物語り
若い頃の木戸野の続き
若い頃の木戸野の続き
時間が経過する。
1階のフロアで待っていると、仕事を終えたらしいスティレット?がエレベーターから降りた。目が合い、おれはうなずいて、外へ出る。車を玄関に回してスティレットを乗せると出した。
あとは帰るだけだ。
おれはバックミラーで後部座席をみる。スティレットが足を組んでいる。目が半眼になっていてみるからに苛立っているのがわかった。見られているのに気づくとこちらをにらみ返してきた。スティレットはあごをしゃくる。
「葉巻は?」
「ない」
「買ってきなさい」
「どこで買うんだ、おれはタバコは吸わない。葉巻は確か自販機では売ってないだろう」
「馬鹿な子。ドラッグストアへ寄って」
車を走らせていると深夜営業しているドラッグストアをみつけた。車を停めるとバックミラーの中でスティレットがにらんでくる。どうやらおれに買いに行かせたいようだ。
スティレットを放置していいのか一瞬だけ迷う。リンさんはあの皆本署長とかいう男にこの女をあてがうつもりだが、逃げられたりしたらまずいだろう。しかし考えるのが面倒くさかったのでおれはドラッグストアに入った。
葉巻はけっこうするんだなとおもって車に戻る。スティレットに投げてやってから車を出す。
「火」とスティレット。おれはカーライターを差し出す。
ぶちりと音を立ててスティレットは葉巻をきった。
車内にきつい匂いの煙が立ちこめる。おれは気にしない。
スティレットは窓をあけた。煙が逃げる。火のついたままの葉巻を捨てる。
「好みのじゃないわ」
「指定してくれたらよかったのに」
「吸い慣れないもの。ね、本当にタバコ吸わない人、紙巻きタバコもってない?」
「吸わないから持ってないんだ。いや、これやるよ」
晩にリンさんからもらったタバコを投げる。
ミントの煙が車内に立ちこめる。
スティレットの態度が軟化する。相変わらずおれを小間使いのように扱うが、ぐっと親しみやすい。スティレットは仕事のいらだちをおしゃべりに変換して解消する。おれは適当に相づちをうってリフレッシャーになってやる。
ああ、幼いなとおれはおもう。それでまくし立て過ぎて酸欠気味になったスティレットにいってやる。
「スティレット、きみは背が高いな。てっきり大人かとおもったよ」
スティレットは小さく声をあげた。目が見開かれている。わかりやすい反応だ。しかしこれだけ大げさだと演技臭いな。もう少し揺さぶりをかけるか、それとも自白を待つか。
手を打つ前に彼女は打ち明けた。
「あら。ばれちゃってた。実は私は**歳なのよ」
「やっぱり手を出したらやばいお歳だったか」
「やっぱりってまさか」
「ああ、かまをかけたんだ。まったく気づかなかったよ。子供だなんておもわなかった。本当に今さっきまで大人だっておもってた」
「にぶちん。あのリンさんは気づいてたわよ。それであの男のところへ」
「なるほど。ロリをロリコンのところへ配送したわけだ。的確だ」
「嫌みな言い方。怖い人と思わない?」
「誰が?」
「リンさん?のこと怖くないの?」
「どうだろう。うーん。どうだろう。わからない」
やっぱりにぶちんだとスティレットは笑った。
ロリをロンコンに配送するのが日課になったころ、日雇い労働者の仕分けをやれと命じられた。よくわからないままにおれはリンさんのあとをついてく。よくわからないまま、よくわからないことをするのはいつものことだ。
早朝の街、一番貧しくて汚い界隈には浮浪者同然の連中が群れをなしている。正確には仕事を待っている。リンさんはおれにファイルを渡すと壁にもたれてタバコを吸い始めた。あとは勝手にやれということだ。
おれはファイルをちらりとみてから、転がっていた箱の上にたった。声を張り上げて、ファイルに記載されている仕事を告げる。たむろをしている連中を並ばせる。25人で一塊のグループをいくつか作る。
リンさんが物憂げにいった。非難するような急かすような嫌みな口調で。
「もたもたしてんじゃねえぞ、ガキ」
そのときトラックが来た。働き手を求めている農場からのものだ。おれはグループのひとつに乗るように命じた。リンさんは鼻歌でドナドナを歌う。
こうやって集まってきた連中をトラックに詰め込んだり、遠くへ出る奴らには切符と食券を配った。そんな風にして午前は終わった。
リンさんは休憩がてらスティレットのところへいこうといった。そのまえに都市部へ車を回してリンさんはスティレットへのプレゼントをとらせた。それからスティレットのところへ行く。
リンさんの組織ハンドレッドドラゴンクライブは娼婦たちを管理している。商売するところも住むところも管理している。スティレットの話を聞いていると待遇はそう悪くないらしいが、いざというときに奴隷の扱いをされていると知るだろう。実際もう判っていて自分自身を誤魔化すためにおれに良いかのようにいったのかもしれない。
リンさんは寝起きのむくれたスティレットに食事を用意させ、八つ当たりされるおれをみながら酒とタバコを楽しむ。おれとスティレットの掛け合いを楽しんだあとはプレゼントを彼女に進呈した。
とたんにスティレットは目を輝かせた。まあ半分くらいはおそらく演技だろうけれども。プレゼントはドレスだった。もちろん商売にするときに使えということなのだろう。
スティレットをからかって時間を潰すと日が落ちた。
午前中にいた場所にリンさんとおれは戻る。トラックで農場にいった連中が戻ってくる。連中は疲れた目を鋭く輝かせている。連中の給料の支払いは仲介者のリンさんがやることになっている。リンさんは札束をおれに渡すと1人いくらとささやいた。
ささやいたということはそういうことなのだとおもいながら、おれは連中を一列に並ばせる。札を渡すたびに連中の落胆とあきらめが感じられた。仲介者が中抜きしてるなんて珍しいことではない。
全員に渡し終わった。おれとリンさんはその場を後にしようとした。
「待てよ」
おれは振り返る。地平線に落ちかける太陽を背にしてトカゲ人の男が立っていた。男の影は歪み、長く伸びて、怪物のようだった。
「約束通りの金を払え」とトカゲ人。
その当然の要求にリンさんは振り返りもせず「断る。木戸野、やれ」
トカゲ人が突進してくる。おれは迎え撃つ。
いつも通り相手の打撃を受け止める。胸でトカゲ人のパンチを受け、肘の外側を叩く。上手くすればこれで間接を破壊できるはず。
トカゲ人が飛び退く。叩いた腕を痛そうに振り回す。どうやら壊し損ねたようだ。人間と違ってトカゲ人はかなり頑丈だ。
「てめえ異能使いだ」
「なんのことだ」
「しらばっくれやがって」
このときになってもおれは異能使いなんてものがいるとは知らなかった。実は能力についてリンさんに訊くことはきいたのだがはぐらかされてしまい、そのままいつもの無関心で流してしまった。
あとで調べようとおもいながらおれは前に出る。トカゲ人がふたたび突進する。またすれ違った。
やばかった。胸が袈裟懸けに切られた。
トカゲ人が爪を落日に凶暴そうに光らせた。
鋭利な一撃だった。でもわざと浅くやられた。爪にまったくの無警戒でつっこんだからさっきのタイミングでおれを殺せたはずだ。やらなかったのは警告ということか。
「ハンドレッドドラゴンクライブ?の名前を汚すなよ」とリンさんの笑い声。
おれはジャケットを脱ぐ。間合いをはかるかのようにトカゲ人を中心として右にゆっくりと旋回する。トカゲ人は一撃必殺をねらえるからか待ちの構えだ。
おれは突進する。左側から襲いかかるふりをしてジャケットをかぶせる。トカゲ人の視界を奪ってから右側へ奇襲をかける。しかし読まれていた。おれの体を衝撃が走る。
けれども倒れたのはトカゲ人だった。左目を押さえてのたうち回っている。指の隙間から黒い液体がもれた。おれはトカゲ人に近寄って、今さっきつまんだものを、そっと彼のジャケットに入れてやった。「目玉を落としたよ」トカゲ人はびくりと体を硬直させた。
おれはリンさんをみた。リンさんはタバコを吸い込んだようだ。。タバコの先が赤くなって顔が照らされる。満足げな表情がみえた。
おれはジャケットを拾って袖を通そうとしたが、リンさんは止めた。
「新しい奴をおごってやるぜ。木戸野青年、お前も自分ってものを把握してきたじゃないか」
「異能のことですか」
「ああ。打撃無効から斬撃無効に宣言し直したのだろう。良い判断だ。でも相手が突いてきたらどうしたんだ」
「腕を犠牲にするか。死にますよ」
「そういう木戸野青年がおじさんはお気に入りだよ」
そういってリンさんは満足そうに煙を吐いた。
リンさんはいった。
