俺ロワ・トキワ荘にて行われている二次創作リレー小説企画の一つ。Perfect World Battle RoyaleのまとめWikiです。

少年が彼女と最初に出会ったのは、少年が救護室の純白のベッドの上で目覚めたときのことだった。
少年はゆっくりと意識を取り戻しながら、ここに至った経緯を思い出す。
意識が闇に至る直前の記憶――それは実験の記憶だ。

Kを超えるもの――K'と同等以上の肉体に、炎を操る因子――プロトKこと草薙京の力を完全な形で宿す超強化人間の開発。
少年は、そのプロジェクトのために生み出された9999番目の実験体だった。
そして少年と同様の措置を行われた同胞たちとともに、過酷すぎる戦闘訓練と実験を繰り返していた。
いや、実験というレベルを遙かに超えた強度で行われていたそれは、もはや選別といってもよかった。
実際に、少年と同様の実験に参加させられていた同胞たちは次々とその命を落としていった。
実験を行っていた組織ネスツも、成功例を複数作るつもりなどさらさら無かったのだろう。
ただ一つでもKとK'の二つの力を持つ個体が生まれればそれで良かったのだ。

少年は、なんとか生き残り続けていた。
しかしいつ死んでもおかしくはなかった。
明日死ぬのか、明後日死ぬのか。それすら分からない実験体の一人だった。
あまりにも近すぎた死の存在は、少年から生きる目的を奪っていった。
出口のない迷宮。朝の来ない夜。いつ終わるかも分からない実験ばかりの日々を過ごし、少年は生と死の区別をなくしていく。

だが、こうして救護室のベッドで目覚めることが出来たということは、なんとか今日を生き延びることが出来たということだろう。
少年はしばしの休息を享受することにした。
もうしばらくの間だけでも浅い眠りにつこうと瞼を閉じる。
しかし、聞き慣れない声が少年の眠りを妨げた。

「あ……意識を取り戻したみたいです」

いつも実験体の診察を行っている初老の医師のしわがれた声とは違う、若さにあふれた女の声だった。
少年は、声の主に興味を持って瞼を開けた。

まず最初に目を引いたのは新雪のように真っ白な、長い髪だった。
異物の一切を許さず無菌と清潔を保つ純白の救護室の中で、それでも彼女は他を凌駕する「白」として存在していた。
まだ幼さを少し残した顔立ち。年齢は少年と同じくらいだろうか。
被験体として実験に明け暮れていた少年にとっては、初めて出会う異質の存在だった。

微笑む少女に対して、少年はただ黙っていた。
彼のような実験体はプロジェクトの直接関係者以外との接触を禁じられていたし、仮に会話を試みたところですぐ傍に控えているだろう警備班に取り押さえられるのがオチだろう。
しかし、そういう問題ではなく、ただ純粋に彼は言葉を失っていたのだ。
胸の奥から湧き上がってくる感情の名前を、彼はまだ知らなかった。

少年と少女の邂逅は、ほんの一瞬で終わってしまった。
一言も交わさないうちに少女はいつもの担当医師と交代し、そのまま戻ってはこなかった。
少年も治療とメディカルチェックが終わると、すぐに救護室を追い出され、再び実験棟へと舞い戻ることになった。

一つ、はっきりと変わったことがあるとすれば、少年が再び生きることを望み始めたことだろう。
少女との出会いが、少年の生死観を変えたのだ。
生きてさえいれば、また少女と出会うことが出来るかもしれない。
そう思うだけで、それまでと何ら変わりない過酷な実験も耐えることが出来た。

次に少年が少女と再会したのは、またもや救護室のベッドの上だった。
既にそのとき、プロジェクトの実験体は少年を除いて全滅――唯一残った少年も、新たに植え付けられたプロトKの力をコントロール出来ず瀕死の状態。
プロジェクトは実質的な失敗を迎え、あとは少年を処分するだけで全てが終わるはずだった。


 ◇


白と黒、そして青が交錯した。
モノクロの炎と透き通る氷。
白と黒の炎が、きらめいて光る氷の表面で華麗に踊る。
超高温の炎によって溶けて生まれた水蒸気が、更なる冷気によって再結晶化し樹形を型作る。
二つの超自然の力が作り出す光景はまるでこの世のものとも思えず、美しいと形容する他ない。
しかし行われているのは絢爛豪華なショーなどではない。
命を懸けた死闘なのだ。

