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マウサネシア連邦共和国

日歴1950年代、自国の軍事力と外交力の致命的貧弱さに気付いた政治及び軍事指導者層は、ソビエト連邦頼みではなく自らの政府が自由に使える核兵器の重要性に注目した。

「マウサナ人の種の存続のためには、サハラ帝国のように、我々も核兵器を保有しなければならない。」
建国の功労者の1人であるセルテ・ラナ元帥は晩年、日歴1959年にマウサネシア労働党大会でこのように述べたという。

これは『亜人ドミノ思想』に裏付けされた発言である。当時からソティル教国によってサハラ帝国は差別されていたが、サハラ帝国は核兵器により侵略を回避していた。
『亜人ドミノ思想』とは、もし仮にサハラ帝国が無力化された場合、次の排斥対象はマウサナ人となり、その後はラシュフォン人やゴトロス人、しまいには黒人が排斥されるという懸念のことだ。

その後マウサネシアは、紆余曲折を経て1965年に、マウサネシア領ラーダニャルメでの核爆発実験に成功した。

マウサネシアは日歴1965年から1989年までの間に核実験を38回実施した。このうち9回は本国の無人環礁で実施、29回はマウサネシア領ラーダニャルメの無人環礁で実施された。

1990年からの改革においては「マウサネシアはこれ以上の核実験を決して行わない」と宣言、国連総会にて採択された包括的核実験禁止条約に調印し、核兵器を削減した。

現在、マウサネシアの核兵器保有量は150個以下とされる。

歴史


1950年にヤンマス・マサーシン大佐は、「核兵器は将来、戦争の鍵になる」と主張し、1951年に参謀本部内に特殊兵器課を創設し、核兵器・生物兵器・化学兵器に対する部隊防護を中心とした研究を行なった。
1952年、特殊兵器課は「核兵器の開発が戦費圧縮にも国家経済的にも優れており、この開発は急務である」との報告書を提出したが、政府は半信半疑であり、特に太陽教徒でもあったレイン・ノルは難色を示した。

科学者たちはそんなレイン・ノル国家主席に次世代エネルギーとなりえる、平和的な原子力開発を進言し、これは不承不承だったが許可された。
これを受けて政府内に原子力委員会と引き続いてマウサネシア原子力庁が創設された。

1953年、原子力庁大臣が、プルトニウム原子炉計画を実行に移す。
1955年に初めての重水炉が稼動し、翌1956年には微量のプルトニウムを抽出した。

レイン・ノルに次ぐ建国の功労者であったシアネン・レハポーワット(マウサネシア人民共和国、初代首相)は1955年に「核兵器を保有する国は他国に比べて国際外交上有利である」と述べ、核兵器保有構想を打ち出した。
しかしながら建国の親レイン・ノルは核兵器に関しては難色を示していたため、本格的な兵器開発は彼の死後となる。

1958年、エルン・セノ首相は水爆開発計画を発表したが猛反発にあい、発言を撤回した。

レイン・ノル没後の日歴1960年、カルーラ=マルマセユット首相は原爆実験と核融合研究の実施を決定し、原子力軍事応用委員会が発足、核兵器研究開発群が創設された。

核兵器の開発が現実化するにつれて、マウサネシアの世論では核兵器保有の是非について、国内を2分する大論争が巻き起こった。
マウサネシアの政治家や科学者の多くは核兵器に賛同していたが、太陽教関係者を中心とする核兵器への反対運動が発生し各地でデモが行われた。
そんな中、1961年にソビエト連邦で、史上最大の水爆実験が行われると、これを受けてリスミ・ルノ国家導師は演説を行った。
「核兵器は大勢の生命を一方的に奪うという点で、これは既存の兵器とは全くの別物です。特に知的生命とは太陽神が自らの手で創造したものであり、核兵器は存在が太陽神への冒涜にあたり、太陽教の教義にも反しています。よって、我々太陽教は核兵器に反対します。」
これがあの有名な太陽教の核兵器反対声明である。しかしそれに対して太陽教内部から核兵器擁護論の意見も表明された。
「既に各国が核兵器を保有しており我々が攻撃されないという保証はない、これは我々が信仰を守り、異教徒から身を守るための聖なる兵器だ」

これは国内で大きな論争を呼ぶ結果となった。そこで政府は国民投票を行った。
有権者のうち、賛成39%、反対34%、棄権27%であり、結果として核兵器の開発は続行されることとなった。

1961年にはマウサネシアのプルトニウム生産量は年間で40kgに達した。

1962年、マウサネシア領ラーダニャルメのラウロロンカ環礁に実験場が定められ、爆発実験日は1964年に決定されたが、翌年に1年延期となった。

初の核実験は1965年、マウサネシア領ラーダニャルメのラウロロンカ環礁で実施され、「黒いイルカ」と名づけられたプルトニウム型実験弾頭の爆発は成功した。

5年後の1970年には、マウサネシア領ラーダニャルメのトーケニ環礁で、初の水爆実験が行われ、成功した。

1970年代以降、実験は主に地下核実験を中心に行われるようになり、1989年の地下核実験を最後に、行われていない。

回数


地域実験場大気圏地下合計備考
マウサネシア領ラーダニャルメラウロロンカ環礁111324初の核実験を含む
トーケニ環礁325初の水爆実験を含む
マウサネシア本国トヤイテア環礁459戦術核が中心
合計182038

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