「木戸野青年は小銃や散弾銃の使い方はわかるかい?」
「いいえ。拳銃だけです」
「短銃といいなさい」
「はい。短銃といいます」
「短銃の扱いはばっちりかね」
「はい。正面から敵が向かってきたら前歯を狙って脳幹を吹っ飛ばします。口径の大きい銃は近距離で用い、小口径はわりと遠い距離で用います」
「よろしい、よろしい。なに。小銃や散弾銃の扱いは拳銃と比べれば、簡単だ。素人でもちゃんと狙えばけっこう当たるからな。はい、これ、マニュアルだから出発までに目を通しておいてね」
「どこへいくのですか?」
「ゆらぎ大砂漠。ちょっと長旅になるからそれなりに用意してあとスティレット嬢ちゃんへ一言いっておくこと」
というわけでおれはスティレットの店を昼間訪れる。裏口から回ると、スティレットをつれていった日に出会ったボーイと出会った。おれと同じくらいの年齢だが、もう店のほとんどの切り盛りを任されているらしい人物だ。
おれはスティレットを呼んでもらうと、スティレットとボーイの2人にことの次第を告げて立ち去った。
翌朝、おれはジープを運転していた。南アメイジア市へのハイウェイを走る。途中で脇道にそれてまるで戦車の通ったあとのような道を走る。リンさんに尋ねると昔、ゆらぎ市と南アメイジア市の戦争のとき実際に戦車が進軍した経路だったそうだ。
歴史的な道を走っていると日が暮れた。けれども太陽の落ちたのとは逆の方向から光が見えた。大規模な都市があるかのようだ。しかしそんなものは地図には載っていない。では軍の基地でもあるのか。
走らせているとわかった。採掘施設だ。どうやら昼夜問わず作業を行っているらしくそれで明るいようだ。おれは訊く。
「なにを採掘しているのですか」
「わからない」
「放射性物質?」
「ガイガー・カウンターは反応しない」
「よかったです」
「思い出しように鳴く」
「!?」
ふふふふふとリンさんは笑った。おれは困ったが、車を走らせていると、どうでもよくなった。
おれはふと車の速度を下げる。リンさんが後部座席からライフルを取った。暗視スコープのついてものだ。
「木戸野青年、気づいたか」
「わかりません。でもなにかいます。人間タイプの可能性大です」
「この辺りの地域で人間と同じくらいの生物はいない。このサイズの生物は人間だけだ。そして多くは車両で移動する。徒歩で移動するのは」
銃声がした。リンさんはしゃべりを止める。
銃声で伏せた人影が立ち上がって走る。再び銃声。人影が伏せる。伏せたままだ。遠くからエンジン音が聞こえてくる。そちらを見る。採掘施設の光を背にしてバイクに乗った人影が丘の上にいた。手にはライフルらしきものを持っている。この人影は偵察中の喜平のようにしばらく様子をうかがったあと、丘を下った。伏せたままの人影のところへいってバイクを降りる。どうやら生死を確認しているようだ。バイクの人影は立ち上がってこちらに手をふった。
リンさんをみる。リンさんはうなずいたのでおれは車を出す。バイクの人物の手前で止める。リンさんは再びみる。
「敵か味方?」
「味方さ。多分な。拳銃は隠し持っているな」
「はい」
リンさんとおれは車から降りる。
バイクの人物がライフルを突きつけながらいった。
「お前たちは何者だ」
リンさんは答える。
「ゆらぎ市から来たものだ。ハンドレッドドラゴンクライブの大久保鱗?だ。こいつは助手の木戸野仁?だ」
「あんたが回帰幻想の大久保リンか。あえて光栄だ。おれは堤幸二?だ。よろしく頼む」
堤は死体から認識票らしきものをとるとバイクにまたがった。手でついてこいと示した。
ゆらぎ大砂漠は砂丘砂漠と礫砂漠の2種類ある。採掘施設のあるあたりは礫砂漠だ。砂丘砂漠と比較して砂埃の量は少ないようだが、それでもコートの襟を立てて口元を守りたくなる程度には埃っぽい。
だからおれとリンさんは朝起きるとすぐに銃の手入れをする。持ってきた拳銃とライフル、ショットガンはどれも軍用で、単純な構造によって故障頻度を少なくしたものだ。それでも念のために部品のひとつひとつをエアスプレーで吹いて清掃する。
おれとリンさんの様子を採掘施設警備の連中が笑う。そこまで念入りにしなくてもいいだろうと考えているようだ。採掘施設警備の連中でここまでやる奴は堤という男だけだ。
そういえば堤の銃はおれと同じく軍用だ。他の連中は猟銃を改造したものを使っているのに。堤は定期的なメンテナンスの手間を取る代償として安定した性能を手に入れ、他の連中は安定した性能と引き替えにメンテナンスの手間を省いたのかもしれない。
まあどうでもいい。歩哨任務を俺と組むときに暴発さえしなければ。
夜勤の連中と交代する。採掘施設はすり鉢状だ。縁の部分におれたち職員の待機施設や監視所がある。ここからしばらく下るとタコ部屋こと坑夫たちの住居がある。
おれたちは坑夫たちの住居のドアを銃で叩く。そうやって日勤の抗夫が持ち場につくように急かす。教科書に載っている奴隷さながらでなくて、まったく奴隷として彼らは暗い穴の中に向かう。
中には寝床から起き上がってこない奴もいる。まあ諦念に命を食われてしまった者たちだ。そういう奴らには薬として手痛い一撃を加えた。これで起きるやつもいるし、起きない奴は病院送りだ。
堤は抗夫の1人に声をかけて病院送りの男を背負わせた。おれは他の抗夫連中を急かしにいこうとしたが、リンさんが堤についていくように命じた。おれはリンさんから離れて堤のよこを歩く。
堤は大きな穴の前で立ち止まった。穴の周辺おぞましい臭いがした。どうやらゴミを捨てるのに使っているらしい。いろいろなものが混ざり合い、かつ腐敗した臭いだった。
堤は病院送りの男に穴の縁に立つように命じた。背負わせた抗夫には持ち場へ着くように命じた。それから堤はライフルを構えて撃った。
銃弾は病院送りの男の胸に命中した。この男は衝撃で後ろに倒れ、穴の中に落ちた。
これが臭いの原因だったのかとおれは理解する。
堤はライフルを背負い直しながらこちらを見た。
「ここが病院だ。薬は装弾だ」
「一発250円。薬代としては高いか、安いか」
「高いね。百錠で25000円もする薬なんてそんなにないぜ」
それから堤はどこそこの銃器メーカーは弾丸割引があるとかそういう話をした。おれはどう対応すべきか困ったが、銃についてはそれなりに喋られるので、仕方なく喋った。
警備の連中には堤と同年代の奴はいない。同年代のおれと会話できて堤はどうやら楽しいようだ。
次の瞬間、おれは堤の不興を買うような態度を取らなくてよかったことに感謝した。
「逃げたぞ」という声がして、1人の抗夫が目の前の通路を駆け抜ける。脱走者だ。おれと堤は追いかける。
通路を曲がると、もうかなり距離を開けられていた。ライフルを取るが、追いかけながらではとてもねらえない。おれはライフルを捨てて身軽になろうとした。その瞬間、銃声がして抗夫が倒れた。
堤をみる。堤は立ち撃ちの構えをしていて、ライフルの先からかすかな硝煙が上がっていた。
おれは目を見張る。なんて速度で構えたんだ。以前リンさんは言っていた。熟練した狙撃手でも標的に狙いを定めて発砲するまでに3秒はかかってしまうと。この堤という男はもうその域に到達している。
どうやらおれの驚きが伝わったらしい。堤はぷいとよそ見をした。おそらくは照れ隠しだ。
「T字路だったからだよ。脱走者がT字路を通るとき、どちらにいくか迷うだろう。ためらって動きの鈍った相手を撃つのは楽だよ」
そういって堤はT字路で倒れている死体のもとへ向かった。
どこか調子の外れた男、堤のあとをおれは追った。
今の私から堤の早撃ちに関して私見を述べよう。堤の早撃ちの秘密は何も考えないことにある。あの時代のリンさんはおれよりも早く撃てたが、リンさんは自分の目的を懐疑しない人物で、そのうえ生きている人間よりも死んでいる人間のほうが好きだったからだ。だからリンさんはおれよりも速かった。ではさらに速い堤はというと本当に言葉通り何も考えていなかったのだろう。堤という男はおれと同じような年代だったけれども、明らかにおれよりも幼い言動が目立った。堤はずっとあの採掘施設で育ったという。だから銃に慣れているし、他の社会を知らないから、速かったのだろう。
堤という阿呆はおれを気に入ってくれて、おれはおれでけっこう堤のことが好きだった。当時はそんな風に自分を見る余裕なんてなかったけれどもそうだったとおもう。今の時代から顧みるとそういう動きをしている。
採掘施設で暇になると堤とおれは砂漠へ繰り出した。足にしたジープの荷台にはさまざまな種類の銃器が収まっていた。
