「………部屋割りだけど。若干の問題が」

混雑する宿の食堂で。部屋の交渉をしていたナーシアが戻ってきて、僕らに言った。
ナーシアと僕――アンソン・マンソンと、フェリタニアのピアニィ女王とその騎士、アル・イーズデイルがベルクシーレに向かい始めて数日目の事。
「………まあ、混んでるのは見りゃわかるからな。何部屋取れたんだ」
憮然とした表情の女王騎士ドノが、ナーシアにうながす。―――何つーか、昔馴染みだかなんだか知らないけど、基本的に気安いな…。
何時もどおりの無表情で頷いたナーシアが、手に持った鍵を見せる。…その数、二本。
「二部屋かあ。まあ、男女で分かれるのが一番いいんじゃないかな?」
僕の提案した常識的な部屋割りに、噛み付いてきたのは――アル・イーズデイルだった。
「却下だ。ウチの姫さんとコイツを一部屋に置いとくなんて冗談じゃねえ」
コイツ、といいながら指差したのは、もちろんナーシアだ。…失礼極まりない呼び方にも指さしにも、ナーシアは無表情のまま。
逆に僕のほうがいささかむっとしながら、噛み付き返す。
「だけど、それが一番常識的だよ。こっちは勝負に負けてるんだから、変な手出しなんかしないし」
「最初にそっちから手出ししておいて、信用できるかっ! 大体、コイツが勝負に負けたくらいで任務を諦めるかよ!?」
―――ま、まあ、確かにこっちから手出ししたわけだけど、それはひどくないか!?
僕が反論しようとした時、ナーシアがポツリと口を開いた。
「―――確かに、チャンスがあれば任務の執行は未だ可能。私は諦めると言った覚えもないし」
「―――ったく、お前はそういう奴だよな…」
「いやそこは引っ込めておこうよっ!?」
僕たちの反応に、ナーシアはどこか面白そうな視線を向ける。――えーと、からかわれてる?
「………だけど、ここで実行するような証拠の残るまねはしない。それは安心して欲しい」
「――そりゃそうだろうが、姫さんに変なこと吹き込まれちゃたまんねえからな。ともかくその提案は却下だ」
変なことってなんだろう…とちょっと思ったが、確かに昔馴染みから妙な噂を聞かされたら、あの女王様は信じちゃうだろうなあ。
「だけど、ふたり部屋二つなら――」
「――――違う。部屋は、二人部屋ふたつじゃない。だから問題が、と言った」
僕の再反論に、ナーシアが被せるように声を上げる。アル・イーズデイルが顔をしかめて、ナーシアを半目で睨んだ。
「………だったら最初から言えよ。で、何が問題なんだって?」
ナーシアは無言で頷いて、僕たちに鍵をはっきりと見せた。――その鍵の一本は、もう一本よりいくらか装飾が多い。
「取れた部屋は、個室がひとつと二人部屋がひとつ。――一応、追加料金を払えば、二人部屋にもうひとつベッドは入れられる、と聞いた」
つまり……部屋割りは1対3、って事か。それは確かに若干問題がありそうだ。
だが、傭兵出身の女王騎士殿は、ナーシアの言葉にあっさりと頷いた。
「だったら、そっちに異論がなければだが――その個室は姫さんにくれるか。俺は個室の床で寝るから、二人部屋はそっちで使ってくれていい」
ずいぶん――失礼かもしれないが騎士道的な申し出に、僕は驚いて声を上げた。視界の端ではナーシアが、凄く迷惑そうに眉を寄せている。…なんかそれも失礼なような気が。
「え、でも、床って――大丈夫なのか? 疲れ取れないんじゃないか?」
僕の言葉に、アル・イーズデイルは皮肉げに歪んだ笑みを浮かべる。
「―――こちとら傭兵上がりだからな。坊っちゃん騎士様と違って、床でも寝れりゃあ上等ってなもんだ。ご心配には及ばねえよ」
その嫌味にカチンときて、僕が言い返そうとしたとき――ナーシアが静かに口を開いた。
「………ここで揉めている時間はないと思う。そろそろ限界みたいだし、私も空腹」
ナーシアの視線の先に、宿のテーブルにかけたままこっくりと舟をこいでいるピアニィ女王の姿があった。
確かに、今日はほとんど歩き詰めだったから、体力の一番ないピアニィ女王にはきつかったんだろう。…それに、空腹なのは僕も同じで。
「………そうだね。じゃあ、その部屋割りで」
「……ああ、感謝する。俺はちょっと、姫さんを起こしてくる」
そう言い捨てて、忠実なる女王騎士殿は眠りの国に旅立った女王の元へ駆け寄った。その背中を見送ってから――ナーシアが、優しい笑顔で僕に振り向いた。
「―――――じゃあ、アンソン。……頑張ってね」
「………え、あの、何が――」
どぎまぎしながら聞き返そうとしたときには、ナーシアは既に歩き去っていて――通りかかった給仕の女の子に、手早く注文をしていた。
「すいません。そこのテーブルに定食を四つ。それと、ナッツの盛り合わせひとつ」
「………ナッツ?」
「……ナーシア、お前、ナッツ好きだったか?」
突然妙な注文をしたナーシアに、ぽかんとして聞き返すも無視される。居眠りから起きたばかりのピアニィ女王だけが、その言葉にふわりと笑った。
「あ、あたしもナッツすきです〜。一緒に食べてもいいですか〜?」
「どうぞ。…全部食べたいわけではないから」
またしても謎の多い返答をしたナーシアに、首をひねりながらも――僕はとりあえず空腹を満たしに席に着いた。


