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作者:ゲーパロ専用◆0q9CaywhJ6氏

<やまいぬ>・1

車から降りると、山の中腹のせいか、風が冷たく感じられた。
雪が積もっているのは、下の街でも同じだけど、
枝のない木々に積もった雪が、見た目にも寒さを強調しているように思える。
「ありがとうございます」
運転手さんに頭を下げる。
立場的に、下げる必要はないけど、僕はいつもそうしている。
厳密に考えれば、僕――犬養友哉(いぬかい・ゆうや)が頭を下げるべき相手は、
この山には、一人しかいない。
目の前に広がる大伽藍、一宗派の総本山にも匹敵する寺院の中にいる数百名の人間は、
すべて僕の下位にある、ということだ。
もっとも、それは便宜上の話だ。
いくら僕が、宮司であっても、まだ十五歳の少年が、
千年以上の伝統があるこの「神社」で二番目に偉いとは僕自身も思っていない。
だから、駅から運んでくれる「神社」お抱えの運転手にもきちんとお礼を言う。
それは、どこかで、自分が普通の人間であることを確認する儀式なのかもしれない。
普通の、十五歳の男の子。
ただの、高校生。
そう。
普通の、ただの──。
「ふう……」
鳥居の代わりにある大門をくぐったときに、ため息がもれた。
冷えた空気の中で、白く白く、僕の目にもそれが見える。
形になったため息を目にして、僕は、自分に言い聞かせている「それ」が、
虚しい自己暗示であることを改めて思い知らされた。
「……普通なわけ、ないよな」
山中のとほうもなく広大な私有地に建つ、巨大な「神社」。
信者の一人、観光客一人も立ち寄らない、「神社」。
──そんなものが、普通のはずがない。

本殿に入って用意されている部屋で着替える。
学生服を脱いで、神官衣に。
黒褐色の袴を穿いたところで、禰宜(ねぎ)の岩代(いわしろ)さんが入ってきた。
「――友哉様。佐奈(さな)様が、お待ちです」
「はい、すぐ行きます」
「今日は昼餉(ひるげ)も召し上がりませんでした」
「またですか。じゃあ……」
「はい。ご機嫌がとても……」
岩代さんは語尾を濁した。
才色兼備のこの女性が、こういう言い方をするとき、
それは、彼女たちの手に負えない状態であることを遠まわしに言っている。
「相馬(そうま)さんは?」
「権宮司(ごんぐうじ)は、来客中です」
禰宜の岩城さんより偉い、この神社の神主の第二位の人、
つまり、事実上この神社を切り盛りしている人の名前を口にしてみると、
黒髪の美女は、意外な返事をした。
「来客? 誰?」
「双奈木(ふたなぎ)の方だそうです」
「双奈木が? ……面倒なことのようですね」
この神社にも縁の深い名門<支族>の名前は、久しぶりに耳にする。
ということは、あまり面白くない内容の相談だろう。
「それも佐奈様のご機嫌を損ねている理由の一つのようです」
「そうですか」
ため息を押し殺す。
佐奈がそうなったら、相馬さんや岩代さんでどうこうなるものではないことは、
宮司、すなわちこの神社の神主の長である僕が一番よく知っていた。
「とりあえず──台所に行きます」
「そうしてください」
岩代さんは頷いて足早に出て行った。
僕はもう一つため息をついて、部屋の外に出た。

赤身の肉。
京野菜。
貝。
米。
味噌。
鰤のいいのが入っていたので取りあえず、捌く。
用意された食材を、手当たりしだいに使う。
献立は、いつも適当。
考えすぎないことの大切さは、<修行>先で教えてもらった。
<神食>(かんじき)の作り方は、技術ではない。
もちろん技術も大切だけれど、それよりも、
食べる側が食べたいと思うか、思わないか、が大事だ。
そして、厄介なことに、あいつらは、往々にして
「何を作るか」よりも「誰が作ったか」のほうを重要視することが多い。
──佐奈は、その最たるものだ。
三十分でざっくりと仕上げて、膳に並べる。
相馬さんも、岩代さんも、もっと古式にのっとってきちんと盛り付けろと
小言を言うけど、今の僕にはこれが精一杯だ。
「渡ります」
部屋の外に声をかけると、緊張しきった様子の巫女さんたちが、観音式の扉を左右に開ける。
「寒っ!」
思わず言いかけて、慌てて口を閉じる。
料理を膳ごと持ち上げて、扉の向こうに出る。
僕の後ろですぐに扉が閉められる気配。
「向こう」までは、屋根付の渡り廊下。
長さは、百間(約180メートル)。
だけど、この寒さの中では永遠に続くように思える。

