フェッロの休日 // ジョゼ,フェッロ,
 // //Vignette/,Romance/ 15906Byte / Text// 2004-04-22



フェッロの休日



オーブンのタイマーが鳴った。

フェッロは分厚いミトンを手にはめるとゆっくりと扉を開いた。

キッチンに甘い梨の香りが漂う。

初めて試した洋梨のタルトだったが出来は上々のようだ。

いい色に焼きあがったタルトを大皿に移し換え、冷ますために窓際に置いておく。

タルトの匂いをかぎつけたのか足元に飼い猫のアルマンゾが擦り寄ってきた。

「こら、アルマンゾあんたのお菓子じゃないぞ。」

フェッロは笑いながら飼い猫に話し掛けると、タルトの切れ端を放った。

アルマンゾは一目散にタルトのかけらに飛びつくと一息でそれを飲み込み、催促するかの

ように甘い鳴き声を上げた。

「おはよう、姉さん。」

タルトの匂いに引き寄せられたのは猫だけでは無かったらしい。

同居している弟のトゥーリも目をこすりながらキッチンに入ってきた。

「もうお昼よ。学生だからって怠けすぎじゃない?」

長姉らしく弟を叱りつけながら、フェッロはテキパキと食事の準備をすすめる。

コンロにかけたパニーニトースターに手早くパンを乗せ、ハム、チーズを挟んで

パニーニを作り上げる。

もう一つのオーブンから焼きあがったラザーニャを取り出した。

サラダは冷蔵庫の中で冷えている。



「姉さん今日は休みなんだろ?どっか行かないの?」

食事が終わった後、食器の片づけをしながらトゥーリが尋ねてきた。

「特に無いわね。あ、仕事のことで調べものがしたいから後で図書館に行くわ。」

フェッロは膝の上で丸くなっているアルマンゾの耳の裏を掻きながら答えた。

「やれやれ、年頃の女性が休みの日に一人で図書館?女性の地位向上万歳だね。」

「うっさいわね。」

フェッロは背中に当てていたクッションを流しに立っているトゥーリに投げつけた。

「私にだって好きな人くらいいるんだから…」

クッションを投げた後に小声で付け加える。

「何か言った?」

「何も。」

フェッロはアルマンゾを床に下ろすと立ち上がった。

「さて、天気もいいしそろそろ図書館に言ってくるわ。窓のタルト、半分なら持ってっても

いいわよ。シャルロットにも分けてあげなさい。」

「ほんと?サンキュー姉さん。愛してる。彼女、姉さんの作るお菓子が大好物なんだ。」

トゥーリはフェッロに抱きつくと頬にキスをした。

「もう、泡が服に着くじゃない、夕方までには戻るわ。」

フェッロは笑いながら服に着いた洗剤の泡を払うとドアに向かった。

「姉さん」

外に出ようとしたとき、トゥーリが追いかけてきた。手にはまだスポンジを持っている。

「姉さん、もっとお洒落に気を使ったら絶対に男がほっとかないよ。俺が保証する。」

「うるさいわね、考えとくわ。それじゃあ、火に気をつけるのよ。」

フェッロは笑いながら外に出た。

弟の言うことは分かるのだが、縁故採用の横行するイタリアでキャリアを積むためには、

男に構っている暇は無く、なりふり構わず勉強し仕事をするしかなかった。

それに、暇さえあれば女を口説くことしか頭に無いようなイタリア男は大嫌いだった。

苦労して大学を出、警察でキャリアを積んで公社に来たものの、

当時公社では女性担当官の存在は珍しく、フェッロは好奇の目にさらされながら仕事を

せざるを得なかった。

仕事といえば義体の少女達の世話ばかりで、同僚の中にはあからさまな蔑視の目を

向けるものも少なからずいた。

しかし、ジョゼは違った。

お姫様のメイドと揶揄されていたフェッロを自分の部下として引き抜き、数々の作戦に

加えてくれたのはジョゼだった。

ジョゼの元、フェッロはめきめきと頭角をあらわし、半年も経たないうちに

フェッロのことをハウスメイドと呼ぶものはいなくなった。

ジョゼのフェッロへの接し方はいたってシンプルで、女性というフェッロの立場を

理解しつつ、それでいて平等だった。

ジョゼの兄であるジャンは、より徹底した平等主義者で、男女の区別無く容赦が無かった。

ジョゼは、部下の目からみればいささか甘いとも言えた。

怒って怒鳴り散らすことはほとんどなく、諌める時も穏やかに、語りかけるかのようだった。

ジョゼが怒るのは、テロリストに対してだけとも言えた。

そして、その時はジョゼとジャンが兄弟であることを実感させられた。

フェッロがジョゼに対して上官として以上の感情を抱くのは、フェッロがメイドと呼ばれなく

なるのよりも、時間は掛からなかった。

何度、自分とジョゼは仕事上の関係だけだと自分に言い聞かせただろう。

しかし、仕事に徹して振舞えば振舞うほど、フェッロのジョゼに対する想いは募るばかりだった。

「フェッロ?フェッロじゃないか?」

突然背後から自分を呼ぶ声が聞こえ、フェッロははっとして振り返った。

「ジョゼさんっ!?」

フェッロを呼び止めたのは他ならぬジョゼだった。

フェッロの驚きの声が図書館中に響き渡り、辺りから沈黙を要求する風きり音が立つ。

二人は急いで表に出た。

「ジョゼさん何故ここに?」

努めて冷静な声を出そうとするものの、突然の事態に心臓は爆発しそうなほど動悸を打っている。

「仕事でちょっと調べ物があってね、フェッロこそ何でここに?」

「私も、仕事のことでちょっと調べたいことがあったので。」

「そうか、感心だな。…そうだ、その熱心さついでに一つ付き合ってほしい所があるんだが、

いいかな?」

「喜んで。どこに行かれるのですか?」

フェッロの心臓は爆発寸前だった。

休みの日に偶然遭えただけでも幸運なのに、一緒に行動できるなんて何と言う僥倖だろう。

しかし、続くジョゼの言葉にその喜びはあっけなく終わりを告げた。

「ああ、実はヘンリエッタに服を買おうと思っているんだ。」



ズキリ。



ジョゼの言葉にフェッロは胸の奥に氷のナイフを突き刺された様な痛みを感じた。

ヘンリエッタ。

ジョゼの忠実なフラテッロにしてジョゼに想いを寄せる少女。優秀なる義体の戦士。

可憐で一途で純粋、フェッロには無いものを全て兼ね備えた天使。

そしてなによりもジョゼに一番近い存在。

ヘンリエッタの、ジョゼに対する恋慕の情は誰の目から見ても明らかだったし、

ジョゼはそのヘンリエッタの想いに戸惑いつつも、己の中に管理者として以上の

感情が芽生えつつあることも、フェッロには分かっていた。

そう、ジョゼは誰に対しても優しかったが、ヘンリエッタに対しての時のみ、

そこには優しさ以上の物が含まれていた。

フェッロが得ることの出来ない物が。

「ヘンリエッタに、服、ですか…」

痛みに堪えながら何とか言葉を紡ぎ出す。

「ああ、この前の作戦でヘンリエッタのシャツが破けてしまっただろう?