おれと堤はガソリンを入れた空き缶を並べて撃った。
命中するたびに爆発した。
そうやって爆音と炎熱を楽しみ、あきると、空の弾倉を空に投げた。
落下中の弾倉を標的にして拳銃を放つ。
堤はこれが得意で六発も命中させたことがあった。対しておれは不得手で一発も当たらないことなんて珍しくなかった。
あまりに下手なので堤は大笑いした。むっとしたおれは空の弾倉を放り投げると、堤の腰のショットガンを奪った。銃身を短く切って接近専用にした代物だった。おれは標的に散弾を浴びせた。
けれども標的は散弾をかいくぐって落下した。まったくの無傷だったから堤は爆笑し始め、おれは不愉快になった。それでちょっと準備をしてから標的をまた投げた。堤は「もう諦めろよ」と笑った。無視しておれはライフルの引き金を引いた。
ライフルに装着された榴弾が空中で爆発する。堤の笑い声がかき消される。標的は確認するまでもなく粉々になり、榴弾の破片が降り注いだ。
おれと堤は爆笑した。おれたちが無傷だったからだ。破片という破片は勝手にそれてしまった。なんという幸運だろう。
おかしくてたまらなかった。堤は腰を抜かしたように座り込んで笑い続けた。
けれどもおれは笑みを打ち消す。ふと視線をなげると小柄な人影がみえたからだ。喪服のようなスーツを丈の長い灰色のコートで隠すようにした男がこちらをみている。リンさんだった。表情はサングラスと距離のせいで読めない。 笑い続ける堤を残しておれはリンさんに近づく。
リンさんはサングラスを外すと、おれの右肩を小突いた。
「明日の夜、決行だ。堤は木戸野青年に任せる」
「そうですか。やっぱりなんですね。わかりました」
次の夜が来た。おれは堤と歩哨の任務についた。モトクロスバイクで採掘施設の周辺を巡回する。脱走者の処理、警察や他の組織の襲撃に目を光らせる。
月が地平線まで落ちる。夜が明ける。もうすぐ勤務交代の時間だ。
おれは採掘施設内部の様子をおもう。日勤の抗夫と夜勤の抗夫の交換を始めるために移動が始まるはずだ。移動するまえに夜勤の警備連中はいったん坑内の詰め所に集まる。そこがクリティカルなチャンスだ。
腹に響く音が採掘施設から聞こえてきた。おれはバイクを停める。堤もバイクを停めた。二人して採掘施設をみる。夜のあいだ常に灯すはずの明かりが消えた。やがて泣くようにサイレンが鳴った。堤がおれをみやった。
「こんなの初めてだ。何か起こったのに違いない。いこう!」
おれは答えない。代わりにライフルを空へ向けて引き金を引いた。
砂漠は音がよく通る。きっと採掘施設で処理作業中のりんさんの耳にも届いただろう。これでごまかせたはずだ。あとは堤を納得させるだけだ。
目を丸くしている堤におれは告げた。
「行く方向が逆だ。おまえはまずここから南へ5キロいくんだ。そこに大岩があって影に燃料などを用意してある。あとはゆらぎ市以外へいけ。逃げるんだ」
「どういうことだよ!」
「阿呆な奴め。ハンドレッドドラゴンクライブは採掘施設の警備部隊の廃棄を決定したんだ。今施設のほうではリンさんがお前の仲間を殺している真っ最中だ。さっきのでかい音は落磐の音で、坑内の警備連中を一網打尽にしたんだよ!」
「チクショウ!」
おれは反射的に異能を使う。銃撃を無効にする。
堤の手に銃身を切ったショットガンが現れる。
おれは散弾を受け止める。
堤は歯をむいた。
「銃弾が効かない。あんたまで異能使いか。だったらこれでどうだ」
堤の銃が下がる。反射的に跳ぶ。同時に炎を無効に宣言し直す。散弾でバイクのエンジンが爆発した。
甲高い音と同時に肩を殴られたような感触があった。堤は炎越しに銃撃を仕掛けてくる。弾の音が聞こえるということは当たってはいないということだ。再び銃弾無効を宣言して炎の中に突っ込む。
そこにはいない。後頭部に衝撃を受けて膝をつく。さらに食らう。回り込んだ堤からの打撃を避けるために体を転がす。無理な姿勢で拳銃を闇雲に連射して立ち上がる時間を稼ぐ。
堤を探す。しくじった。炎を直視してしまったので目が暗順応できていない。横合いから裂帛の気合いが叩きつけられた。
堤が銃剣らしきものを手に突進してくる。無効を宣言させる間がない。体をひねる。が、突かれて倒れる。
興奮した様子の堤が叫んだ。
「やったぞ、木戸野。次は大久保リンを殺す!」
「叫ぶな。お前は逃げればいいんだ」
「お前は銃撃だけでなくて剣撃も防げるのか」
「そんなに器用じゃないよ、おれは。でも準備くらいしている」
おれはジャケットをめくってみせる。スーツのジャケットの下には防刃ジャケットを装備していた。もっとも衝撃を緩和する機能がないので打撃としてダメージが残っている。とはいえ直撃したら致命傷の部位を突かれたので着ていて助かった。
「冷静になれ。おれは堤を殺したくないんだ。南へいってくれ。そして俺の知らないところでやり直すんだ」
「木戸野を殺してからだ」
堤の気迫に圧倒された。反応が遅れる。銃剣の先が眼前に迫る。首をやってたまるかとおれは腕を差し出す。衝撃が骨に響く。堤の銃剣は防御した右腕に突き立った。おれは右腕に力を込めて銃剣を抜かさないようにする。堤はおれの膝を蹴って木でも引っこ抜くようにして銃剣を抜こうともがく。
が、堤は手を放す。手が閃いてショットガンが現れる。おれは顔面に散弾を浴びるが、堤の両肩を掴み、頭突きをする。堤の手からショットガンが落ちた。
おれは歯を剥いて威嚇する。さすがの堤も零距離射撃を防がれたのに驚いたのか顔をこわばらせた。おれはその恐怖に便乗してさらに頭突きを放った。何度も繰り返して堤の戦意が消えるのを待つ。消えたら逃亡させてやるつもりだった。
けれどもその企ては銃声に消された。銃声とともに堤の下あごが消滅した。おれは顔に手を触れる。今顔面についたものが目の前に立っている人間のものだ。
堤は倒れ、まだ生きていたのでうめいた。でももう言葉にはできない。下あごがないから。
おれは採掘施設のほうをみた。一台のジープが停まっている。そばに灰色のコートを着た男が立ち、銃を構えている。構えは解除されないでもう一度銃声が響いた。
堤はうめくのをやめ、苦痛から解放された。
おれは膝をついた。
リンさんはライフルを肩にのせてゆっくりとこちらへ歩いてくる。銃の先端でおれの肩を突いた。
「ひどい有様だな」
「壊れたのが右腕で良かったな」
「そうですか」
「右腕一本だとMTは運転しにくいからな」
「そうですか」
「ゆらぎ市へもどったら牛乳と小魚を摂取するんだぞ。これは業務命令だ」
「そうですか」
リンさんはおれを殴った。おもわず左腕一本で運転しているジープがよろける。おれとリンさんはゆらぎ市へ戻るところだった。ジープは小石を踏む。今ハンドルを切れば横転させられるとおもったが、無意味なので、やらない。本当に無意味か。判らないが、とにかくおれはやらない。
もう一発リンさんの拳が左頬にめり込む。視界に星が散る。良かった。痛みで気分が紛れる。
「童貞捨てたからって落ち込むなよ」
「そうですか」
ここでいう童貞というのは殺人の経験のことだ。
リンさんは拳を握ったが、どうやら殴りあきたのかやってこなかった。
堤はリンさんによってとどめを刺された。死体はその場でおれが埋めた。採掘施設の警備詰め所に戻ると死体だらけだった。どうやってかわからないが、リンさんはあの大所帯を皆殺しにしてみせた。
リンさんはおれに命じた。おれは命令通り骨折した右腕を応急手当して、1人で死体を処理した。以前抗夫の死体を捨てた穴に警備部隊の死体を投げ込んだ。
そんなことをしているとゆらぎ市からハンドレッドドラゴンクライブの部隊が到着した。
「掃除は完了したか」
「終わりました。臭いは残っていますが、ものは処理済みです」
「ならば結構」
リンさんはおれに説明した。この施設の連中は採掘物を無断で横流ししていたそうだ。それで裏切り者として処分されることになったと。
おれは訊いた。
「堤は横流しを知っていたのでしょうか」
「知らなかっただろうよ」
おれは黙った。
リンさんはお喋りでおれは無口だから、移動中はもっぱらリンさんのまくし立てる言葉におれが適当に相づちを打つ。けれどもこのゆらぎ市へ帰る道すがらはおれもリンさんも無口だ。
リンさんをみやると眉間に皺を寄せて前方をにらんでいた。タバコに火をつけていない。唇を動かすのでタバコが犬のしっぽのようにぱたぱたと動いた。犬ならば構ってやるが、おれはとてもそんな気持ちにはなれない。
おれは車の運転に集中した。
そのうちに砂漠地帯は終わってゆらぎ市へのハイウェイに入る。
