PINKちゃんねる-エロパロ&文章創作板「依存スレッド」まとめページです since2009/05/10

作者:wkz◆5bXzwvtu.E氏



 もそもそと身をよじり布団から抜け出すともう日も暮れかけ
ていた。随分水で薄めたオレンジジュースのような光が、わた
しの棲むロフトへと斜めに差し込んでいる。マットレスベッド
にひいたタオルケットから抜け出して、冴えない頭のまま時計
を確認。ああ。もう18時だ。18時っていうのは午後6時のことで、
それはつまり18時のことなんだよ。わたしは自分でも頭が悪い
と思えるようなことを考える。

 くんくん。

 寝汗の匂いがする。昨日はお風呂には入っていない。杜守さ
んが家にいないと手抜きをしてしまう。あんまり良くない傾向
だ。お風呂に入らなくてはいけない。わたしはロフトの片隅に
あるキャスターボックスから着替えを出す。ハーフパンツに
Tシャツ。お出かけ出来る衣装ではないが、わたしはあまり衣
装をもっていない。引きこもりだからだ。
 洗濯済みの下着をもってお風呂に向かう。
 シャワーで良いかと思っていたが、いざ風呂場に入ってみる
と、湯船が恋しくなる。お湯を張ってしまう。勢いよく出てく
るお湯をながめて、お風呂場で三角座り。
 じわじわと、暗くて陰鬱な気持ちがわき出してくる。

 わたしは相当ダメな女子だ。


 「相当ダメな女子だ」と云う言葉はわたしにとっては効果覿
面の呪文で、脳裏にその言葉が浮かぶと延々とループが開始さ
れてしまう。そもそも、年頃の女子としてお風呂を飛ばしてい
るあたりもダメだし18時にもそもそ起き出すのもダメなのだが、
それに輪を掛けてダメなのは、こうやってお風呂に湯を張って
いるあいだ、水道からでる水流を眺めているあたりだと思う。
 べつに水が流れているのを見ているのが好きなわけではない
のだが、他にやることもないから見ているのだ。
 やることがない、と云うのが、とにもかくにもわたしがダメ
な中心点だ。本当にやることがないのかと云えば、そんなこと
はない。部屋の掃除をしても良いし勉強をしても良いし、何だ
ったらTVを眺めてたって良いはずだ。でも「相当ダメな女子」
であるわたしはそう言うことが、上手に出来ない。

 ――というか、上手に出来る何かほとんど無い。

 わたしこと野村眞埜(のむらまの)は相当ダメである。中学
くらいまでは普通の女子だった、と思う。
 でも、高校に入って何か、ずれてしまった。わたしには姉が
一人いて、その姉というのは、わたしよりも出来がよい。両親
の興味は姉に向かっていた。でも、だからといってそれが原因
だとは思えない。わたしはわたしなりに学校の友達や知り合い
がいて、適当に勉強して適当に遊んで、適当に楽しくやってい
たのだ。

 しかし、なんだかあるとき、ずれてしまった。もうそれは
「ずれた」としか云いようが無く、まず、勉強がダメになった。
確かに優秀な訳じゃなかった成績は急降下爆撃のように落下し
て、わたしは授業について行けなくなった。
 当時付き合っていた友人たちが悪かったのかもしれない。盛
り場に出入りするようになって、学校に行かなくなって、お酒
だったりナンパだったりしちゃうようになるのに時間はかから
なかった。
 当然のようにわたしは人間関係の――男性がらみのトラブル
に巻き込まれて、酷い目にあった。でも、その時にはもう何週
間も家に帰っていなくて、助けを求めようと思える相手なんて
誰もいなくなっていた。

 それでも、それは「ありがち」なダメ話。

 そんな話、夜の盛り場に行けばいくらでも聞ける。男と付き
合って酷い目に合うだなんて、遊んでる女子だったら全員経験
している。レイプされちゃったなんて話だってざらにある。携
帯小説なんてそうゆう話しかないくらいだ。

