時は2000年、ナチスの「約束されし新世界−NeueNazi-Ordnung−」が崩壊してから45年が経った。

自由ロシア軍団

国旗

国の標語自由なロシアよ栄光あれ
国歌自由ロシア賛歌
公用語ロシア語
首都ウラジオストク
最大の都市ハバロフスク
政府
 大統領 ドミトリー・ヤゾフ
最大の都市ハバロフスク
面積
総計  3,989,0000㎢
人口
総計  13,214,000人
GDP
3480億USD
建国沿海地方掌握 1962年4月30日
政治体制軍による権威主義体制
通貨ノヴォルーブル
時間帯UTC+10
ISO 3166-1RA/FRA
ccTLD.RA
''1945年にヨシフ・スターリンが脳卒中で死去したことに起因した第二ロシア内戦中にハバロフスク共産党地域委員会の一等書記官ゲンナディ・アンドレーエヴィチ・ボルコフによって極東地方臨時ソビエト政府が設立された。

1947年にNKVDがクーデターを実行 その後は秘密警察による独裁体制が維持されていたが1962年にイッサ・プリーエフ上級大将がクーデターを成功させ軍国主義的な独裁国家 自由ロシア軍団を設立した。

歴史

ソビエト政権と極東臨時ソビエト政府

極東地域は政府の中心地から離れた遠い僻地にあった為に本国にとって不都合だが影響力があり無闇矢鱈に逮捕出来ない人物の左遷先となっていた。ここでは共産党の右派や左派等を問わず纏まって反スターリン派閥を秘密裏に形成していた。
1942年にソ連邦は独ソ戦に敗北しスターリンの権力が低下した事により極東での反スターリン派閥の活動は活発化し45年にはヨシフ・スターリンが病死したことによる後継者争いである第2次ロシア内戦が勃発 反スターリン派閥の中心人物であるハバロフスク共産党一党書記官ゲンナディ・アンドレーエヴィチ・ボルコフがNKVDと協力して極東臨時ソビエト政府を建国した。

ゲンナディ・アンドレーエヴィチ・ボルコフ

ロシア内戦では反乱勢力寄りの中立を宣言し海外組織から反乱勢力へ自国領を経由して支援物資を送ったり義勇兵が通行する事を黙認しており、ロシア内戦で鎮圧された組織のメンバーの亡命先にもなっていた。軍事面では極東地域には対日戦に備えて機械化部隊を中心とした陸上戦力や大量の航空部隊 太平洋艦隊が配備されておりそれ等を纏めて極東地域軍が設立された。

ソ満国境を警備する兵士達

しかし将兵の多くが訓練不足で充足率も低く戦意も低かった為、1947年に満州に亡命していたコサックの指導者 セミョーノフ率いる白軍とファシスト党指導者 ロジャエフスキーの黒シャツ隊が突如として国境を越えて侵攻してきた際には上手く軍が機能せずサハやアムール ブリヤートが占領されロシア共和国が建国された。(極東事変)彼等の対応に揉めた政府首脳部は意見の違いから内部分裂を起こし、これを好機と見たNKVD長官のニコライ・エジョフは反革命の容疑で指導者のボルコフや極東地域軍総司令官 ロディオン・マリノフスキー元帥等を電撃的に逮捕し処刑 そしてエジョフが極東臨時ソビエト政府の書記長に就任しNKVDによる独裁体制が始まった。

ニコライ・エジョフ

NKVD政権

独裁政権下では大量の政治犯などの人的資源を利用して新五か年計画と呼ばれる重工業化と地域開発を推進。体制が崩壊する1962年までに強制労働で推定 120万人の死者を出したがウラジオストクなどの沿岸部での大工場群の建設やカムチャツカでの資源開発等は成功し自由ロシア軍団が自立出来る基礎を作った。
1953年には本国がシベリア地域まで再統一し極東臨時ソビエト政府に合流するように命令したがエジョフは拒否し極東ソビエト共和国の設立を宣言し、1955年にはロシア共和国と対ソビエトの防共協定を締結した。
1960年にNKVDからソビエト軍に対する粛清が計画されたが、これを察知した極東地域軍総司令官イッサ・プリーエフ上級大将は1962年に行われたハバロフスクでの軍事パレードにおいてクーデターを実行する。エジョフは間一髪の所で国外に逃亡したがその他のNKVDの指揮官等を拘束し重要施設を抑えたことでクーデターを成功させ自由ロシア軍団を建国した。NKVDはクーデター後に国家保安部(NSD)と名前が改められた。
新第一次五か年計画
1950年に政治闘争に敗れ極東に左遷されたラーザリ・カガノーヴィチを顧問として重工業人民委員会を設置

