【異邦人】//トリエラ、オリガ
        //【】 // General, Humor, //【シンフォニー】後日談//2008/04/04





    【異邦人】


 冬の午後。ひんやりとした外気をものともせず、
公社の中庭に設置されたベンチで紫煙をくゆらすロシア人の姿があった。
この時期にこんな風通しの良い場所で煙草を吸う物好きは他にはおらず、
誰にも邪魔されることのないこの一服は彼女のささやかな憩いの時間である。
「オリガさん」
 名前を呼ばれて振り返れば、金の髪をふたつに結んだスーツ姿の少女が立っている。
「ああ、トリエラ」
「昨日は……」
「うん?」
「その……ありがとうございました」
 いつもははきはきと用件を口にする優等生が、今日は何やら歯切れの悪い口調で言いにくそうに礼の言葉を述べる。
大柄な女性課員は、そんな少女の様子を面白がっているような微笑で応えた。
「楽しんできた?」
「ええ、まあ……」
 トリエラは褐色の肌をわずかに紅潮させ視線を反らす。だがすぐにうつむきかけた顔を上げて女に問うた。
「あの、オリガさん」
「何?」
「どうしてあんなことを?」
 昨夜、トリエラは担当官のヒルシャーと音楽会に出かけていたのだが、
それは目の前のロシア人の『代理』としてであった。
「迷惑だった?」
「そういう訳ではありませんが」
 仕事が終わらないので代わりに行ってくれとチケットを手渡され、
待ち合わせの場所に行ってみれば自分の担当官がいた。
一度は彼の誘いを断っていたトリエラは、いささかばつの悪い思いをしたのだ。
少女にしてみれば「してやられた」という観が否めない。
「始めからそのつもりで、ヒルシャーさんからチケットを受け取ったんですか」
 わずかに咎めるような声音で訊ねる少女に、女は笑う。
「そんなことないわよ。音楽を聞くのは好きだし、ただで行けるならラッキーだと思ったわ。
でもあの落ち込んでいる姿を見たら、なんだか放っておけなくてね」
「放っておけない、ですか」
「そう。彼と私は同類だしね」
「同類?」
「彼はドイツ人で、私はロシア人。ここイタリアではどちらも『外国人』でしょ」
 それぞれに祖国から遠い異郷の地で暮らす者同士、親近感がわくということなのか。
分からないでもない様な気はするが、いまいち釈然としない顔をする少女に、今度は女が問い掛ける。
「あなたは彼が嫌い?」
「……私は義体で、彼は私の担当官ですよ」
 義体の役目は担当官の身を守ることだ。
担当官に忠実であることは、義体の条件付けの中で最も基本的な事柄である。
条件付けされた義体ならば、愛情に似たその感情は必ず備わっているものなのだから、聞くまでもないことでしょう。
トリエラは言外にそう答える。
 そんなひねくれた言い回しをする少女に、オリガは少し表情を曇らせる。
過度な洗脳に反対するヒルシャーの主張は、頭の良いこの少女には不幸なのかもしれない。それでも。
「でも彼は、あなたをとても大切にしているわよ」
 公社の人間は皆訳ありだ。
ある者は復讐のために、ある者は道半ばで閉ざされた夢を、生き甲斐を再び得るために。
それぞれの理由を抱えて公社の門をくぐり、そこでパートナーとなる少女たちと出会った。
 けれどヒルシャーは。
彼だけはパートナーのために、トリエラゆえにこの組織を選んだのだ。
 オリガは知っていた。犯罪に巻き込まれ瀕死の重傷を負ったこの少女を救うために、
彼は陽の当たる場所から裏の世界に足を踏み入れたのだと。

 正義感の強い警察官だったと聞く。
欧州刑事警察機構の児童人身売買対策課に出向し、ドイツに戻れば高い地位が約束されていた。
だが、正式な捜査活動外で人身売買組織の摘発を行い、結果、同僚が殉職した。
…そこで少女と出会ったのだ。
 たとえこの一人だけでも。子供の命を救いたいと共に願った同僚に託された、この少女のために。
 政府組織とはいえこんな非合法な活動を行う部署に所属することは、
生真面目で理想家の彼にとってそうたやすく割り切れるものではなかっただろう。
もう何年も公社で過ごしているはずなのに、
いまだに眉をひそめながら会議の席上にいる姿をしばしば目にする。
それでも、彼は少女のためにここにいるのだ。
 けれど公社の人間は、義体にその過去を話すことを禁じられている。
それ故、彼は彼女に自分の心の内を伝えることすらままならない。
それを煮え切らない態度だと、他でもないトリエラに誤解されているのなら、
あまりにあの男が気の毒だ。
 ヒルシャーを公社にスカウトするにあたって、彼の身上調査をしたのはオリガだった。
故国から離れた異邦人同士だというだけではない。
彼が自ら語るはずのない事情を知っていればこそ、
情の深さを面に表すことすらできないあの不器用なドイツ人を、放っておくことができなかった。
 自分もまた、彼女に過去を話すことはできない立場だ。
だから伝えられる言葉はわずかなものでしかない。
「彼は、いい人よ」
「……それは、分かっています」
 そう答えたトリエラに、オリガは言葉を重ねる。
「彼はあなたのことをいつも考えているわ。……最初から、ずっとね」
「そう、でしょうか」
「そうよ。ただ   
 女はちょっと片目をつむって見せる。
「あんまりにも女心に疎すぎるのが、問題だけどね」
 年頃の女の子へのプレゼントが、いっつもくまのぬいぐるみじゃあねぇ。
肩をすくめるオリガにトリエラは苦笑した。
ヒルシャーが行事ごとにトリエラに贈るプレゼントが、いつも決まってテディベアであることは、
2課では誰もが知っている。
トリエラのチェストの上は並べ切れないほどのくまが飾られており、
七人の小人の名をつけられていたが更にその数は増える一方だ。
「少しはジョゼさんを見習えばいいんだわ」
 ヒルシャーと同じく条件付けに反対するジョゼの、担当義体への接し方はまるで年の離れた妹そのものだ。
服にカメラに香水に、とバリエーションに富んだ彼の贈り物は、いつも彼の『妹』を喜ばせている。
だが。
「私は、あれでいいんです。今度は62人そろえますから」
 トリエラはオリガが初めて見る笑顔で、かろやかにそう言ってのけた。
「今度はローマ皇帝? その内、テディベア博物館ができるわね」
「そうなったら入館料でもとりましょうか」
 お茶代くらいにはなるかもしれませんねと、少女はまるで彼女の担当官のように下手な冗談を口にする。

   なあんだ。

 少女はいつの間にか、オリガの見知った、警戒心と緊張感を礼儀正しさで鎧った優等生ではなくなっていた。
オリガの知らない内に何があったのか、その口調には得意げな響きすら感じられる。

   心配する必要なんて、なかったのね。

「それじゃあ、私は訓練に戻ります」
「そう。頑張ってね」
 もう一度、ありがとうございましたと礼を言って少女は建物に向かって駆け出した。

「……いらないお節介だったみたいね」
 チケット、譲るんじゃなかったかしらねえ。惜しいことしたわ。
 金のふたつ髪がゆれる後姿に紫煙を吹きかけ、オリガはやれやれというように笑った。 



  ≪ Das Ende ≫   

     BGM // ドヴォルザーク 『ユモレスク』

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