夢と涙//ジャン、リコ、ジョゼ、エンリカ
        //229//General //2008/05/10


   夢と涙


ローマの街に夕陽が差す頃、ジャンはリコを連れての目標監視の任務に就いていた。
今のところは往来の車から五共和国派のテロリストを監視する地味な仕事だ。
監視する目標は今は屋内に入っていて外からは何をしているのかわからない。
だが、仕掛けた盗聴器から中の様子をフェッロたち作戦二課の課員がうかがっている。
監視しているフラテッロたちにはそこから逐一情報が入るようになっており、
目標がどう動くかで突入になるか、それとも監視を続けてアジトを突き止めるか
ジャンは決断しなくてはならない。

夜に入り、人通りも少なくなってきた。
目標は未だ動かない。
助手席に座るリコはあくびをした。
普段なら彼女はきっとベッドに入っている時間だろう。
義体だから耐眠性があるなどということはなく、眠るということについて
普通の同年代と変わらない。
それどころか普通の子ども以上に義体の子どもたちに眠りは必要だ。
任務に堪えうるため常に精神と肉体を最適な状態にしなくてはならないからだ。

眠さに負けて船をこぎ始めたリコへジャンは声をかけた。
「リコ、今のうちに寝ておけ」
「はい」
リコは座っているシートを少し後ろに倒して目をつぶると、すぐに寝息をたて始めた。

ジャンの携帯電話が胸ポケットで踊った。
「ジャンさん」
「フェッロか。目標はどうだ?」
「未だ動きませんね。長期戦になるかもしれません」
「そうか。では今のうちにこちらは休息をとる」
「わかりました。動きがあり次第連絡します」
ジャンは一口、ダッシュボードに置いてある瓶からミネラルウォーターを飲むと
目をつぶった。
任務の緊張からか、なかなか眠りにつけなかったが、隣で寝るリコの規則正しい寝息を
聞いているうちにやがて睡魔の波に飲み込まれた。


「兄さん、兄さん」
ビーチパラソルの下でうとうとしていたジャンを揺り起こしたのはジョゼだった。
「どうしたんだ、いったい?」
ジョゼはエンリカと浜辺で遊んでいたはずだった。
だが、ジョゼの傍らにいつもいるはずのエンリカは今はいなかった。
「エンリカが……いないんだ」
「いないって?おまえとさっき遊んでいたじゃないか?」
ジャンは寝椅子から体を起こした。
眠さでぼんやりと霞がかかったような頭がジョゼの言葉で急にはっきりしてきた。
「ジェラートを買いに行った間にどこかに行ってしまったみたいなんだ」
ジョゼは腕にジェラートの入った袋をぶら下げていた。
「行ったってどこへ?エンリカはここへ来るのは初めてのはずだろう?」
「わからないよ。ここに戻ってきていない?」
「いや、戻ってきてない。ここへ来るまで見つからなかったのか?」
ジャンの問いにジョゼは首を振ってうなだれた。

ジャンはジョゼのうかつさに怒鳴りたくなったが、そんなことをしても解決するものではない。
それに一番心配しているのはさっきまでエンリカの面倒を見ていた当のジョゼだろう。
自分はというと、小さい妹の面倒を弟に任せきりで寝ていたのだから元々怒鳴る資格などありはしない。
ジャンはうなだれるジョゼに出来るだけ冷静に声をかけた。
「探そう。エンリカの足ならそう遠くへは行けないはずだ」
二人は海岸を探した。
いそうなところを探してみたが、エンリカの姿は見あたらなかった。
「どこへ行ったんだろう?もしかして海に流されてしまったとか……」
ジョゼが不安そうに海を見る。
「流されたのならこれだけ海水浴客がいるんだから気づいてもおかしくないだろう?」
タオルミナの海岸は避暑に来た海水浴客があふれていた。
「人に聞いてみよう。もしかしてエンリカを見た人がいるかもしれない」

人に聞いてみたらあっけなくエンリカの行方はつかめた。
エンリカは海岸を出て行ったらしい。
人に聞き聞きエンリカの足取りを二人は追った。
エンリカが向かった先は別荘だった。