ここでリンさんは口を開いた。
「右腕を貸せ」
おれは差し出した。
「!」
おれは跳び上がる。リンさんはおれの傷を思い切り圧迫した。その様子にリンさんは爆笑した。リンさんはおれの頭をスイカのように何度も叩いた。
「慰めてもらえよ」
「誰にですか」
「誰でもいいさ。そうだな、スティレット嬢ちゃんなんていいんじゃないか」
「去勢はノウサンキューです」
「去勢されるのもたまにはいいさ」
こうしておれはスティレットのもとへいくことになった。
リンさんの意に沿うのは気分が悪い。というわけでおれはスティレットに会いにいかなかった。ジーンズにスタジアムジャンバーという格好で夜の街をでた。昔からおれは気を紛らわすのが苦手だった。仕方なく銃器店へ向かった。正規の店なのだが、偉い役人どもと内密にしていて、違法な仕様の武器をこっそり販売していた。またガンレンジも地下にあった。まあ特別な店らしく値段は張るが。
店のある古びたビルに入る。入り口に浮浪者らしき男が座り込んでいたが、襲撃に備えるための警備の者だ。すれ違ったときに顔をみられた。どうやってか知らないがこの人物は今、店の者に客が来たことを伝えたのだろう。
おれは店の扉を開ける。奥のカウンターに店員がいる。挨拶もしてこない。まあそういうフレンドリーな店ではない。
おれは思いついてカウンターに近づく。
「ショットガンが欲しい。銃身を切り詰めた奴だ」
「それは違法な武器ですよ」
「知っている。銃弾も寄越せ、あとガンレンジを使わせてもらうぞ」
店員はうなずく。おれは会計を済ませるとガンレンジに立った。
手の中にある銃は堤の使っていた銃にそっくりだ。堤は相応に銃身を残してあったが、おれのはもっと思い切って切り詰めてあった。私服刑事の使う拳銃のように短い。
撃つとすぐに散弾が広がった。近距離に設置したマンターゲットが文字通り蜂の巣になった。
おれは堤の銃を気に入り、店に戻ると、新しいガンベルトを買った。
そのガンベルトだと堤の銃は腰の裏側に隠すことができた。
おれは重みを感じながら、これでも堤のようには撃てまいとおもった。
夜の街をさまよったあと、おれはリンさんのアパートへ戻った。いまだに居候をしていることが急に恥ずかしくなった。早朝だったので足音を立てないように階段を昇る。いきなり部屋の扉が開いて跳び上がってしまう。
驚いたのは相手も同じようで短い声があがった。声の主は同居人のトカゲ人だった。
「おお。戻ってきたのか。久しぶりだな」
「はい。まあ」とおれは適当に返事をする。この人のことなどまったく頭になかったのでなにを言っていいのか判らなかった。それで逆に質問する。
「こんな朝早くにどうしたんですか」
「この街から移るんだ」
「どこへ?どうして?」
「わからない。足の向くままさ。理由もないな、強いていえば、ああ、やっぱりないな」
「そうですか」とおれ。トカゲ人は軽装だった。着の身着のままの姿だった。逃げるようだとは思わなかった。逃亡者にしては悠々とし過ぎている。おれはトカゲ人のよこをすり抜けて部屋をのぞく。なにもかも残っている。明日になったら戻っていて連続ドラマををみていそうだ。
おれはトカゲ人をおいかける。アパートの前の道路でおいつく。おれはガンベルトを外して差し出した。
「友達の銃なんです。持って行って下さい」
「友達のものなら木戸野青年が持っている方がいいじゃないか」
「おれではダメです。たぶん。だからあなたにあげます」
トカゲ人は迷ったようだが、結局受け取った。
今から思い返せば、砂漠にいったことが転機だったとおもう。おれはまるっきり世界や社会に対する関心を失っていたけれども否応なく自分の無視したものに追い詰められたのが砂漠での出来事だった。
まるでさなぎのようだとおもう。さなぎを切り開くと液状の中身が零れる。さなぎを作る生き物はバロットのようになっているわけではない。堅い外皮の中で今までの体を溶かして再構成させる。あのときのおれはそんな感じだったとおもう。
まあどんなに格好つけた表現をしてもおれはかなり調子外れになっていたのだろうけれどね。
相変わらずおれはリンさんと生活していたけれども、スティレットというロリな娼婦をロリコンの警察署長に配送する仕事にことかけて、一緒にいる時間を減らしていた。おれは今までより早く迎えにいくと顔なじみになったボーイと時間を潰した。
狭い従業員休憩室でおれはボーイと顔をつきあわせて夕飯を食らっていた。おれもボーイも食べるほうなのでまたたくまにジャンクフードの山を削り取る。空腹を紛らわせておれはいった。
「スティレットだが、なんか最近妙に嬉しそうだな」
「そうですかね」
「ああ。送っていくと浮ついている」
「ああ。あのお客さんを彼女は気に入ってるんですよ。他の客の相手をするときは事務的ですよ」
「好みの客なのかな、あのロリコン警官は」
「そうかもしれません。でも案外、好意を寄せてもらえているのが嬉しいのかも」
「なんで好意ってわかるんだ」
「彼女を買い取りたいってあのお客さん言ってきたんですよ」
「なるほど。愛人として迎えたい程度には気に入ってるのか」
「はい。で、彼女のほうも望んでいるようです」
「そうか。な、スティレットは囲い者になったら今よりマシかな」
「どうでしょう。おれにはわかりませんよ。意気揚々と出て行って崩れて戻ってくる女もいますから」
時間が来たのでおれはスティレットを送る。ホテルにつくまでのあいだ、スティレットは最近の常としてあの署長のことをまくし立てた。
おれは猫のように適当な相づちをうちながら時々、バックミラーをみた。スティレットの目は輝いたら、不安げに伏せられたりした。ある種の病気の初期症状そのものと表現したらおれの毒舌が過ぎるだろうか。不満があるわけでなくて少々辟易した。
スティレットを降ろし、おれは時間を潰して、スティレットを拾った。
行きと違ってスティレットは少しも喋ろうとしなかった。ずっと目を伏せている。膝に乗せられた手が硬く握りしめられているようだ。おもわずおれは声をかけた。
するとスティレットは「彼、私のこと裏切り者だって」と。
おれは眉を潜める。どうしてさと。
「彼は私の歳を知らなかったの。ずっと大人とおもって抱いていたんだって」
おれは言葉を失う。てっきりロリをロリコンへ配送とおもっていたが、違ったのか。ということはスティレットはあの署長ののど元に突きつけられた短剣ということか。いざ署長がハンドレッドドラゴンクライブの意に沿わなくなったら社会的に抹殺するための装置だったのか。
スティレットは消え入るような声でどうしようとつぶやいた。おれはなにかをいってやりたかったが、言葉がでてこなかった。
時間が流れて再びスティレットを送迎する日になった。送迎に行くはずだったが、リンさんは「今日は無し。おれについてこい」といった。
リンさんはおれを会員制のクラブらしき場所へ連れて行った。仕事のために今までいろいろと身分にふさわしくない場所へ出かけたが、ここは初めてだった。ここでおれは1人の男と顔合わせをした。
三十代のくらいの男だった。一見した印象はふたつだ。有能さと人当たりの良さ。しかし言葉を少し交わし、うごきをみれば、明らかに人間を使い慣れた種類と判った。これくらいの年齢でこの感じを出せるとは相当なやり手なのかもしれない。
おれは少しだけ恐ろしくなった。でもどちらに恐ろしくなったのだろうと現在のおれは過去のおれに思う。この男、海道?という人物の隠された冷酷さに怯えたのか、徐々に自分の意志で自分の手を汚すことと考え始めたことなのか。
この顔合わせのあと、おれはスティレットと皆本署長?が拘束されたのを知った。リンさんはどうということもない顔で告げた。
「皆本は用済みだ。次の署長はさっきの海道がやる」
「スティレットはどうなりますか」
「ただの売春婦だ。すぐに出てくるさ。保釈金でも払ってやるつもりか」
「それも悪くありませんね」
「無駄だ。やめとけ」
翌朝、おれは新聞で知った。皆本署長が更迭される見込みなのとスティレットの死を。
スティレットは護送中に暴れて逃亡を図り、その際に射殺されたそうだった。
リンさんは新聞を覗き込んだ。
「これで口を割る奴は消えた。皆本は立場の維持のために口を割はしないだろうが、あの子はおれたちの関係を漏らしかねない」
「なぜこんなことを」
「わからない奴だな。木戸野青年はいつのまにそんなに頭が悪くなったんだ。皆本は署長のくせして警察を掌握できなかった。だからスキャンダルを起こして更迭させた。そしてあの海道という男が次の署長になる。それだけのことだ」
