「―――はぷひゅっ!」
街道から少し離れた林の中に、可愛らしい破裂音が響く。
「……姫さん、風邪か?」
「―――大丈夫? 必要なら休息を取るけど」
その発生源――くしゃみをしたピアニィに、アルとナーシアがほぼ同時に声をかけた。
「あの、だ、大丈夫ですっ。ちょっと空気が冷たかっただけで―――もうすっかり冬なんですね」
ぱたぱたと手を振り、話題をごまかすピアニィに、ナーシアは軽く顔を近づける。
「………顔色も悪くはないし、熱もなさそうだけど――風邪をひいたなら早めに申告して? 連行する時に色々不都合だから」
「え、そういう方向で心配なの!?」
「てかまだ連行する気でいんのかよっ!?」
真剣な表情で言うナーシアに、男二人がすかさず突っ込みを入れる。が、ピアニィだけはそれを彼女なりの冗談と受け取って、くすくす笑った。
「―――はい、だいじょうぶです。でもやっぱり、山が近くなると寒いですね…ベルクシーレって冬は厳しいんですか?」
季節は十二月、向かう先のベルクシーレは山の麓、というかむしろ山を崩して造った都市である。
温暖なノルドグラムで生まれ育ったピアニィには、厳しい冬と言うものが想像もつかない。だが、尋ねられた側も――
「………どうなんだろうね? 雪は降るし、暖炉の火を絶やすと家の中でも扉が凍ったりはするけど――冬ってそんな物じゃないかと」
同じく、ベルクシーレで生まれ育っているアンソンも故郷以外の冬が想像できず、首を捻る。同僚の見識の狭さに、小さくナーシアが溜息をついた。
「それは、グラスウェルズ――というか王都だけだから。ベルクシーレは冬場相当寒いから、覚悟はしておいて」
「…………だから、そんな格好するなって言ったんだよ。これから寒くなるって時になんで肌の出る服着るんだ」
明らかに不満げな表情と声で。最愛の騎士から投げつけられた言葉に、ピアニィは小さく首をすくめた。
「ぅ。で、でもコレ着たときはベルクシーレに行く予定は全然なかったですし――」
「山ン中ってことならバーランドだって一緒だろうが。大体どこにいたって冬には変わりがねえんだ、だから――」
「ちゃ、ちゃんと袖も長くなってるから冬用ですよぉ」
「………姫さん、焼け石に水って知ってるか」
「…………あー、いや、そのー…こ、ここで言い争ってても何にもならないんじゃないかな? 立ち止まってると寒くなるし……」
言い争い(痴話喧嘩とも言う)を始めたフェリタニア主従に、弱々しい声でアンソンが助け舟を出す。確かに風は冷たく、これから暖かくなる事は見込めそうもなかった。
「珍しくアンソンの言う通り。ココで喋ってるだけ時間の無駄だから、さっさと歩いて。―――そんなに寒そうで気になるなら、アルが温めてあげれば?」
怜悧な表情に、呆れた色を乗せたナーシアが言い捨て、さっさと歩き出す。『珍しくってのは酷いよ』などと言いながら、アンソンも後に続いた。
そこに残るのは、憮然とした顔を真っ赤に染めたアルと、耳まで赤面して俯くピアニィのみ。
―――恥ずかしさと、アルに怒られて落ち込む気持ちから、ピアニィはじっと自分のブーツの先を眺めている。

その視界を、暖かな枯葉色が覆った。

「え、あ、アルっ……」
慌てて顔を上げたピアニィの首から下を、アルのマントがすっぽりと覆っている。確かに先程より格段に温かいのだけれど――。
「いいから、次の街までそれ着とけ。―――ナーシア、次に街に入ったら買い物行くからな」
むくれたような表情のままで、アルは背を向け少し離れたナーシアに声をかける。見慣れないせいか、マントの無いアルの肩は酷く寒そうに言えた。
「で、でもアルが寒いんじゃ…っ。あたし、少しだったら我慢できますから、アル着ててくださいっ」
「さっきくしゃみしてた奴が何言ってんだよ。それに、そんな寒い格好されてると見てるほうが寒いんだっての」
追いすがり、マントを返そうとするが、アルは振り向かないまますたすたと歩いていく。――ピアニィに合わせた速さで。
「で、でも――」
「でもじゃねえ。いいから着てろ。風邪なんかひいてみろ、二度とその服着させねえからな」
「そんなぁっ…」
追いついてきたふたりがまだ言い合っているのを見て―――おずおずとアンソンが手を上げた。

