架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

 「クリス」
「何ですか」
「はっきり言うわね」
「はい」
「暇」
「ためる必要無いじゃないですか」
 クリス、と呼びかけられた青年は、目の前の主人からかけられた言葉を冷たくあしらい、すぐにまた別の仕事に没頭し始める。しかし、呼びかけた方はそうは収まらない」
「ねーえー、クーリースー」
「鬱陶しいですねリリィ様!」
「暇だって言ってるでしょー」
「もうちょっと王女様らしくしたらどうですか!」
 自分に纏わりついてくる女性に対し、クリスは遂に大きな声を出してしまう。しかし、彼女は全くこたえない様子で彼にしなだれかかったり、膝の上に座ろうと動き回ったりを繰り返す。
 1991年の10月。国王の命により、王都タアロア郊外にある離宮に閑居していたリリィ王女は、長い休暇とほんの僅かな騒乱を経て、再び無気力と牢獄の様な余暇に沈み込んでいた。
 8月に発生したタアロアでの騒ぎと、その前に彼女が領地である島から強引に軍艦を使って脱出したことについて、二人は王命に叛逆したとして訴追され、そのまま幽閉にも近い境遇で離宮暮らしを余儀なくされていた。
 この数日前まで、彼女とクリスは船に乗ってトゥアナケ地方の多国籍共同租借地を訪れていたが、その際に彼女を狙う悪辣な陰謀に遭遇したことで待遇はさらに締め付けが強くなり、それまでは多少大目に見られていた外出も殆ど許されなくなってしまったのである。
「クリス〜、構って〜」
「…分かりました、じゃあ髪の毛に櫛入れてあげますから」
「ついでに耳掃除とマッサージもお願い」
「あんまり調子に乗ってると怒りますよ」
 鋭さの抜け切ったリリィの頼みを受けて、クリスは立ち上がって洗面所から綺麗に洗った櫛を持ってくると、丁寧に長い白髪を梳かした。
 すっ、すっと櫛を入れて、その先が頭皮をくすぐる度に彼女は心地よさそうな表情を浮かべる。
「にしても、外出まで禁止されると本当にやること無いわね。なんかこう、勘まで鈍り切って何も浮かばない感じがあるわ」
「まあ、気持ちはわかりますけども」
「…今頃王宮では、デニエスタ帝国の皇太弟様を迎えて、豪華な晩餐会でもしてるのかしら」
「さあ…?」
 リリィが話しているのは、今から凡そ3ヶ月程前から交渉が続けられていた、デニエスタ帝国連邦の皇太弟、ガリアード・フォン・プロイツフェルンの王国来訪についてのことである。彼女は春先に行われた現国王、ポマレ10世の即位30年記念式典において、この世界帝国のNo.2の知己を得たが、まさか間を置かずに2度目の来訪がなされるとは、という驚きの感情を持っていた。
「元々お父様を招待したかったのだったかしら」
「確かそう言う感じでしたかね。…ただ、どうも向こうの政府がかなり積極的にことを進めようとなさっていたとか。なぜでしょうか」
「さあ…もしかしたら、独身の現皇帝のお嫁さん探しだったりして」
「洒落に見えませんよ」
 軽い髪の手入れを終えて、クリスがリリィの肩甲骨の辺りを押すマッサージを始めた時、ふと彼女は明るい会話を止め、低い声で後ろに話しかけた。
「…何か騒がしいわ」
「…そうですか?」
「ええ。何か、大変なことが起こった様な…」
 ごく微細な空気の変化から、変事の発生を彼女が感じ取った直後、それはクリスにも聞こえるほどの足音の形をとって、二人の元へ飛び込んできた。
「大変です王女殿下!」
「何事かしら」
「王宮より、国王陛下より至急の御命令でございます!『直ちに王宮に参上せよ、その際見苦しくない『洋装』で、身分を示す物を忘れない様に』とのことです!」
 刹那、リリィは椅子から弾け飛ぶ様に立ち上がり、爛々と輝く視線をクリスに向けて命じた。
「すぐにいつものブラウスとスカーフ、ロングスカートとブーツを持ってきて頂戴。マントはキチンと手入れしてあるわね?」
「勿論です」
 その代わり様は、あの八月の事件を彷彿とさせた。退屈の海に浸けられて、溶け沈む様な日々に訪れた非日常。自身を必要とする激しい奔流のへの回帰。それを知らされた時に見せる、「これでなくてはならない!」と言う本能的な昂奮が、彼女を支配していた。
「クリス、どうかしたの?」
「いいえ」
 気がつけば、彼も笑みを浮かべていた。決して認めたくはない、だが、自分の主人が最も美しいのは、まさしくこの瞬間だ。つい先程まで自身が彼女を嗜めていたことも忘れて、彼は命令を果たす為に全速で走り出した。

