「文化系大新年会 朝まで生Life」

2007/1/1放送「文化系大新年会 朝まで生Life」


出演:鈴木謙介、仲俣暁生、佐々木敦、斎藤哲也、柳瀬博一、津田大介(ゲスト)

※以下の発言まとめは、正確な番組での発言とは異なる場合があります。

MP3その1


鈴木:今日は文化系大新年会。去年に起こった出来事を振り返りつつ、今年の話とか。

サブパーソナリティ紹介。

柳瀬:今年は本を年末まで作ってた。イッセー尾形さんの『人生コーチング』という本を斎藤哲也さんと。

鈴木:その斎藤さん、スタジオに入ったのが二分前w

斎藤:カウントダウン後に来たらぎりぎりに。新しい本はもう出てます。

鈴木:次が佐々木さん。

佐々木:今年は自分の事務所の11年目、心機一転でいきます。

鈴木:次は仲俣さん。

仲俣:昨年はいそがしかった。あといじめが大きな話題になったのが印象に残ってる。

鈴木:ゲストで津田大介さん。

津田:去年は忙しかったのと、すごく月並みだけど、ネットとリアルの距離がすごく近くなった。

鈴木:メール、今年はいろいろあったなあ。ホリエモン、小泉、安倍、子殺し、フセイン。音楽だとジェームス・ブラウンの死去。ミスター・ショービジネス。というわけでJBが一曲目、「Try Me」。

〜曲〜

鈴木:昨年はスポーツ、インターネット、コンテンツ立国が話題に。ヒット予想とかじゃなくて、マニアック目線での06年、07年の話をしたい。メールもお寄せください。メール読まれた人には特製バッジプレゼントします。
というわけで津田さん、去年はITが話題になりましたけどどうでした?

津田:まずホリエモンが逮捕されて、でもあれって経済事件なんだけど、IT長者ってのが胡散臭いって見られるように。ライブドア虚業とか言われたけど、会社がなくなってないことの意味が分かってない。それがWeb2.0の本質。PSE騒動ってのもそう。

鈴木:PSE騒動って?

津田:電気用品安全法といって、これが中古の電子楽器とかゲーム機とかを売るときに、認可をしたものじゃないと販売できなくなると。で、中古楽器屋、AV屋が混乱をすると。で、経済産業省が作ったんですけど、調べていくとほとんどの小さい楽器屋さんが廃業しないといけないんじゃないかという話になって、ネットでおかしいんじゃないかという運動が盛り上がって、一人が坂本龍一さんにメール送ったらそれが連日報道をされ、最終的には経産省がごめんなさいしたという。

鈴木:柳瀬さん、経済事件としてのITってあったけど経済動向はどうですか。

柳瀬:ITと経済が同時並行してるのは偶然もあるんだけど。まず90年代末から2000年あたりでITバブルっていうのがありましたよね。これは技術的にWindowsが出てきて、ITが成長していく流れと、失われた10年を日本が送っている間に、金融マーケットがガラガラポンされて、ベンチャーが作りやすくなったっていう流れがあった。その結果、ベンチャーとして一番立ち上がりやすいITの分野に起業が集中して、お金がたくさん突っ込まれた。その中で一番お金の供給を得やすい仕組みをとったのは、知名度をレバレッジにしてM&Aする会社だった。それがITビジネスの胡散臭い、ヒルズ族的なものになっていった。実態がある部分もそうじゃない部分があるんだけど、ITの普及とベンチャーの勃興という、80年代のアメリカの金融バブルをトレースしたという条件があったから、というところがある。

鈴木:その話もけっこう聞きたいんだけど、なんかいま突然原稿を渡されて、なんとゲストの方と電話が繋がっているそうです。これは一体どういうことなのか、聞いてないんですけど。
もしもし、あけましておめでとうございます。

宮台:あけましておめでとうございます。

鈴木:こっっ、この声は宮台真司さんですね。

宮台:なんか変な感じだねー。

鈴木:番組でこうやって話すのも変な感じですけど。

宮台:なんで番組で話さなきゃいけないんだよ。

鈴木:プライベートで数日前にも電話しましたよね(笑)。宮台さんTBSではお馴染みですけど、2006年一番大きかったことって何ですか。

宮台:お世継ぎ騒動が一番印象に残ったね。今年の9月6日に悠仁さんが生まれるまで、ずっとこの騒動が続いてましたよね。

鈴木:皇室典範改正でもめていた。

宮台:そう。この問題、マル檄でずっと扱っていて、『天皇と日本のナショナリズム』という本まで出したという。大きな話になりましたよね。

鈴木:悠仁さまがお生まれになってからあっという間に話題がしぼんだのもびっくりですね。

宮台:そうですね。皇室や天皇というものの、日本社会における位置づけを象徴したものでしたね。

鈴木:お世継ぎ問題で言うと、先生にも2006年は「お世継ぎ」がw

宮台:実はそのニュースを一番に挙げたかったんですが、連れ合いに止められまして。

鈴木:各種メディアでお祝いしてるのを見て、先生の顔の広さと人徳を感じました。今度出産お祝い送っておきますw
2007年は告知的なものをお願いできますか。

宮台:今年は本がたくさん出るんですよ、予定では11冊くらい。

鈴木:えっ!