 わたしのダメっていうのは、そういうダメではなくて――そ
う、もっとすごく格好悪くてショボイ意味でのダメなのだ。
 5人の女の子がドラッグパーティーに誘われて無理矢理えっち
されちゃってる最中に、もう、みんな理性を失って獣さんになっ
てしまっているって云う状況なのに、さえてない一人の女子が
一番後回しにされたまま、そんでもって全員に忘れ去られちゃ
うような種類のダメさだ。

 自分で考えててへこんできた。


 指先で半分がた貯まった湯をかき混ぜながら考える。
 まぁ、とにかく、トラブルがあって、わたしは自分のダメさ
に気がついた。道を踏み外すことも出来ない、いわゆる不良に
もなれない種類のダメな女子だと云うことが身にしみて判った。
わたしから憑き物が落ちたかのように遊ぶ気力もはしゃぐパワ
ーもなくなってしまった。

 そうなってしまうとあとは早い。
 家にも戻れないわたしは一ヶ月も漫画喫茶に泊まって、毎日
ソファーでめそめそと泣いていた。派手に泣く事も出来ないほ
どしょぼい女なのだ。当時のわたしは、まるで自分で落とし穴
を掘って、その落とし穴に頭から逆立ちでもするかのように突
っ込み、暗闇のパニックで泣き出しそうなのに、その姿のあま
りの格好悪さに他人に接近されることを恐れて大声で泣き出す
ことも出来ないような種類の、まさに自業自得なこの世の地獄
にいた。

 17歳の女の子にとって未来は輝かしい、というのは嘘だ。

 わたしは断言出来るけれど、17歳ってこの世の地獄だ。もし
世間の17歳が明るくて楽しそうに見えるのならば、それは明る
くて楽しそうにしてないと、つまり一瞬たりとも休まずに脳内
性麻薬物質を出していないと、自分が地獄にいると気がついて
しまうからでしかない。

 だって17歳なんですよ。

 短く見積もってもあと50年ものあいだ、ずっとしょぼいまま
なんですよ。進学はともかく、就職できないまま50年とか。ま
ともな友人も出来ないまま50年とか。誰からも褒めてもらえる
ことなく50年とか。何かになれないまま50年とか。

 ――そう、誰からも相手にされない50年とか。

 わたしはネットカフェで毎日そう言うことを考えていた。毎
日は暗くて辛くて寂しくて希望が無くて、全面的にじわりじわ
りと悪い方向へと滑り落ちていた。
 家に帰っていなかった数ヶ月できっとわたしは家族にも愛想
を尽かされていただろうし、そもそも姉のいる家にはわたしの
居場所はない。学校だって首になっているだろうし、トラブル
があって友達のほとんど全てを振り切ったわたしに頼るべき人
はいない。体当たり同然にそこらの男性に頼み込んで転がり込
むのは出来るかもしれないけれど、それで何かが変わる気もし
ないし、そもそもわたしなんかにそんな商品価値があるとも思
えない。

 ちゃぷん。
 お湯が貯まったのを確認して、わたしは服を脱ぐ。

 そんなに不細工では無いと思う。けれど、わたしは地味だ。
 どことなく冴えなくて、しょぼくれて、日陰っぽい印象がす
る。

 体型だってスリムと云えば聞こえは良いけれど、それはただ
単純に胸とお尻にボリュームがないと云うだけだ。その証拠に
ウェストのくびれだって、ムーミン谷のにょろにょろと親戚か
というような程度である。
 では少年っぽい中性的魅力があるかというと、そんなことも
ない。アウトドアは嫌いだし、遊んでいた時期ならともかく、
いまは真性の引きこもりなので体力もない。

