大正時代についてまとめるwiki

演歌師?添田知道?(添田さつき)によって作詞され、大正時代に流行したコミックソング。
パイのパイのパイ、東京節(とうきょうぶし)とも。

大正8年(1919年)リリース。原曲は、ヘンリ・クレイ・ワークによって作曲された『ジョージア行進曲(Marching Through Georgia)で、アメリカ南北戦争時のウィリアム・シャーマン将軍の海への進軍の様子を描いている。これに添田が歌詞をつけた(資料によっては作曲者が添田知道(添田さつき)や神長瞭月?とされていることがある)。

3番に出てくる歌詞「市長のいうことよくきいて豆粕食うこと痩せること」とは、当時米価が高騰し米を買えなくなっていた民衆に対し、東京市長田尻稲次郎?が豆粕食を奨励したことによる。

エピソード

  • 原曲の『ジョージア・マーチ』よりも『パイノパイノパイ』でメロディーが知られたため、ブラスバンドがジョージア行進曲を演奏したところ、卑俗な歌を演奏するとはいかがなものかと苦情が来たことがある。
  • のち関西に移入して京阪神・中京を歌ったものも流行した。ここに元来の東京の部分を加えられたものが添田により採用され「平和節 一名パイのパイぶし」として発売された。
  • 第一次世界大戦の戦後処理のため、大正8年(1919年)1月?に行われたベルサイユ会議?に全権として参加していた元老・西園寺公望?が、愛妾お花さんを伴っていたことが大新聞に取り上げられ「花ちゃんたら別嬪さんで云々」という替え歌が歌われたことがある。
  • また時節が第一次世界大戦後のインフレ期にあり、物価が高騰したことから「倍の倍の倍」というもじりもあった*1
以上の出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/パイノパイノパイ

パイノパイノパイに登場する主な事物

丸の内?、両議院(第二回仮議事堂?)、帝劇(帝国劇場?)、警視庁?馬場先門?海上ビルディング?東京駅?汽車?浅草?雷門?仲見世?浅草寺?、活動(活動写真?)、十二階(浅草十二階?)、花やしき?すし?、おこし(雷おこし?)、牛(牛鍋?)、天ぷら?、スリ、乞食、けんか、かっぱらい、市長(田尻稲次郎)、豆粕?洋服?ツメエリ?満員電車?、鳥も通わぬ島、衛生論?体面論?

メンバーのみ編集できます