「ジュセリーノ予言の真実」のウィキ版です。まとめサイトとしてあるいは資料として「ジュセリーノ予言」について明確にするためのものです。こちらに掲載してるのはあくまで「資料」としてであって、「当るだろう」とか「真実だ」ということでは決してありません。誤解なきよう願います。

2008年10月17日テレビ東京で放送した番組の問題点


その1

ある方から、9日のテレ東の番組の一部をキャプチャーした画像を送っていただいた。(どこか動画サイトにアップされていたものと思われる)

その送られてきた(註)画像を見ただけでもなんか無茶苦茶腹が立ってきたのである。
その「言い草」というものに対してだ。

















この部分(画像だけだが)を見ての感想というものをひとことで言い表すと「なめとんか!」という感じだな。

いや、これはジュセリーノに対して、ということではない。

厳密に言えば、ジュセリーノに対してもだが、こんな番組(こんなシーン)を抜けぬけとオンエアしたテレビ東京に対しても怒りというものを禁じえないのだ。

何考えててこんなシーンをそのままオンエアしたのだろうか。

単なる(予言を外した)言い訳というものなのだろうか?

その2

ここでまず留意しなければならないのは、このジュセリーノの発言に被せられた日本語訳の字幕というものが、どこまでジュセリーノの発言に追随したものかという点だ。その正確性というものについては考慮する必要はあると思う。

従って、このジュセリーノ発言につけられた日本語訳に対しての責任は「テレビ東京」ということになるのではないだろうか。

そういう意味で、自分はこの「ジュセリーノ発言」というものを見て感じた怒り、そのほこ先はテレビ東京に向けられるべきだと思っている。


司会者(峰竜太)の質問に対して開口一番「何故地震が起きなかったか自分には理由がわからない」というジュセリーノの受け答えはおかしい。ジュセリーノはあとからその「起きなかった理由」というものを述べている。

それは「自分の予言が必ず起きるとは言っていない」という言葉だ。

言い換えれば、ジュセリーノは自らの予言の不確実性というものを自分で認めているのである。「必ずではない 必ず起きるとは自分は言っていない」それ以外にこの司会者の質問に対する正しい答えというものはあるだろうか。

本来、司会者の「何故起きなかったんでしょうね?」という質問に対しては「私の予言はそんなには当らないんですよ」これだけで済むはずなのだが。違うだろうか。


じゃなくて、最初からこう答えろよジュセリーノよ。



これでは、質問に対して「わかりません」と言ってしまう(つまり日本語の字幕をつけてしまうということだが)ジュセリーノは、自分の予言の限界というものにいまだに気がついてもいない「ただのアホウ」だということにもなる。(そう見えてしまうような日本語訳の字幕をつけているということだが)

さて、「自分の予言が絶対に起きるとは言ってない」とこの場に及んで言い張るジュセリーノ、この人物の口から出る「予言」の数々、または、この男の主張している「予知夢」の存在、あるいは証拠があるといって出して来る「警告の手紙」の信憑性…

これらについて今尚「信じられる」という人はいるのであろうか。

いるとしたら、その信じる根拠というものは一体何だというのだろう。

改めて問い直したいくらいである。

その3

では、その「自分は絶対に起きるとは言っていない」を含むジュセリーノの発言個所の残り部分を掲載しよう。




一応念のためにお断りしておくが、このブログでは番組の一部をキャプチャーした一連の画像を掲載しているわけだがが、画像の下に出ている字幕(テロップ)は番組がつけたものであるし、その中のひとつも省略はしていない。(註)

なんちゅう馬鹿げた内容の番組なんだろう!

改めて腹が立ってくるのを抑えきれないのであるが。

この字幕(テロッブ)というものを見たあなたはどう感じただろう?


註) そののち、この画像の元になっていると思われる動画のありかを何人かの方から教えていただき、この個所の動画(と音)だけは試聴することが出来た。せっかく送っていただいたのに、まるで疑いを挟むようなことを書くのは失礼にあたるのであるが、この個所に出てくるジュセリーノの発言の全てのテロップというものが、間違いなく正しい順番全て送られてきたということを自分の目で確かめることが出来た。 

だから自分は本気で(ジュセリーノとテレビ東京に対して)怒りを感じているのである。

註)厳密に、というのであれば、上から一番目と二番目の間には、出演していた女性タレントによる当日の自分の行動に関する発言があるのだが、ここで問題にしていることとは直接関係がないので省略した。

まあなにも「女性タレント」と名前を伏せる必要もないのだろうが、はなしをややこしくしないための配慮である。
この女性タレント、当日の9月13日は朝から食品と水などを持って、皆で広い場所で手を繋いで地震が来ても大丈夫なように備えていたと自分の行動を語っている。

これは嘘ではないと思う。まあ半分は本当だろう。(確たる証拠もある)だが実際のところは、飼い犬の散歩のために近所の公園に(事務所のスタッフと)出かけていたとかそういうことではないだろうかと思う。夜は…確か土曜日は深夜に生番組の収録があったはずだが。

その4

質疑応答には「流れ」というものがあるので、どのような質問がなされて、そしてそれに対してどう答えたのかということを正確に把握しないことには、下手をすればただの難癖になってしまうという危険はある。