 お湯で何回か流したあと、熱めの湯につかる。
 それでもこの家に来た当時よりは、ずっと肌がきれいになっ
た。繁華街にいたころも、ネットカフェにいた頃も生活は乱れ
ていたし、ジャンクフードばかり食べてたから、肌が黄ばんで
荒れていたけれど、この家にきてからは白くなった気がする。
栄養状態も良くなったのか、肌もつるんとして(肉がついてき
た気がしてちょっと怖いが)すべすべだ。

 この家は……杜守(ともり)さんと云う人の家だ。
 杜守さんは30歳手前の男性で、つまり、わたしより10以上離
れていることになる。わたしは、漫画喫茶から杜守さんにテイ
クアウトされて、この家でもう半年ほどお世話になっている。

 住む場所もそうだし、食事も、洋服も、家にある色んな環境
も全面的にお世話になりっぱなしで、それはもう本当に申し訳
なくて申し訳ないんだけど他にどうしようもなくて、そのくせ
杜守さんは「気にしないで−」なんて何とも気の抜けるコメン
トしかしてくれない。
 これは世間ではいわゆる「お持ち帰り同棲」と云われている
もののはずなんだけど、どこか決定的に齟齬があるような気も
する。

 だって同棲という気は全くしないのだ。

 これに関しては、何回考えても、毎回のように自分でも自分
の顔にごっそりと縦線が入っているのが実感できる。
 同棲になってない。そういうらぶらぶというかえろえろんな
雰囲気は全くない。それは一面楽ちんなのかもしれないが、逆
方面では耐えられないほど苦痛だ。

 何もなかった……訳ではない。この半年で二回ほど、した。
 普通にした、と思う。

 普通えっちをすれば、もっと気楽になる気がする。つまり、
えっちをしたのだから、ここはわたしの居て良い場所だ、と云
うような安心感を得られるのじゃ無かろうか……のだけれど、
それはわたしの経験が拙いせいの気もするので確信はないのだ
けれど、兎にも角にも、そういった安心感はない。

 杜守さんは、相当にすごい人だ。
 服装や髪型が地味(社会人だから当然だと彼は云っていた)
なので、そのすごさというのは、すぐには判らない。でも、相
当すごい。特別だと言っても良い。
 多分、頭が良いというジャンルに含まれるすごさなのだろう
けれど、わたしは杜守さんに似た「頭の良さ」というのを見た
ことがない。杜守さんは落ち着いていて、観察力があって、ち
ょっと意地悪だけどわりと公平な人だ。

 杜守さんのどこがすごいかはちょっと表現が難しい。とにか
く異常なまでの要領が良いのだ。「要領が良い」といっても、
たとえばごますりが上手いとか云う意味ではなくて、本当の意
味で物事を滑らかにこなせるという意味。
 杜守さんは何でも覚えてるし、自分がやってるありとあらゆ
る事の最高級なマニュアルをもっているみたい。どんなに忙し
いときでも余裕を持って、最初から予定していたように物事を
処理できてしまう人だ。

 正直、わたしは杜守さんが何でわたしをテイクアウトしたの
かさっぱり判らない。2回したのだって、なんというか……しか
たなし? やらないのも不自然だからやった、みたいな。ちっ
ともがっついていないのだ。
 密かに確信しているのだが、あんまりやらないとわたしが居
心地が悪いと感じそうなので、仕方なしにやってくれたのでは
無いだろうか。まさにお情けで。

 すごい勢いでへこんできた。

 わたしは、百年たっても杜守さんみたいになれる気がしない。
それどころか、杜守さんの10分の1でも、何かが上手になれる
気がしない。杜守さんみたいに流通系の仕事で社会人として自
活が出来るかどうかじゃなくて、料理とか洗濯とかそんなジャ
ンルですらかなう気がしない。
 いや、もっとずーっと些末なこと。たとえば目が覚めたらテ
ーブルの上にメモを残すとか、そんなことですら杜守さんにか
なう気がしない。もしこの世の中に杜守さんと同棲できる女の
子ランキングがあったとしたら、わたしのランキングってミジ
ンコよりはちょっと上だけど、柴犬よりは下なんだと思う。柴
犬って可愛いし。つまり、人間としての順位ではないと思う。


