後悔 //エレノラ、フェルミ、エッタ
          // 蘇芳 ◆Ecz190JxdQ // Serious,Dark //2011/11/26



「体が機械の女の子って普通ですか?」
「私…今幸せだから」

彼女の言葉は重く、鋭く、突き刺さった。
それは、「幸せってなんだろう」というような哲学的な問い。
それは、大人としての良心の呵責。
そして、この組織にいて、彼女たちをあんな人生にする行為に加担している自分への怒り。

隣の席で唸りながら書類作成をしているあの男は、もうこのことを忘れているのだろうか。
「フェルミさん」
「なんだ?
俺は今この書類で大変なんだ。
もしかして、エレノラが代わりにやってくれるのか?」
「はぁ…
それぐらい自分でやってくださいね」
いつもの会話。
もう戻ってきた日常。
あの重苦しい一日から、まだ二週間も経っていないと言うのに。
「フェルミさん。
幸せってなんでしょうね」
半分は独り言として、つぶやいた。
「どうした?」
自分の予想と違う一言をぶつけてしまったから、次の言葉が出てこない。
「もしかして、あのガキどもの事か。
気持ちはわかるが、仕事にそういう感情を持ち込むな。
ジョゼッフォ=クローチェの目を覚えているだろ?
どんな時も隠せない、あの厭世的な目の色を。
仕事が感情を食い荒らす時、人はああなっちまうんだ」
「わかっていますよ。
でも、私はあの子たちに言ってはいけないことを言ってしまいましたから…」


「普通は男女が一緒に仕事をしているだけで恋人ってことにはならないの」
「女の子なんだから…」はまだ無知という言い訳ができる。
だけど、もう一つは…あれだけは、私の「悪意」だ。

私は、男と同じに働きたかった。
だから、男以上に頑張ったつもりだった。
必死で努力して、登り詰めようと意気込んでいた。
それなのに、突き落とされた。
社会福祉公社。
非合法の組織。
その中でも実戦には程遠い仕事。
二課のほうがきついだろうし、大きな問題を抱えた人間も多いらしい。
でも二課のほうがずっと第一線に近い仕事なのだ。

私が公社に来る前、上を目指して必死に頑張っていた頃。
その頃も上司と二人で組んで仕事をすることが多かった。
そして、必ず陰口を叩かれた。
「エレノラはどうせあの男に媚びて評価をもらってるんだろ」
「女はいいよなあ、男の上司につけば安泰だ」
私は断じてそんなことはしていない。
上司のことは、プロとして尊敬はしている。
だけど、男女の関係なんかじゃない。
そうなりたいと願ったことも、行動したこともない。
私はただ仕事がしたかっただけだ。
それなのに、女だからと陰口を叩かれる。
いつしか、それは私のトラウマになっていた。

ヘンリエッタの無邪気な愛情は、私のトラウマを抉り、私の傷口からは再び血が吹きだした。
ジョゼッフォ=クローチェを素直に愛し、その役に立つことこそが彼女にとっての「仕事」であり、「幸せ」だった。
その姿を見て思った。
私も心のどこかであの上司を慕ったことはあるんじゃないの?
その気持ちがあるからこそ、頑張れたってところは本当にないの?
私がそう思わなくても、上司のほうに下心があった可能性だって否定できないじゃない。

本当に、私は、純粋に仕事だけを頑張って、そのことだけを評価されていたの?
社会福祉公社への「島流し」は本当に不当な評価だったの?
私は、彼と男女の関係になることを本当に望んでいなかったの?

その思いは私を混乱させ、混乱は私に悪意を植え付けた。
まだ幼い子供への悪意を。
私は、最低だ。


だから、私はヘンリエッタに苛立ちをぶつけてしまった。
私はヘンリエッタがジョゼッフォ=クローチェに恋していることを知っていたのに。
できることなら恋人にだってなりたかったろう、彼のためだからこそ頑張れるのだろう、それを知っていたのに。
「普通は男女が一緒に仕事をしているだけで恋人ってことにはならないの」
こんなひどい言葉をぶつけてしまった。
ヘンリエッタに「普通」という言葉をぶつける惨さ。
「恋人ってことにならない」と、彼女の縋るような思いを否定する冷たさ。
私は弱い。
私は醜い。


ヘンリエッタだけじゃない。
リコも私の心の傷を容赦なく抉っていった。
「死んじゃうのは嫌」と言いながら、命の危険のある仕事を日々こなすリコ。
私は彼女の言葉に、返す言葉を持たなかった。
同情したから、というのはもちろんある。
罪悪感だって感じてた。
だけど、それ以上に怖かった。
自分と同じ言語を話しながら、言葉が通じないかのような恐怖。
それは、近所に知的障害の男の子が引っ越してきた時の恐怖に似ていた。
同じ言葉を延々と繰り返し、食べることと鉄道にしか興味のなかった2つ年上の彼は、私にとってモンスターだった。
だから、私は彼とかかわらなかった。
何かをされたわけじゃないけど、ただ単に怖かったから。

それは私だけのことじゃなくて、彼が引っ越してきて一年も経てば、彼の姿を見かけると逃げる遊びは私たちにとって日常になっていた。
ある日、その「遊び」を彼の母親に見られた。
その時の彼女の目を、私は一生忘れないだろう。

そして、私は今、彼の名前を覚えていない。
あれだけ後悔したのに、彼の母親の目は今も鮮明に覚えているのに。
そのことがまた私に後悔を募らせる。


最後に追い打ちをかけたのは、シチリアから戻ってから聞いたリコの過去。
私はまた同じ過ちを犯したのだ。
リコの言葉に、ただ驚き黙り、逃げるしかなかった私。

だから、あれから私はずっと気持ちが晴れない。
今まで仕事で人の死はたくさん見てきたのに、それには慣れたつもりでいたのに。
生きている彼女たちのほうが、よほど私の心を抉る。

「エレノラ。
エレノラ!
何をボーっとしてるんだ。
行くぞ!」
「は、はい!」

いつのまにか、フェルミさんは書類作成を終えたらしい。
次の仕事がもう待っている。

この仕事が終わったら、ヘンリエッタにあの手帳のレシピを送ってあげよう。

The end





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