炎を放った少年――ネームレス。しかし彼の意志と意識は希薄。
彼は今、己の中で暴れ回る強大な力に身体を支配されようとしていた。
彼の中で凶暴さを増し、力の暴走を促すその存在の名はオロチ――地球意志の現れとも言われるそれは、本来ならば人の身体一つに収まってしまうような存在ではない。
ネームレスも己の中で暴れるオロチの血に対して必死の抵抗を試みているが、このままではネームレスの意識と肉体が完全にオロチの血に呑み込まれてしまうまで幾ばくの時間もないだろう。
地球と人間一人が喧嘩をしているようなものなのだ。いくらオロチの血が人の血で薄まっていたとしても、はじめから勝ち目のない勝負だと言えよう。

だが、諦めていない少女がいる。ネームレスを救うべく氷の能力を行使する少女の名はクーラ・ダイアモンド。
ネスツによって炎の因子Kと対になる力を植え付けられ、しかし縛られていた鎖から解き放たれ自由を得た少女だ。

クーラの自由で豊かな感性は、暴走する少年から様々なものを感じ取っていた。
彼の炎からは、ネスツを去ったあと一緒に行動していた、皮肉屋で、だけど不器用なだけで本当は優しい白髪の男のことを。
彼が呟いた二つの名前からは、初めて会ったはずの彼がクーラのことを知っているという疑問と、クーラが知らない誰かを思う彼の感情を。
そして彼の心からは、かつてクーラも囚われていた、自由を阻害する鎖を感じ取ったのだ。

得た情報は膨大で、クーラの中で処理が追いつかず分からないことだらけのままで、しかし一つだけ分かったことは、

「待ってて、今、クーラが助けてあげるから!」

彼を助けなければならないという、ただ一つ。
どうすれば少年が止まってくれるのかクーラは知らない。
だが、このまま手をこまねいていては決して状況は好転しないということはクーラでも分かる。
だからクーラは、自分が持つ力――アンチK'である氷の力を使うことを選んだ。
少年が使う炎にはK'と同じ何かを感じる。ならば、自分の力なら少年の力に対するカウンターになりうるかもしれない。

クーラは口元に右手を持ってくると手のひらを上へ向けて、ふうっと息を吹きかけた。
クーラの息吹が能力によって急速冷化され、氷のつぶてとなって無差別に炎をまき散らすネームレスへと向かう。
しかしクーラの氷の息吹は、ネームレスへと届く前に彼が振りまく炎の熱に溶かされ気化していった。
オロチの血によって増幅されたネームレスの能力は、炎に対抗する存在アンチK'として生み出されたクーラですら太刀打ちできないほど強化されてしまっている。

「だったら、近づいて直接冷やせばいいでしょ!」

遠距離から冷気を飛ばしたところで今のネームレスには何の意味もないことを悟ったクーラは、直接自分の力を打ち込むべく接近の一手を選んだ。
一流のフィギュアスケート選手にも見劣りしない見事なスピンを披露しながら、クーラはネームレスへ向かって飛翔する。
くるくると回るクーラが振りまく冷気は、そのままネームレスから放たれる炎を防ぐバリアになる。
あと一動作でネームレスに密着できるという距離まで一息に飛んだクーラは、そこから更なる接近を選択。
姿勢を低くしたスライディングで一気にネームレスの足下まで近づいていく。
だが、

「やばっ!?」

ネームレスの人生と同義である幾多の戦闘経験とオロチの血がもたらした闘争本能は、クーラの接近を許しはしなかった。
無差別に炎を放っているかのように見えたネームレスだったが、クーラという敵性存在が接近してくることを知覚した瞬間から、行動を「暴走」から「戦闘」へと切り替えたのだ。
ネームレスはクーラのスライディングを低めのジャンプで回避し、降下と同時に反撃。
上方向に対して完全に無防備な姿を晒していたクーラは、あえなくネームレスが放った穿孔を受けることになる。
ネームレスが右手に付けるグローブ――イゾルデが変化したドリルが、クーラの服を裂き、皮を剥ぎ、肉を貫いていく。
クーラが苦痛の声を上げようとも、ネームレスの猛撃は緩まりはしない。
そのまま前方回し蹴り、そして炎を用いた連続攻撃へと派生していく。
オロチの血によって性質をより凶暴に変えた白と黒が、クーラの全身にまとわりついた。
ネームレスの蹴撃を受けて吹き飛ばされた今でも、炎はクーラの身体を焼き続けている。
それはさながら獲物が絶命するまで絞め続ける蛇のようだ。

「もうっ!」

クーラは冷気を纏わせた両手で身体を這う炎を払い、相殺する。
ネームレスの手から離れた炎ならば、クーラの力でも打ち消すことが出来るようだ。
まったく歯が立たない訳じゃない――服についた煤を払いながら、クーラは今度こそこの手を届かせてみせる、と決意を固くする。
もう、時間がない。

