【午後の遺言状】//トリエラ、ヒルシャー、ドナート
        //【】// General,Death,//2008/04/10




 
    【午後の遺言状】


 アンジェリカが死んだ。

 彼女は最初の義体だった。
 最も初期に身体の改造と洗脳を受けたアンジェは、最も早く副作用症状を示した義体でもあった。
多量の薬物投与による記憶障害に苦しんでいた彼女は、だが最期に失われた幸せな記憶を取り戻し
   そして静かに天に召された。

 あれが多分私たち義体の『寿命』を迎えた姿なんだろう。
 だから。
 だから、私は彼に伝えなければ。
 私は彼に言わなければならないことがある。
 私がまだ、想い出とこの想いを覚えている内に。
 私が、私である内に。






    外の空気を吸いたいんです。いいですか?
 仕事帰りの車中でそうトリエラが言うので、ヒルシャーはすぐに車を止めた。
我慢強い彼女がそんなことを言い出すのは珍しい。
「大丈夫か? すぐそこに公園がある。少し休んで行こう」
「はい」
 アンジェリカの死からこの数日、硬い表情をしたトリエラのことを
ヒルシャーはずっと気にかけていた。
 ただ友人を亡くしたというだけではないのだ。
義体という、同じく特殊な機械の体を持った仲間の最期に、賢いこの少女は自分の行く末を見ただろう。
勝気に見えて、その実繊細で心優しい彼のフラテッロが深く傷ついていはしないか、
それがヒルシャーは心配だった。
 おだやかな午後の晴れ間、小さな公園にはぽつりぽつりとまばらな人影があるだけだ。
「………風が、気持ちいいですね」
「気分でも悪かったのか?」
「いいえ。そうじゃないんです。
   ただ、公社から離れた場所で、あなたに話したいことがあったんです」
 気遣わしげな視線の男に少女はゆっくりとかぶりをふった。
   たった数年分しかない記憶の中で、この視線はいつも自分を見守ってきてくれていた。
トリエラはひとつ、呼吸をする。
「ヒルシャーさん」
 男の顔をまっすぐに見つめ。
「私が死んでも、担当官を続けてください」
 少女は凛然と微笑んだ。
「ト……!」
 清々しさすら感じさせる声音に、男は絶句する。
「担当官を続けてください」
 繰り返す言葉はいっそ潔く。
「私はあなたより先に逝きます。あなたが条件付けに反対し続けてくれたから、
私は比較的薬物投与量が少ないですけど、それでも、もってあと2、3年でしょう。
だから私が死んだ後、私の『妹』たちを育ててやってください。
……わたしの、遺言です」
「トリエラ……」
 男はうめくように少女の名を呼んだ。
男が先延ばしにしてきた結論を、少女はひとり己の運命と向き合い答えを出した。
決然とその覚悟を示した少女にかけるべき言葉が見つからず、
ヒルシャーはただ、自分が名付けたその名を呼ぶことしかできなかった。
「あなたが担当官を辞めても辞めなくても、
どうせこれからも義体化手術をされる子供たちはいるんです」
 トリエラは容赦なく現実を突き付ける。
「あなたは不器用だから、
妹たちも私のようにいらない悩みや苦労をするかもしれませんけど」
 そこまで言って、少女はふっと視線を和らげた。
「……でもあなたはとても誠実な人だから。
きっと、あなたに担当官になってもらった子供たちは、
最初から最後まで、愛情をもって見守ってもらえるでしょう?」
「僕が」
 ヒルシャーはかさついた声で言葉を絞り出す。自分にできるだろうか。
トリエラを喪った後、他の子供を大切に育てることなど。
この少女を喪うことに耐えられるかどうか、それすらも自信がないのに。
「僕がそうできると、君はどうしてそう思うんだ」
「だって」
 そこまで昂然と顔を上げ真っ直ぐに男を見据えていた視線が、不意に落ち着きなくさ迷った。
わずかな躊躇いの後、やや上目遣いで少女の青い瞳が男の顔を見つめやる。
   だって、ヒルシャーさんはわたしに、そうしてきてくれたじゃないですか」
 褐色の頬をそうと分かるほどに紅潮させ、少女は答えた。
    それは初めての告白で。
 瞬間、男はひどく救われた心地がした。

