【遺言】 // ヒルシャー、トリエラ、ロベルタ
          // 【】 // General,Serious,//2011/04/29


  【遺言】


「君は空軍基地に避難しないの?」
 身支度をする女に男はそう問いかけた。
「政府の要人保護プログラム?私はナポリに留まるわ。基地の方がテロ標的になってむしろ危険なんじゃない?」
 テロリズム撲滅の為に闘う女検事は男の言葉に笑って答える。
「……ジャコモが次に狙うのは大規模テロだと言われている。都市から離れた方がいいよ」
 内閣府に籍を置くという男は女にそう忠告する。
女は男に彼の仕事について深く訊ねたことはなかったが、男がテロ対策の部署に所属していることは察しがつく。
かつて自分をテロリストの襲撃から護ってくれた男の言葉に女は振り返った。
「―――わかった。午後のバスに乗るわ。そして銃後で戦いの終わりを待つ」
 男の傍らに掛け、女はその肩に頭を持たせかける。
「終わりはくるよね?」
 問いかけた女に男は答えず、ただ静かに微笑んだ。



『48時間以内にジャコモが行動を起こす可能性がある。本部で待機しろ』
 リーダーから連絡を受け、戦いを前に射撃場で調整をする少女に担当官は話しかけた。
「トリエラ」
「はい」
「ヘンリエッタの様子はどうだ?」
 少女の同期生であるヘンリエッタはヴェネツィアでの戦いから不調をきたしていた。
統制されていたはずの記憶と精神の安定が任務の緊張によって混乱し、
戦闘行動を取ることができなくなった彼女は、長期間の薬物使用による末期状態だと判断された。
 彼女を再び任務に就ける状態にする為には、残り少ない寿命を更に縮める大量投薬による
条件付けのリセットが必要とされ――それは彼女の担当官の了承の元、実行された。 
「本来の、義体らしくなったと思います」
 時に泣き、笑い、担当官ジョゼに幼い恋心を一途に傾けていたヘンリエッタ。
今の彼女にその面影はなく、担当官の命令に淡々と従い無表情に引き金を引くロボット兵士だ。
冷静なトリエラの返答に男はかすかに眉根を寄せる。
「ショックじゃないのか?」
「悲しいけれど…私たち、そういうものでしょう?」
 銃を下ろし少女は答えた。「魔法が切れてしまうなら、何度でもかけ直すしかない」と、ヘンリエッタと同じく
洗脳によって過去の記憶を封印され戦いに赴く少女は、自らの置かれている状況をそんな言葉で表現する。
無言でその横顔を見詰める担当官に、少女はふっと顔を上げ微笑んだ。
「もし私の番が来ても、気に病まないでくださいね」
 少女の言葉に感じた不吉さを男は冗談にまぎれさせようと笑う。
「はは、まるで遺言だな」
「遺言ですよ」
 言っておかないと、ヒルシャーさんがあとで苦しむから。
 そう続ける少女に男は言葉を失う。
 男を見つめる少女の表情は穏やかで清しい。
「私はもう、あなたや公社を恨みません。化けて出たりはしませんから」
「トリエラ……」
 最小限にとどめた条件付けゆえに、少女と男はいくつもの諍いを繰り返してきた。
少女は戦うことを存在意義とし、男は彼女に生きることを望み。互いにすれ違い、傷付け合いもした。
けれどそれらを共に乗り越えて彼らは関係を築き上げてきた。
 大切な少女の名を呼んだきりかけるべき言葉が見つからずその場に佇む男に、
あっ、そうだ。と思い出したように少女が言う。
「おとといナポリに行ったんですよね?ロベルタさんは元気でしたか?」
「――ああ。変わりなかったよ」
「いい人ですよね。幸せにしてあげてください」
 少女は真っ直ぐな視線で男を見上げ、心から担当官とかの女性の仲を祝福する。
少女は知らない。男がロベルタ・グエルフィに別れを告げに行ったことを。
そして彼女に秘密を託したことを。

 ――これから起こる戦いはおそらくこれまでで最も激しい戦闘になるだろう。
社会福祉公社の総力を上げ、いかなる犠牲を払ってでも勝利することを求められるはずだ。
そう、いかなる犠牲を払ってでも。
 実験的な運用を続けられてきた初期の義体・一期生は、もはや寿命が近いとみなされている。
同じく条件付け反対派であったジョゼが義体を復讐の道具として使用することを選んだ今、
一期生の担当官の中でヒルシャーは孤立している。
自身の義体を、義体ではなくトリエラという一人の少女としてその命を永らえさせようと抗い続けている彼は、
公社の中でも異端の存在だ。
 公社の人間は多かれ少なかれテロリストとの戦いに対して復讐という動機を持っている。
だがヒルシャーには、彼にだけは戦う動機がない。
彼が戦う理由はただひとつ。トリエラの命を守るためだ。
担当官である自分がいなければ、この少女は実験体として公社からどんな扱いを受けるか分からない。
だから彼女が生きている限り、彼はどのような理不尽な状況に置かれても公社を裏切ることはない。
 逆を言えば、トリエラの命が尽きれば彼に公社に従う理由は何一つないのだ。
彼の経歴、公社に所属することになった経緯、経過を鑑みれば、
むしろ積極的に裏切りかねない人物と判断されるだろう。
決して公にはできない多くの機密事項に関わってきた彼は、
その瞬間、公社にとって最も危険性の高い存在となる。


 彼女の命が尽きた時、自分もまた公社に処分されるだろうことを男は覚悟している。
自分はこの少女を最後まで守り抜き、自らの信念と使命に殉じようと決めた。
ただ、自分がこの世から消えた時。誰かに覚えていてもらいたかった。
人の世の善意を信じ、己の命を賭しても子供を救いたいと願った勇敢な女性がいたことを。
過酷な運命に翻弄され、悩み、戦い、傷付きながらも懸命に生きた優しい少女がいることを。
そして自らの信じるものの為に全てを捨てた不器用な男がいたことを。
 ロベルタ・グエルフィは心を許せる相手を持たなかったこの国で、彼がはじめて得た理解者だった。
正義と人間の良心を信じ不器用なほどにまっすぐ生きるあの女性は、
彼の大切な少女を共に救い出しその命を彼に託して逝った同僚の生き様を思い出させてくれた。
 だからヒルシャーは、ひと時、共感と安らぎを自分にもたらしてくれたあの女性に、
感謝をつづった手紙と共に自分達の過去を託した。
「戦いの前に、会えてよかったですね」
 屈託のない笑顔で少女は言う。
「そうだな。――会えてよかったよ」
 男は静かに答える。
 ロベルタにも―――ラシェルにも、トリエラにも。
 彼女たちに出会えて良かった。
 自分が歩んできた道のりが正しかったのかは分からない。
 けれどいつか自分が命尽きる時、この生き方を後悔することだけは決してない。

 夕日に照らされた二つの影が通い慣れた道を連れ立って歩く。
やがて訪れる嵐を前に、冬のたそがれは穏やかに暮れていった。


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