元劉璋配下で、後に
劉備に仕えた。
劉備の死後、こじれた呉との関係修復の使者に選ばれる。
演義では
孫権の油釜の脅しに対して命がけで同盟を結ぶと言い釜に飛び込もうとする。
これに驚いた孫権を感服させて同盟を結び、使者の任を果たした。
と、かなり無茶なことで同盟を結んでいるが正史では巧みな弁舌で孫権に気にいられた結果である。
諸葛亮に送られた手紙に芝の賞賛が書かれていたりと、それ以来、孫権からは何度か手紙や贈物があるほどだった。
将軍としても
趙雲の副将として北伐に参加し、彼をよく補佐した。
清廉な人物として知られ、兵卒らにはよく施しをしながらも、自らは質素倹約に努めて私腹を肥やす事もなかった。
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