【異文化ティータイム】 //ヒルシャー、トリエラ、ジョゼ
          // 【】 // Humor, //2010/03/06


   【異文化ティータイム】


「何だか変わった匂いがしますね、ジョゼさん」
 外出先から戻った同僚にヒルシャーは声をかけた。
「そうかい?」
 言われて思わず、ジョゼはジャケットの袖口を顔の前に寄せ匂いをかぐ。
「ああ、多分中華料理のスパイスじゃないかな」
「中華料理ですか?」
「ああ。ヘンリエッタを『ヤムチャ(飲茶)』の店に連れていったんだ」
「『飲茶』? 何ですか、それは」
「中国のアフタヌーンティーという所かな。
色々な種類の『チャオズ(餃子)』や『パオツ(包子)』」が少しずつターンテーブルに運ばれてきてね。
大体20種類くらいあったかなあ。味はもちろん、見た目にもなかなか面白かったよ」
 たまにはヘンリエッタに目先の変わった物を食べさせてやりたくてねと笑う優男は、
激甘党の『妹』に付き合って甘味処に入ることが多く、最近は官舎の周りをジョギングする姿がたびたび目撃されている。
「それは良かったですね」
 微笑みながらも少し寂しげに応えるドイツ人はと言えば、反抗期の『妹』――
彼の場合はむしろ『娘』であろう――と何とか上手くやっていきたいと思いつつ、
相変わらず下手な冗談を口にしては冷静に突っ込まれて自滅する日々を送っている。
 そのまま放って置いてじめじめと陰鬱に悩まれるのも迷惑なので、ジョゼはフォローの言葉を口にする。
「ヒルシャーもトリエラを連れていったらどうだい? 彼女は勉強家だから東洋の文化に興味を持つかも知れない」
「そうですね…行ってみましょうか。……喜んでくれると良いんですが」
「まあ、環境が変われば気分も変わるかも知れないし。とりあえずは行動してみないと分からないじゃないか」
「……そうかも知れませんね」
 頷いた生真面目で不器用なドイツ人の肩をたたきながら、
これで辛気くさい子育て相談の相手をせずに済むと内心ほっとするジョゼであった。