 同じ頃、デニエスタ帝国皇太弟、ガリアード皇子は、内心期待に胸を躍らせながら、控室でその時を待っていた。
「どう思うジークリンデ」
「どう?とは…」
 控えめに応じたのは、帝国軍の軍服ーその中でも一際優美さの際立つーに身を包んだ、まるでそれ自体が光を放っていると思われる程の、見事なブロンド髪の女性だった。
「分からんか、今からやってくる王女は、遠く我が国までその名を轟かせ、あの奥手な兄上さえ興味を示す様な女性だ。だから近衛のお前に意見を訊いているんだ、『果たしてリリィ王女とは、天下のデニエスタ皇帝に相見えるに相応しい人物か』、とな」
「………」
 ジークリンデは目を瞑り、一度だけ遠くから望んだリリィの姿を思い描いた。
 周りが皆洋装のモーニングやナイトドレスに身を包み、華美なネックレスや装身具、自慢げな勲章で身を飾り立てている中、一人だけ古来からの伝統衣装を身につけ、華々しい物は何一つ帯びる事は無い。しかし、それでもどんな貴賓よりも輝いて見えた。
 単に肌の色が違う、顔が整っている、そうした次元の話ではない。例え泥や埃に塗れた襤褸を纏っていたとしても、彼女を見間違えたり、賤しい者と思う事はあり得ないだろう。高貴な人々を見慣れたジークリンデにそう思わせる様な迫力と魅力、それを備えた人物だった。
「…思うに、単なる外見の人ではないかと存じます。…あの日私が王女殿を遠目から見た時、直接話しかけた訳でもないのに、圧倒される様な錯覚を覚えました」
「…なるほどな、お前もか」
「え?」
 ガリアードはソファから立ち上がり、鏡台の前で髪形を整えながら続けた。
「俺もな、お前と同じ様な感想を持った。最初は単なるひねくれ者、辺りに溢れてる自称『進歩貴族』か何か気取りだろう、と。だが、2、3度言葉を交わしてすぐに分かった。『この女はただの女じゃねぇ。内側にとんでもないものを隠してやがる』ってな。それで多少訊き回ってみたら…まるで化け物の様な素質を持っていた」
「………」
「思わず震えた。この王女が、もしも開国したての小国じゃなく、カーリストの大国に生まれていたら。仮にソ連やアルセチアの様な、俺達と対峙していた国に生まれていたら。或いは、俺達の祖国で、同じ様な身分であったなら…」
「恐ろしいと、そうお思いですか」
「ああ、恐ろしい、恐ろしくって…とんでもなく面白いだろ?」
 彼の笑みに対して、ジークリンデはあくまで冷静を保ったまま応じる。
「では、今回のご用向の『本当の』理由も…」
「そうだな。兄上もきっと同じ思いでいらっしゃるだろう」
 髪形をオールバックに整え終えた彼は、不敵な笑みを浮かべた。まるで戦場に赴く前の、大将軍の様な笑みだった。
 
 王宮、謁見の間。リリィの到着を間近に控え、国王以下全ての王族は既に参集し、じきに来賓の姿も見えるだろうと思われる頃。
「父様、姉上はまだ着かないのでしょうか」
「落ち着くのだ、カイ。リリィも急に呼び出されては、うまく身動き取れまい」
「クヒオの言う通りだ。それに、お前も知っての通りリリィが来ると言って来なかったためしは無い。安心して待つが良い」
 ラピタ王国第3王子、カイセラ・カルアイクは不安げに辺りを見回した。父王は終始沈思黙考し、兄のクヒオや叔父のジョアシャンも沈黙を貫いている。ガリカードが唐突に求めたリリィとの直接面会、一体何を伝えようと言うのだろう。
「リリィ殿下がお付きになられました!」
 ちょうどその直後、扉が開きガリアードとジークリンデが共に早足で入ってくる。これで舞台に役者は出揃った。そしてー