若い頃の木戸野3へ続く。
1階のフロアで待っていると、仕事を終えたらしいスティレット?がエレベーターから降りた。目が合い、おれはうなずいて、外へ出る。車を玄関に回してスティレットを乗せると出した。
あとは帰るだけだ。
おれはバックミラーで後部座席をみる。スティレットが足を組んでいる。目が半眼になっていてみるからに苛立っているのがわかった。見られているのに気づくとこちらをにらみ返してきた。スティレットはあごをしゃくる。
「葉巻は?」
「ない」
「買ってきなさい」
「どこで買うんだ、おれはタバコは吸わない。葉巻は確か自販機では売ってないだろう」
「馬鹿な子。ドラッグストアへ寄って」
車を走らせていると深夜営業しているドラッグストアをみつけた。車を停めるとバックミラーの中でスティレットがにらんでくる。どうやらおれに買いに行かせたいようだ。
スティレットを放置していいのか一瞬だけ迷う。リンさんはあの皆本署長とかいう男にこの女をあてがうつもりだが、逃げられたりしたらまずいだろう。しかし考えるのが面倒くさかったのでおれはドラッグストアに入った。
葉巻はけっこうするんだなとおもって車に戻る。スティレットに投げてやってから車を出す。
「火」とスティレット。おれはカーライターを差し出す。
ぶちりと音を立ててスティレットは葉巻をきった。
車内にきつい匂いの煙が立ちこめる。おれは気にしない。
スティレットは窓をあけた。煙が逃げる。火のついたままの葉巻を捨てる。
「好みのじゃないわ」
「指定してくれたらよかったのに」
「吸い慣れないもの。ね、本当にタバコ吸わない人、紙巻きタバコもってない?」
「吸わないから持ってないんだ。いや、これやるよ」
晩にリンさんからもらったタバコを投げる。
ミントの煙が車内に立ちこめる。
スティレットの態度が軟化する。相変わらずおれを小間使いのように扱うが、ぐっと親しみやすい。スティレットは仕事のいらだちをおしゃべりに変換して解消する。おれは適当に相づちをうってリフレッシャーになってやる。
ああ、幼いなとおれはおもう。それでまくし立て過ぎて酸欠気味になったスティレットにいってやる。
「スティレット、きみは背が高いな。てっきり大人かとおもったよ」
スティレットは小さく声をあげた。目が見開かれている。わかりやすい反応だ。しかしこれだけ大げさだと演技臭いな。もう少し揺さぶりをかけるか、それとも自白を待つか。
手を打つ前に彼女は打ち明けた。
「あら。ばれちゃってた。実は私は**歳なのよ」
「やっぱり手を出したらやばいお歳だったか」
「やっぱりってまさか」
「ああ、かまをかけたんだ。まったく気づかなかったよ。子供だなんておもわなかった。本当に今さっきまで大人だっておもってた」
「にぶちん。あのリンさんは気づいてたわよ。それであの男のところへ」
「なるほど。ロリをロリコンのところへ配送したわけだ。的確だ」
「嫌みな言い方。怖い人と思わない?」
「誰が?」
「リンさん?のこと怖くないの?」
「どうだろう。うーん。どうだろう。わからない」
やっぱりにぶちんだとスティレットは笑った。
ロリをロンコンに配送するのが日課になったころ、日雇い労働者の仕分けをやれと命じられた。よくわからないままにおれはリンさんのあとをついてく。よくわからないまま、よくわからないことをするのはいつものことだ。
早朝の街、一番貧しくて汚い界隈には浮浪者同然の連中が群れをなしている。正確には仕事を待っている。リンさんはおれにファイルを渡すと壁にもたれてタバコを吸い始めた。あとは勝手にやれということだ。
おれはファイルをちらりとみてから、転がっていた箱の上にたった。声を張り上げて、ファイルに記載されている仕事を告げる。たむろをしている連中を並ばせる。25人で一塊のグループをいくつか作る。
リンさんが物憂げにいった。非難するような急かすような嫌みな口調で。
「もたもたしてんじゃねえぞ、ガキ」
そのときトラックが来た。働き手を求めている農場からのものだ。おれはグループのひとつに乗るように命じた。リンさんは鼻歌でドナドナを歌う。
こうやって集まってきた連中をトラックに詰め込んだり、遠くへ出る奴らには切符と食券を配った。そんな風にして午前は終わった。
リンさんは休憩がてらスティレットのところへいこうといった。そのまえに都市部へ車を回してリンさんはスティレットへのプレゼントをとらせた。それからスティレットのところへ行く。
リンさんの組織ハンドレッドドラゴンクライブは娼婦たちを管理している。商売するところも住むところも管理している。スティレットの話を聞いていると待遇はそう悪くないらしいが、いざというときに奴隷の扱いをされていると知るだろう。実際もう判っていて自分自身を誤魔化すためにおれに良いかのようにいったのかもしれない。
リンさんは寝起きのむくれたスティレットに食事を用意させ、八つ当たりされるおれをみながら酒とタバコを楽しむ。おれとスティレットの掛け合いを楽しんだあとはプレゼントを彼女に進呈した。
とたんにスティレットは目を輝かせた。まあ半分くらいはおそらく演技だろうけれども。プレゼントはドレスだった。もちろん商売にするときに使えということなのだろう。
スティレットをからかって時間を潰すと日が落ちた。
午前中にいた場所にリンさんとおれは戻る。トラックで農場にいった連中が戻ってくる。連中は疲れた目を鋭く輝かせている。連中の給料の支払いは仲介者のリンさんがやることになっている。リンさんは札束をおれに渡すと1人いくらとささやいた。
ささやいたということはそういうことなのだとおもいながら、おれは連中を一列に並ばせる。札を渡すたびに連中の落胆とあきらめが感じられた。仲介者が中抜きしてるなんて珍しいことではない。
全員に渡し終わった。おれとリンさんはその場を後にしようとした。
「待てよ」
おれは振り返る。地平線に落ちかける太陽を背にしてトカゲ人の男が立っていた。男の影は歪み、長く伸びて、怪物のようだった。
「約束通りの金を払え」とトカゲ人。
その当然の要求にリンさんは振り返りもせず「断る。木戸野、やれ」
トカゲ人が突進してくる。おれは迎え撃つ。
いつも通り相手の打撃を受け止める。胸でトカゲ人のパンチを受け、肘の外側を叩く。上手くすればこれで間接を破壊できるはず。
トカゲ人が飛び退く。叩いた腕を痛そうに振り回す。どうやら壊し損ねたようだ。人間と違ってトカゲ人はかなり頑丈だ。
「てめえ異能使いだ」
「なんのことだ」
「しらばっくれやがって」
このときになってもおれは異能使いなんてものがいるとは知らなかった。実は能力についてリンさんに訊くことはきいたのだがはぐらかされてしまい、そのままいつもの無関心で流してしまった。
あとで調べようとおもいながらおれは前に出る。トカゲ人がふたたび突進する。またすれ違った。
やばかった。胸が袈裟懸けに切られた。
トカゲ人が爪を落日に凶暴そうに光らせた。
鋭利な一撃だった。でもわざと浅くやられた。爪にまったくの無警戒でつっこんだからさっきのタイミングでおれを殺せたはずだ。やらなかったのは警告ということか。
「ハンドレッドドラゴンクライブ?の名前を汚すなよ」とリンさんの笑い声。
おれはジャケットを脱ぐ。間合いをはかるかのようにトカゲ人を中心として右にゆっくりと旋回する。トカゲ人は一撃必殺をねらえるからか待ちの構えだ。
おれは突進する。左側から襲いかかるふりをしてジャケットをかぶせる。トカゲ人の視界を奪ってから右側へ奇襲をかける。しかし読まれていた。おれの体を衝撃が走る。
けれども倒れたのはトカゲ人だった。左目を押さえてのたうち回っている。指の隙間から黒い液体がもれた。おれはトカゲ人に近寄って、今さっきつまんだものを、そっと彼のジャケットに入れてやった。「目玉を落としたよ」トカゲ人はびくりと体を硬直させた。
おれはリンさんをみた。リンさんはタバコを吸い込んだようだ。。タバコの先が赤くなって顔が照らされる。満足げな表情がみえた。
おれはジャケットを拾って袖を通そうとしたが、リンさんは止めた。
「新しい奴をおごってやるぜ。木戸野青年、お前も自分ってものを把握してきたじゃないか」
「異能のことですか」
「ああ。打撃無効から斬撃無効に宣言し直したのだろう。良い判断だ。でも相手が突いてきたらどうしたんだ」
「腕を犠牲にするか。死にますよ」
「そういう木戸野青年がおじさんはお気に入りだよ」
そういってリンさんは満足そうに煙を吐いた。
リンさんはいった。
「木戸野青年は小銃や散弾銃の使い方はわかるかい?」