「ぐ……ああああああっ!」

ネームレスの中に僅かに残る理性がオロチの狂気とせめぎあい、生まれたのは意味を持たない咆哮。
しかしそれがネームレスの必死の抵抗の現れなのだということを、クーラは感じていた。
今、少年の精神は何か大きくて邪悪なものに呑み込まれて消えてしまおうとしている。
それはちっとも楽しくなくて、悲しいことだということを、クーラは知っている。
自分以外の何かに縛られて狭い世界の中にいるだけでは、楽しいことなんかこれっぽっちも存在しないのだ。
広い世界へ向かって自分の足を踏み出して、クーラは楽しいことや美味しいものや嬉しいことをたくさん見つけた。
目の前の少年からそれを奪おうとしている何かのことを、クーラは許せない。認めない。
だからもう一度、いや、何度だってクーラは少年へと向かって手を伸ばすのだ。

「ねぇ、聞こえてる?」

自分の声は、少年に届いているのだろうか。
届いていなくても関係ない、とクーラは言葉を続ける。
いくら話しかけ続けても、永遠に届かないかもしれない。
だが諦めてしまえば、残っていた可能性も何もかも、完全なゼロだ。

「諦めちゃダメだよ」

自分自身にも言い聞かせるように、クーラは言葉を紡いだ。
同時に、両手を氷でコーティングしながらネームレスへと近づく。
ネームレスの両手からまき散らされる炎。それを両手で払いのけながらクーラは大胆に、しかし慎重に接近戦を試みる。
ゼロ距離で氷の能力を使うことが出来れば、ネームレスの暴走を止めることも可能かもしれない。
だが同時に、ネームレスの暴走する炎に直接灼かれる危険性も秘めているのだ。
たとえ氷の因子を持つクーラであろうと、あれだけの熱量を絶え間なく注がれ続ければすぐに燃え尽きてしまうはずだ。

一度のミスも許されない攻防が始まった。
ネームレスの両手から迸っていた炎が、その勢いを弱める。
暴走が収まったのではない。クーラという敵に備え、戦闘態勢に入ったのだ。
クーラはネームレスの目を見つめた。ネームレスもまた、クーラを見ていた。
その瞳に光はない。既に少年の精神は地球意志に呑み込まれてしまったのか。
いや、クーラは少年の瞳に、苦痛が含まれているのを見逃さなかった。
苦痛が残っているということは、戦っているということだ。
少年はまだ、生きようとしている。自分の意志を残そうとしている。
それが分かれば十分だった。
クーラは一人ぼっちで戦っているのではない。少年と、二人で戦っているのだ。

「もうちょっとがんばって! クーラもがんばるから!」

最初に仕掛けたのはクーラだった。
両手に分散させていた氷の力を右手に集中させ、氷柱を作り出す。
右手を、ネームレスに向かってまっすぐに伸ばした。

後手に回ったネームレスは、しかし焦ることなく対応する。
ネームレスの戦闘スタイルは炎を刃に見立てた抜刀術だ。後の先を狙うのは、むしろ自然。
クーラの氷撃が届くか届かないかという刹那、ネームレスの右手が閃いた。

ぶつかりあう氷と炎。だがお互いは相殺することさえせずに、更にその勢いを増していく。
炎が氷柱の表面を這い回り、そのままクーラの身体を焼き尽くそうと前進する。
しかしクーラの身体に秘められたアンチK'の力は、その侵攻を阻んだ。
草薙の炎さえ凍らせ跳ね返す力が、オロチの血によって禍々しい進化を遂げた炎と拮抗する。
せめぎ合う二つの力が最大まで膨れ上がったとき、迎えた結末は炸裂。
氷と炎が飛礫となり、二人の身体を掠めていく。
そして瞬きをする間隙すらなく、戦闘は次の局面へ。

次に始まったのは、氷の力も炎の力も介在しない純粋な肉弾戦だった。
一撃一撃の威力には状況を決定付ける破壊力は存在しない。
だが、この競り合いに負けて決定的な隙を見せてしまえば、次の瞬間には互いに持つ異能が勝負を決着させるだろう。

クーラは慎重に小技を繰り出して様子を窺っていく。
いつでも相手の攻撃に対応出来るように、防御を念頭に置いた牽制重視の攻めだ。
大振りの攻撃を放って相手に隙を突かれれば、一瞬のうちにクーラは業火に焼かれることになる。
今はじっと我慢だ。いつか訪れる好機を、クーラは待つ。
クーラは信じていた。目の前の邪悪と戦ってくれているもう一人――少年自身が、いつかチャンスを作ってくれると。

しかし懸念もあった。少年の精神が、いつまで抵抗を続けられるのか――ということだ。
もしも少年が呑み込まれてしまえば、その瞬間にクーラの勝算は消えてしまう。
このまま少年の肉体が完全に支配されてしまうようなことになれば――