 一縷の望みを掛けて杜守さんに聞いたことがある。
 もしかして杜守さんはロリコンなんですか? って。そうし
たら「眞埜さんの年齢はロリータと云うには中途半端じゃない
かな」と云われた。
 じゃぁ女子高生マニアなんですか? と聞いたら「眞埜さん
は学校に行ってないから女子高生じゃないでしょう」といわれ
てしまった。

 へこみすぎて半日ほど布団からでられなかった。

 髪を洗って身体を流したわたしはお風呂場から脱出する。
Tシャツとハーフパンツ。よし、大丈夫。時間は19時過ぎ。
杜守さんは多分20時過ぎてから帰ってくる。何かを用意しよう
……わたしは台所へと移動する。
 冷蔵庫をあさると、冷製パスタを発見。メモを読むと「お
昼ご飯にどうぞ。飲み物は野菜ジュース。あと冷凍庫にアイ
スがあるよ」――なんか、またへこむ。

 その冷製パスタを無駄にするわけにも行かないので、テー
ブルに出す。トマトと桜エビの和風味で最高に美味しそうな
んだけど、これはいったい何時作ったんだろう? 朝出かけ
る前に? ――そのあたりはもはや魔法の領域に思える。

 冷蔵庫をさらにあさる。野菜室にはキャベツ。豆腐と、あげ
と、絹さやと……。ひとしきり悩んだわたしは、回鍋肉と冷や
奴とお味噌汁という当たり障りのない夕食を企画してみる。お
肉あるかなー。豚肉、豚肉。あった! 材料をごそごそ並べる。
回鍋肉はキャベツとお肉とネギを炒めて、合わせ調味料を入れ
れば出来上がりの簡単料理だ。

 中華風の調味料が必要なんだけど、この家ならあるんじゃな
いかな? 何を探せば良いんだっけ? ノートパソコンを起動
してレシピを検索すると、甜麺醤と豆瓣醤らしい。
 わたしはキャベツを半分野菜室に戻すついでに、冷蔵庫をあ
さる。――発見、発見。二種類の茶色い調味料は仲良く冷蔵庫
の扉にしまってあった。その脇にはニンニクもある。卸しニン
ニクも必要なのだった、と先ほどのレシピを思い出しながら調
子よく作る。

 熱した油で豚こまを炒めて、キャベツとネギを入れて、合わ
せ調味料を入れて。わたしもちゃんと料理できてる! お店で
食べるほどじゃないけれど、ご家庭で出る料理ならこれで十分
だよね、なんて思う。この家の台所は広いし、冷蔵庫は整理さ
れていて判りやすいし、料理はいつも上手に出来るから気持ち
いいのだ。

 ――なんて。
 考えてわたしはぎくりと動きが止まる。

 判りやすいし……? 判りやすい冷蔵庫……?。そもそも、
甜麺醤って中華風の甘い味噌なんだけど、何に使う? 回鍋肉
だよね。でも回鍋肉以外には? 使い道が少ないマイナーな調
味料のはずだ。

 で、そのマイナーな調味料が、何で冷蔵庫を開けたら目につ
く扉の内側に置いてあるの? その甜麺醤の隣に豆瓣醤がある
のはいい。似たような調味料だから一緒にしまうのは判る。
 じゃぁ、何でその隣にニンニクが半分置いてあるの? 野菜
室でもないのに。
 わたしは口をぱくぱくさせながら本当にへこむ。
 いや、これはわたしのせいじゃないよ。
 わたしは確かに「相当ダメな女子」だけど、杜守さんのこの
種の超能力的な洞察はわたし以外だって十分へこませるよ。本
当にそう思う。