であるので自分は慎重な態度でこのシーンというものを何度も繰り返し見ている。

そしてその上で書いたのが以下の文章であるということは予め言っておくべきかもかもしれない。

第一にして、司会者(峰竜太)の質問というものも、よく考えてみれば不謹慎のそしりを免れないかもしれないとても危い類のものである。なにがかというと、この番組はこのままのかたちで愛知地区でもオンエアされたのである。そのことを考慮していただきたい。

そんな状況下で「(結果的に)何も起こらなくても(それがただのデマ騒ぎになったとしても)しかたがないということですよね?」という問いかけは充分すぎるくらい不謹慎なものであろう。

字面で見ただけでは伝わらないだろうけれど、このような質問をぶつけること自体がヤバいことだという自覚は(司会者にも現場の人間にも)あったのではないだろうか。

司会者は質問の途中一旦区切って、声を潜めるような小声で問題の個所を付け加えるように念押ししているからだ。(字幕が二重出しになっているのもそのことを強調するためなのであろう)

しかし下手をすると、この質問では「単なるデマ騒ぎで終わるよりも、予言が当ったほうが(ジュセリーノ本人の名誉のためには)よかったかもしれませんね」という選択を含めて質問しているようにも取られかねない。

しかし、そんなことがあるはずがないので、当の(デマ騒ぎの張本人である)ジュセリーノにぶつける質問としては擦りあわせギリギリのところで、このような「なにいってんだかよくわからない」質問というか問いかけになっちまったということだろう。

だがこんな「被疑者に向けてのやさしすぎる質問」だったら、はじめからしないほうがマシだったと思うのは自分だけか。

自分はジュセリーノが過去(日本でスタジオ)出演したふたつの番組というものを実際に見てきており、その上でこの番組のこのシーンについてそれらと比較して語れる立場にある人間である。

その立場から言わせてもらえれば、この質問は過去の全ての番組での、ジュセリーノに向けてぶつけられた質問の中でも「最低の部類」の質問だったと思う。


こんな質問をぶつけられたジュセリーノの答えは明白だからだ。というか、この質問はジュセリーノがどう答えるかということをはじめから見越してされた極めてテレビ的な質問ではあるが、結果的にものすごくみっともないことになっていたからである。

考えてもみてほしい。もし仮にジュセリーノがこの質問に対して「いや、私は私の予言が外れてガッカリしています。地震が起きたほうが良かった」などと答えたならばそんな不謹慎すぎる反社会的な発言のシーンははじめからオン・エアされずにカットされるに決まっているではないか。

この質問がオン・エアされたということは、すなわちジュセリーノの答えというものも予め期待されていたものから一ミリもズレていない優等生的なものだったからである。

だから自分は、こんな見え透いたような浅はかな質問だったらはじめからする必要なし、というのである。

だったらはじめから「あなたの予言は外れました。それについてはどう思っていますか?」という単刀直入な質問で充分だったはずなのである。


そしてその上で、このようにジュセリーノが答えていたのであれば、自分の批判はもっと単純に(質問をさせたこのテレ東というテレビ局の番組にではなく)ジュセリーノに対して向けられていたかもしれない。

にしても(このシーンの)最後のジュセリーノの発言くらい残酷で非人道的な発言もなかろうかと思う。

実際にテレビをみたという人よりも、このブログを見てジュセリーノのこの発言を知ったという方からは同じような非難が何通か来ている。まあ元はといえば自分がここで書いたことでもあるのだが。


ジュセリーノとしては5月に中国四川省で起きた地震による被害者のことはまったく考慮せずにこの発言をしたということだろう。

「じゃ、ジュセリーノはあの四川大地震での被害を最小限に食い止めるための努力というものをしたのであろうか。何故あの地震の警告というものを事前には公表せずに(まったく起きなかった)9月13日に起きる大地震のことを公表したのだ」という反目を産むような、非常に危険な言い訳になるからだ。

このことに対してジュセリーノを非難するメールが「ジュセリーノアジア事務局」に対しても相当数送られているはずである。

繰り返してこれは強調するのであるが、ジュセリーノは今年5月に起きた四川大地震の予言を事前に公表できなかった、というわけではないのだ。ジュセリーノは出来たのにそれをしなかったのである。

あの時点で(つまり2月にあった前回のテレ東の番組の収録のあとということになるが)、ジュセリーノは、多くの日本のマスコミから、新しい予言の公表というものを求められていたその真っ最中なのである。

そのマスコミに向けてジュセリーノは四川省地震の予知と警告をすればよかっただけのはなしではないか。

何しろ同じ四川大地震の予知の手紙というものを、ジュセリーノ昨年の段階でアメリカの上院議員であるヒラリー・クリントンに対し送っていたと彼はその証拠の手紙を出して来ている。

つまり、この「被害を最小限にするための警告」というジュセリーノの口からでた言い訳というものは、逆にジュセリーノが自らを「(6万にものぼる尊い命を見殺しにした)史上稀にみる非人道的な人間なのか、でなければただの予言者を騙ったただのニセモノなのかどちらかでしかない」ということを宣言したということにもなるからである。

少なくとも、ジュセリーノは自分の口で言っているような「予言者」ではあるはずがないということは確かだろう。

あなたはどっちだと思います?


その2につづく

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