【小さな木の実】//ヒルシャー、ジョゼ
        //【】// Humor,//2009//11/10


   【小さな木の実】


 朝早く、公社の職員用駐車場に一台のドイツ車が停まる。
多忙な勤務の中でどう時間を確保しているのか、その車はいつ見てもきちんと磨き上げられており、
車の持ち主がこの国の人間ではなく生産国の人間であることをうかがわせる。
 いつも通り服務規程によって定められている始業時間の40分前に車を降りたドイツ人は、
鞄を手に本部棟に向かって歩き出す。
5分あまりの道のりは秋の気配を増した木々に囲まれ、ちょっとした散歩道の様だ。
 コツコツと硬質の音を響かせる革靴のつま先に、かつり、と何かが当たる感触がする。
 足を止めて石畳を見やった男の視線の先には、小さな木の実が落ちていた。
昨夜雨まじりの強風が吹いたためか、どんぐりと総称される広葉樹の種子が
よく見ればそこらじゅうに散らばっている。
男は長身をかがめて足元の木の実をひとつ拾い上げた。
まだ青みを帯びたその木の実はつややかで、思ったほど傷はついていない。
 男は腕の時計に目を走らせる。

   3分ならいいか。

 男はおもむろに手に提げていた鞄を抱え上げ、その場にしゃがみこんで木の実を拾い始めた。



「おはよう、ヒルシャー」
 宿直明けの同僚がいつもよりやや早足でオフィスに現れた男に声をかけた。
「おはようございます、ジョゼさん」
 いつもどおりの時間に自分のデスクにたどり着いた男は挨拶を返し、鞄を置く。
この几帳面なドイツ人は常に始業時間の30分前に出勤してくるが、
さりとて30分早く仕事を始めるわけではない。
通常の仕事はあくまで定刻から始め、服務規程外の30分は必ず彼の担当する義体の少女に関係する事柄
  例えば教養科目の講義資料を準備するといった作業に費やすのである。
無論それも彼の仕事の一環なのだが、あくまでかの少女に関する対応は “仕事” とは区別しておきたいという
彼のこだわりなのだ。
 ふう、と息をついて軽くネクタイを緩めるヒルシャーに、エスプレッソを手にした同僚はからかうように言う。
「今日はどうしたんだい? ぎりぎりの到着じゃないか」
「少し寄り道をしていたものですから」
「寄り道?」
 聞き返した同僚に男はうなずき、握っていた手のひらを下に向けてデスクの上でそっと開いた。
ぱらぱら、と小さな音を立てて何か細かなものが机の上に広がる。
   どんぐり?」
「ええ。駐車場脇の小道に落ちていたんです」
「こんなものをどうするんだ?」
「トリエラに見せてやろうと思いまして」
 男の言葉に同僚は一瞬困惑の表情を見せ、ああ、と得心したように笑う。
「今度は植生の講義をするのか。君も色々と凝り性だな」
「ああ、それはいいですね」
 植物社会学的には公社の敷地の植生はどうなのかな、とひとりごちて木の実をじっくりと検分し始めたドイツ人に、
ジョゼはあきれたような視線を送る。
「……まさか、本当にただ拾ってきただけなのかい」
 トリエラをただの女の子だと思っちゃいけないんじゃなかったのか?と揶揄するジョゼに、
男は困ったような微笑を浮かべた。
「それはそうなんですが……。季節の訪れを体感するというのは情操教育にも有効だと思うんです」
 まあそうかもしれないなと肩をすくめる同僚をよそに、
男は新しい講義に必要だと思われる項目を書き出そうと早速デスクに着く。
 明日の午後には野外訓練場での訓練が予定されている。
帰りには 少し回り道をして、彼女とまた木の実を拾ってくるのもいいだろう。
そんなことを考えながら、生真面目なドイツ人は心なしか楽しそうな表情で本日の作業をはじめるのだった。

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