「いただきます」
「どうぞ……」
 20時過ぎ。
 スーツの上着を脱いだだけの杜守さんはわたしの作った回鍋
肉を食べ始める。口が大きい。すごい勢いで白米を食べる。

「んまいね」
 もぐもぐと咀嚼する合間にそんなことを云う。いえいえ。そ
んなお世辞を言わなくても良いですよ。キャベツは全般的にぱ
りっとしてないし、その割には所々焦げてたりするし。

 ――この回鍋肉はわたしによく似ている。
 食べられないほどまずいなんて事はない。家庭の夕食に出て
くるのならば、かろうじて許せるレベル。でも、センスも感じ
られないし、技術も見あたらない。お店で出てきたらお客が怒
ってしまう。そんな味だ。しょぼい。それ以外に云いようがな
い。

 わたしはサラダ代わりに半分こにした冷製パスタを食べなが
ら思う。結構時間がたつはずなのに、すごく美味しい。さっき
盛りつけるときに、杜守さんがぱぱっとちぎったレタスの上に
のっけて、さらに上からゆずドレッシングをちょっぴり掛けた
りした、すごく無造作で、適当に。それが何でこんなに美味し
いのか。しんなりしたトマト、桜エビの香ばしい感じ。センス
があるとはこう言うのを言うのだ。少なくとも、コンビニのよ
りは5倍美味しいし、お店で出しても文句が出なさそう。

「どしたの? 美味いよ?」
「ええ、すいません。その……」

 わたしはもそもそと言い訳とも何ともつかない言葉を絞り出
す。こうしてうじうじと云いたいこともいえない自分が嫌いだ。
格好悪い。しかしこの格好悪さはどうしようもない。美味しい
料理を作りたければ、練習するなり努力するなりすればいいの
だ。だいたい、それが居候であるわたしに出来る最低限の労働
ではないか。
 しかし、それも上手に出来ない。ダメな女子め。

 食事が終わる。
 杜守さんはシャワーを浴びに立ち上がる。わたしは後片付け
をしてから、もそもそとハシゴをあがる。居間に存在するハシ
ゴは4畳ほどのロフトにつながっている。そのロフトが現在の
わたしの自室というか、ねぐらだ。マットレスベッドにタオル
ケットに、衣装入れ代わりのカラーボックス、本とか漫画とか。
そしてお下がりのノートパソコン。私物はさしてない。

 液晶画面の中で、回鍋肉を調べる。
 肉は下味をつける。キャベツは油通しをする。この2つが味
のポイントのようだ。でも、油通しって一般家庭で出来るのだ
ろうか? 揚げ物に使うほどの油が必要だ。毎回そんなことを
していたら大変だよね。
 調べてみると、水を足してちょっと蒸してやるのも良いらし
い。でも、だとすると回鍋肉とは結構複雑な料理ではないか。
きざんだ材料を全部炒めて調味料を入れればよいわけではない
らしい。
 このようにわたしはものを知らないのだ。へこむ。

 ダメな女子というのは、我ながらうざったい性格の存在だ。
 以前、頑張って餃子を作ったが、80%は焼いているうちに蓋と
いうか包みが崩れて中身がでてしまった。全部崩れるならそれ
は料理が下手であり、もはや個性というものだろう。ドジッ娘
とかなんとかいうやつだ。
 80%崩壊というのがわたしっぽい。
 地面に激突はしない程度の低空飛行。それを50年。気が遠く
なる。

 ――ちかり、ちかり。

 カーソルが点滅する明かりで不意に我に返る。
 回鍋肉に思いをはせながら、少しだけうとうとしてしまった
らしい。調べ始めてから2時間ほどが立っている。23時過ぎだ。

 なんだか毎日沢山寝てるのに、いくらでも寝れてしまう。こ
れが引きこもりというものなのだろうか? ネットでいくつか
のサイトを巡り、掲示板を見て回る。書き込みはしない。
 わたしなんかが書き込んで、この楽しそうな雰囲気を壊して
しまっては申し訳ない。