 ああ、それでは。
 自分のしてきたことは、無駄ではなかったのだろうか。

 ずっと、自分は少女との距離を近付けることができずにいた。
 例え自分が彼女を対等な人間として扱おうとも、
義体は政府の汚れ仕事を行わせるための『作られた存在』だ。
そしてその役目は彼女が望んで負ったものではなく、自分が少女に負わせたものなのだ。
 まだ幼さの残る身体に刻まれた惨い傷とつらい過去を消し去るために選んだ、
『義体化』というこの選択肢が正しかったのかどうか、
少女が戦闘で負傷する度にヒルシャーは悩み続けてきた。
 それでも、大切なこの少女が自分を許してくれると言うのならば。
「トリエラ……」
 差しのべた両の腕で、ヒルシャーは少女を抱き寄せた。
「ヒ、ヒルシャーさん?!」
 狼狽したようにもがくトリエラを、もう一度しっかりと抱き締める。
自分の胸までしかない小柄な身体が例えようもなくいとおしかった。
「約束する」
 胸元に抱きすくめた金の髪にヒルシャーは誓約の言葉を告げる。
「僕の力の及ぶ限り、僕は君の遺言を守り続けよう」
 それは、少女に希望を託して逝った女性の遺志を継ぐことにもなるのだから。
    ややあって、もがくのをやめたトリエラは、男のスーツの胸に顔を埋もれさせたまま呟いた。
「……私の妹たちも、たまにはこうして抱き締めてやってくださいね」
「ああ」
 男は静かに頷く。
「でもっ」
 耳まで真っ赤になった少女は勢い良く顔を跳ね上げ、自分を抱き締める男を
きっ、と睨み付ける。
「こんな人目のあるところでするのは、セクハラですからね!」
「す、すまない」
 あわてて少女の体を離したヒルシャーに、少女はびしりと指を突きつける。
「それから! 贈り物は本人の希望を聞いてください」
「……すまない」
「謝らないでください。私はいいんですよ。
テディ・ベアの収集は私の唯一の『趣味』なんですから」
 赤い顔のまま少女は怒ったように言う。
「『何でもいい』って言われたら、二択にするんですよ。そうすれば選びやすいですから。
選択肢すら思いつかないようなら、ジョゼさんあたりに相談してみるんですね」
「分かった」
 照れ隠しにきつい口調で続ける少女の『注意事項』を、男は神妙な面持ちで聞く。
「あと、女の子の服装にも気を配ってやってください」
「努力しよう」
「私は、いいんですよ? スーツ姿にタイが気に入っているから。
これはプリシッラさんに相談すれば良いですからね」
「ああ、そうする」
 それと、と少し言いよどみ、少女は静かにもう一度口を開く。
「………大切にしてるって、言葉でも伝えてやってください。
女の子は言葉に出してもらわないと不安になるものなんです」
「トリエラ   
 私は、もう良いですけど。すねたようにそう言い添える少女を男は困ったように見つめ、
だが真摯な愛情と誠実さを込めて、こう言った。 

「 Io t'amere`, Cara mia ninetta.」

   愛しているよ、いとしい私の娘。

 トリエラの青い瞳が大きく見開かれ、次いで、ふいっとそっぽを向く。
「トリエラ?」
「……目に、ごみが入りました」
 きゅっと眉根を寄せ、口をへの字に曲げて。少女は言った。
「……風が強くなったな」
 ぽろぽろ、ぽろぽろと、綺麗な水滴が少女の褐色の肌を転がり落ちる。
男は優しい微笑を浮かべ、少女の頭に大きくあたたかな手を置いた。

 





「Papa` Hilscher,/ヒルシャー父さん、あんたの娘がそろそろ目を覚ますぞ」
 病棟の廊下で医師にそう声をかけられ、
暗褐色の髪に白いものが混じり始めた男は穏やかに応える。
「ありがとうドットーレ・ドナート」
「これで三人目か。あんたもよく続くな」
 古株の医師はシガーに火をつけながら相手の顔を見やる。
「物好きな男だ。先に逝かれることが分かっている子供にそんなに情をかけて。
仕事の『道具』を取り替えるんなら分かるが、まともに『娘』を育てようと言うんだからな。
身がもたないだろうに」
「これが自分の性分ですから」
 生真面目なドイツ人はいつもの困ったような微笑みを浮かべる。
「それに、約束したんです。僕の大切な娘と」
 そう言うと男はリボンをかけた可愛らしいくまのぬいぐるみを抱え直し、
彼の新しいパートナーが待つ部屋の扉をノックした。



 ヴィクトル・ハルトマン=ヒルシャーは、
社会福祉公社を退官するまでに五人の義体を育て、そして見送った。
 彼の意向で条件付けを最小限に抑えられた少女たちは時に反発しながらも、
愛情深い担当官に見守られ、豊かな感情と意思をもって、皆短くも精一杯その生を生ききった。
   彼とその義体の関係は、2期生以降の緩やかな条件付けの設定にあたって、
貴重なデータとして活用されていくこととなる。
 またこの不器用な『父親』の贈り物は、年を重ねる毎にそれなりに洗練されていったが、
それぞれの出会いの際に初めて手渡されたプレゼントは、いつも決まってくまのぬいぐるみであったという。

 やがて彼がその人生に幕を降ろした時、
その棺には彼が終生大切にしていた古ぼけた五つのぬいぐるみが共に納められ、
簡素な墓碑にはこう刻まれた。

 我、最愛の娘らと共に眠る   と。


 ≪ Das Ende ≫
  
    BGM // ラヴェル 『亡き王女のためのパヴァーヌ』

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Wiki内検索

編集にはIDが必要です