「…………あの〜…だったら《派遣販売》使おうか? そしたらすぐマントが買えると思うけど」

―――――――………………………………。
全員が沈黙し、足を止めたまま――冬の風が通り過ぎる音を聞いた。
「…………アンソン、あなた―――空気を壊すのだけは天才的ね」
「え、ダメかなあ!? ぼ、僕かなりいい事言ったと思ったんだけど!?」
呆れ果てた声のナーシアに、アンソンが愕然と振り返る。――――天然、恐るべし。
その様子を見て、自分に着せ掛けられたアルのマントを見て――ピアニィはくすりと笑った。
「―――そうですね。じゃあ、《派遣販売》、お願いします♪」
「……………それはつまり、俺のマントを着てるのがいやだ、と」
思いも寄らぬピアニィの言葉に、アルがふてくされきった声で呟く。だが――――
「あら、だってそうしたら、すぐアルにマントが返せるから―――ふたりとも寒くなくなるでしょ?」
「――――………っ」
振り返ったピアニィの、満開の花のような飛び切りの笑顔に――たっぷり十秒、言葉を失ってアルが沈黙する。
「…………アルの負け」
ぽそり、と小さく呟いたナーシアを横目で睨みつけて、アルは精一杯の反論を返す。
「いや、だけど俺は別に―――」
「だって、アルが言ったんですよ?『寒い格好されてると見てるほうが寒くなる』って。アルが寒そうなのは、あたしが嫌なんです。…アルと同じに」
にこにこと笑顔で返されて、いよいよアルは返す言葉を失って横を向く。赤くなった頬は、風の冷たさのせいではなかった。

―――ベルクシーレへの旅は、冬が始まったばかり。


おまけそのいち。
「…えーっと、じゃあ、使っちゃっていいのかなあ《派遣販売》…」
「使いましょう。…ちょうど《値引き》持ってない時だし」
「…………それ、いやがらせだよねナーシア……」
「そもそも、こっちのギルドスキルに《派遣販売》無いでしょ」
※ギルドスキル《派遣販売》はアブソリュート側のみのスキルです(滝汗)お詫びして訂正いたします。

おまけそのに。
「………買う物、決めとけよ」
「えっと、じゃあマジックマントいいですか?」
「―――――装備重量の計算してから物言えよな」









そして、お詫びがてらのおまけそのさん。


…《派遣販売》で呼んだ商人からピアニィの防寒具を購入し、アルはようやく一息ついた。
ブルックス商会からの派遣になるだろう事は予想していても、まさか姉が来るとは思わず――ーそれなりに精神的ダメージを負った彼を、やや遠巻きに眺めながらアンソンが口を開いた。
「………お、お前が呼びたがらない理由がよくわかったよ…スマン……」
「―――――半笑いで言っても説得力ねえぞ。ったく…あいつらときたら…」
再び静けさを取り戻した林の中に、アルのぼやきが風に乗って消える。
「…………とりあえず、進みましょう。日が落ちる前に、もう少し距離を稼いでおきたい」
ナーシアの号令に、アンソンがおとなしく従い歩き出す。アルも足を動かしかけて―――隣に立つピアニィの様子に気付いた。
「姫さん、どうした?」
防寒用の軽い毛織物のケープをミスティックガーブの上から羽織ったピアニィは、ある意味で非常に冬らしい装いとなっている。
ブルックス商会が直々に持ってくるだけあって、見た目の割に軽く動きを妨げないという非常に良い品だった。その分値段もかなりしたが、他に防寒具は無いといわれては仕方が無い。
そのケープを羽織って――ピアニィは細い指に、白い息を吐きかけていた。
「―――あ、だ、大丈夫です。あったかいの着たら、今度は指先が寒く感じちゃって」
「…だったら、ケープの下に手入れとけ。行くぞ」
「あ、はいっ」
愛らしく微笑むピアニィから軽く目をそらして、アルは先行するナーシア達に追いつこうと歩き出した。―――姉の見立てたケープは、ピアニィにこの上なく似合っている。悔しい事に。
上半身を覆うケープに手を入れたまま、とてとてとピアニィがついて来るのが気配でわかる。歩きにくそうなその様子に、アルは前を向いたまま、小さく囁いた。
「―――――姫さん、右手出せ」
「え、あ、はい」
素直に差し出された右手を掴み、自分の手ごとポケットにしまって―――少し速いペースで歩き出す。
「………あ、アルっ……」
「―――静かに。あいつらに振り向かれたらうるさい」
赤い顔のまま、振り向きもせずに。握った手を引いて、アルはざくざくと落ち葉を踏みしめる。
―――――ポケットに入れた手の中で、そっと握り返してくるピアニィの手を愛しく思いながら。


お詫びやらで色々とのびてます。
しかしつまるところはケープの陛下可愛いよねと(お)

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