クーラの焦りと裏腹に、ネームレスの攻撃は激しさを増していく。
過酷な訓練を経て鍛え抜かれた肉体から繰り出される攻撃は、たとえ炎を纏わずとも一撃が鋭く、重い。
防御に専念することでどうにか凌いではいるが、このままではいずれ防御を抜かれ、致命的な一打をもらいかねない。

更にネームレスの連撃は続き、その攻撃に切れ間は殆ど存在しない。
僅かな切れ間を狙って一か八かの反撃を試みることも考えたが、逆に反撃を潰され一気に攻め立てられる危険性を考えると迂闊に手を出せなかった。
しかし、こうやって手をこまねいている間にも少年の精神はどんどん消耗していく。
いつしか少年の表情からは苦痛の色が薄れ、安らぎに変わろうとしていた。

「ダメ! そっちにいっちゃったら……ダメだよ!」

彼方へと消えてしまいそうになっている少年に向かって、クーラは必死に叫んだ。
だが、少年からの反応はない。瞳から光は失われ、虚無に飲み込まれようとしている。
もう、迷っている暇はなかった。
たとえクーラが白と黒の業火に燃やし尽くされることになろうとも、今動かなければならない。
きっと、ここで少年を見捨てるようなことをしてしまえば、クーラはずっと後悔するだろうから。

ネームレスが右手のグローブをドリルに変え、クーラの上体を狙ったとき。
クーラは一度その穿孔を受け止めると、渾身の力を込めてネームレスの身体を跳ね返すように体当たりを敢行した。
単純に、ネームレスを吹き飛ばすことだけに意識を置いた行動だ。ネームレスへのダメージそのものは殆どないといっていい。
だが、衝撃を殺し切ることが出来なかったネームレスは空中で体勢を崩してしまっている。

クーラは、ネームレスへ向かって走った。
恐らくこれが、最初で最後のチャンスだろう。
クーラがネームレスを救うことが出来るか、それともネームレスの中に巣食ったオロチの意思がクーラを焼き尽くしてしまうのか。
どちらにせよ、次はないだろうということをクーラは確信していた。

「いっくよー!」

接近の手段に選んだのは、華麗なレイ・スピン。
鋭い軌道を描いた回転だが、直接ネームレスへとぶつけることはしない。
回転の勢いを殺すことなく攻撃へ転換。クーラの能力によって生み出された氷の矢を、勢いの乗った蹴撃で打ち出す。
そして更に続くのは、氷の力を纏った右腕で放つクロウバイツ。
本来ならば不可能な二連撃を、クーラは持てる力と技の全てを振り絞ることで可能にしたのだ。

抜刀は連続することが出来ない。一度鞘から抜いた刀を再び振るうには、鞘に収めるという動作を挟む必要がある。
飛来する氷の矢を炎の抜刀で打ち落としていたネームレスは、続く氷の顎にその身を咬まれることとなった。
しかし。
不思議なことに、ネームレスは己を包む氷に、慣れと親しみを感じていた。
ネームレスは、この力を知っている。

「イゾ……ルデ……?」
「クーラだよっ!」

思わず口をついて出てきた名前は、氷を操る少女に否定される。
だが、少女と同じ力を、ネームレスは絶えず感じていたはずだ。
ネームレスの中に埋め込まれた二つの炎の力――K。それを制御するカスタムグローブ。
ネームレスは、それに彼女の名前を付けた。
イゾルデ、と。
いつも右手にいてネームレスを守ってきた力と、目の前の少女がネームレスを救おうと使う力は、よく似ている。

「よーし、このままいっちゃえ! ほらキミも、がんばって!」

目の前でネームレスのために奮闘する少女と、ネームレスの記憶の中で微笑んでいる少女の姿も、よく似ている。
よく見てみれば、全然違うというのに。
だというのに――

――どくん、とネームレスの中で一際大きな鼓動が生まれた。

「やめ……ろ……! 俺、は……!」

――氷の少女と思い出の少女の面影を重ね合わせてしまったとき、ネームレスがネームレスであり続けようと必死にせき止めていた堰の一部が、崩れた。
巨大なダムがほんの一筋の亀裂から崩壊してしまうように、一度生まれてしまった歪みから、次々とオロチの血が流れ込んでくる。
人を滅ぼせと、頭の中から声が聞こえてくる。
永久とも思える年月の間に溜まった人の憎悪が、嫉妬が、怨嗟が、ネームレスの中で膨れ上がっていく。

