架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

ゴトロス連邦の住宅
大規模なアパート
トイレ普及率99%
水道普及率99%
都市人口割合82.25%

概要

ゴトロス連邦の住宅(ゴトロスれんぽうのじゅうたく)では、ゴトロスの住宅について記述する。ゴトロスの住宅は直近30年で大きく変化した。牛の皮を使ったテントのようなもの(御屋)から近代的なマンションに生まれ変わったのである。ゴトロス戦争後、特に高度経済成長期以降は、生活スタイルや工法の急激な変化に伴い、住宅も大きく変貌している。近年では、工法として、集合住宅(中高層・超高層)では鉄筋コンクリート造・鉄骨造のもの、低層の戸建住宅でも鉄筋コンクリート造やプレハブ工法等のものが多くなっている。本記事では、そんなゴトロスの住宅の変遷を時代ごとに紹介する。

ゴトロス戦争以前

簡易的な御屋

ゴトロス戦争以前のゴトロスでは、カーリスト風の一般住宅が建てられていたものの、簡易的な御屋が占める割合が多く80%であったとされている。*1ゴトロス人はいつも大国の暴力に怯えながら暮らしていた。それを表すかのようにゴトロスに19世紀以前に存在した「都市」はオビエストとビフ、リジャヴィのみであり、1900年時点でゴトロスの人口は300万人程度である。(今ある都市のほとんどは終戦後に開発されたニュータウンである。)まるで縄文時代のような生活をしていたゴトロス人の間には不衛生さのあまり、カーリスト諸国ではみられないような感染症や伝染病が蔓延していた。カーリストからやってきた旅行家は、「ここは人の住む場所ではない。豚小屋だ。」と日記に記している。

ゴトロス戦争後

1950年(聖暦1920年)ゴトロス戦争が勃発した。戦争は人の命を奪うだけでなく、社会インフラも破壊した。当然家屋も例外ではない。幾多の家屋が破壊された。終戦後、瓦礫の中にバラックが立てられた。本項ではそれらを簡易的御屋として説明する。御屋と簡易的御屋の違いはあまりないが、簡易的御屋の特筆すべき点は「すぐ建てられる点」と「耐久性がない点」である。簡易的御屋は従来の御屋よりもプライベートの確保が難しい。さらに極めて不衛生である。そんな簡易的御屋が、本来の御屋と取って代わって建てられた。ゴトロスではその後10年間は、建築資材不足や経済成長の遅れにより簡易的御屋が一般的であった。

高度経済成長期〜現在

オビエストのマンション群

世界各国が経済復興を果たす中、ゴトロスでは簡易的御屋が首都にも並んでいた。そんなゴトロスを変えたのはデニエスタ借款とスカセバリアルの技術供与である。1960年(聖暦1930年)にゴトロスとデニエスタの間にライヒスマルク借款が取り付けられ、空前の経済的繁栄をもたらした。それはゴトロスの住宅にも影響を与えた。経済成長によりゴトロス人の生活様式は一変し、カーリスト文化が流入した。テレビ・洗濯機・冷蔵庫の所有が一般的になり、時間に余裕の出来た主婦たちに自由が訪れた。1973年(聖暦1943年)には、首都オビエストで初の高層マンションが建設された。1980年代(聖暦1950年代)に入ると、オビエストで高層マンションの1990年代(聖暦1960年代)に突入すると、地方都市でも本格的に建設ラッシュが始まった。こうして、簡易的御屋・御屋に住むゴトロス人はマンション建設ラッシュと共に急減した。その間、ゴトロスの1人あたりGDPは1960年の35ドルから、2022年の24,847ドルまで増加した。これは世界的に見ても類を見ない成長であり、レファルなどの一部諸国からはデータを改ざんしているとの疑惑を持たれている。現在でも経済的な理由で御屋に住まわざるを得ない国民が存在しており、その規模はゴトロス国内で1万人に登る。ゴトロス政府は、低価格で住める住宅を提供するなどして御屋からの移住を勧めている。それもあってか御屋に住むゴトロス人は減少傾向にあったものの、ゴトロス通貨危機の影響が影を落とし、2021年から2022年の間で1,200人が新しく御屋に居住している。

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