そろそろ季節も変わるし、新しいシャツを買うには丁度いいと思ってね。」

「そうですね。この辺に丁度いいお店があります。只、私でお役に立てるか

分かりませんが。」

大丈夫、この位の痛み、今までに何度も味わってきた。

フェッロは自分に言い聞かせた。

「ああ、助かるよ。フェッロ。普段はプリシッラ達が買ってきてくれるんだが、

たまには僕が送らなくては、と思ってね。」





「これなんかはどうでしょうか?」

「そうだな、前着ていたシャツに似ているし、これならヘンリエッタに似合うだろう。」

フェッロとジョゼは街角にある小さなブティックに入り、幾枚かのシャツを買った。

「お子さんにプレゼントですか?」

シャツを梱包しながら店員が気さくに話し掛けてきた。

「いや、違うよ。僕の妹へのプレゼント選びに付き合ってもらったんだ。」

ジョゼが苦笑しながら応える。

「あら、そうなんですか?確かにこのサイズはあなた達二人に子供がいるとしたら

ちょっと大きすぎるものね。それにしても二人とってもお似合いだわ。」

フェッロは、顔が紅くなったのがジョゼにばれないかとひやひやした。

ジョゼは笑みを浮かべたまま、何も言わない。

それを見てフェッロは顔がほころぶのを必死になって我慢した。

「ありがとう、助かったよ。お礼にお茶でもご馳走したいんだが、どうかな?」

ブティックをでた後、ジョゼが控えめにフェッロにお茶を誘ってきた。

もちろんフェッロに異論のあるはずが無かった。



「非番だったのに、つき合わせて悪かったね。」

ブティックの近くにあるオープンカフェで、ジョゼはフェッロに礼を言った。

「いえ、お礼なんて…お役に立てたのなら幸いです。」

フェッロは照れ隠しのために、手にしたカフェ・ラッテに目を落とした。

「…ジョゼさんのお願いだったら、いつだって大歓迎です…」

ジョゼには聞こえないように小声でそう付け足す。

「何か言ったかい?」

「い、いえっ…何も…」

耳ざといジョゼに、フェッロは慌てて手を振って否定したが、

微笑みながら自分を見つめているジョゼと目が合い、また慌てて下を見てしまう。

「…何か、可笑しいですか?」

「いや、何でもないよ、ただ今日の君の格好を見ているとビアンキ先生の君に対する

洞察もあながち間違いでは無いと思ってね。」

その言葉でフェッロは自分がどういう格好でジョゼとコーヒーを飲んでいるのか気が付いた。

ぼろぼろに履き古したジーンズによれよれのシャツは弟のだ。

かろうじて、スニーカーだけはジョギング用なのでそれなりのを履いているが、

そんなもの貧乏学生の様な今の格好では焼け石に水に等しい。

しかも、あろうことか今はスッピンなのだ。

片や公社でも洒落者兄弟として評判の高いジョゼは、今日も一分の隙も無い格好だ。

「すいません、ファッションには全然興味が無いので。」

折角休みの日に、ジョゼとデートのようなものをする幸運に恵まれたというのに、

フェッロは急に自分が世界一惨めなような気がして、怒ったような口調で応えた。

「気を悪くしたのなら謝るよ。この前ビアンキ先生が君のことを”休みの日には

猫とケーキを焼くタイプ”と言っていて。あの発言はどうやら本当だったらしいね。」

フェッロが驚いた顔をジョゼに向けると、ジョゼはにやりと笑い、更に続けた。

「どうやらその顔を見る限り僕とビアンキ先生の推測は正しかったようだね。

ついでに言うとフェッロ、君には男の兄弟がいるようだね?」

「なんで分かったんですか?」

フェッロは驚愕の表情でジョゼを見た。

まるでフェッロの部屋を見ていたかのような正確さだ。

ジョゼは得意そうに笑うと、エスプレッソを一口すすり椅子に背を預けた。

「簡単な推理だよ、ワトソン君。」

「まず、君に会ったときに、バニラの香りが漂ってきた。リンス代わりにバニラエッセンスを