――殺せ。

頭の中の声は、次第に大きく。
そしてネームレスに命令する。目の前の少女を、殺せと。

「やめ、ろ……! 俺は……俺はもう……誰も、殺したくないのに……
 ……うわあああああああああああああああ!!」

――力が、暴走する。

ネームレスの全身から、黒炎が噴き出す。もはやその中に白は存在しない。
この世全ての邪悪を現すかのように――その色は、全てを飲み込む黒。

「諦めちゃ、ダメだってば!」

クーラの声も、もう届いていない。
それでも、クーラは懸命に叫び続けた。
己の持てる限りの氷の力で、少年の炎を抑え込もうとする。
だがオロチの暗黒パワーによって更なる黒の力を得た炎が相手となっては、クーラの力だけでは到底及ばなかった。
氷は炎に負け、水の姿を経ることすらなく一瞬で気化していく。
黒い炎をほぼゼロ距離で受け続けているクーラの身体も、灼かれ続けている。
熱に耐えきれなくなったジャケットスーツが炭屑に変わり、空気中の水分すら消し飛ばす超高熱の中で体中の水分が枯渇していく。
しかし、クーラがネームレスから離れることはなかった。
次はないのだということを理解していたからだ。

「もう……やめろ……俺は……俺自身を止められない……」

最後の精神力を振り絞って、ネームレスはクーラに逃げるように言った。
既に肉体の自由は完全にオロチの血に奪われてしまっている。
いつオロチの意志がクーラの命を奪ってもおかしくないのだ。

ネームレスは、もう誰の命も奪いたくはなかった。
殺す、ではなく、生きる、ということのために力を使いたかった。
ネームレスにそれを教えてくれた白髪の男の分まで、ネームレスは生きねばならなかった。
しかし、そんなネームレスの意思を嘲笑うかのように、彼の全身を巡る血は脈動と共に力を増していく。

ぼこり、とネームレスの左腕が不気味に膨れ上がった。
暴走した力が、ネームレスの左腕を異貌の姿へと変えていく。血管のように張り巡らされた鉄管。筋肉のように盛り上がる無機物。
およそ『生』と真逆の構成をしたオロチの顕現が、かつて白髪の男――K'の命を奪ったときのように、今度はクーラの臓腑を喰らおうと蠢いた。

「力が……!」

止められない。フラッシュバック。男の白髪が赤い血に濡れた。黒いバトルジャケットが引き裂かれる。
異形に喰われる半身。飛び散る血と肉と骨。叫び。震え。止まらない。
オロチの血が囁いた。お前が生きようと望めば望むほど、同じ光景が何度でも繰り返されると。
視界。目に入った少女。雪のような色をした髪。ネームレスを見つめる赤い瞳。
その背後に迫る。今ではもう自分のものとは思えない、感覚すらない、異形と化した己の左腕。
想像した。己の左腕が、少女の命を喰い尽くす光景を。

「勝手に……!」

咆哮(タスク)。咆哮(タスク)。咆哮(タスク)。
ネームレスの叫びが、完全者の創り出した超空間に響き渡った。
全ては完全者の掌の上だったというのか。
ネームレスが生きてきた意味は、何だったのか。
世界は、ネームレスにとって意味のあるものだったのか。
ネームレスの叫びは虚空に消え、それと同時に、氷の因子を持つ少女の命が――






『チッ。最後の最後までウゼェやつだぜ』






幻聴。いや、違うのかもしれない。クーラもまた、ネームレスと同様に驚愕を瞳に浮かべていたから。
そう、クーラの命がネームレスの左腕に喰われることはなかった。
異形と化した左腕を構成する、ただの一部になっていたそれ。赤色をした、機械仕掛けのグローブ。
ネームレスがK'の分も生きようと、彼と共に生きようと、遺体の右手から外し、裏返して左手に付けていたグローブ。
そこから、白の炎が生まれていた。白炎が勢いを増しながらネームレスの左腕だったそれを覆っていく。
同時に、左腕のコントロールがオロチの意思からネームレスのもとへ帰ってくる。

ありえない現象だった。ただの機械仕掛けの制御グローブそれ自体に、オロチの血に逆らって炎を発現する力などありはしない。
だが現実に、それは行われたのだ。安っぽい言葉になるが、奇跡――とでもいうべき事象だった。
しかしそれを為したのは、決して偶然ではない。人の意思が――人の、生を求める思いが起こした必然だ。

今ならば、届く。
クーラの声が、ネームレスへと届く。

「ねぇ、キミ――名前は?」

クーラが聞いたのは、少年の名前だった。
その声と問いは――ネームレスの奥底に眠っていた、彼女の記憶を呼び覚ます。


 ◇


それが、最初の会話だった。

「名前……?」

救護室のベッドの上で、少年は質問に対する答えを見つけかねていた。
少年は、名前を持っていなかった。
彼という個体を識別するための番号――9999という数字は持ち合わせていたが、それは彼女の問いに対する答えにはなりえそうもなかった。
黙り込んだ少年の前で、イゾルデと名乗った少女はばつの悪そうな顔をした。

