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ゴトロスの奇跡について

ゴトロスの奇跡(英:Gotoros miracle)とは、ゴトロス連邦で起こった高度経済成長のことを指す。1960年代以降急速な工業化を達成し、輸出志向型経済システムを完成させた。

ゴトロスの奇跡 その過程

1960年代

「1人あたりGDP35ドルからの出発」

カーリスト最貧国だったゴトロス連邦。国の中でも栄えている首都であるはずのオビエストでも、原始時代のような暮らしをしているゴトロス人が多くを占めていました。そこでは人身売買が恒常化し、カーリスト人がゴトロス人を奴隷のように扱うのは日常生活の一部でした。彼らは金山などで酷使され、給与の9割はカーリスト人が徴収していました。ゴトロス人は皆このような有様であった為、ゴトロス人=穢れがしい民族というふうにイメージが定着していきました。当然家は原始時代のような質素なものであり、人々の心には余裕がありませんでした 。しかし、オビエスト人権宣言以降少しづつですが、ゴトロス人の人権擁護が進みはじめました。

1970年代

ゴトロスの三低
「低品質労働力 低価格労働力 低所得生活水準」

当時ゴトロス人の人件費は、カーリスト人の80分の1でした。そんなゴトロス人の安すぎる人件費に目をつけたのが、隣国ソ連などの先進国でした。人件費が安くて人口増加率が著しい当時のゴトロスはカーリスト最後のフロンティアとして注目を集めました。食品加工・軽工業からスタートしたゴトロスの工業化は、ゴトロス連邦国民の生活を豊かにしました。裕福なゴトロス人は車を所有することができるようになりました。わずか10年で原始時代のような暮らしから脱却できたのはまさに奇跡でしょう。

1980年代

「携帯立国化」

資源の少ないゴトロス連邦は、資源の有無に左右されないIT産業に活路を見出します。政府は少ない国家予算から電子部品を製造していたGOKIAやPOPURAなどに多額の援助金を捻出しました。一か八かの賭けでしたが、ゴトロスのIC産業はこれを商機に発展を遂げます。このような成果は、ゴトロス連邦を世界携帯産出量第1位にしました。一方でインフラ整備も進められました。1985年には、オビエストラウネ間でラウネ高速道路が開通し、物流が活発化しました。さらにオビエストの南側であるエストでは都市開発が進み、農村だった場所にマンションやアパートが林立し始めました。

1990年代

「さらなる発展」

政府からの援助により、ゴトロス連邦の大企業は発展することになりますが、一部メディアや国民は共産主義的だと非難したため、それも長くは続きませんでした。それでもゴトロス連邦の今日で言うような大企業は既に力を付けており、GOKIAハンジェ電子は世界的な携帯メーカーとして成長しました。また、重工業も発展していきました。ラウネ重工業は売上高300億ドルを突破し、ゴトロス一の大企業にのし上がりました。アルトゥン路が活気を帯び始めたのもこの時期です。

2000年代

「未来へ」

ゴトロス連邦は、IT産業や先端技術産業に活路を見出し、発展していきましたが、いよいよ経済成長にも陰りが見えてきました。ゴトロスにも、人口減少問題が立ちはだかります。子供の教育費の高騰などが一因となっており、ゴトロスの合計特殊出生率は1を割りかけています。さらに高い自殺率など、経済成長の裏にはこういった社会問題も横たわっています。そういった理由から、ゴトロスは先進国の中で唯一失敗国家にランクインしており、今後の動向が注視されます。

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