若くして
曹操に取りたてられ、その下で軍務・政務の補佐を行った人物。
袁術の甥でもある。
様々な才能を持ち、しかも謙虚であったため曹操に気に入られた。
蜀の漢中攻めにも同道し、最終的に撤退の判断を下す直前、曹操が呟いた「鶏肋」という言葉の意味
“鶏の肋はスープの出汁に使えるから捨てるには惜しいが食べる事はできない、漢中にはその程度の価値しかない”
を唯一読み解けたと言われ、彼の理解力を示す代表的な逸話である(とともに、それ以外の逸話はほとんどない)。
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曹植と交友が深かったため、最終的に曹魏の後継者争いに巻き込まれる形で処刑される。
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