ジャンがドアを開けるとぬいぐるみを抱えたエンリカがこちらに向かって歩いてくるところだった。
「エンリカ!」
「兄さまたち、どうしたの?」
エンリカは首をかしげた。
「ダメじゃないか、一人で行ってしまうなんて」
ジャンが叱るがエンリカは意に介さない。
「だって……この子にも海を見せてあげようと思ったんだもの」
エンリカはぬいぐるみを二人に見せた。
仕事が忙しくて留守がちな両親が寂しくないようにとくれた、彼女のお気に入りのぬいぐるみの一つだ。
ジャンがなぜ怒っているのか今ひとつエンリカは判らないようだった。
けれども怒るジャンとほっとしてへたり込んだジョゼの様子に、兄たちに心配をかけたのがだんだん判ってきたのか泣きそうな顔になった。
「……ごめんなさい」
「……もう僕たちに何も言わないでどこかへ行くのはダメだよ」
ジョゼがエンリカの頭をなでた。
「うん」
ジョゼはべそをかき始めたエンリカをあやすようにジェラートを差し出した。
「ほら、ジェラートを買ってきたから三人で食べよう」
ジェラートは完全に溶けていた。
「兄さま、このジェラート溶けちゃってるね」
「走り回ってたからな」
ジャンは苦笑した。
こんな暑い中走り回っていればジェラートなんて溶けるのも当たり前だ。
溶けたジェラートを見てジョゼが言った。
「また買ってこようか?」
「いいよ、食べる。兄さまがせっかく買ってきてくれたんだもの」
エンリカは涙を手で拭いて微笑み、溶けたジェラートをジョゼからもらうと居間へ歩き出した。



ジャンは寒さで目が覚めた。
辺りはまだ暗かった。
隣のリコの寝息が聞こえる。
腕時計を見るとジャンが眠ったのは3時間ほどだ。
夏に近いとはいえ、空調をつけないでいると車の中はまだ寒い。
顔が冷たかった。
風が当たってるのかと触ってみると頬が濡れている。
涙の跡のようだった。
ジャンはなぜだか眠りながら泣いていたらしい。
覚えている限りでは、懐かしいとは思っても悲しいとは思えない夢なのに不思議だった。

ジャンが涙を拭いてリコを見ると彼女も眠りながら泣いていた。
義体は眠りながら泣く。
なぜ泣いたのか聞いても彼女たちはわからないという。
彼女たちも夢で何かを見て泣くのかもしれない。
見るのは条件付けを施してなお、消えずに残る昔の記憶の欠片か、死に向かう希望のない未来か。

涙を拭いてやろうかと思ったが、ジャンはやめた。
ジャンは上着を脱いでリコへ掛け、身体の横に窮屈そうに置いてあるアマーティの印があるヴァイオリンケースを足の方にどけてやった。
ジャンがヴァイオリンケースを動かしたとき、リコは身じろぎして少し目を開けたが、ジャンの顔を見ると再び目を閉じた。

ジャンは携帯をとり、盗聴している課員へかけた。
「ジャンさん」
フェッロではなくアマデオが出た。
監視する課員もジャンたちの休息中に交代が行われたようだ。
「目標が今電話をかけてるようです。たぶんこれからどこかへ動くと思われますが……どうします?」
「目標が動いたらこちらも追跡を開始しよう。ヒルシャーとジョゼにもそう伝えておけ」
「了解しました」

一時間ほどすると建物の車庫が開き、目標のテロリストが車で出てきた。
テロリストの車は建物の陰を曲がって消えた。
ジャンは車のエンジンをかけながらリコに声をかけた。
「リコ、起きろ。仕事だ」
リコは眠そうに目を開いた。
「……はい、ジャンさん。お仕事ですね」
リコは、掛けられた上着をジャンへ返し、シートを起こすと足元のヴァイオリンケースを膝の上に置いた。
そして濡れた顔を袖でぬぐうと、ジャンへ微笑んだ。

ジャンはゆっくりと車を出した。
空は黒から日の出前の紫色へ変わりつつあった。

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