「ごめんなさい。困らせるつもりはなかったの」

質問をしたあとでイゾルデも思い出したのだ。
少年たち――『K』を植え付けられた実験体には、味気のない識別番号しか与えられていないということを。
そして少年たちを取り囲む環境は、彼らを名を持つ一個人として扱うことなど求めていないということも。
だけど、それは――とても寂しいことだと、イゾルデは思った。

「名前なんか、俺には必要ない」

イゾルデと目を合わせずに言い放つ少年を見て、イゾルデは自分がどれだけ残酷な質問をしてしまったのか気づいた。
名前というのは、世界に生まれて一番最初にもらう祝福のようなものだと、イゾルデは思っている。
幸いにも、イゾルデは名前という祝福をもらうことが出来た。
自分の出自を考えれば、それは本当に幸運なことなのだと思える。
少しでも運命の掛け違いが起きていれば、イゾルデも少年と同じ境遇になっていてもなんらおかしくはなかったのだから。

「なら、私がキミの名前をつけるっていうのはどう?」

イゾルデの提案に、少年は怪訝そうな表情を返した。まったくもって意味が分からないというような顔をしている。

「そうね――少し、時間をちょうだい。名前っていうのは、大事なものだから。良い名前を考えるから待っててね」
「……誰も、そんなことは頼んでないだろう」
「私がいつまでもキミ、だとかアナタ、とか呼ぶのが嫌だから名前をつけるの。ダメかな?」

微笑むイゾルデ。少年は、照れを頬に感じながらそっぽを向いて返事をする。

「……勝手にすればいい」
「よかった! でも、それまで何も呼び名がないのも寂しいなぁ。それじゃ、それまでは……そうだ!
 ネームレス。ちゃんとした名前をあげるまで、キミのこと、ネームレスって呼ぶわね」
「ネーム……レス。名無し、か」

ただの名無しから、少し変わっただけだ。
だが、いくら仮の名だとはいえ、呼ばれる名前が生まれたということに、少年は喜びを感じた。

「それじゃネームレス。キミに相応しい名前が考えられるように、キミのこと、もっと教えてほしいな」


 ◇


「俺の、名前は……」

結局、ネームレスがイゾルデから新しい名前を授かることはなかった。
ネームレスの回復とともにプロジェクトは急に再始動することになり、イゾルデのもとを去らなければならなくなったからだ。
去り際の悲しそうなイゾルデの顔を、ネームレスは忘れられない。
いつかまた会いに来ると、ネームレスは彼女に言った。彼女は、そのときまでには名前を考えておくから、と涙交じりに言った。
彼女とは、それっきりだ。
だが、ネームレスは彼女を生きる目的として、此処まで生きてきた。きっと、これからも。

「ネーム、レス」

そして生まれた、新しい生きる目的。
きっと、どこかに。ネームレスの本当の名前が――イゾルデからもらうはずだった名前が、あるはずなのだ。
少年は、それを見つけたい。
見つけるために、生き延びたいと強く思った。願った。

「俺は――生きたい!」

名前は、生まれたときに世界から最初に授かる祝福だと、イゾルデは言っていた。
新しい生と、新しい名を。ネームレスは渇望する。

だが。
ネームレスの中に巣食うオロチの血は、彼に祝福など与えようとはしない。

白の炎に浄化された左とは逆の腕――ネームレスの右腕から、オロチの血によって増幅された黒炎が噴き出していく。
彼の中ではまだ、人類抹殺を謳うオロチの声が大音量で鳴り響いていた。
殺せ、の大合唱がネームレスの思考を塗り潰そうとする。
生きるという決意を固め直した彼の意志は、オロチの声に負けずに戦っている。
しかし、彼の身体から立ち昇る黒炎の勢いは、未だ彼の意志では抑えることが出来ない。
そしてその黒炎は、今やクーラのみならずネームレス自身の肉体も焼き尽くそうとしていた。
クーラが氷の力を最大限に放出しているからこそ、二人ともどうにか一命を取り留めているという状況だった。

「生きたいんだよね……! だったら、クーラが助けるから! がんばろ!」

クーラは、ネームレスの名前と、彼の生きたいという願いを聞いた。
そこまで聞いてしまって、それでも彼を見捨てるだなんて選択肢はクーラの中には存在しなかった。
ネームレスを助ける。クーラも生き延びる。両方やり遂げて、また、美味しいアイスを食べる。

「そうだ。キミは、アイスを知ってる?」
「……? 何だ、それは?」
「冷たくて、甘くて、とっても美味しいの! 食べたことがないなら今度クーラが食べさせてあげる!」
「……ああ、そうだな。楽しみだ」