……………そして。僕はナーシアの言葉の意味を、夜中に身をもって知ることになる。

深夜も深夜、正に草木も眠るって時間に………僕は頭に枕を巻きつけたまま、必死に祈りの聖句を唱えていた。
別に幽霊が出たわけじゃない――そっちの方が気が楽だ、聖句で退散してくれるんだから。
今の任務に着いてから知ったことだけど、こういう宿というのはそこそこ上等でも、結構壁が薄い。
よっぽどの所を選ばない限り、夜中の人が寝静まる時間には、隣やその先の部屋のいびきや寝言が聞こえてくるなんてのはざらな話で。
まして今僕がいるベッドは、隣部屋とのさかいの壁に接して置かれているわけで。
そして、コレはお互いの事情からなんだけど――相手方が抜け駆けとか、妙な動きをしないように僕らとフェリタニア側は必ず隣同士の部屋と決めている。
(多分そうでなければ、今回だって二人部屋ふたつとか取れたんだと思う)
―――無理矢理思考を理論的な方向に持っていきながら、僕は必死で二十三回目の聖句を唱える。
こんなことをしている理由はただ一つ、隣の壁から伝わってくる音を聞かないようにするためだった。
『……………っ………ぁ、――っ、ぁっ…………』
音というか、声というか、むしろ息遣いに近いかもしれない。か細く高いそれがなにを意味するかは、言われなくたって判る事で―――
二十四回目の聖句を熱心に唱えながら、僕は隣のベッドに眠るナーシアをちらりと見た。
音を聞かないようにしてるから寝息は聞こえないけど、見た感じではぐっすり眠っている。―――何というか、さすがに密偵なんかやってると図太いというか……それとも女性だからなのか?
思わず首をひねった瞬間に枕がずれて――
『………んっ、―――あぁっ、や……っ、―――あ、るぅっ…!』
よりはっきりとした声を聞いてしまい、慌てて僕はベッドに頭から潜り込んで聖句を再開する。
うん、まあ、隣の女王様と騎士殿がそういう関係だろう事はナーシアとカテナの情報から知ってはいたけど、まさかこんなことになっていようとは思いもしなかったよ僕ぁ。
さっき部屋割りの時に、ちょっとでも騎士道的とか思った僕はよっぽどの間抜けだって事ですかそうですか。
そういえばあのときのナーシアの迷惑そうな顔は――この事態を想定してのものなのか? だけど今、ナーシアはしっかり眠っているし……。
ぐるぐるぐるぐると、意味のない思考を続けながら、僕は必死で聖句を唱えつづけた――――