宮台:いま既にゲラを5本くらい抱えてて、それを処理するだけで大変。その他に執筆があって大変。全体として私はもともと理論社会学や数理社会学の本業でしたけど、本業の方に力を入れていくのかなと。

鈴木:宮崎哲弥さんもずっとそうしてくれって言ってましたよね一時期。やっとそれが本になって出るということで。

宮台:お世継ぎ問題もそうなんだけど、2006年までというのは、この社会を現す色んなことが出てきたかなと。で、なんかね、僕その、TBSでも時事ネタを扱いながら、新しいことが起こっているようで、ほとんどどのニュースも聞いたことがあるものばかりだなという印象があるのね。確かに色んなニュースがあったんだけれども、身を引いたところから眺めていたような記憶がありますね。

鈴木:僕もこの番組でいじめの話をしたときに、いじめ自殺で予告をするっていうのは、10年前に先生が朝日新聞に書かれた記事で分析をされてるんですよね。そういう意味では世の中の枠組み、変わってないといえば変わってない気がしますよね。

宮台:そうだね。

鈴木:2007年は本がたくさん出るということで、ご活躍、期待しております。

宮台:チャーリーも本を出すって噂じゃないですか。

鈴木:僕も頑張って今年は2、3冊出そうと思ってますんで。頑張ります。今度は是非スタジオに来て喋っていただければ。

宮台:ホントは今日スタジオを隠密理に急襲しようと思ってたんだけど。

鈴木:いやほんと勘弁してください。

宮台:首締めて帰ろうかと思ってたんだけど。

鈴木:後々の番組がすごくやりづらくなるのでリアルでやめてーw というわけでありがとうございましたー。

宮台:ありがとうー。

鈴木:もーいますごい心臓ばくばくいっちゃった。まさかこんなタイミングで来るとは思わなかった。今電話をおつなぎしたのが、僕の師匠に当たる東京都立大学准教授の宮台真司先生でした。まさかこうやって電話で話すことになるとは思いませんでした。
もう今気持ちを切り替えるので精一杯。

斎藤:ホントにサプライズだったんですか。

鈴木:めちゃくちゃサプライズです。原稿渡された瞬間に嫌な予感はしたんですけど。何を喋ったらいいんだろうって。いつも聴いてる方には、僕が今どんだけ動揺してるかっていうのが声で分かるかもしれないですけど。
話を元に戻すと、さっきも先生言ってましたけど、90年代から繰り返してきたような風景がまた戻ってきてる、いじめの話とか。
仲俣さん、いじめの問題ってどうですか?

仲俣:いじめっていうのは80年代からずっとあったし、社会問題にもなってたけど、それが要するに今年政治問題っていうところまできたっていうのは面白いなと。

鈴木:政治問題っていうのは、国会で取り上げられるとか、教育の問題を法改正でなんとかしようっていう。

仲俣:そうそう。見て見ぬふりができなくなったのか、違う意味があるのか分からないけど、人間社会である限りいじめってなくならないよという話がある一面で、ものすごく、教育基本法改正に結びつく形で、政治的イシューにもなっていると。でもいじめの問題って基本のところでは議論されてない気がする。まさに10年間放置した問題が積み残されている。

鈴木:文化系って昔からいじめられっことニアリーイコール。もちろん僕だっていじめられたことあるし、皆さんの中にもそういうのはあると思うんですけど。変わったところと変わってないところはきちんと分けていきたい。全部新しいことなんだーって言っていいのか。
佐々木さん、いじめ問題どう見てました?