 何回かは書き込んでみたのだ。
 ネットでならばわたしのぱっとしない容姿もハンデにはなら
ないはずだと。でも、結果から云うと、ダメだった。
 掲示板でも美人は判るのである。断言する。掲示板でも、美
人は美人なのである。
 同じように何気ない書き込みをしてても、たかが10行程度の
メッセージであっても、「なんとなく好ましい感じ」の文章と
いうのは存在するのだ。それとは逆に頑張って気持ちを込めて
2ページ書いても「薄っぺらくて冴えない文章」も存在する。
つまりわたしのことだけど。
 わたしは、どこに行っても何となくさえない。

 それはそれで、仕方ないのかもしれない。冴えないのは仕方
ない。けれど、寂しいのはつらい。恋愛相談の掲示板なんか見
てしまうともうダメだ。それが高校生同士のキラキラしちゃっ
たものだったりすると、最悪だ。
 酸っぱいブドウだと思いたい。酸っぱいから美味しくないと
思いたい。でもそもそも、ブドウは愚か果実らしい果実がわた
しなんかの人生にやってくるのだろうか?
 そう考えると恐怖で背筋が凍てつき、呼吸も出来ないほど胸
がふさがってしまう。

 舌が口蓋にへばりつき、マットレスの上で丸まっていても高
いビルの上から永遠に落下していくような底なしを感じる。今
はこうして面倒を見て貰っているこの家だが、迷惑以外掛けて
いない自覚がある。迷惑、と云うほどドラマチックな存在です
らなく、それはつまりお荷物であると云うことだ。
 「相当ダメなお荷物」であるところのわたしは、毎晩気持ち
悪くなるほどうなされている。こんな夜が50年続くと考えると、
その恐怖はいっそ際限がないほどに膨らんでしまう。
 わたしは「相当ダメなお荷物」だ。でも、なんでなんだろう。
わたしはそのような存在としてあと50年も過ごさなくてはいけ
ないほど何か酷いことをしてしまったのだろうか。
 考えれば考えるほど落ち込んでゆく。

 わたしはもそもそとハシゴを下りる。
 冷蔵庫からバドワイザーを取り出して、凍らせてあったグラ
スと一緒に杜守さんの部屋に宅配をする。

「こんばんわ」
「どうぞー」

 杜守さんは部屋の中で仕事中だった。というか、仕事中に見
えた。複合プリンタは何かのファイルを印刷中だったし、杜守
さんは何かの文章をすごい勢いでタイピングしている。
 わたしはその巨大なデスクのはじっこにグラスとバドワイザ
ーを乗せる。邪魔をするのは気が引ける。とはいえ、一人でい
るのは嫌だ。本日のへこみは最大級で、寂しさが台風のように
やってきてる。
 寂しさというのは、秋の雨のようにしとしとやってきたりは
しない。そんなのは演歌の世界だけだ。寂しさって云うのは、
暴力的でどうしようもないものだ。少なくともわたしにとって
はそういうものなのだ。

「よぅ」
 それから数分、杜守さんは打ち続けていたキーボードから指
を離して、プルトップを引きあげるとともにこっちに視線をく
れる。グラスの注ぎながら、わたしの返事を待ってくれる。
「どうした?」

「あの……」
 ごくごくと喉を鳴らす杜守さん。美味しそうだ。杜守さん曰
く、仕事中に飲むビールはバドワイザーに限るそうだ。仕事を
切り上げるつもりなら他のビール――エビスとかと交換するか
ら、まだ作業が残っているのだろう。寂しさが余計に疼く。

「ちょっと、えっと」
「ごろごろしたい? いいよ。俺はまだ仕事残ってるけど。
1時間くらいかな−。そこのベッドで遊んでれば?」
 杜守さんは気安く云ってくれる。わたしは、はいなんて返事
をして、杜守さんのベッドへと移動する。うん、ちょっと安心
する。一人でいるよりは寂しくない。