「いいえ。拳銃だけです」
「短銃といいなさい」
「はい。短銃といいます」
「短銃の扱いはばっちりかね」
「はい。正面から敵が向かってきたら前歯を狙って脳幹を吹っ飛ばします。口径の大きい銃は近距離で用い、小口径はわりと遠い距離で用います」
「よろしい、よろしい。なに。小銃や散弾銃の扱いは拳銃と比べれば、簡単だ。素人でもちゃんと狙えばけっこう当たるからな。はい、これ、マニュアルだから出発までに目を通しておいてね」
「どこへいくのですか?」
「ゆらぎ大砂漠。ちょっと長旅になるからそれなりに用意してあとスティレット嬢ちゃんへ一言いっておくこと」
というわけでおれはスティレットの店を昼間訪れる。裏口から回ると、スティレットをつれていった日に出会ったボーイと出会った。おれと同じくらいの年齢だが、もう店のほとんどの切り盛りを任されているらしい人物だ。
おれはスティレットを呼んでもらうと、スティレットとボーイの2人にことの次第を告げて立ち去った。
翌朝、おれはジープを運転していた。南アメイジア市へのハイウェイを走る。途中で脇道にそれてまるで戦車の通ったあとのような道を走る。リンさんに尋ねると昔、ゆらぎ市と南アメイジア市の戦争のとき実際に戦車が進軍した経路だったそうだ。
歴史的な道を走っていると日が暮れた。けれども太陽の落ちたのとは逆の方向から光が見えた。大規模な都市があるかのようだ。しかしそんなものは地図には載っていない。では軍の基地でもあるのか。
走らせているとわかった。採掘施設だ。どうやら昼夜問わず作業を行っているらしくそれで明るいようだ。おれは訊く。
「なにを採掘しているのですか」
「わからない」
「放射性物質?」
「ガイガー・カウンターは反応しない」
「よかったです」
「思い出しように鳴く」
「!?」
ふふふふふとリンさんは笑った。おれは困ったが、車を走らせていると、どうでもよくなった。
おれはふと車の速度を下げる。リンさんが後部座席からライフルを取った。暗視スコープのついてものだ。
「木戸野青年、気づいたか」
「わかりません。でもなにかいます。人間タイプの可能性大です」
「この辺りの地域で人間と同じくらいの生物はいない。このサイズの生物は人間だけだ。そして多くは車両で移動する。徒歩で移動するのは」
銃声がした。リンさんはしゃべりを止める。
銃声で伏せた人影が立ち上がって走る。再び銃声。人影が伏せる。伏せたままだ。遠くからエンジン音が聞こえてくる。そちらを見る。採掘施設の光を背にしてバイクに乗った人影が丘の上にいた。手にはライフルらしきものを持っている。この人影は偵察中の喜平のようにしばらく様子をうかがったあと、丘を下った。伏せたままの人影のところへいってバイクを降りる。どうやら生死を確認しているようだ。バイクの人影は立ち上がってこちらに手をふった。
リンさんをみる。リンさんはうなずいたのでおれは車を出す。バイクの人物の手前で止める。リンさんは再びみる。
「敵か味方?」
「味方さ。多分な。拳銃は隠し持っているな」
「はい」
リンさんとおれは車から降りる。
バイクの人物がライフルを突きつけながらいった。
「お前たちは何者だ」
リンさんは答える。
「ゆらぎ市から来たものだ。ハンドレッドドラゴンクライブの大久保鱗?だ。こいつは助手の木戸野仁?だ」
「あんたが回帰幻想の大久保リンか。あえて光栄だ。おれは堤幸二?だ。よろしく頼む」
堤は死体から認識票らしきものをとるとバイクにまたがった。手でついてこいと示した。
ゆらぎ大砂漠は砂丘砂漠と礫砂漠の2種類ある。採掘施設のあるあたりは礫砂漠だ。砂丘砂漠と比較して砂埃の量は少ないようだが、それでもコートの襟を立てて口元を守りたくなる程度には埃っぽい。
だからおれとリンさんは朝起きるとすぐに銃の手入れをする。持ってきた拳銃とライフル、ショットガンはどれも軍用で、単純な構造によって故障頻度を少なくしたものだ。それでも念のために部品のひとつひとつをエアスプレーで吹いて清掃する。
おれとリンさんの様子を採掘施設警備の連中が笑う。そこまで念入りにしなくてもいいだろうと考えているようだ。採掘施設警備の連中でここまでやる奴は堤という男だけだ。
そういえば堤の銃はおれと同じく軍用だ。他の連中は猟銃を改造したものを使っているのに。堤は定期的なメンテナンスの手間を取る代償として安定した性能を手に入れ、他の連中は安定した性能と引き替えにメンテナンスの手間を省いたのかもしれない。
まあどうでもいい。歩哨任務を俺と組むときに暴発さえしなければ。
夜勤の連中と交代する。採掘施設はすり鉢状だ。縁の部分におれたち職員の待機施設や監視所がある。ここからしばらく下るとタコ部屋こと坑夫たちの住居がある。
おれたちは坑夫たちの住居のドアを銃で叩く。そうやって日勤の抗夫が持ち場につくように急かす。教科書に載っている奴隷さながらでなくて、まったく奴隷として彼らは暗い穴の中に向かう。
中には寝床から起き上がってこない奴もいる。まあ諦念に命を食われてしまった者たちだ。そういう奴らには薬として手痛い一撃を加えた。これで起きるやつもいるし、起きない奴は病院送りだ。
堤は抗夫の1人に声をかけて病院送りの男を背負わせた。おれは他の抗夫連中を急かしにいこうとしたが、リンさんが堤についていくように命じた。おれはリンさんから離れて堤のよこを歩く。
堤は大きな穴の前で立ち止まった。穴の周辺おぞましい臭いがした。どうやらゴミを捨てるのに使っているらしい。いろいろなものが混ざり合い、かつ腐敗した臭いだった。
堤は病院送りの男に穴の縁に立つように命じた。背負わせた抗夫には持ち場へ着くように命じた。それから堤はライフルを構えて撃った。
銃弾は病院送りの男の胸に命中した。この男は衝撃で後ろに倒れ、穴の中に落ちた。
これが臭いの原因だったのかとおれは理解する。
堤はライフルを背負い直しながらこちらを見た。
「ここが病院だ。薬は装弾だ」
「一発250円。薬代としては高いか、安いか」
「高いね。百錠で25000円もする薬なんてそんなにないぜ」
それから堤はどこそこの銃器メーカーは弾丸割引があるとかそういう話をした。おれはどう対応すべきか困ったが、銃についてはそれなりに喋られるので、仕方なく喋った。
警備の連中には堤と同年代の奴はいない。同年代のおれと会話できて堤はどうやら楽しいようだ。
次の瞬間、おれは堤の不興を買うような態度を取らなくてよかったことに感謝した。
「逃げたぞ」という声がして、1人の抗夫が目の前の通路を駆け抜ける。脱走者だ。おれと堤は追いかける。
通路を曲がると、もうかなり距離を開けられていた。ライフルを取るが、追いかけながらではとてもねらえない。おれはライフルを捨てて身軽になろうとした。その瞬間、銃声がして抗夫が倒れた。
堤をみる。堤は立ち撃ちの構えをしていて、ライフルの先からかすかな硝煙が上がっていた。
おれは目を見張る。なんて速度で構えたんだ。以前リンさんは言っていた。熟練した狙撃手でも標的に狙いを定めて発砲するまでに3秒はかかってしまうと。この堤という男はもうその域に到達している。
どうやらおれの驚きが伝わったらしい。堤はぷいとよそ見をした。おそらくは照れ隠しだ。
「T字路だったからだよ。脱走者がT字路を通るとき、どちらにいくか迷うだろう。ためらって動きの鈍った相手を撃つのは楽だよ」
そういって堤はT字路で倒れている死体のもとへ向かった。
どこか調子の外れた男、堤のあとをおれは追った。
今の私から堤の早撃ちに関して私見を述べよう。堤の早撃ちの秘密は何も考えないことにある。あの時代のリンさんはおれよりも早く撃てたが、リンさんは自分の目的を懐疑しない人物で、そのうえ生きている人間よりも死んでいる人間のほうが好きだったからだ。だからリンさんはおれよりも速かった。ではさらに速い堤はというと本当に言葉通り何も考えていなかったのだろう。堤という男はおれと同じような年代だったけれども、明らかにおれよりも幼い言動が目立った。堤はずっとあの採掘施設で育ったという。だから銃に慣れているし、他の社会を知らないから、速かったのだろう。
堤という阿呆はおれを気に入ってくれて、おれはおれでけっこう堤のことが好きだった。当時はそんな風に自分を見る余裕なんてなかったけれどもそうだったとおもう。今の時代から顧みるとそういう動きをしている。
採掘施設で暇になると堤とおれは砂漠へ繰り出した。足にしたジープの荷台にはさまざまな種類の銃器が収まっていた。
おれと堤はガソリンを入れた空き缶を並べて撃った。
