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こだまきぼう
日本画家。
本名:省三(しょうぞう)
1898〜1971年
  • 広島県高田郡来原村?(くるはら-)(後の安芸高田市高宮町)生まれ。
  • 高田郡来原村原田尋常小学校?卆。
  • 高田郡吉田町吉田尋常小学校?高等科卆。
  • 大正2年私立三原教員養成所?卒業。
  • 双三郡(ふたみ-)川地村?(後の三次(みよし)市)の川地尋常小学校?代用教員?として働くが、翌年依願退職、上京。バイトしながら徒歩と汽車で東京へ。
  • 広島市?にて南方東洲?(みなみがたとうしゅう)に2ヶ月ほど学ぶ。
  • 大阪で尾上松之助?のファンになり、京都へ行き映画撮影所に入り浸る。そこで横田永之助?と知り合い、東京の向島日活撮影所?を紹介される。
  • 上京後、向島日活撮影所から天然色活動写真株式会社?沼井春信?を紹介され、沼井のもとで絵具を溶く仕事につく。絵を描くこともあった。
  • 大正7年、20才。祖父の死を知る。画家を志す。職場の近くに尾竹竹坡?の家があることを知り、師事。竹坡の『建雷神』(たけみかづち)金泥溶きを手伝う。
  • 竹坡は『建雷神』が文展に入賞しなかった事で文展に反旗を翻す事にし、希望の面倒を見るどころではなくなり、希望は竹坡の元を離れる。
  • 風邪で受診した病院の医者の紹介により、大正7年の年の瀬に川合玉堂?と知り合い、玉堂の長流画塾?に入塾。
  • 大正8年7月に長流画塾の展覧会である下萌会の第3回展に『桃咲く端山』(-はやま)を出品。これが公開展覧会への初出品。
  • 大正10年、第2回中央美術社展?に『陽に映ゆる丘』が初入選。10月には第3回帝国美術院展覧会?(帝展)に『夏の山』が初入選。

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