大正時代についてまとめるwiki

広島県の吉田(現安芸高田市吉田町)に本店があった銀行
明治33年4月開業。
専務三上永一甲立村
取締役岩崎猛ニ来原村
西名賛六吉田町
監査役森田俊佐久根野村
(不明)(不明)
三上家は代々郷土で年寄り役を務めてきた。岩崎は三上の後を継いで頭取となるが、産業組合の育成に注力した。西名の先祖は武田信玄24将の1人仁科信盛で、仁科は武田滅亡後吉田に落ち延びて住み着いたとされる。森田は県議会議長から代議士になり、広島殖産銀行頭取も務めている。
吉田町は毛利元就の影響か勤倹貯蓄の風習が強く、預金は順調に進展していた。
  • 大正4年、貸出金の不正発覚。預金の取り付け騒ぎに。
  • 大正9年、備北の4銀行が合併することが決まり、そこに同行も参加するよう呼びかけがあったが、地元の本店銀行がなくなり支店銀行になると金融が円滑に循環しなくなると地元商工業者の反対があり、合併に参加しなかった。
  • 大正11年、吉田実業銀行に改称*1
  • 大正12年、大江銀行に改称*2
  • 大正13年、臨時株主総会招集し解散決議。

出典

げいびグラフ第99号
銀行変遷史データベースhttp://koueki.net/bank/details.php?bcode=5737

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