正式名称 | ドイツ国民の大ゲルマン帝国 (Das Großgermanisches Reich der Deutschen Nation) |
国の標語:Ein Volk, ein Reich, ein Führer. | |
国歌:ドイツの歌(非公式:ホルスト・ヴェッセルの歌) | |
公用語 | ドイツ語(非公式:英語 アフリカーンス語) |
首都 | レオポルドヴィレ |
最大の都市 | |
政府 国防相 ハンス・ヨアヒム・へルマン 総統 ヘルムート・シュミット | |
面積 総計 4,133,545㎢ | |
人口 総計 56,253,000人 | |
GDP 4,500億USD | |
歴代国家元首 | アドルフ・ヒトラー 1933年〜1955年 ゲルハルト・クロプファー 1956年〜1990年 アルトゥール・アクスマン 1990年〜1990年 ゲルハルト・ヴェッセル 1990年〜1990年 ビスマルク・シェーンハウゼン 1990年〜1991年 エドゥアルド・ワーグナー 1991年〜1991年 ラインハルト・ハイドリヒ 1991年〜 |
変遷 | ヒトラー内閣成立 1933年1月30日 |
国家元首に関する法律が発効 アドルフヒトラーが総統に就任 1934年8月2日 | |
第二次世界大戦 1939年9月1日 | |
ドイツ国の主要幹部らの一部がドイツ崩壊に基づいてアンゴラ、コンゴ一帯に亡命 1955年5月12日 | |
ナチス残党らがナチス・ドイツの正当な後継国であるとしてドイツ緊急政府を設置 1955年7月1日 | |
コンゴで一部の現地人が反乱、統制が強まる 1957年3月7日 | |
コンゴ地域で食料配給の滞りに起因する非常に大規模な暴動が発生。政府は近く対応策を検討すると表面 1989年12月30日 | |
コンゴ地域での飢饉が終了。暴動の扇動者は全て処刑された。 1990年1月25日 | |
ゲルハルト・クロプファー総統の体調が急激に悪化。(後継者が選定中。)最新情報→アルトゥール・アクスマンが後継者として指名 1990年10月10日 | |
クロプファー総統、アクスマン新総統が相次いで死去。さらにシェルナー国防相が行方不明 1990年10月?日 | |
ドイツ緊急委員会が一時的に権力を掌握 1991年10月?日 | |
ドイツ緊急委員会による協議の結果、ゲルハルト・ヴェッセルが三代目総統に就任 1990年10月?日 | |
ゲルハルト・ヴェッセル総統が急性心筋梗塞で逝去。 1990年11月?日 | |
ドイツ緊急政府臨時委員会による協議の結果、フォン・ビスマルク・シェーンハウゼンが四代目総統に就任 1990年11月?日 | |
アンゴラで反乱が発生。総統派が勝利し、エドゥアルド・ワーグナーが五代目総統に就任 1990年12月?日 | |
親衛隊による政府内クーデターによってラインハルト・ハイドリヒが総統に就任 1991年1月?日 | |
通貨 | ノイ・ライヒスマルク |
時間帯 | UTC+1 (DST:+2) |
ISO 3166-1 | DE/DEU |
ccTLD | .dg |
国際電話番号 | 243 |
社会のほぼ全ての側面において国家社会主義の考え方が強制される全体主義国家と化していたドイツ国は、1939年9月1日のポーランド侵攻によって英仏の宣戦を招き、第二次世界大戦を引き起こした。
第二次世界大戦に勝利後は世界覇権国に最も近い超大国となり、ヨーロッパとアフリカ大陸の直接的な経済的・地理的接続を目的とするアトラントローパ計画を実行するなど世界に多大な影響力を行使したが、アドルフ・ヒトラーの死によって事実上瓦解。多数の政治家は連合国主導の"新ドイツ政権"に帰属したが、それに抵抗したドイツ国防軍やナチ党の強硬派が設立したのが"ドイツ緊急政府"である。
なぜ1933年(ドイツ帝国の時代から見れば1871年)から続く我々がドイツ国ではなくドイツ緊急政府を名乗っているのか、それは単純にクロプファー総統が緊急政府(臨時政府)を名乗り政権の発足を宣言したからである。よってクロプファー総統や後に就任するであろう何人かの新総統(新国家元首)によって他の名称に変更される可能性もあることに留意すべきである。
諸元
全長
9.60m
車体長
7.50m
全幅
3.80m
全高
3.00m
重量
55t
速度
65km/h
航続距離
550km
武装
DNSK社製45口径125mm滑腔砲
MG42×3(1つは対空兵装)
複合装甲
エンジン
DNSK(ドイツ緊急政府国営工場)・MB 873ka-501・V型12気筒液冷4ストロークターボチャージドディーゼルエンジン
1,400馬力/2,400rpm
乗員
4名
概要