走るように、渡り廊下を進む。
奥の院──神様の住まいに渡るときに、
それに仕える人間が、ゆっくり歩いて行くなど失礼だから、
必ず小走りに渡らなければならない。
──そういう作法だ。
だけど、実際は、そうせずにいられない。
足袋が踏みしめる白木の廊下はまるで氷の板のようで、
じっと立っているほうが、よっぽど辛い。
そういうことも考えてこの吹きさらしの渡り廊下を作り、
小走りに走って「向こう」に渡ることをもっともらしい作法にしているんじゃないか?
思わずそんな事を考えてしまう。
あながち、間違っていないかもしれない。
何しろ、僕の先祖どもがやらかし続けていることの悪辣さを考えれば、
それくらいの欺瞞はお手の物だ。
しょうもないことを考えているうちに、百間の廊下は尽きた。
奥の院。
古びた木作りの建物は、しかし、千年を閲(けみ)して、いささかの揺るぎもない。
どんな人間が、どんな技術で建てたのか。
僕にはわからないが、きっと「何か」があるのだろう。
ここに棲むものが、ここに棲んでいられるように、
あるいは──ここから逃げ出さないようにする技術。
ただの木材を千年保(も)たせる技術など、きっと、その副産物に過ぎない。
「……宮司、参りました」
本式の祝詞はめったに使わない。
どうせ、ここから先は、僕以外に誰も進むことは出来ないし、
佐奈はそういうことに特別気をかけないから。
相馬さんたちはうるさく言うけど、案外、本物の神様はそういうことを気にしないものだ。
そう。
この神社の奥の院は、本物の女神の棲家だ。

「遅かったでないかえ……?」
陰々とした声が響く。
部屋の中央でうずくまっている白い布の塊。
部屋に入ったとたんに、こっちに駆け寄ってこないのは、
──重症だ。相当機嫌が悪い。
「ごめん。……いったいどうしたの?」
できるだけ刺激しないように声をかけながら、そっと膳を置く。
「わらわは昼餉も取れずにおったのに……」
こちらの質問には回答せず、ただ文句だけを返す。
瘴気が、渦巻いた。
最低限。
僕の鼻先──膳のぎりぎり手前でそれは巻き戻って散る。
相手に、それをわからせる程度。
本気ならば──膳の上の料理は腐り、僕は発狂するだろう。
そして、佐奈は僕以外の相手にそれを躊躇することはない。
「ごめん。……でも昼ご飯は用意していたよ?」
向こうに手付かずに残っているもう一つの膳を見ながら言う。
紙をかぶせたそれは、朝、僕が作っておいた「おにぎり定食」だ。
「わらわに、あんな冷たい物を食わせる気かや?」
ねっとりとした声に含まれる怒りと苛立ちは、耳から入って腹の底に沈む。
僕以外の人間なら、一週間で胃潰瘍、一ヶ月で胃癌だ。
しかし、毎度のことながら、佐奈の言うことは理不尽だ。
……そりゃ、朝作ったおにぎりは、昼には冷めているだろう。
でも、普段はそんなものでも喜んで食べる。
「わかった。そっちは片付けるよ」
「……後で食す」
食べないとき、捨てようとすると慌てて抱え込む。
仔犬のころから変わらない。
この辺の呼吸は、他の人にはわからないらしい。
あるいは、わかっても、どうしようもないのか。

僕が佐奈に対して、「こうできる」のは、昔からの関係によるものに過ぎない。
「じゃ、とりあえずお昼にしようよ」
少し強引に会話を切り上げ、膳を置くのも他の人にはできない。
──次の瞬間、床に突き飛ばされた。
佐奈が座っていたところから僕の場所まで、軽く10メートルはある。
膳を飛び越えて体当たり。
何が起こったのか見当がついたのは、床に思いっきり頭をぶつけてからだ。
「おそいおそいおそいおそいおそい!!」
一瞬気が遠くなるが、なんとか踏みとどまる。
僕の身体の上に、白い神衣の女が乗っていた。
白磁の美貌。
黒髪と、そこから生えた獣の耳。
鋭い牙。
そして堅く閉じられた目と、空気に渦巻く凶気。
佐奈、この神社に祭られた女神は、
盲(めしい)た犬神。
病み、狂気に陥った凶神(まがつかみ)。
そして、その凶神は、叫んだ。
「なぜ早く戻らない。なぜ早く戻らない。
わらわが待っているというのに! わらわが待っているというのに!」
千年の間、代々に犬神の血を受け継ぐものの間に生まれてきた、
人が作った、美しく、狂った、強力な女神。
そして──。
「――わらわは、友哉だけを待っているというのに!」
……そして、佐奈は、僕の飼い犬。
この娘が、産まれたばかりのまだ力に目覚めない仔犬の頃から飼い育て、
僕の匂いを覚えさせ、食事を、用便を、生きることのすべての世話をして、
犬神の血が目覚めても逆らえないように作った、女神。
僕は、犬養の宮司。
──盲目の女神を飼う、神官。



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