 それに杜守さんの背中を見ているのは好きだ。
 杜守さんのベッドで、杜守さんの背中を見て過ごす。これは
現在のわたしの生活の中では、幸福度のかなり上位にランキン
グされる状況だ。
 杜守さんはかなりの速度で仕事をこなしていく。後ろで見て
いて、停滞というものが全くない。考えたり戸惑ったりしない
のだ。なにをやっていても、杜守さんは自信があるように見え
る。でも以前そう聞いたときには笑い飛ばされた。そんなこと
はないって。失敗したらその時考えればいいって諦めてるだけ
さ、なんて云っていた。わたしには、どっちも信じられないよ
うな話だ。自信を持って生きていくのも、失敗を覚悟するのも、
どちらもハードルが高すぎる。そんなこと受け入れられたりす
るものなんだろうか?

 そんなことを考えながら、わたしはとろとろとまぶたが緩く
なってくるのを感じている。杜守さんのベッドは大きめで、わ
たしには大きすぎるが、居心地は良い。ここで微睡むのは大好
きだ。でも、けじめとして杜守さんがいない間、わたしは杜守
さんの自室に入ったりはしない。
 わたしがここで横になったりできるのは、杜守さんがいる間
だけだ。特別な場所で大事にしなければならない場所。そう考
えると、じんわりとした幸せが身体に満ちていくようで、余計
に枕に頬をこすりつけてしまう。

「うー」
 いつの間にか杜守さんが立ち上がって、大きく背伸びをして
いる。熊のようなひとだ。わたしももそもそ起き上がって、ベ
ッドの端っこに待避。なんといってもここは杜守さんのベッド
なのだから。

「終わりましたか?」
「終わったよー」
「ビールのおかわりもってきますか?」
「ううん、もういいや」
 肩をぐるぐる回しながら杜守さんが近づいてくる。

 ばふっ。
 派手な音を立ててベッドに倒れる杜守さん。疲れているのだ
ろうか、いきなりうつぶせだ。

「お疲れですか?」
「余は疲れた」
 お疲れらしい。わたしはグラスを下げに台所へ行くと、目元
用ひんやりアイスノンをもってくる。パソコン仕事の杜守さん
の愛用品なのだ。杜守さんにそれを渡すと、うつぶせのままご
そごそと装着して、寝返りをうつ。杜守さんとわたしは30cm近
い身長差がある。わたしから見ると、杜守さんは熊のように見
える。

「で、本日はどしたの? 眞埜さんや」
 杜守さんがぐってりとしたまま聞いてくる。一人で居るのが
耐えきれないので邪魔をしに来た、なんて流石にいえない。

「背中とか揉みましょうか?」
 だからわたしはそんなことを口走る。わたしは杜守さんには
どうにも勝てないという敗北感が染みついてしまっていて、自
分でも判るのだが面の向かうと腰が引けてしまうのだった。
 嫌いとか苦手とかではない。むしろ、とてもとても、その反
対なのにだ。

「おー。さんきゅ」
 なんていって杜守さんは背中を向けてくる。わたしはその背
中にまたがって手を伸ばす。背中を揉む、なんていったけれど、
いきなり背中を揉んではいけない。最初は指先だ。疲労物質?
というのは、血液で運ばれて掃除されるそうだ。
 だから、心臓に遠い場所から中央へと進まなければならない。
わたしはマッサージが上手なのだそうだ。これは杜守さんが褒
めてくれたことだ。だからもっと上手になりたい。

「……うー」
「痛いですか?」
「大丈夫」
 散文的な会話を交わす。わたしは喋るのが上手ではない。
 喋りたい欲求は人一倍あるのだが、話しても空気が読めなかっ
たり、空回りしたり、逆に押しつけがましいことを言ってしまっ
たり――何回かの失敗のあと、それくらいなら黙っていた方が
まだましだと云うことを学習した。杜守さんは喋るときには結
構雄弁なのだが、普段必要がないときは黙っているタイプだ。
なので、二人で居ると会話がぶつ切れになってしまうことが多
い。

