多人数で神話を創る試み『ゆらぎの神話』の、徹底した用語解説を主眼に置いて作成します。蒐集に於いて一番えげつないサイトです。

書物
キュトスの姉妹ケルネーの遺した一連のノート。日記的記録、簡易なメモ書きや書簡の写し書きなどが記されている。
姉妹に関することから世界情勢一般に至るまで、彼女の知識欲の赴くままに筆記されている。

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 古代にあってすら、小兎族?は一般に、かれらがいうわれわれ人間族の通称「大きい人たち」をうとんじていたのだが、今日ではわれわれの姿を見ると怖れあわてて避けるので、かれらを発見することはむずかしくなってきている。かれらは耳ざとく、目が利き、大体が太るたちで、いざとならなければけっしてあわてないくせに、動作はす早く機敏である。かれらは、自分たちが会いたくないと思っている大きな連中ががさがさやって来ると、音もなく速やかに姿を消す術を最初から所有していたのだが、だんだんそれを発展させ、ついには、人間には魔法と見える域にまで仕上げた。しかし実際には小兎族は未だかつて、いかなる種類の魔法も習得したことがなかった。かれらの隠身は、ほかでもない、遺伝と修練と大地との親交の結果、もっと大きくて不器用な種族には真似のできないものとなった特殊技能のせいである。

[畏国?束翁?の文庫、『小兎族について?』より)

 一般に、われわれキュトスの姉妹は一人一人それぞれ固有の能力を有しているとされている。その能力とは、あるいは呪いであったり、体を雲と化して風に乗ることであったり、別の世界から別の自分を喚んできたり、海と一つになることであったりするが、これらの技はいったいいかなる術理の上に成り立つものなのか、そのような自覚を、太古におけるキュトスの分裂よりこの方今日にいたるまで、われわれ自身ですら解明しようとしたことがなかった。これらの力はみな、人間たちが息を吸うようにわれわれが自然に扱えたからである。しかし周知のように、われわれはわれわれ自身の能力を鍛え、伸ばすことができる。自らの肉体のうちに肺臓と横隔膜とがあり、その運動によって空気を呼吸しているのだと教えられていない人間の赤子でも息をすることは当たり前のようにできるが、運動術の達人が長年の訓練と経験によって自らの呼吸を高度に制御するように、われわれはわれわれ自身の、肉体あるいは精神あるいは両者の総合の自然な働きとして、これらの力を操り、またさらに修練し強大になることができるのである。しかし、人間たちの体の構造が、固体や血族によって微々たる差はあれほぼ似通っているのに対し、われわれの持つ能力の才能は、周知のように一人一人あまりにも違った様相を見せる。呪術のような比較的普遍な技でさえも、出会ったばかりのころはエトラメトラトンの教師であったエル・ノエルが、数十年と経たぬうちに、自分の教え子がいったいどのような論理に則ってその技術を行使しているのかまったく理解できぬようになっていたという。

 ここに一つの好例がある。Cu4-58ノシュトリイストリン派?が称するところではCu3-58)がそれである。彼女の能力は一般に「気配を絶つ」と呼ばれているが、はたしてそれがどのような原理に則っているのか知る者は少ない。新生したばかりの頃より彼女と交友をもっている筆者でさえ、その全貌を把握しているとは到底言いがたい。ただ一つ言えるのは、彼女は「他人の目より自らの身を隠す」ためのすべを、その技術がどのような理論、どのような体系に従っているかに関わらず、ありとあらゆる手段で行使している、ということである。

 新生したばかりのノシュトリは、ひどく人見知りをして、知らない者の眼に晒されるのを極度に怖がっていた。これは明らかに、彼女の『隠れる者』としての本性が、その人格・性格にまで影響していることの証左であろう。まだ隠密を技術としてしっかりと身につけていなかった新生直後の数年でさえ、彼女の好んだかくれんぼ遊びに筆者が勝利するのはひどく困難であった。ほとんど自らの本音を語りたがらない彼女がふと筆者にこぼしたところでは、彼女はほとんど本能的に、「どうすれば他人の眼から逃れられるか」ということを四六時中無意識に考えているのだという。彼女の隠密の技術の向上の速度は目をみはるほどであった。足音を立てない歩行法、呼吸音の抑制、軟体術による狭所への進入といった比較的低次元なものから、自らを保護色の影で覆う迷彩術、直接に他者の視覚を歪ませる幻術、はては自らの存在そのものを一時的に別次元へと移行させ、この世界から文字通り完全に消え去る(筆者にはそれらの術がどのようにして行われているのかまったく理解できなかったし、そもそもそのような事が現世の存在に可能だということすら想像だにしたことがなかった)といったような極めて高度な術に至るまで、彼女は自分の存在を他人に気付かせないための『技術』を、他人にはまったく理解の及ばない、まさに彼女ならではの固有の『能力』の域にまで高めているのである。

 おそらく、一般にわれわれの能力と呼ばれているものは、他者からすればまったく超自然的な力に見えても、その能力を行使している当人からすればしごく自明の論理によって行われているのだろう。今日までわれわれが互いに互いの能力の論理を相手に伝えようとする試みが行われてこなかった原因は、ひとえに、われわれの能力が、一人一人固有で共有不可能な才能、存在の根本に関わる属性、権能に根ざしているということに尽きるといえる。おそらくは、過去においてもそれらの試みは行われたが、その不可能なことに気付き諦め忘れ去られ、今日まで伝わらなかったのかもしれないし、また今後そのような試みが再度行われたとしても、それは間違いなく失敗に終わることであろう。

 われわれが【一つのキュトス】より受け継いだ権能は、単にわれわれの即物的な能力のみならず、われわれ自身の形而上的なありよう、われわれ自信の運命(さだめ)に関わっている。ゆえに、われわれが自らの能力を研磨し、高めようとする試みは、ひいてはわれわれが自身の運命を全うするための、【】に対する挑戦でもあるのである。

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