ラーザリ・カガノーヴィチ


水力発電による自然からの電力確保
製鉄所の増設による鉄鋼生産量増加
石油や石炭 鉄鉱石の増産体制を整える
ナホトカを工業都市として整備する
太平洋沿岸のインフラ整備

等の目標を打ち出した。
この目標を達成する為に国家の威信をかけて極東 シベリア地域のグラーグに収監されていた人間や軍隊 民間人のボランティア等の45万人を動員し計画を成功させたが、囚人を中心として12万人という夥しい数の死者を出す結果となってしまった。
新第二次五か年計画
国民の生活水準の上昇を目的として1956年からは新第2次五か年計画が発動され、集合住宅の建設により国民の9割が屋根のあるプライバシーのある生活を送ることが出来るようになった。また賃金の上昇や有給休暇の導入等を盛り込んだ「労働者への布告」が行われた。

イッサー・プリーエフ政権


極東地域軍総司令官時代のイッサー・プリーエフ
プリーエフが権力を奪取すると農業集団化は廃止され非共産化を推進 また個々の農場に農機具を与えるなどして地方分権化を図った。これにより国家による農場に対する定期的な支出は削減される事となった。
1967年にアメリカはロシア自由軍団に接触 アメリカの支援の元で1940年代から殆ど変化のなかった軍の練度は急速に改善され、また沿岸部の重工業に対する資本投下より経済は急激に発展し、ハバロフスクやウラジオストクには大量のアメリカ系企業が進出した。
1971年には政策として都市での家賃の引き下げや税金の軽減 田舎に住む住民に対して都市への優先的な仕事の斡旋をすることで都市部の人口は大量に増加した。
1973年にソビエト政府によるロシア共和国への侵攻作戦(アナディル作戦)が行われ白軍とファシストの建国した国家は消滅しロシア共和国の部隊はロシア自由軍団に編入された。

ドミトリーヤゾフ政権

1977年にイッサー・プリーエフは脳卒中より倒れたが一時回復し後継者にドミトリー・ヤゾフを指名した。

ドミトリー・ヤゾフ

1978年にはプリーエフは死去しヤゾフが軍最高司令官となった。ヤゾフは就任すると民需中心の経済を軍産複合体を中心とした経済体制に転換し、西側諸国の資本投資もあり国内では軍需産業が極東の兵器廠と呼ばれるまでに成長した。
1992年にドミトリー・ヤゾフ最高司令官が自国をロシア臨時政府の後継者であると宣言 国号がロシア第2共和国に変更された

反共産主義活動

1962年のクーデター後には公職からのレッドパージが行われ1500名が公職追放 931名が逮捕された。また軍では赤軍の影響を排除する為に政治将校の廃止 白軍の後継者を宣言する等の非共産化活動が行われた。
1964年には国内混乱防止罪が制定され共産主義者と疑われた人物の予防拘禁が可能となった。

外交

ロンドン条約機構加盟国であり、基本的な外交方針としては反共産主義と祖国統一である。

軍事



海軍

艦艇
軽空母 アルハンゲリスク
ミサイル巡洋戦艦 ピョートル一世
ミサイル巡洋艦 スヴォーロフ
ミサイル駆逐艦 シャポニコフ
ミサイル駆逐艦 トリブツ
ミサイル駆逐艦 ビノグラドフ
ミサイル駆逐艦 パンテレエフ
ミサイル駆逐艦 ヴェストリィ
ミサイルフリゲート レトューチャ
ミサイルフリゲート スノロゼヴォフ
ミサイルフリゲート レヴノステイ
ミサイルフリゲート スメルチ