自由に生きるっていうのは、とても素敵で楽しいこと。
クーラはそれを、ネームレスに教えてあげたい。
そのためなら、なんだってする。

「そうか……この子が、お前に生きる喜びを教えたんだな……」

ネームレスの左手に宿った白い炎。その持ち主が愛した少女のことを、ネームレスも理解する。
ネームレスは、小さく笑った。そして、覚悟を決める。己の中に混じった邪悪を消し、新たに生まれ変わる覚悟だ。

「クーラ。頼みがある。……俺は今から、この炎を使って、俺ごとこの血を焼き尽くす」

K'から受け継いだ白の炎は、変質した左腕からオロチの血を消し去り、再び左腕の操作権をネームレスへと返した。
白の炎に宿った浄化の力――抗い続けたK'だからこそ持ち得た力を使い、今度こそネームレスの全身から、オロチの血を消滅させる。
だが、白と黒の炎が激突すれば、いかに強化改造されたネームレスの身体でも耐え切れるものではないだろう。
だから、クーラの力を借りる。アンチK'である彼女の氷の因子を用いれば、ネームレスの身体の負担を減らすことも可能かもしれない。
そう、ネームレスが炎の力を操りきれず死にかけたときに、イゾルデが助けてくれたように。
ネームレスには確信があった。ネームレスの炎とK'の炎をルーツを同じくするように、イゾルデの力とクーラの力も、きっと本質は同じものなのだ。

「クーラの力が必要なんだね。……うん、いけるよ。だって、クーラとキミと、二人だけじゃないんだよね?」

クーラももう、理解していた。既にK'はこの世にはいないのだと。
本音を言えば、少しだけ悲しい。いや、すごく悲しい。
だけど、K'の炎がネームレスを助けたということは、K'はきっと、今のクーラと同じようにネームレスを救おうとしていたのだろう。
だったら、悲しいけど――大丈夫。
あのひねくれ者のK'が誰かを助けるだなんて、よっぽどのことだ。きっとその行為に、後悔なんてなかったと思う。

「ああ。俺と、イゾルデと……」
「クーラと、K'。四人の力を合わせれば、絶対負けない!」

ネームレスは、今まで抑えつけていた炎のリミッターを外し、全てを出し尽くす。
クーラもまた、残る限りの氷の力を振り絞った。
赤いグローブから立ち昇る白の炎と、白いグローブから湧き出す氷の力。
全てが一つになり、そして――




【人を……滅ぼせ……】【人は……自然に非ず……滅すべき存在……】

オロチの声。古代より地球上の生きとし生ける全てのものを見守ってきた存在が、人類への審判を下す。
だが、それに反する声があった。

「お前たちが何を言おうとも、俺は生きる。生きることを選んだ」

「悲しいことなんて、クーラやだもん! もっと楽しいことやりたいよ!」

愚かな、とオロチが言った。その傲慢こそが何よりも罪なのだ。
自らの欲のために、他の自然を喰い尽くす。人こそが自然の和を乱す害悪なのだと。

「生きようとすることの、何が罪なんだ! 生きようとして……それでも生きられなかった兄弟たちを、俺は見てきた!」

9998までと、10000からあとの、生きられなかった同胞たち。
彼らの命を創ったのがネスツだったとしても、彼らの命を奪う権利など、ネスツにも、誰にもなかったはずだ。

「俺は……俺が俺であるために! 俺として生きるために! お前になど、負けはしない!」

白の炎が、ネームレスの全身を包んだ。
ネームレスの身体が、灼かれていく。
不死鳥は新たな生を始めるとき、己が身を灰に変えて生まれ変わるという。
ここが、ネームレスの新しい始まり。彼が真に彼として生きるための、通過儀礼。

白と黒が交わり、熱が生まれる。蛋白質が凝固する45℃、水が気化する100℃、鉄が融解する1500℃。
人の身では到底耐えられない高熱だ。しかしクーラと、ネームレスの右手に着けられたイゾルデが守っている。

「うわああああああああああああああああっ!!!」

少年は叫んだ。もしかするとそれは、産声のようなものだったのかもしれない。
世界が白に染まっていく。真っ白に。
記憶が、交わる。ネームレスと、クーラと、イゾルデと、K'。
そして、オロチ――地球意志が見てきた、生の営み。
みな、懸命に生きてきた。届かない夢が、想いが、あったのかもしれない。
だがそこに、無駄なものや無意味なものなど存在しなかった。

少年の頬を、一粒の涙が伝った。
いったい何の感情が生んだ涙なのかさえ分からない。
ただ、心が震えて――気付けば、涙を流していた。

炎は、止んでいた。
黒の炎は消え――白の炎も、今ではネームレスの左腕の中で眠っている。
少年の頭の中で鳴り響いていた怨嗟の声も、消えていた。
少年の中から、オロチの意志は消滅したのだ。
だが、その代償は――

