【 ラ・カンパネラ -鐘- 】 // キアーラ、担当官 
        // 【】 // Serious, // 2010/09/01



  【 ラ・カンパネラ -鐘- 】


 その少女に『キアーラ』と名付けたのに大した意味はなかった。
女の名を考えろと言われて最初に思いついたその名を登録したに過ぎない。
聖女キアーラ。男の出身地の守護聖人の名だ。
 カンパニリスモ――地元の鐘楼に忠実であること――は、
国家よりも出身の地域性・家族性に重きを置くイタリア人の根底に流れる思想である。
彼女は、その地域性を偏重し国家からの独立を果たそうとするテロリストらを掃討するための暗殺要員なのだから、
思えばずいぶんと皮肉な名をつけたものだ。

  彼女と出会ったのは3年ほど前になる。
記憶を封じ洗脳を施し、身体の8割を機械に置き換えられた彼女ら『義体』は、無論のこと非合法な存在だ。
強力な戦闘能力を有し、だが外見は愛らしい子供である。
『担当官』と呼ばれる直属の上司兼教育係の命令に対して絶対服従。死の危険さえ省みない。
暗殺要員としては申し分ない。
 だがその優秀な機能には代償が要求された。義体化手術、条件付けと呼ばれる洗脳には、
どちらも多量の薬物が必要とされ、それは確実に子供らの脳に悪影響を及ぼす。
機械の身体はいくら損傷を受けても修復が可能だが、脳の機能低下には打つ手がない。
次第に記憶障害を起こすようになり、ついには脳死――すなわち寿命を迎える。


 その冬、一人の義体が寿命を迎えた。
最も初期に義体化された少女ではあったが、『一期生』と呼ばれる方式で手術、洗脳を受けていることは、
キアーラもその少女と同様であった。 
 それ故、記憶障害が現れ始めた彼女がその作戦で捨て駒として配置されるのも当然の成り行きであったのだ。
 ヴェネツィアの大鐘楼に立て籠もったのは伝説のテロリスト。
いかなる犠牲を払ってでも仕留めねばならない相手だった。
水没しつつある水の都、ヴェネツィア。鐘楼へのルートはただひとつ、遮蔽物のない浮き橋だけだ。
だがそこを攻める部隊は陽動であり、別働の義体が鐘楼の壁を登攀、突入し、テロリストの殲滅を謀る。
 陽動は敵の目を惹きつけることが目的であり、必然、敵の猛攻にさらされることとなる。
軍の特殊部隊と共に陽動に配置される義体は2名。その内の一人にキアーラが選ばれた。
 男は上司の元に呼び出され、作戦の趣旨と危険性について説明を受けた。
戦闘能力に秀で生身の特殊部隊員よりも頑丈な義体は、当然陽動部隊の先頭を務める。
 ―――最悪の場合は殉職の可能性も高いが、承知して欲しい。
組織に所属する者として、男にその命令に異を唱える必然性はなかった。



「―――さん」
 黒髪の少女が振り返り、男をまっすぐに見上げる。
 少女が呼ぶ名前は男の名ではない。
男の本来の名前は別にあり、それは彼女に呼ばせるために名乗る偽りの名だ。
義体は『仕事』のための道具。そう割り切るため、距離を置くために採った手法だ。
少女に対して語る言葉は、全て自分ではない『担当官』という男が話している言葉。
その言葉によって彼女がどうなろうが、自分が良心の呵責など感じる必要はない。

 今までがそうであったように、男は少女に作戦内容を淡々と説明し装備の指示をする。 
条件付けによって恐怖心を取り払われた少女は、いつものように従順に命令に従う。
これが最後の会話になるとしても、だからといって特別な言葉をかけてやるつもりはなかった。
 銃火器を手にした少女が不意に視線を上げる。
「鐘の音が聞けたら良かった」
 ヴェネツィアの象徴である大鐘楼を見やり、言う。
「教会の鐘の音を聞くとほっとするって、―――さん、おっしゃってましたよね」 
 無邪気な言葉に男は虚を突かれた。
「覚えていたのか…そんなことを……」
 それは確かに男が口にしたことのある言葉だった。
生まれ故郷にほど近い街で、仕事を終え、遠く聞こえた鐘の音にふと郷愁を覚えた。
あの町を離れることなく生きていたならば。地味だが堅実な職に就き、妻を得て、
――もしかしたら、この少女くらいの娘がいたかもしれない。
 そんな思いにとらわれたのは後にも先にもその一度きりだった。
ただあの時自分は、確かにこの少女に対して『担当官』としてではない
何がしかの感情を持ったのだ。

 男は石造りの床に膝を着いた。少女の目線の高さで彼女の顔を見る。
出会ってから3年、そんな視点で彼女の顔を見たことはなかった。
少年のように短い髪。従順な瞳。
 男の故郷を守護する聖女に使える尼僧たちは、男性と同様に髪を切り、
清貧、貞節、従順を誓い、修道院という囲い地の中で一生を終える。
彼女の髪は自分の命令で切らせた。彼女の従順さは条件付けで強いた。
彼女の一生は公社という囲い地に閉じ込められたまま終わるだろう。
 それはどこか運命付けられた皮肉な類似性に思える一方で、
男の思考はそれをただの感傷によるこじつけだとも判断していた。――だが。
「気をつけて行ってこい。――おまえに聖女の御加護があるように」
 男の口をついて出たのはそんな言葉だった。
 男の言葉に少女は目を見はると、嬉しそうに「はい」と返事をした。


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