 色々な国の料理を味わってみるのも、見識を広めるのに良いだろう。
そう言って軍施設での訓練の帰りに連れて行かれたその店の外観に、トリエラは正直唖然としていた。
 中華料理の店だということなのだが、確かに赤や金を多用したその極彩色の店構えは、
周囲の風景の中ではっきりと異なる文化を主張している。
 東洋の色彩感覚はよく分からない。水色にオレンジを配色した椅子だの、
ド紫の生地に真っ黄色なペイズリー柄をあしらったスカーフなぞをデザインする国に暮らす人間が今更何を言うやらだが、
とにもかくにも第一印象はあまりよろしくない。
 店内に入ればこちらも色使いは派手やかだが、椅子やついたてを木目調にする事によって、
紙一重の所で落ち着きのないけばけばしさから逃れている。
 出迎えた東洋人の店員に、男は少女が聞いたことのない言葉で話しかけた。
二言、三言会話を交わすと、店員が奥の席へと案内する。
「……ヒルシャーさん、中国語も話せるんですか?」
「話せると言うほどではないよ。挨拶程度だ」
「はあ」
 そういえばこの人は、元はといえば欧州刑事警察機構の捜査官だったっけ。
と少女は人づてに聞いた彼の前身を思い出す。
 考えてみれば彼はドイツ人でありながらイタリアの公的機関で何の不自由も――言語的には――なく過ごしているわけだし、
母国語であるドイツ語はともかく、自分にフランス語の読み書きを教えたのも彼だった。
多国籍の人間が集まる場でとりあえず共用言語として使用される英語も、当然修得していることだろう。
存外、語学に堪能な人物なのかも知れない。
人間誰しも何かしら取り柄があるものだなと、少女は随分と失礼な感想を抱く。
 予約席の札が立てられた窓際の席は夜景がよく見える。
 席を予約をしてあるということは、単なる思いつきではなくて計画的な行動だという訳か。
こんな小娘のご機嫌取りのためにわざわざご苦労なこと。
 条件付けによる縛りが緩いトリエラは、ただでさえ反抗期まっただ中のお年頃。
『夜景の綺麗なお店で食事』などというベタなシチュエーションくらいでは、
そうそう無防備な笑顔を見せてくれたりはしない。
 案内されるまま席に着いた少女は、白いテーブルクロスの上に大きな丸い台が乗せられているのをやや不信げに眺めた。
少女の視線に気付いて担当官が説明する。
「これはターンテーブルだよ。大皿で運ばれてきた料理がここに乗せられ、各々が小皿に取り分けて食べるんだ」
「ああ成程」
 頷いた少女の前に白磁の茶器が運ばれてきた。
茉莉花茶――ジャスミンティーのさわやかな香りが鼻孔をくすぐる。
「良い香りだろう」
「そうですね」
「中国茶は発酵の度合い等によって黒茶、白茶、黄茶、紅茶、青茶、緑茶の六種類に大別され、
それにフレ−バーティーなどの花茶という分類がある。これはその花茶の内の茉莉花茶だ。
一級品とされるものはジャスミンの花と茶葉を混ぜ合わせて花の香りを移した後、
その花をひとつずつ人間の手で取り去る。
そして取り去った花を今度は他の新しい茶葉と一緒にして、安価な二級茶とするんだ。合理的だな」
「そうなんですか」
 担当官の説明に、さほど興味もなさそうに少女は相槌を打つ。
実際はその知識に少なからず驚きを感じているのだが。
 何かを教える場合には、少なくとも教える内容の3倍の知識量が必要とされるという。
座学担当ヒルシャー先生は、当然今回の課外授業もできる限りの事前調査を行っていた。
先ほどウェイターと交わした中国語会話も、実はこの事前調査の成果のひとつである。
 ジョゼから飲茶の話を聞いてから四日間。
帰宅してから就寝するまでの貴重なプライベートタイムは、全て今日のためにつぎ込んでいる。
可愛い『娘』に喜んでもらうためならば労力を惜しまない勤勉なドイツ人の努力は、
しかし気の毒なことになかなか報われない。
 軽く落ち込みつつも、ここでめげてしまうようではこの少女とは付き合えない。
蒸篭に入った料理が運ばれてくると、気を取り直してヒルシャーはまた解説を始める。
「これは竹ひごを編んで作られた籠で、下から蒸気を通して食品を蒸す調理器具だが、
こうしてこのまま食卓に運ばれて食器にもなる。竹は東洋ではポピュラーな素材だ」
 竹の材質について説明し、世界で初めて作られた電球のフィラメントにも、
この竹が利用されていたんだよと結べば、返す少女の言葉はにべもない。
「ああ、この間お借りした本に書いてありました」
「……そうか」
 いっそ見事なほどの慇懃無礼さに、しかし担当官はドイツ人ならではの辛抱強さで会話の続行を試みる。
「ああと、それで……。そう、君は箸を使ったことはなかったな」
「箸? 何ですか、それは」
「東洋の食器だ。君の前に、紙製の鞘に入った二本の細い棒があるだろう」
「はい」
「それを使って料理を摘むんだ」
「は?」
 言われた言葉と目の前の棒に関連性が見出せず、少女は思わず聞き返した。
「――ああ、フォークのように刺して使うということですか?」
「いや。それはマナー違反だ。“摘む”と言っただろう」
「……トングのように挟むんですか」
「いいや」
 どうにも想像がつかず困惑気味の少女に、男は食器を手にして実践してみせる。
「まず一本の棒の中程を、ペンを持つように持ってみなさい」
「はい」
「そう。それからこんな風に親指の間にもう一本の棒を差し込む」
「……はい」
「今差し込んだ棒は動かさず、ペンのように持ったほうの棒を上下して、棒の先を打ち合わせてごらん」
「……こう、ですか?」
 見よう見まねで担当官の手の動きを真似すると、かちかちと二本の棒の先が触れ合って音を立てた。
少女の様子に男は軽く目を見開いて感嘆の表情を表す。
「そうだ。……器用だな、トリエラ」
「さあ。そうでしょうか」
「ああ。なかなか直ぐには扱えないものなんだが……ああ、いや。
それで、その棒の先で料理を摘まむという訳だ。
柔らかなものならば、力の加減で押し切ったり割ったりすることもできる。
慣れれば、それ一組で魚の姿焼きを解体して食べることもできるんだぞ」
「へえ……」
 担当官の話に耳をかたむけながら、その間もトリエラは細長い棒を打ち合わせる動作を繰り返す。
試しに力を入れてみると二本の棒が打ち合わせた位置から交差してしまい、
バランスを崩して危うく取り落としそうになった。
義体の反射神経をフルに発揮してそれをキャッチし、そのままそしらぬ顔をして再び動かし続ける。
「――幸い、飲茶の料理は大抵が一口大だから、摘む動きさえできれば食事は可能だ。
それでは、やってみなさい」
「はい」
 どうやら担当官には気づかれずにすんだらしい。
ターンテーブルで自分の前に差し出された蒸篭を取り寄せ、少女は小さな餃子を箸で摘んだ。
そのままゆっくりと口に運び咀嚼する
「料理は口に合うか?」
「……おいしいです」
「そうか」
 自分が密かに自宅で特訓した異国の食器を、少女はぎこちなくも食事ができる程度には使いこなしている。
飲み込みの良い優秀な子だとは分かっているが、それにしても覚えが早い。
 箸を片手に食事をする少女の姿を見ながら、男は感嘆と同時に寂しさを覚えていた。
実を言えばこの野暮だがロマンチストなドイツ人は、
初めて出会った頃のように直接手を取って使い方を教えてやるような情景を、ほんのりと夢見ていたのだ。
しかしそれはどうやらただの白昼夢で終わりそうである。