………記憶の最後は、たぶん百三十五回目の聖句を唱え終わった時に射した、白い光。
断っておくが、その時間まで『音』が続いてたわけじゃない。気がついたときには『音』は消えていたけど、今度はナーシアの寝息が気になっちゃって気が鎮まらなかっただけなのだ。
―――ああ、本当に未熟者だな、僕は………。
そんなことを思いながら、ベッドの上にどろどろの寝不足で座り込んだ僕の横で――ナーシアが爽やかに目覚めて伸びをした。
「…………ナーシア、キミって……本当にタフというか、図太いね」
寝不足のせいで、普段だったら絶対言えないような本音が僕の口から零れる。
…だけど。普段なら冷たい視線とともに『あなたほど無神経じゃない』とか何とか嫌味返しをしそうな彼女は、僕の言葉を完全に流した。
いつもと違う様子に戸惑う僕の目の前で、ナーシアは上着を羽織り、耳に手を当てて―――
コロリ、と白い手の上に転がるのは、殻付きのナッツ。………昨夜のナッツ盛り合わせに入っていた奴だ。
「………おはよう、アンソン。何か言った?」
さらっといつもどおりの顔で言うナーシアに、僕は恨みがましい視線を向けた。
「………ナーシア…キミ、こうなることが判ってたろ?」
「事前の情報があるのに、対策をとらないほうが悪い。私を襲わなかったことだけは評価してあげるけど、自業自得」
―――ぴしゃりととんでもないことを言われて、僕は落ち込みに落ち込んでベッドに沈む。…何が怖いって、隣の部屋組に会うことが怖い。
「…………時間がないんだから、二度寝はしないで。私は顔を洗ってくるから、その間にきちんと身支度をしておくこと」
言うだけ言って部屋を出て行く足音を聞いてから、僕はのろのろとベッドを降りた。もちろん、身支度するために。
………はあ。

「ナーシアさん、アンソンさん、おはようございます♪」
「いつまで寝てんだよ、遅ぇぞ」
階下の食堂に降りていくと、既に出発の準備を整えたフェリタニア主従が朝食の席に着いていた。………一瞬足が止まっただけで済んだ自分を、褒めたいと思う。
「―――アンソンが寝坊したから。私はちゃんと起きた」
ナーシアの素っ気無い言葉に、アル・イーズデイルが眉をしかめてこちらを睨んだ。―――いやその、お前のせいだよと言いたいけど言えない…。
「アンソンさん、大丈夫ですか? 顔色悪いみたいですけど………」
「―――っ、いや、その、大丈夫ですよ! 《インデュア》も《ヒール》も出来ますからっ!」
こちらを心配してくれたらしいピアニィ女王に下から覗き込まれて、僕は慌てて身を引いた。なんか、こう、目に付くんだ白い肌がっ。
「アンソン、うるさい。食事くらい静かにとって」
「―――姫さん、いちいち構うな。こっち来てろ」
ほぼ同時に、互いの相棒(あちらの場合はパートナーというべきか)にたしなめられて、僕と女王陛下はすごすごと席に着き食事を再開する。
「………でも。防御担当のアコライトさんの体調は、きちんと確認しなきゃですよ?」
「戦闘がある時だけでいいんだ、んな事は。大体―――」
なにやら雑談を始めた二人にはもう、僕の存在なんか目に入っていないらしい。
「…………も、保つのかなあ、僕……精神的に……」
手にしたマグカップに向かってぽそりと呟いた僕に、ナーシアが囁き返した。
「―――良かったわね。いい《トレーニング》が出来て」


ベルクシーレへの道は―――遠い。








ハイ、そんな話です(笑)
ちなみに、タイトルは『アンソン君がみんな悪い』の略。
となりの部屋視点の『あんみん。裏』はR18となりますのでご注意。

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