フリゲート22隻

空軍

1988年に空軍と防空軍と戦略ロケット軍と宇宙軍が統合されて生まれた軍種である。
6個航空軍で編成されており人員は8万6000人 航空機を1820機保有している。戦闘機や爆撃機 輸送機や大陸間弾道ミサイルなどを擁しており多様な任務に対応出来る能力を保有する。
第2親衛航空軍
第75防空師団
第99防空師団
第4親衛戦闘航空旅団
第5親衛戦闘航空旅団
第28独立輸送旅団
第80ミサイル防衛旅団
第5航空軍
第77防空師団
第78防空師団
第79機械化防空旅団
第81機械化防空旅団
第3親衛航空師団
第8親衛航空師団
第51対地攻撃旅団
第52対地攻撃旅団
第22独立輸送旅団
第82ミサイル防衛旅団
第30戦略ロケット旅団
第21航空軍
第84防空師団
第13弾道ミサイル防衛旅団
第41戦闘航空旅団
第42戦闘航空旅団
第29独立輸送旅団
第83ミサイル防衛旅団
第402統合宇宙監視センター
第415統合ミサイル攻撃警戒センター
第12航空軍
第85防空師団
第86防空旅団
第87防空旅団
第88防空旅団
第303親衛混成航空旅団
第304親衛混成航空旅団
第306親衛混成航空旅団
第267航空偵察旅団
第30独立輸送旅団
第88ミサイル防衛旅団
第9航空軍
第90防空師団
第91防空旅団
第307親衛混成航空師団
第32独立輸送旅団
第89ミサイル防衛旅団
第90航空軍

第93防空旅団
第750ミサイル搭載航空旅団
第309親衛戦闘航空旅団
第34独立輸送旅団
第90ミサイル防衛旅団

中央コマンド直轄
第9弾道ミサイル防衛師団
第30親衛戦略ロケット師団
第38戦略ロケット師団
第39親衛ロケット師団
第700教導混成航空旅団
中央特殊輸送任務部隊
第505空中給油旅団
第101空中警備旅団
第404航空群
第405航空群
中央技術センター

政治

軍人を中心とした中央集権国家であり国家の運営はドミトリー・ヤゾフ大統領を中心とした国家評議会により行われている。

行政

中央集権化の弊害により縦割り行政や地域間の格差等が問題となっている。

交通

主要な交通路としては760kmの長さのウスリー幹線道路がありハバロフスクとウラジオストクを結ぶように走っている。この道路は有事の際には滑走路として運用する事が可能となっている。またこのウスリー幹線道路と並行してシベリア鉄道も走っておりソ・ロ国境であるオブルチェまで1日44本の列車が走っている。
また航空ではハバロフスク空港とウラジオストク空港が主要な空港となっておりアジア各地に国際便が就航している。
船舶の交通も盛んでマガダン港やペトロパブロフスク・カムチャツキー等への国内航路や釜山 新潟 香港などへの国際航路なども整備されている。

経済

現在の産業

主な産業は鉱業や機械工業 食品加工等だが近年では軍需産業が活発化しており、ざっと例を挙げるとウラジオストクの自動車工場では一日3200台の自動車を ナホトカのタンコグラードでは一日250両程度の装甲車を生産している。
これら大量の工業製品はウラジオストクに集積され扶桑や西側諸国等に輸出されている。

教育

1958年に教育法が制定され全ての集落に対して学校の設置が義務付けられ、全ての子供が標準化されたカリキュラムで学習するように定められた。また文字が読めない労働者に対しては工場に学校が建設され教育が受けれるようになった。なお既存の大学などに対しては全ての学生の教育費や宿泊費を無償化する事であらゆる人民の教育と学習の機会を増やすこととなった。
現在の教育の中心地としてはルースキー島に極東大学が設置されている。キャンパスは129haと広大で多数の研究棟や無償で泊まれる学生用のアパート ショッピングモール レストランやプール等の学校生活を快適に送れる施設が多数存在する。

文化

NKVD政権時には国民の反動に対してガス抜きする為にプロレタクリトを設置 国家の支援の元で各都市に地方組織が作られ芸術家、音楽家、演劇評論家等の活動が活発化しボリス・パステルナークやチャイコフスキー等数多くの文化人が活動した。

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