振り掛ける趣味でもない限り、普通の人ならその人がお菓子作りが趣味だと考えるだろう。」

「第二に、そのシャツは男物だ。恋人のものかもしれない、と言う意見もあるだろうが、

そのシャツの歴史を鑑みるに兄弟のもの、と考えるのが妥当だろう。第一、恋人がいたら

こうしてここでお茶など飲んでいるはずも無いだろうしね。」

「そして第三、君のジーンズの膝についているその毛は、何か動物のものだろう。

膝に乗るような動物といえば猫か、小さな犬と考えるのが適当だろうね。」

ジョゼはフェッロの驚いた顔を確認して、得意そうに微笑んだ。

「優秀な捜査官の素質は、現実的な観察力と、大胆な仮説だよ。」



フェッロの心臓が締め付けられたように鳴った。

この人は、あまりにも素晴らしすぎる。

この人には決して追いつけない。

この人が私の上司でなければ、もっと別の場所で出会っていたら、こんな想いをすることも

無かったのに。



「…流石です。ジョゼさん。」

フェッロはやっとの思いで平均的な反応を返した。

「ありがとう。」

ジョゼはそう言うと、エスプレッソをもう一口飲んだ。

二人の間に数刻の沈黙が流れた。



「あのっ、ジョゼさん。」

何分経った頃だろうか、フェッロが意を決してジョゼに話し掛けた時、ジョゼの

携帯電話が鳴った。

「もしもし。」

ジョゼは席から立つと、二言三言話をしていたが、やがて携帯を切り、戻ってきた。

「すまない、急に仕事で呼び出されてしまった。僕はすぐに行かなくちゃ駄目だが、

君はゆっくりしていってくれ。」

「…分かりました。頑張ってください。」

ありがとう。そういえばさっき何か言いかけていたようだけど…」

「い、いえっ、何でもないんです。」

ジョゼの問いに、フェッロは慌てて首を振った。

「何でも…ないんです…」

「そうか、だったらいいが。」

「ええ、何でもありません。それよりも、今日買ったシャツ、きっとヘンリエッタに

似合いますよ。」

「ああ、きっとあの子も喜ぶだろうね。」

ジョゼの言葉にフェッロの心臓に再び刃が突き刺さる。

ヘンリエッタの事を話す時の、ジョゼの瞳に宿る輝きが痛かった。

「じゃあもう行くよ。」

ジョゼはそう言うと去っていった。

フェッロはジョゼが去った後も、しばらく呆然と席についていたがやがてふらふらと

立ち上がると、よろめくように家路についた。



ゆっくりした足取りは次第に速くなり、やがてフェッロは走り出した。

家へと走るフェッロの頭の中には、昔の東洋人が歌ったある歌が鳴り響いていた。

〜上を向いて歩こうよ、涙がこぼれないように〜

今にもこぼれ出しそうな涙を必死に堪えながら、フェッロは走った。



家に着くと、弟がいないことを確認しフェッロは自分の部屋に飛び込み、

ベッドに顔を埋めた。

(大丈夫、今日だけ、明日になって仕事に行くときには、きっといつもの自分に戻っている。

今日だけ…)

フェッロは自分にそう言い聞かせた。

(明日になれば、きっといつもの自分だ。でも、今日、今日だけは…)

フェッロは枕を抱きしめ、声をあげて泣いた。



「おはようございます。ジョゼさん。」

「おはようフェッロ。昨日はありがとう。ヘンリエッタも喜んでいたよ。」

「お役に立てられて、何よりです。」

「そうだ、急で悪いんだが、これから僕と一緒にナポリに行ってくれないか?

昨日の仕事の件で、ナポリにいるヒルシャー組に助けがいるらしいんだ。」

「分かりました、早速準備に掛かります。」

フェッロはジョゼに微笑むと、自分のオフィスへと向かった。

今日はいい天気だ。きっとナポリも晴れているだろう。

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