【バーチ】 //トリエラ、ヒルシャー
          // 【】 //Romance,Serious,// バレンタイン //2011/02/04


   【バーチ】


 本来僕から君に贈るのはおかしいかもしれないが。
そう前置きをして 彼が差し出したプレゼントは綺麗に包装されたチョコレートだった。
「何ですか?謝肉祭にはまだ早いですよね」
「ああ。通りがかった店でバレンタインデーのフェアに行き合ったんだ」
 彼の説明で思い出す。聖バレンティノの日。
ローマ時代、結婚を禁じられた兵士たちとその恋人をひそかに結び合わせ、
祝福を与えていた僧侶を讃える日だ。
転じて今は、男性が女性に愛の贈り物を捧げる日になっている。
「その、他意はないんだ。女の子はこういった甘いものが好きだろうと思ったものだから」
 あわてたように付け加える彼の言葉に、胸がつきんと痛む。
ナタレ(クリスマス)に気付いた味覚の衰えを、私はまだ彼に伝えていない。
 けれど彼の気遣いは嬉しい。
今まで単なる『子供』扱いだったのが、『女の子』に昇格したのだ。
他意がないのは残念だけど、それでも彼にしたら随分な進歩だと思う。
「ありがとうございます。早速いただきますね」
 受け取ってすぐにリボンを解く。彼は最近何かと忙しそうだから、
後でお礼を言おうなんて考えてタイミングを逃してしまうのはいやなのだ。
 綺麗な包装紙をはがすと『Baci』と大きく印刷された菓子箱が現れる。
バーチ――たくさんのキスという名のこのチョコレートはバレンタインの贈り物として定番だ。
一粒ごとに愛の言葉が書かれた紙片が一緒にくるまれている、
いかにもイタリアらしいこのチョコレートを、
朴念仁のドイツ人がどんな顔で買ったのかと想像するとおかしい。
 箱を開けると甘い香りがする。
銀色の包み紙を開けてごつごつした形のチョコレートを口に入れた。
ほのかに甘い。
本当は紅茶で流し込みたくなるような甘さなんだろう。
――でも、今の私にはちょうどいい。
「おいしいですよ、とっても。ありがとうございます、ヒルシャーさん」
 そう、素直に礼が言えるから。
私のことだ、甘過ぎれば文句のひとつも言ってしまうに違いない。
せっかくの彼の好意を意地を張って無下にしてしまったら、後できっと後悔する。
 そうか、気に入ったか。ほっとしたように笑う彼の顔が嬉しくて、私も笑う。
神様なんて信じていないけど、今日は愛の守護聖人に感謝しよう。
もしかしたら最初で最後かもしれない愛の日の贈り物を、素直に喜ぶことができたのだから。
 私に残された時間は長くはない。でも、今はまだ生きている。
ヒルシャーさんもおひとつどうぞと勧めると、甘いものが苦手な彼は困ったような顔をして、
それでも律儀に受け取ってくれる。
彼と私の感じる甘さはもう違うけれど、ひとつでも多く、一緒に体験する時間を作っておこうと思う。
 いつか私がいなくなっても、彼がまた思い出せるように。

 甘いなあと言う彼に、私は笑ってそうですねと答える。
彼の贈り物をまたひとつ口に入れ、私はほろ苦くやさしいチョコレートの甘さをかみしめた。


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