演歌師?の添田知道?(添田さつき)によって作詞され、大正時代に流行したコミックソング。
パイのパイのパイ、東京節(とうきょうぶし)とも。
大正8年(1919年)リリース。原曲は、ヘンリ・クレイ・ワークによって作曲された『ジョージア行進曲(Marching Through Georgia)で、アメリカ南北戦争時のウィリアム・シャーマン将軍の海への進軍の様子を描いている。これに添田が歌詞をつけた(資料によっては作曲者が添田知道(添田さつき)や神長瞭月?とされていることがある)。
3番に出てくる歌詞「市長のいうことよくきいて豆粕食うこと痩せること」とは、当時米価が高騰し米を買えなくなっていた民衆に対し、東京市長田尻稲次郎?が豆粕食を奨励したことによる。
パイのパイのパイ、東京節(とうきょうぶし)とも。
大正8年(1919年)リリース。原曲は、ヘンリ・クレイ・ワークによって作曲された『ジョージア行進曲(Marching Through Georgia)で、アメリカ南北戦争時のウィリアム・シャーマン将軍の海への進軍の様子を描いている。これに添田が歌詞をつけた(資料によっては作曲者が添田知道(添田さつき)や神長瞭月?とされていることがある)。
3番に出てくる歌詞「市長のいうことよくきいて豆粕食うこと痩せること」とは、当時米価が高騰し米を買えなくなっていた民衆に対し、東京市長田尻稲次郎?が豆粕食を奨励したことによる。
- 原曲の『ジョージア・マーチ』よりも『パイノパイノパイ』でメロディーが知られたため、ブラスバンドがジョージア行進曲を演奏したところ、卑俗な歌を演奏するとはいかがなものかと苦情が来たことがある。
- のち関西に移入して京阪神・中京を歌ったものも流行した。ここに元来の東京の部分を加えられたものが添田により採用され「平和節 一名パイのパイぶし」として発売された。
- 第一次世界大戦の戦後処理のため、大正8年(1919年)1月?に行われたベルサイユ会議?に全権として参加していた元老・西園寺公望?が、愛妾お花さんを伴っていたことが大新聞に取り上げられ「花ちゃんたら別嬪さんで云々」という替え歌が歌われたことがある。
- また時節が第一次世界大戦後のインフレ期にあり、物価が高騰したことから「倍の倍の倍」というもじりもあった*1