命中するたびに爆発した。
そうやって爆音と炎熱を楽しみ、あきると、空の弾倉を空に投げた。
落下中の弾倉を標的にして拳銃を放つ。
堤はこれが得意で六発も命中させたことがあった。対しておれは不得手で一発も当たらないことなんて珍しくなかった。
あまりに下手なので堤は大笑いした。むっとしたおれは空の弾倉を放り投げると、堤の腰のショットガンを奪った。銃身を短く切って接近専用にした代物だった。おれは標的に散弾を浴びせた。
けれども標的は散弾をかいくぐって落下した。まったくの無傷だったから堤は爆笑し始め、おれは不愉快になった。それでちょっと準備をしてから標的をまた投げた。堤は「もう諦めろよ」と笑った。無視しておれはライフルの引き金を引いた。
ライフルに装着された榴弾が空中で爆発する。堤の笑い声がかき消される。標的は確認するまでもなく粉々になり、榴弾の破片が降り注いだ。
おれと堤は爆笑した。おれたちが無傷だったからだ。破片という破片は勝手にそれてしまった。なんという幸運だろう。
おかしくてたまらなかった。堤は腰を抜かしたように座り込んで笑い続けた。
けれどもおれは笑みを打ち消す。ふと視線をなげると小柄な人影がみえたからだ。喪服のようなスーツを丈の長い灰色のコートで隠すようにした男がこちらをみている。リンさんだった。表情はサングラスと距離のせいで読めない。 笑い続ける堤を残しておれはリンさんに近づく。
リンさんはサングラスを外すと、おれの右肩を小突いた。
「明日の夜、決行だ。堤は木戸野青年に任せる」
「そうですか。やっぱりなんですね。わかりました」
次の夜が来た。おれは堤と歩哨の任務についた。モトクロスバイクで採掘施設の周辺を巡回する。脱走者の処理、警察や他の組織の襲撃に目を光らせる。
月が地平線まで落ちる。夜が明ける。もうすぐ勤務交代の時間だ。
おれは採掘施設内部の様子をおもう。日勤の抗夫と夜勤の抗夫の交換を始めるために移動が始まるはずだ。移動するまえに夜勤の警備連中はいったん坑内の詰め所に集まる。そこがクリティカルなチャンスだ。
腹に響く音が採掘施設から聞こえてきた。おれはバイクを停める。堤もバイクを停めた。二人して採掘施設をみる。夜のあいだ常に灯すはずの明かりが消えた。やがて泣くようにサイレンが鳴った。堤がおれをみやった。
「こんなの初めてだ。何か起こったのに違いない。いこう!」
おれは答えない。代わりにライフルを空へ向けて引き金を引いた。
砂漠は音がよく通る。きっと採掘施設で処理作業中のりんさんの耳にも届いただろう。これでごまかせたはずだ。あとは堤を納得させるだけだ。
目を丸くしている堤におれは告げた。
「行く方向が逆だ。おまえはまずここから南へ5キロいくんだ。そこに大岩があって影に燃料などを用意してある。あとはゆらぎ市以外へいけ。逃げるんだ」
「どういうことだよ!」
「阿呆な奴め。ハンドレッドドラゴンクライブは採掘施設の警備部隊の廃棄を決定したんだ。今施設のほうではリンさんがお前の仲間を殺している真っ最中だ。さっきのでかい音は落磐の音で、坑内の警備連中を一網打尽にしたんだよ!」
「チクショウ!」
おれは反射的に異能を使う。銃撃を無効にする。
堤の手に銃身を切ったショットガンが現れる。
おれは散弾を受け止める。
堤は歯をむいた。
「銃弾が効かない。あんたまで異能使いか。だったらこれでどうだ」
堤の銃が下がる。反射的に跳ぶ。同時に炎を無効に宣言し直す。散弾でバイクのエンジンが爆発した。
甲高い音と同時に肩を殴られたような感触があった。堤は炎越しに銃撃を仕掛けてくる。弾の音が聞こえるということは当たってはいないということだ。再び銃弾無効を宣言して炎の中に突っ込む。
そこにはいない。後頭部に衝撃を受けて膝をつく。さらに食らう。回り込んだ堤からの打撃を避けるために体を転がす。無理な姿勢で拳銃を闇雲に連射して立ち上がる時間を稼ぐ。
堤を探す。しくじった。炎を直視してしまったので目が暗順応できていない。横合いから裂帛の気合いが叩きつけられた。
堤が銃剣らしきものを手に突進してくる。無効を宣言させる間がない。体をひねる。が、突かれて倒れる。
興奮した様子の堤が叫んだ。
「やったぞ、木戸野。次は大久保リンを殺す!」
「叫ぶな。お前は逃げればいいんだ」
「お前は銃撃だけでなくて剣撃も防げるのか」
「そんなに器用じゃないよ、おれは。でも準備くらいしている」
おれはジャケットをめくってみせる。スーツのジャケットの下には防刃ジャケットを装備していた。もっとも衝撃を緩和する機能がないので打撃としてダメージが残っている。とはいえ直撃したら致命傷の部位を突かれたので着ていて助かった。
「冷静になれ。おれは堤を殺したくないんだ。南へいってくれ。そして俺の知らないところでやり直すんだ」
「木戸野を殺してからだ」
堤の気迫に圧倒された。反応が遅れる。銃剣の先が眼前に迫る。首をやってたまるかとおれは腕を差し出す。衝撃が骨に響く。堤の銃剣は防御した右腕に突き立った。おれは右腕に力を込めて銃剣を抜かさないようにする。堤はおれの膝を蹴って木でも引っこ抜くようにして銃剣を抜こうともがく。
が、堤は手を放す。手が閃いてショットガンが現れる。おれは顔面に散弾を浴びるが、堤の両肩を掴み、頭突きをする。堤の手からショットガンが落ちた。
おれは歯を剥いて威嚇する。さすがの堤も零距離射撃を防がれたのに驚いたのか顔をこわばらせた。おれはその恐怖に便乗してさらに頭突きを放った。何度も繰り返して堤の戦意が消えるのを待つ。消えたら逃亡させてやるつもりだった。
けれどもその企ては銃声に消された。銃声とともに堤の下あごが消滅した。おれは顔に手を触れる。今顔面についたものが目の前に立っている人間のものだ。
堤は倒れ、まだ生きていたのでうめいた。でももう言葉にはできない。下あごがないから。
おれは採掘施設のほうをみた。一台のジープが停まっている。そばに灰色のコートを着た男が立ち、銃を構えている。構えは解除されないでもう一度銃声が響いた。
堤はうめくのをやめ、苦痛から解放された。
おれは膝をついた。
リンさんはライフルを肩にのせてゆっくりとこちらへ歩いてくる。銃の先端でおれの肩を突いた。
「ひどい有様だな」
「壊れたのが右腕で良かったな」
「そうですか」
「右腕一本だとMTは運転しにくいからな」
「そうですか」
「ゆらぎ市へもどったら牛乳と小魚を摂取するんだぞ。これは業務命令だ」
「そうですか」
リンさんはおれを殴った。おもわず左腕一本で運転しているジープがよろける。おれとリンさんはゆらぎ市へ戻るところだった。ジープは小石を踏む。今ハンドルを切れば横転させられるとおもったが、無意味なので、やらない。本当に無意味か。判らないが、とにかくおれはやらない。
もう一発リンさんの拳が左頬にめり込む。視界に星が散る。良かった。痛みで気分が紛れる。
「童貞捨てたからって落ち込むなよ」
「そうですか」
ここでいう童貞というのは殺人の経験のことだ。
リンさんは拳を握ったが、どうやら殴りあきたのかやってこなかった。
堤はリンさんによってとどめを刺された。死体はその場でおれが埋めた。採掘施設の警備詰め所に戻ると死体だらけだった。どうやってかわからないが、リンさんはあの大所帯を皆殺しにしてみせた。
リンさんはおれに命じた。おれは命令通り骨折した右腕を応急手当して、1人で死体を処理した。以前抗夫の死体を捨てた穴に警備部隊の死体を投げ込んだ。
そんなことをしているとゆらぎ市からハンドレッドドラゴンクライブの部隊が到着した。
「掃除は完了したか」
「終わりました。臭いは残っていますが、ものは処理済みです」
「ならば結構」
リンさんはおれに説明した。この施設の連中は採掘物を無断で横流ししていたそうだ。それで裏切り者として処分されることになったと。
おれは訊いた。
「堤は横流しを知っていたのでしょうか」
「知らなかっただろうよ」
おれは黙った。
リンさんはお喋りでおれは無口だから、移動中はもっぱらリンさんのまくし立てる言葉におれが適当に相づちを打つ。けれどもこのゆらぎ市へ帰る道すがらはおれもリンさんも無口だ。
リンさんをみやると眉間に皺を寄せて前方をにらんでいた。タバコに火をつけていない。唇を動かすのでタバコが犬のしっぽのようにぱたぱたと動いた。犬ならば構ってやるが、おれはとてもそんな気持ちにはなれない。
おれは車の運転に集中した。
そのうちに砂漠地帯は終わってゆらぎ市へのハイウェイに入る。
ここでリンさんは口を開いた。
「右腕を貸せ」