 一方、寂しい“父親”の夢を無にした“娘”の方はと言えば、そんなことには露ほども気付いていない。
――というよりも、気付く余裕が全くない。
 一見平然と箸を使いこなしているように見えるが、初めて使用する異文化の極みだ。
油断すればすぐにでも二本の棒の先に挟んだ食物を取り落とすか潰してしまいそうで、
微妙な力加減を保つために、指先に全神経を集中させざるを得ない。
 なにぶんにも初めての体験なのだから、失敗したところでヒルシャーが呆れたりするはずはない
――ましてや彼はトリエラに教えてやりたくて仕方がないのだから――のだが、
意地っ張りで見栄っ張り…もとい、プライドの高い少女は、担当官に弱みを見せることを良しとしない。
 鉄壁のポーカーフェイスで餃子を口に運び、悠然と箸を持った手をテーブルの端に着地させると、
ようやく安心して味覚に意識を戻して料理を味わう。
そんな涙ぐましい努力を続ける少女と、哀愁を漂わせながらそれを見つめる男。
相変わらずすれ違いの埋まる気配がない困った”親子”であった。

 それでも美味しい物を食べれば自然と気持ちはほぐれてくるもので、
男が説明する料理にまつわる文化や歴史の話を拝聴する少女の反応はいつもよりも和やかだ。
シャオロンパオ(小龍包)でございます、と新たな蒸籠がテーブルに運ばれてくる。
「ああ、これが小龍包か」
「何ですか?」
「これは包子の中にスープも入っているんだそうだ。どうやって入れるんだと思う?」
 教師の質問に優等生は一瞬思案の表情で視線を右へやるが、すぐさま答えを返す。
「何か専用の調理器具でもあるんですか? 注射器のような……」
「いや、それではスープが注入口から漏れてしまうだろう。
正解は『ゼラチン質で固まった具入りのスープを皮に包む』だ」
「ああ」
 得心がいった様子の少女に男は笑い、
元はと言えば煮こごりを利用した料理だったんだろうなと私見を添えた。
「それと、小龍包の工夫は具よりも皮にある。これは生地を半発酵させているんだよ」
「半発酵?」
 聞き慣れない言葉を耳にして生徒が聞き返す。
「そう。これがもし、パン生地のように完全に発酵させてしまうと……」
「ああそうか。スープが浸み出していってしまうんですね」
 やはりこの子は理解力の高い優秀な生徒だと、担当官は親バカ全開で満足げに頷いた。
「その通り。かといって全く発酵させていないのでは生地が硬くなってしまう。
だから包子の中でも難しい部類の料理とされているんだ。
旨味の凝縮されたスープの味に加えて、その独特の食感がまた楽しめるそうだよ。
――ああ、高温で蒸し上げられているから、中のスープも相当熱いぞ。
火傷しないように気を付けて食べなさい」
 言いながらヒルシャーは白い小さな包子を箸でつまみ口にした。
―――その瞬間。 
「熱っ!!」
 箸を持った手で口を覆い男が小さくのけぞった。
 不意打ちをくらった少女は一瞬きょとんとした表情になり、次いで思わず吹き出す。

――自分で気を付けろと言ったくせに!

 くくく、と肩をふるわせる少女に、すっかり面目を失ってしまった担当官は
精一杯厳かな顔つきをしてこう言った。
「――今のが、悪い見本だ」
 失敗した教師が使う定番の台詞に、少女の肩のふるえがいっそう大きくなる。
『父親』の威厳も何もあったものではない。
 目尻に浮かんだ涙を手の甲で拭いながら、少女はようやく顔を上げた。
「……分かりました。担当官が身をもって示して下さった注意事項ですから、
十二分に気を付けます」
 なかなか収まりそうにない笑いの波動の中で、こちらも精一杯取り澄ました顔をしてそう答え、
少女は熱い湯気を立てる異国の料理を口にした。


<< Das Ende >>






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