名目上の国家元首は
神威巫女であり、神威巫女から発せられる「神託の決」と呼ばれる布告が、同国において最も強い法的拘束力を有している。
ただし、神威巫女は「神託の決」によって独裁的な力を行使できたわけではない。神威巫女による親政が機能していたのは、建国者・
水鏡莉奈の時代と
月風麻耶の時代のみである。歴史的に見ると、神威巫女に対する輔弼・助言を主たる任務としていた側近達──神官・
巫女・
武将がより強い政治的発言権を持っていた期間のほうが圧倒的に長い。
側近グループの中で最も強い発言力を有していたのは20名前後の男性神官によって構成される勢力であり、彼らはクレアムーンの実権を掌握し、歴代の神威巫女を傀儡としてコントロールするほどの存在となっていた。強大化した神官勢力に対して危機感を抱いた
月風麻耶は、1252年の就任直後に3名の高位神官を追放するなど神官達の影響力を削ぎ、神威巫女による事実上の親政を目指していた。しかし、このことが神官達との深い亀裂を生む原因となり、1254年に月風麻耶は「引退」の名目で失脚させられてしまう(
聖都の変)。
神官勢力は月風麻耶の失脚後に勢力を盛り返し、
真田弥生以降のクレアムーンで強い政治的影響力を保持した。また、クレアムーンの後継国家である
クレアクライシスでは、神官勢力は宗教保守派・反
ラコルニア帝国派の中核メンバーとなり、ラコルニア帝国に対する主戦論を主導する役割を担っている。
「巫女」や「神託」などの単語による清楚で神聖なイメージが想起されることの多いクレアムーンであるが、統治機構・政治体制に限れば、清楚でもなければ神聖でもない暗部を内包している。このことを考慮したのかどうかは不明であるが、『
アレシア戦国記』など一部の歴史書では、クレアムーンの統治体制は
「宗教的権威を利用した寡頭制国家」と説明されている。
クレアムーン国の統治体制を理解する為には、その頂点に立つ神威巫女ではなく、彼女を支える祭祀階級の人々に注目する必要がある。一部の例外的な時期を除き、クレアムーンにおける政治史の大半は、彼ら祭祀階級の人々の手によって形作られている。神威巫女の任務は、形式的な国家元首として祭祀階級の人々が提出した政策を追認・公布することと、クレアムーン国の象徴として外交関係の矢面に立つこと、そして同国の宗教的儀式の数々に関わることが中心であった。
国家元首たる神威巫女がある意味において「真空」の存在であることは、国家元首が政策立案の中核に位置していた両ラグライナ帝国やガルデス共和国と比較して、法体系・統治体制の未熟さを示すものとして批判に晒されることも多い。しかし、神威巫女に政治的実権が無いことは、同国の政治にとってプラスになる面も存在する。神威巫女は同国の最高の宗教指導者として無垢・無謬の存在であることを求められており、世俗の政治的失敗や非道徳的施策によってその宗教的権威が損なわれることは、宗教を中核に据えたクレアムーン国の統治体制を不安定化させることにも繋がるからだ。政治に深く関わらせることによって神威巫女の権威が損なわれるのであれば、最初から政治に深入りさせないほうが良い──神威巫女から政治的実権を奪うことは、クレアムーン国の統治体制を強化する側面も有しているのである。
ただし、水鏡莉奈の死後に寡頭制に移行した理由は、他にも2つ考えられる。第1に、水鏡莉奈に匹敵するリーダーシップと武官としての能力を持った巫女が存在せず、水鏡莉奈による「征服」事業をそのままの形で進めるには困難が生じたこと。そして第2に、祭祀階級の既得権益を保護する為には神威巫女が傀儡であることが望ましかったことである。いずれの理由が正しいにしろ、クレアムーン国の神託による寡頭制は、宗教的理由ではなく世俗的理由に基づいて展開されていたことになる。
── アレシア戦国記、クレアムーン国概要より