【Birt du bei mir】//ヒルシャー、トリエラ
        //【】// General,Serious,//【誓約】ヒルシャーside//2008/11/02





    【 Birt du bei mir 】 



『生き方を縛られるのは義体だけじゃない。みんな何かに追われて生きるんだ。
……僕は過去に縛られたんだよ』

 この子にそう告げてしまったのは、
 あるいは自分の甘えだったのかも知れない。



 目の前で少女が泣いている。
 自分の大切な少女が。
 トリエラ。


   私が存在している限り、あなたは過去に呪縛され続ける……


 違う。それは、僕が自分で選んできた生き方だ。
 君のせいじゃない。


   そんなのは嫌です……!


 君のせいじゃない。
 そう伝えたいのに、言葉が出ない。
 耐え難い眠気に襲われ、意識が保てない。

 青い瞳から涙が溢れている。
 何故こうなってしまうのだろう。

 僕は君に生きていて欲しいのに。
 僕は君を守ってやりたいのに。
 僕は、君に。

 笑っていて欲しいのに。


   すまない……。


 何の免罪符にもならない、ひどい言葉。
 そんなものしか口にすることができず。


 抗いきれない睡魔にのみこまれ、男は暗い眠りに落ちていった。








 男が目覚めたのはベッドの上だった。
 跳ね起きた男は銃創の痛みにうめく。だがそんなものには構ってはいられない。
少女の姿を求めてまだ薄暗い部屋の中、男は必死に目を凝らす。
 ふと。自分の傍らに誰かの気配を感じた。
 振り向いたそこには、椅子に腰掛けたままベッドに伏せている小さな体。
「トリエラ   ……!」
 出て行かずにいてくれた。
 彼は胸が締め付けられるような思いと共に安堵する。
 自分に都合の良い夢などではなく、本当にそこに少女が存在していることを確かめたくて、
男はそっと眠っている少女の顔をのぞき込んだ。
ほつれた金の髪がかかった褐色の頬には、幾筋もの涙の跡が残されている。
 男の瞳が曇る。
何故だろう。自分の記憶の中で、この子はいつも怒っているか泣いているばかりだ。
懸命に記憶を探らなければ、この子の笑顔を思い出すことができない。
 自分の全てをなげうってでも守ってやりたい大切な少女なのに、
自分はこの子を幸せにしてやることができない。
深い自責の念を抱きながら、男は少女の髪にふれた。
「ん……」
 少女が小さく身じろいだ。
「トリエラ……」
 迷うように呼んだ名に応えて、少女がゆっくりと身を起こす。
 目覚めた青い瞳が自分の方に向けられ。