おれは差し出した。
「!」
おれは跳び上がる。リンさんはおれの傷を思い切り圧迫した。その様子にリンさんは爆笑した。リンさんはおれの頭をスイカのように何度も叩いた。
「慰めてもらえよ」
「誰にですか」
「誰でもいいさ。そうだな、スティレット嬢ちゃんなんていいんじゃないか」
「去勢はノウサンキューです」
「去勢されるのもたまにはいいさ」
こうしておれはスティレットのもとへいくことになった。
リンさんの意に沿うのは気分が悪い。というわけでおれはスティレットに会いにいかなかった。ジーンズにスタジアムジャンバーという格好で夜の街をでた。昔からおれは気を紛らわすのが苦手だった。仕方なく銃器店へ向かった。正規の店なのだが、偉い役人どもと内密にしていて、違法な仕様の武器をこっそり販売していた。またガンレンジも地下にあった。まあ特別な店らしく値段は張るが。
店のある古びたビルに入る。入り口に浮浪者らしき男が座り込んでいたが、襲撃に備えるための警備の者だ。すれ違ったときに顔をみられた。どうやってか知らないがこの人物は今、店の者に客が来たことを伝えたのだろう。
おれは店の扉を開ける。奥のカウンターに店員がいる。挨拶もしてこない。まあそういうフレンドリーな店ではない。
おれは思いついてカウンターに近づく。
「ショットガンが欲しい。銃身を切り詰めた奴だ」
「それは違法な武器ですよ」
「知っている。銃弾も寄越せ、あとガンレンジを使わせてもらうぞ」
店員はうなずく。おれは会計を済ませるとガンレンジに立った。
手の中にある銃は堤の使っていた銃にそっくりだ。堤は相応に銃身を残してあったが、おれのはもっと思い切って切り詰めてあった。私服刑事の使う拳銃のように短い。
撃つとすぐに散弾が広がった。近距離に設置したマンターゲットが文字通り蜂の巣になった。
おれは堤の銃を気に入り、店に戻ると、新しいガンベルトを買った。
そのガンベルトだと堤の銃は腰の裏側に隠すことができた。
おれは重みを感じながら、これでも堤のようには撃てまいとおもった。
夜の街をさまよったあと、おれはリンさんのアパートへ戻った。いまだに居候をしていることが急に恥ずかしくなった。早朝だったので足音を立てないように階段を昇る。いきなり部屋の扉が開いて跳び上がってしまう。
驚いたのは相手も同じようで短い声があがった。声の主は同居人のトカゲ人だった。
「おお。戻ってきたのか。久しぶりだな」
「はい。まあ」とおれは適当に返事をする。この人のことなどまったく頭になかったのでなにを言っていいのか判らなかった。それで逆に質問する。
「こんな朝早くにどうしたんですか」
「この街から移るんだ」
「どこへ?どうして?」
「わからない。足の向くままさ。理由もないな、強いていえば、ああ、やっぱりないな」
「そうですか」とおれ。トカゲ人は軽装だった。着の身着のままの姿だった。逃げるようだとは思わなかった。逃亡者にしては悠々とし過ぎている。おれはトカゲ人のよこをすり抜けて部屋をのぞく。なにもかも残っている。明日になったら戻っていて連続ドラマををみていそうだ。
おれはトカゲ人をおいかける。アパートの前の道路でおいつく。おれはガンベルトを外して差し出した。
「友達の銃なんです。持って行って下さい」
「友達のものなら木戸野青年が持っている方がいいじゃないか」
「おれではダメです。たぶん。だからあなたにあげます」
トカゲ人は迷ったようだが、結局受け取った。
今から思い返せば、砂漠にいったことが転機だったとおもう。おれはまるっきり世界や社会に対する関心を失っていたけれども否応なく自分の無視したものに追い詰められたのが砂漠での出来事だった。
まるでさなぎのようだとおもう。さなぎを切り開くと液状の中身が零れる。さなぎを作る生き物はバロットのようになっているわけではない。堅い外皮の中で今までの体を溶かして再構成させる。あのときのおれはそんな感じだったとおもう。
まあどんなに格好つけた表現をしてもおれはかなり調子外れになっていたのだろうけれどね。
相変わらずおれはリンさんと生活していたけれども、スティレットというロリな娼婦をロリコンの警察署長に配送する仕事にことかけて、一緒にいる時間を減らしていた。おれは今までより早く迎えにいくと顔なじみになったボーイと時間を潰した。
狭い従業員休憩室でおれはボーイと顔をつきあわせて夕飯を食らっていた。おれもボーイも食べるほうなのでまたたくまにジャンクフードの山を削り取る。空腹を紛らわせておれはいった。
「スティレットだが、なんか最近妙に嬉しそうだな」
「そうですかね」
「ああ。送っていくと浮ついている」
「ああ。あのお客さんを彼女は気に入ってるんですよ。他の客の相手をするときは事務的ですよ」
「好みの客なのかな、あのロリコン警官は」
「そうかもしれません。でも案外、好意を寄せてもらえているのが嬉しいのかも」
「なんで好意ってわかるんだ」
「彼女を買い取りたいってあのお客さん言ってきたんですよ」
「なるほど。愛人として迎えたい程度には気に入ってるのか」
「はい。で、彼女のほうも望んでいるようです」
「そうか。な、スティレットは囲い者になったら今よりマシかな」
「どうでしょう。おれにはわかりませんよ。意気揚々と出て行って崩れて戻ってくる女もいますから」
時間が来たのでおれはスティレットを送る。ホテルにつくまでのあいだ、スティレットは最近の常としてあの署長のことをまくし立てた。
おれは猫のように適当な相づちをうちながら時々、バックミラーをみた。スティレットの目は輝いたら、不安げに伏せられたりした。ある種の病気の初期症状そのものと表現したらおれの毒舌が過ぎるだろうか。不満があるわけでなくて少々辟易した。
スティレットを降ろし、おれは時間を潰して、スティレットを拾った。
行きと違ってスティレットは少しも喋ろうとしなかった。ずっと目を伏せている。膝に乗せられた手が硬く握りしめられているようだ。おもわずおれは声をかけた。
するとスティレットは「彼、私のこと裏切り者だって」と。
おれは眉を潜める。どうしてさと。
「彼は私の歳を知らなかったの。ずっと大人とおもって抱いていたんだって」
おれは言葉を失う。てっきりロリをロリコンへ配送とおもっていたが、違ったのか。ということはスティレットはあの署長ののど元に突きつけられた短剣ということか。いざ署長がハンドレッドドラゴンクライブの意に沿わなくなったら社会的に抹殺するための装置だったのか。
スティレットは消え入るような声でどうしようとつぶやいた。おれはなにかをいってやりたかったが、言葉がでてこなかった。
時間が流れて再びスティレットを送迎する日になった。送迎に行くはずだったが、リンさんは「今日は無し。おれについてこい」といった。
リンさんはおれを会員制のクラブらしき場所へ連れて行った。仕事のために今までいろいろと身分にふさわしくない場所へ出かけたが、ここは初めてだった。ここでおれは1人の男と顔合わせをした。
三十代のくらいの男だった。一見した印象はふたつだ。有能さと人当たりの良さ。しかし言葉を少し交わし、うごきをみれば、明らかに人間を使い慣れた種類と判った。これくらいの年齢でこの感じを出せるとは相当なやり手なのかもしれない。
おれは少しだけ恐ろしくなった。でもどちらに恐ろしくなったのだろうと現在のおれは過去のおれに思う。この男、海道?という人物の隠された冷酷さに怯えたのか、徐々に自分の意志で自分の手を汚すことと考え始めたことなのか。
この顔合わせのあと、おれはスティレットと皆本署長?が拘束されたのを知った。リンさんはどうということもない顔で告げた。
「皆本は用済みだ。次の署長はさっきの海道がやる」
「スティレットはどうなりますか」
「ただの売春婦だ。すぐに出てくるさ。保釈金でも払ってやるつもりか」
「それも悪くありませんね」
「無駄だ。やめとけ」
翌朝、おれは新聞で知った。皆本署長が更迭される見込みなのとスティレットの死を。
スティレットは護送中に暴れて逃亡を図り、その際に射殺されたそうだった。
リンさんは新聞を覗き込んだ。
「これで口を割る奴は消えた。皆本は立場の維持のために口を割はしないだろうが、あの子はおれたちの関係を漏らしかねない」
「なぜこんなことを」
「わからない奴だな。木戸野青年はいつのまにそんなに頭が悪くなったんだ。皆本は署長のくせして警察を掌握できなかった。だからスキャンダルを起こして更迭させた。そしてあの海道という男が次の署長になる。それだけのことだ」
若い頃の木戸野3へ続く。
タグ