かけである。
 帽子に覆われた髪色は黒く、剣を腰に差したそれだけを見ればどこにでもいる剣士。
 だがそれに黒い部分鎧となめした皮の衣服、黒いマント、可燃避けに何重にも塗られた蝋染みた艶を出す溶液に漬け込まれたブーツ、頬にはまじないの紋様が塗られ、その目には大きめのゴーグルが覆っていた。
 呼吸をする、ふっと蒸気を交えた息が火属性の瘴気に熱く反応し、陽炎を生み出す。
 この世界は地獄だった。
 適応した植物であっても一度葉が崩れ、離れれば勝手に火がつく、風が吹けばそれが熱せられ、数少ない水分を巻き込み、地上近くでありながら霧を生み出し、あるいは雷雲すらも生み出す。
 生きていくには困難過ぎる、その中で歩く黒い男であっても何度も死に掛けた。
 灰色の森、その中で歩く男。
 降り注ぐ灰の景色に外套が灰色に汚れて、それを振り払いながら燃える灰を踏み潰し、進む進む。
 念入りに防護施した腰に挿した剣帯を撫でながら、歩き。

「――ふむ」

 ぼそりと声が出る、首に巻いた妙に網目の粗い首巻を左手で口元まで引き上げる。うっとおしくも健気な女が不器用な手で作ったそれは瘴気を中和し、決して瘴気耐性の高くない自分の呼吸を楽にしてくれる。
 それで深呼吸をしながら軽く見上げる、灰色に染まった雪の世界。
 その先には老木が朽ち果てていて、どこもかしこも灰色だらけ。
 足元を見る。
 そこは地面がひび割れていて、灰色の大地が蜘蛛の巣のように割れている。
 斬響音。
 音が響く、緑色の鮮血が撒き散らされた。
 男の傍の地面が砕け、風が舞い、刎ね飛ばされていた。
 斬り飛ばされたのは大地から伸びた何か、灰色の世界に似つかわしくない黒い何か。何十年もの樹齢を重ねたようなささくれた表面、ぬるりと爬虫類じみた光沢を持つ触手、それが地面から生え出し、男を襲った直後に斬り飛ばされていた。

「下か」

 確認というよりも一人言のような呟き、いつのまに剣を引き抜いたかもわからない彼はタンッと踵を地面で鳴らし、
 ――発火したその足元から跳躍した。
 簡素な衝撃で火属性マナをたっぷりと含んだ木灰は燃え盛って熱を生み出し、轟音。
 一瞬遅れてその大地が丸ごと"飲まれた"。
 土砂崩れに勘違いしそうなほどの轟音と共に十数メートル四方が噛み砕かれた。

「でかいな」

 岩を、地面を、木を噛み砕く咀嚼音を響かせながら、地面の下から何かが這い出てくる。
 それは異形。
 大きな口だけの怪物が人間の歯茎じみた歯を乱雑に数百本、円を描くように並べて目も鼻もない頭に埋め込みれている。
 砂礫を零しながら地面から這い出てくるその胴体はまるで百足。
 ぬらぬらと湿気で濡れて土に汚れた胴体はまるで蛇。
 だがその肌には無数の触手が生えて、ぶるぶると震えながら振動で土を零し、斬られた一本の足から血を迸らせてながらも泡立ち再生を始めていた。
 じゃぐぎゃくじゃがじゅぐじゃがごきぼりきん。
 まるで謳うように土を噛み砕き、岩を噛み砕き、歯がカチ鳴る、それ。
 地響きすら響くようなサイズで体が起き上がる、無数の節足触手で体を起こし、三十メートルにも届くだろう巨体で外れに着地した黒の剣士を見下ろす。
 歯が鳴る、歯茎がカチ鳴る。
 悪夢染みた光景、通常の生物にはモンスターといってもあまりにも醜悪な光景。
 如何なる土を生物と喰い散らかしていたのか、その歯茎は黄色く汚れて、嗅ぎたくもないその息は悪臭を発していそうだった。

「なるほど、こいつはめんどくさそうだ。というよりも気持ちが悪いな」

 首巻を片手に鼻を押さえながら、右手に剣をぶら下げて、顔を潜める彼。
 威嚇を発する異形を見上げながら、瞬きをして、やれやれと左肩だけで器用に身を竦めた。
 そしてゆっくりと片手を揺らし、脱力した手首を下に向ける、縦に刀身を傾けて。

≪GA≫

 異形が反応する、触手が舞う、地面を吸い尽くして枯らした植物の根じみた繊毛を節足口から噴出し、蜘蛛の糸のように視界中を埋め尽くして行く。それは枯らす物、それは吸い取るもの、それは貪るもの、臭い息を吐き出しながら生物に反応して噛み砕き、咀嚼し、吸い尽くす本能を持つ。
 故に黒の剣士、その血液が流れる暖かい肉へと触手を伸ばした。
 真正面から堂々と、叫びを上げて。

 死んだ。

 顎から下を刺され、そして何百の歯を同時に割かれて、果てた。
 それは魔法剣ではない、だってそれは下に構えた剣を上に振り上げた物理の技で。
 それは驚くほどではない、だってそれは踏み込んだ剣先を突き刺し、上へと裂いたものだから。
 絶剣の型<仰ぎ斬り>
 そう彼が名付けた仰ぐように切り裂く型の構え、何十何百何千と繰り返して身に付けたやりやすい斬撃の一つ。
 音を鳴らさないように剣先を軽く振り、その勢いのままに上へと振り上げて、もう片方の手で押し上げる、押し斬りと呼ばれる技法。遠心力から生み出す勢いを加速させる脱力の体術であり、不意打ちに向いた技だが。

「思ったより軟いな、地面に潜ってたせいか?」

 まさか一撃で裂き終わるとは思っていなかった。
 呟き、バラバラと衝撃で割れた歯茎の欠片にかつんとゴーグルが音を鳴らし、魔力を発する。

「焼けろ」

 魔力を発して対外へと流し出す、術式はない、魔族じゃあるまいしそんなのは使えない、だから迸る剣越しの雷はただの雷撃だ。
 電流の迸りが裂かれたその異形を焼き尽くす。肉が焦げる音を響かせ、異臭を発し、吐き気を掻きたてるジュウシィな臭いに上っと顔を歪めた。
 離れ越しに辛うじて動く触手を斬り飛ばし、飛び降りて、雷を打ち込み、地面へと着地。
 着地の衝撃でやはり燃える地面をスタンプで踏み消しながら、剣を振るって、血払い、ついでに熱消毒。
 何をしても燃えるこの環境は地獄じみて、溜息が出る。

 人間が生きるには辛過ぎるこの世界は本当にきつくて。

「怪物を殺すほうがまだ楽だ」

 そう告げる男――かつてただの雷撃を発する固有魔法一つと、ただの剣だけで魔族の全てを蹴散らし、その王を殺しかけた人族最強の男<黒騎士>は傲慢にすら思える感想を言った。



****【ゴミのように死にましたがイベントエネミーです】****

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