拡大していく反乱などにより効果的に対処し、いずれ行われる可能性のある戦争での技術的優位を得るために開発された。1980年から研究が行われ、反乱軍などの襲撃により運用開始が1990年まで遅れることとなった。
開発経緯
現行の戦闘車両では日々拡大していく反乱軍や地元民との戦闘で優位に立つことが困難になると当時のゲルハルト・クロプファー総統が判断したため。
運用開始日
1990年10月10日
全長
9.60m
車体長
7.50m
全幅
3.80m
全高
3.00m
重量
55t
速度
65km/h
航続距離
550km
武装
DNSK社製45口径125mm滑腔砲
MG42×3(1つは対空兵装)
複合装甲
エンジン
DNSK(ドイツ緊急政府国営工場)・MB 873ka-501・V型12気筒液冷4ストロークターボチャージドディーゼルエンジン
1,400馬力/2,400rpm
乗員
4名
概要
拡大していく反乱などにより効果的に対処し、いずれ行われる可能性のある戦争での技術的優位を得るために開発された。1980年から研究が行われ、反乱軍などの襲撃により運用開始が1990年まで遅れることとなった。
開発経緯
現行の戦闘車両では日々拡大していく反乱軍や地元民との戦闘で優位に立つことが困難になると当時のゲルハルト・クロプファー総統が判断したため。
運用開始日
1990年10月10日
諸元
全長
7.50m
車体長
6.30m
全幅
3.20m
全高
2.95m
重量
23t
速度
55km/h
航続距離
650km
武装
DNSK社製3.5cm機関砲
MG42×1
装甲
複合装甲
エンジン
DNSK(ドイツ緊急政府国営工場)・MB 873ka-502・V型8気筒液冷4ストロークターボチャージドディーゼルエンジン
1,000馬力/2,000rpm
乗員
3名
概要
現行の機甲戦力では対人攻撃能力が重視されておらず、アフリカでの対人戦闘で新たな機甲兵力を作成する1978年の会議によって承認された軽戦車。ティーゲルIVがより重視されていたため開発が遅れてしまった。
運用開始日
1991年1月1日
長さ 80.0m
幅 10.0m
吃水 6.2m
推進機 ディーゼル/電気
MAN M6V40/56KBB×2 ターボチャージド6気筒 ディーゼル機関, 4,500馬力×2
SSW GU365/30×2 電動発電機, 5,000馬力×2
SSW GV232/28×2 静粛航行機, 345馬力×2
速力 浮上時:18.4ノット
潜航時:12.1ノット (静粛航行機)
航続距離 浮上時:17000海里
潜航時:1400海里
乗員 27名(歩兵15名)
兵装 魚雷発射管 4門(24発)
105mm砲(35発) 1門
運用開始 1991年1月1日(一番艦完成)
概要 欧州やアジア諸列強が海軍を増強したことで、国防軍海軍司令部はもはや亡命時の旧式艦隊での対応は不可能であるとの結論に至った。しかし大西洋に面している以上海軍の存在は必要不可欠であった。そこで国防軍海軍設計局は従来の潜水艦の設備を縮小し、(しかし無くすわけではない)少数の兵士を輸送する"兵員輸送"潜水艦と言う新しい種類を提案した。(これには輸送船の予算に国家予算を回すことが出来ないと言う理由もあったが…)結局初期の要求である「輸送兵員60名、軽戦車3両、魚雷6門、130mm砲 2門」と言う法外な要求からかなり縮小された形となり、1991年1月1日に正式採用された一番艦が完成した。
幅 10.0m
吃水 6.2m
推進機 ディーゼル/電気
MAN M6V40/56KBB×2 ターボチャージド6気筒 ディーゼル機関, 4,500馬力×2
SSW GU365/30×2 電動発電機, 5,000馬力×2
SSW GV232/28×2 静粛航行機, 345馬力×2
速力 浮上時:18.4ノット
潜航時:12.1ノット (静粛航行機)
航続距離 浮上時:17000海里
潜航時:1400海里
乗員 27名(歩兵15名)
兵装 魚雷発射管 4門(24発)
105mm砲(35発) 1門
運用開始 1991年1月1日(一番艦完成)
概要 欧州やアジア諸列強が海軍を増強したことで、国防軍海軍司令部はもはや亡命時の旧式艦隊での対応は不可能であるとの結論に至った。しかし大西洋に面している以上海軍の存在は必要不可欠であった。そこで国防軍海軍設計局は従来の潜水艦の設備を縮小し、(しかし無くすわけではない)少数の兵士を輸送する"兵員輸送"潜水艦と言う新しい種類を提案した。(これには輸送船の予算に国家予算を回すことが出来ないと言う理由もあったが…)結局初期の要求である「輸送兵員60名、軽戦車3両、魚雷6門、130mm砲 2門」と言う法外な要求からかなり縮小された形となり、1991年1月1日に正式採用された一番艦が完成した。
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