「……クーラ!?」
「あ……、終わったの……かな……?」

氷の少女は、名無しの少年を助けるためにその力の殆どを放出していた。
クーラが持っていた氷の能力は、彼女の生命活動と密接な関係を持っている。
――彼女のクローンだったイゾルデが、氷の因子を抜き取られることで死に至ったように。
クーラもまた、能力の喪失と生命の危機を、同時に迎えようとしていた。

「しっかりしろ! ……美味しいアイスを、食べさせてくれるんだろ!?」
「ごめんね……約束、守れなくなっちゃった」

代わりに、と、少女は震える指先に残った能力の残滓を集めた。
スプーン一匙分の、氷の結晶。

「えへへ、今はこれしか出来なかったけど……本当のアイスはね、もっと甘くて、美味しいんだよ」

ネームレスは、震えながら少女の指先をそっと食んだ。
小さな氷は口の中ですうっと溶けていく。何の味も、しなかった。

「ッ……!」

ネームレスは、生きたいと、そう願った。その願いの代償が――少女の命だったのか?
違う、とネームレスは頭を振った。
そして、光の記憶の中で見た、男の姿を思い出した。

決断してからは、早かった。
ネームレスは右手に着けていたグローブ――イゾルデを外すと、クーラの右手に着けていく。
イゾルデを外した途端、ネームレス一人では完全なコントロールが出来ない草薙の炎が暴走を始める。
それでもネームレスは苦痛に顔を歪めることすらせずに、クーラへと淡々と言葉を放つ。

「このグローブには、お前と同じ力が込められている――大丈夫だ。きっとイゾルデが、お前を助ける」
「ほ、炎が出てるよ!? 熱くないの!?」
「……生きるってことは、」

クーラの質問を、ネームレスは無視する。
そして、K'の記憶を通じて見た――『ネームレスが命を奪った男』の言葉を、繰り返した。

「“やせ我慢”をするってことらしい」

瞬間、クーラは理解した。
クーラがいくら頼み込んでも、ごねても、K'が決して譲らなかった一線があったように――ネームレスもまた、強情なのだ。

「そんな……せっかく、助かったのに……」
「俺はお前に救われた。俺は、俺として最後まで生きることが出来た」
「美味しいアイスも……っ!」
「さっきので十分だ。……本当だ。俺が今まで食べてきた中で、最高の味だった」

とん、とネームレスの両手がクーラを押した。
少女の身体が離れると同時に、ネームレスの全身を炎が包む。
それは、彼本来の炎の色。イゾルデと彼を繋ぐ理由になった、赤黒の炎。

「今行くよ、イゾルデ……」

少年の命が、炎と共に天に昇っていく。だが彼は、ただ死んだのではない。
彼は最後まで――ネームレスとして、生き抜いたのだ。

少年の亡骸は、灰となって舞っていった。
クーラは――流していた涙を右手の甲でぬぐった。
ネームレスから受け継いだグローブ。彼の大切な人と同じ名前をしたそれは、クーラの命を繋ぎ止めた。
氷の力も、完全にとは言わずとも取り戻している。イゾルデから感じる力は、クーラの力によく馴染んでいた。

立ち上がる。そして見据える。視線の先にいるのは、全ての元凶完全者ミュカレ。
アイシクルドール――クーラ・ダイアモンド。
最後のステージへ、彼女は進む。
彼女をここまで繋いできた、多くの人たちの願いを背負って。



【クーラ@THE KING OF FIGHTERS】
[状態]:首輪解除
[装備]:ペロペロキャンディ(棒のみ)、カスタムグローブ"イゾルデ"
[道具]:基本支給品、不明支給品(0〜2)
[思考・状況]
基本:みんなの分も生きていく
[備考]
ネームレスを救うために氷の力を放出しましたが、イゾルデの力を借りることで能力を使うことが出来ます。







それは、少年が何よりも求めていた光景だった。
雪のように白い髪に、指を通していく。

「やっと……会えたな」
「ずっと待ってたよ」

イゾルデ、と少年は彼女の名を呼んだ。
少女は微笑んだ。

「名前を……呼んでくれないか、イゾルデ」
「これからは、何度だって、いつでも呼んであげられるよ」

少女は、ゆっくりと、少年の名を口にした。

「……ありがとう。いい名前だ」
「でしょう? ふふっ……いっぱい時間はあったからね」
「すまなかった……これからは、ずっと一緒だ。もう二度と、離さない」


名無しの少年は、もういない。



【ネームレス@THE KING OF FIGHTERS 死亡】
Back←
085
→Next
084:人様ナメてんじゃねえよ
時系列順
086:『New Welt』
投下順
083:救済への階段
クーラ・ダイアモンド
087:完全"新"殺
ネームレス
救済

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu


資料、小ネタ等

ガイド

リンク


【メニュー編集】

管理人/副管理人のみ編集できます