 ふうわりと。
 花がほころぶように、少女は微笑んだ。

   おはようございます、ヒルシャーさん」
「トリエラ    
 男の瞳が驚きに見開かれる。この子は、こんな風に笑う子だったろうか。
自分はまだ夢でも見ているのか。
「どうしたんですか、ヒルシャーさん」
 少し心配そうな表情で少女が問いかける。
「いや……」
 何と言えばいいのか分からないまま、半ば機械的に男は状況を確認するための質問を口にする。
「……君がソファーから運んでくれたのか」
「はい」
「君が昨日、抗生物質だと言っていた薬は……」
「睡眠薬です」
 少女は悪びれずに答える。
「あなたが使うなと言ったので破片を摘出する際の麻酔は使用しませんでしたが、
昨日のあなたには明らかに休養が必要でしたから。抗生剤は直接傷に塗布してあります」 
 麻酔を使わずに手術を行った方が回復が早いという研究事例はありますけど、無茶をするものですね。
いつものようにきびきびと少女は言うが、その声音にはどことなくやわらかさも感じられる。
そうかと男は短く答え、しばし沈黙が降りる。
 再度口を開いた男はぽつりと呟く。
「目が覚めた時、風景が違っていたから…本当に焦った……」
「私がまた、出ていったとでも思ったんですか?」
「……ああ」
「行きませんよ」
 少女ははっきりとした口調で言った。 
「私はもう、出ていったりしません」
 そう宣言する少女の瞳には、昨夜までの消え入りそうな不安感は微塵もなく。
 これはどういうことなのだろう。まっすぐに自分を見つめている少女の青い瞳。
強い意志の光がそこにはあった。
   私はもう、どこにも行きません。あなたと共に居ます。
あなたと共に戦って、あなたと共に生きていきます」
 だから、と少女は言を続けた。
「だからあなたも、私を置いて行かないで下さい」
「……っ、トリエラ    
「公社の命令だからではありません。義体の役目だからでもありません。
私とあなたが生き抜くために、私もあなたと共に戦わせて下さい」
 運命にただ流されるのではなく明確な自分の意志を持って、銃を取ることを選ぶのだと少女は告げる。
「……そしていつか、私が最後を迎えた時には、あなたが私の瞳を閉じて下さい。
最後まで精一杯良く生きたと、私を誉めて下さい。    それはあなたにしかできないことです」
「まだ……」
 少女の強い瞳に気圧されながら、躊躇いがちに男は口を開く。
「まだ義体が短命だと決まったわけじゃない」
「分かっています」
 少女は男の言葉を肯定する。それが気休めにしか過ぎない、はかない望みだと承知していても。
「だからあなたも、うんと長生きして下さい。真っ白な髪のおじいさんになってからでも良いんです。
……ちゃんと私を、看取って下さい」
 担当官に見守られて静かに天に召されたアンジェリカのように。そう、少女は自身の望みを口にする。
「……僕の方が、君よりずっと年上なんだがね。
順番から言ったら、君が僕を看取ってくれるべきなんじゃないのか」
「だめですよ」
 無理に笑って下手な冗談を口にするヒルシャーに、少女はかぶりを振り、凛として男の顔を見つめ返す。
「あなたは私が、死なせませんから」
 自分はこの子の死を見届けなくてはならない。それは分かっている。
 分かってはいるが   
 男は傷ついた表情で呟いた。
「君は…随分と残酷な我が侭を言う……」
 男の言葉に少女はふっとやさしい表情を見せた。
「私は我が侭ですよ。    でもそれは、あなたがそうしてくれたんです。
あなたが私を条件付けで縛ろうとしないできてくれたから、悩んでも苦しんでも、
私は自分で自分の生き方を選ぶことができるんです」
「君はそれで……」
 幸せなのか。そうたずねることが、男にはできなかった。幸せであるはずがない。
暗殺要員として銃を手にする日々など。
 けれども少女は男の苦悩を吹き飛ばすように、きっぱりと誇らしげに答えた。
「それが、私の幸せなんです」
 少年のように晴れやかに破顔する少女。男は眩しいものを見るように目を細めた。

 ああ。
 この子は、覚悟を決めたのか。

 決して幸せとは言えないその境遇の中で、流されるのではなく、抗うのでもなく、
運命を受け入れ精一杯生きるのだと。Birt du bei mir    。そういうことなのか。
 それならば。
 それならば、自分もまた、全身全霊をもって少女の覚悟に応えるべきだろう。
 例え自分が望んでいたような幸せではなくとも、その時が来るまで、
この少女と共に生き、この少女を見守ってゆこう。   それが、新たに課せられた自分の使命なのだ。
 男は無言で、静かに少女を抱き締めた。
 少女も黙って、そっと男に身をあずけた。

 窓の外からカーテン越しに薄明かりが射し込む。長い夜が、やがて明けようとしていた。


    Birt du bei mir,
      あなたがわたしのそばに居てくれたなら
    Geh ich mit Freuden
     わたしは喜んで
    Zum Sterben und zu meiner Ruh!
     死とわたしの憩いへと赴きましょう

    Ach, wie vergnuegt waer so mein Ende,
     ああ、わたしの終末はなんと満ち足りていることだろう
    Es drueckten deine lieben Haende
     もしあなたのやさしい両手が
    Mir die getreuen Augen zu!
     わたしの忠実な両眼を閉ざしてくれるのなら   




   ≪ Das Ende ≫   

      BGM // グリーグ “ペール・ギュント”より『ソルヴェイグの歌』

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