 指先から手のひらへ進む。キーボードを叩く仕事の杜守さん
の指の筋は硬い。念入りにしてしすぎると云うことはない。そ
の後、手首から肘に向かってじわじわと進んでいく。
 やっぱりがちがちだ。ぐにぐにと揉みほぐしてゆく。杜守さ
んの背中が呼吸に従って動いている。それを見ているのがくす
ぐったくてふわふわした感情を呼び起こす。

「眞埜さんさ」
「はい?」
「もしかして、本日は情緒不安定の波来てます?」

 杜守さんの背中の上でぎくりとする。
 お見通しだった。
 お見通しされてしまっていた。

 実を言えば、わたしは寂しいの大嵐に巻き込まれて、取り乱
すほど泣く、と云うのを杜守さんの前でやっている。杜守さん
には放り出されても文句が言えないような迷惑を何度か掛けて
いるのだ。

「……えっと、少しだけ」
 杜守さんは、わたしの「寂しい」とか「泣きわめく」とかを、
直接的な言葉ではわたしに示さない。「情緒不安定」と云って
くれる。たぶん、そこはかとない気遣いなのだろうと思う。10
歳も上の杜守さんにすれば、小娘のわたしの「それ」は、まさ
に「情緒不安定」に過ぎないのが事実であったにしても、だ。

「ため込まないで、爆発する前に来たのは進歩だね」
 へ?
「そうでしょうか」
「うん、そうじゃない? 意地を張りすぎると、後が大変でし
ょ?」

 そうなのだろうか。あまり進歩したような気がしない。自分
の気持ちも自分でけりをつけられないで、杜守さんの所に甘え
に来てるわたしは本当にダメ女子だ。絶世の美人だったり家事
のエキスパートだったりすればまだしも救われるけれど、わた
しは本当に箸にも棒にも引っかからない「平均以下」だったり
するので、甘えるような権利なんて何一つ持ち合わせていない
のに。

「こっちも」
 杜守さんが左手をにぎにぎしてる。わたしは左手にうつって、
その指先から丁寧に力をこめて揉み始める。
「ふわぁ、しゃーわせ」
 杜守さんがほふうと大きな吐息を突く。うつぶせのまま横に
向けた表情は、すごく満足そうだった。10も年上だというのに、
その横顔だけならそこらにいる男子高校生と大差がない。

「そうなんですか?」
「仕事は終わった。ビールも飲んだ。おなかはいっぱいだし、
ベッドでごろごろで、ビキビキになってた指もマッサージして
貰ってる。幸せだろ? ふつーに考えて」

 わたしは少し考えてから、頷く。
 よく判らないけれど、杜守さんがそう言うのならそうなんだ
ろう。杜守さんの幸せの末席に自分が居るのならばそれは僥倖
だ。そんな場所に座る女の子としてわたしはあまりにも出来が
悪い。もっとどこかのお嬢様とか、仕事ばりばりの美人OLさん
とか、じゃなければ美少女とかが座るべき席の気がする。こん
な高校中退の家出ダメ女じゃなく。

「平気か? 泊まっていくか?」
 自分の家に居候しているわたしにそんなことをいう杜守さん。
この「泊まっていくか?」は、このベッドで一緒に寝るか? 
という意味なんだろう。その奇妙な気遣いがおかしくて、ちょ
っとだけくすりと笑ってしまう。でも、面白かったのより嬉し
い気持ちの方がずっと大きかった。一人でいると、無制限にへ
こむ気持ちも、杜守さんと一緒ならば感じないで済む。
 ふわふわと温かい気持ちでいっぱいだ。

「よろしければ……」
 だからわたしの声はほんわり幸せ色だったろう。あいかわら
ず腰が引けた臆病者の返事だった癖に。




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