 「フアヒネ王女リリウオカラニ殿下、お出でにござっ…どうなさったのですかリリィ様!」
 式部官の大音声は、来客の姿を見たことで覚えた困惑により、尻すぼみになって消え去った。しかし、その異変を中の者が察知する前に扉が開け放たれ、二人の男女が半ば駆け込む様にして入ってきた。
「おお、来たかリリっ…!」
「リリィ!お前は一体なんて格好をっ…!」
 見れば、リリィはブラウスにロングスカート、その上に青と白のマントを羽織っているが、全身ずぶ濡れで髪の端からは水が滴り、スカートの裾やブラウス、手は泥だらけ、身体中に服が張り付いて所々下着が薄く透けている。
「誰か、上に羽織るものを持って来い!」
「はい!」
 他方、同じ位見窄らしい格好になっているクリスがクヒオの命令に応え、一先ずマントで体が見えない様にして部屋を出て行った。
「…あなたが?」
「これは、ご挨拶が遅れまして申し訳ありません…『Guten Abend、リリィ殿下。私はデニエスタ帝国皇太弟、ガリアード・フォン・プロイツフェルンと申します』」
「『ご丁寧にありがとうございます。リリウオカラニ・ティナ・ポマレです。Freut mich』」
「『デニエスタ語がお上手ですね!これは驚いた!』」
「『いえいえ、其方こそ。ラピタ語がお上手で驚きました!』」
「挨拶は良いが、リリィ。その見るに耐えぬ格好はなんだ」
「そうだリリィ!国賓の前で、なんて格好をしている!」
 服も顔も髪の毛までもずぶ濡れの上、あちこちに泥が跳ねて茶色い汚れを作っている。更に言ってしまえば、元々の格好そのものがこうした外交の場に相応しいとは言い難いもので、その点も謹直なクヒオの怒りを誘った。
「いや、申し訳ありません。何しろ…ありがとクリス。…道中トラブルがありまして」
 クリスから受け取ったタオルで頭を拭きつつ、リリィは簡単に事情を説明した。
「実は、王府から回していただいた車が途中、雨のぬかるみに嵌ってしまいまして」
「それで雨の中を歩いてきたのか?」
「いいえ。通りがかりの人も巻き込んで、みんなで車を押しました!」
 この答えを聞いた時、ガリアードはひどく驚いた様子で彼女を、次いで「リリィならば仕方ないか」、とでも言いたげに首を振る国王や他の王族を交互に見直した。
「リリィ、事情は分かった。だが、些かその様は見苦しい故、同じよな服を用意するから着替えて参れ」
「そうですリリィ様。早くお着替えを」
「そんなにひどいかしら。みんなと頑張った証なのに」
「見苦しいと言うより…その、下着がですね…」
「……!ばか!どこ見てるのよ変態!」
「痛い痛い!叩かないで下さいってば!」
「こらリリィ!国賓の前だぞ!」
 真っ赤になってクリスをはたいた彼女だったが、再び国王とクヒオに促され、渋々一旦辞去して着替えに向かった。彼女が居なくなった後、ガリアードのぽかんとした表情を見てとった国王は、興味深げに問うた。
「変な娘だと、そうお思いですかな?」
「い、いえ、とんでもない」
「正直に仰って頂いて良いのですぞ。『とても王族の振る舞いには見えぬ』と。何しろ、我々も同じ様な心境ですからな」
 にこやかに笑う国王に対し、クヒオはバツの悪そうな顔をし、カイセラやジョアシャンは苦笑いを浮かべている。
「……」
 既に50の坂を大きく過ぎ、老年の域に入ろうとしている国王と、まだ20代で気力も若さも充実しているガリアードとでは、人生経験にあまりにも分厚い壁がある。故に彼は、余りにも素朴な国王の感情を計りかねて、やはり困惑の表情を浮かべた。
「…どうかなさいましたかな?」
「いえ、ただ…リリィ殿下は、ご家族に愛されているのだな、と…」
「ははは、そうですか。いや、確かにその通りですな。あの子は家族の、いえ、多くの国民からも慕われ、懐かれています。おそらくは国王の私も凌ぐ位に」
「陛下!」
「良いのだクヒオ。…皇太弟殿。あの子は確かに奇矯な振る舞いをするかもしれん、ですがその王族らしからぬ奇矯さが、あの子の美徳でもあるのです。もしも、自分の乗る車が泥に嵌った時、他人が押すのを待って自分が泥に沈むことをしないとしたら…きっと我々は、リリィはもはやリリィではないと思うでしょう。ですから、まあご不快とは存じますが、どうか見逃してやって頂きたいのです。皆、ああして泥だらけになっても恥じたり嫌がったりせず、むしろそれを受け入れるあの子が好きなのですから」
「……」
「戻りました!」
 再び扉が開き、リリィが駆け込んできた。服は綺麗なものに取り替えられ、頭にはタオルが乗っかったままだ。軽く体を洗ってそのまま走ってきたのだろう。
「はしたないぞリリィ」
「すみません兄上」
「では、皇太弟殿、ご用向きをお伺いしましょう」
 国王に促され、ガリアードはハッとして、戻ってきた彼女を見直した。透き通る様な純白の肌に、深い海の様な真っ青な瞳。湿り気を帯びた長髪に、しどけない装いにも構わず立っている。
 なるほど、これは負けてしまうなー心の中でそう呟いた彼は、声を張り上げて、彼女と国王に対して申し述べた。
「我がデニエスタ帝国連邦の皇帝、ルドルフ・フォン・プロイツフェルンより、ラピタ王国国王ポマレ10世陛下、並びにご息女リリウオカラニ殿下に対し、正式に申し入れます」
「……」
「リリウオカラニ王女殿下を、我がデニエスタ、並びにカーリスト諸国へご招待申し上げたい」

 かくして、平穏は再び過ぎ去りぬ。そして、彼女はラピタ人として前代未聞の大旅行へ、彼女が見たいと願った世界の真実を目の当たりにする為の遥かなる旅路へと、その足を踏み出すことになったのである。

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