佐々木:今年で43になるけど、いじめは僕らの頃、昔からあった。テレビなんかでも、昨今のいじめは、いじめる方といじめられる方が置換可能で、ゲームみたいになってるっていう話をするじゃないですか。そういう問題もあるのかもしれないけど、ずっといじめっこの側でいじめられる側にならない奴がいるんじゃないか。そういう置換可能じゃない、ずっといじめっこのままの人もいるはず。
ある組織があって、いじめ的な構図が生まれるって話は普遍的にあるけど、そのトリガーを引く、きっかけを起こすタイプの人間っていうのがいて、そういう人はなんで生まれてくるのかっていうと、身も蓋もないけど、ある種「育てられ方」の問題になってくる。攻撃的な心性が生まれてくるところで。それは歴史的に変化なく起こっている部分ってあるんじゃないか。

鈴木:僕はどっちかというと、個人と個人が、いじめっこといじめられっこになるとかもあるんだけど、「クラス対自分」みたいな、集団の問題かな。トリガーを引く人はいるかもしれないけれど、それが集団の力を帯びていくってところは別にあるのかなと。
いじめ問題はヘビーになるけど、2006年のLifeで扱えなかった問題でもあるから、曲を挟んで他の方の意見も聞こうかな。
曲は、仲俣さんが持ってきてくれたんですね?

仲俣:ルーファス・ウェンライトの「ウォント・トゥ」ってアルバムから、「ザ・ワン・ユー・ラブ」って曲なんですけど、このアーティストを発見できたのが、2006年の成果。音楽一家で、妹のマーサもミュージシャンなんですけど、軟弱な歌い手っていうのが好きで、「アイ・アム・サム」のサントラでビートルズの「アクロス・ザ・ユニバース」をカバーしてた人。僕の好きなシンガーでレナード・コーエンっていうのがいるんだけど、そのカバーアルバムでも歌っていて、カバーから入った人。

鈴木:では曲を。

MP3その2


鈴木:先ほどいじめの話になってたけど、斎藤さんはどうですか。

斎藤:2006年は、阿部謹也先生がお亡くなりになった。で、晩年阿部先生がずっと言ってたのが「世間論」ってことですよね。日本には、社会がない、個人がない。世間というものが、実態としてあるんじゃなくて、伸縮自在のものであると。で、最近はそこに「キャラ」ってのが被ってきてるんじゃないかなと。世間としてのいじめだけでなく、キャラとしてのいじめっていうのが新しいと。
この集団の中で、こういうキャラであらねばならないみたいな。『野ブタ。をプロデュース』なんかが典型だと思うんですけど。

鈴木:今までの話をまとめると、個人としてそういう資質を持った人がいるのいないのという身も蓋もない話とは別に、集団性の問題っていうのがあると。で、その集団の中に「キャラ」って問題が重なっていって、「俺、そういうキャラじゃないから」とか、本当に嫌で「やめろよ」っていうの自体が、「キレキャラでしょー」みたいにされて、本当に辛くても言えないとか。その辺は社会学者でも、筑波大の土井隆義先生とかがおっしゃってますよね。

斎藤:あと『りはめより100倍恐ろしい』っていう小説があったり。

鈴木:「いじめ」より「いじり」の方が恐ろしいって小説ですよね。キャラでいうと仲俣さん、最近の若手の小説っていうのがキャラ重視、萌え属性みたいになってるって話を聞くけど。

仲俣:2006年、伊藤剛さんの『テヅカ・イズ・デッド』って評論が出て、いわゆるキャラクターと「キャラ」は違うよっていうのをクリアにしたんだと思うんですけど。小説でもキャラクターっていう、近代文学の中にずっとあったものから、キャラが前面に出るものは増えたと思う。いじめとキャラの関係っていうのはリアルだと思うんだけど、でも僕なんかだと分からないところがあって。キャラが立ってないと、みたいな小説は読めないんですよね。

鈴木:今日はベストセレクションで本を持ってきてもらったんですよね。

仲俣:まず持ってきたのが、桜庭一樹の『少女七竃と七人の可哀そうな大人』。ある意味キャラが立ってるような男の子と女の子、お母さんの話。キャラ的に読まなくても普通に読んで楽しいじゃん、って読んだので、あえてキャラ的に読まなくていいんじゃん、って提起したかったんですけど。

鈴木:斎藤さん、キャラとキャラクターってどう違うんですかね。

斎藤:うーん。

仲俣:クラスの中にあるキャラクターとして、学級委員タイプっていうのはあったと思うんですよね。でもそれとキャラとは違うってことなんでしょ?

鈴木:そこが受け取り方の違いかな。それって学級委員キャラじゃないですか。学級委員長っていうテンプレートに合っているかどうかが問題。キャラクターは人格だから、色々あっていいんだけど、そういうものの断片ですよね。その組み合わせで、メガネでおかっぱで真面目そうだったら、学級委員長キャラね、みたいな。ホントは違う側面を持っていても。そういう形でキャラを立てられていく。断片の組み合わせが面白いか面白くないかみたいな。キャラクターっていうと、その人がそういう性格を持つに至ったバックグラウンドとかを楽しむものじゃないですか。キャラクター小説は組み合わせなんだと思う。

佐々木:「キャラ立ち」っていうじゃないですか。でもそのときに「立ってる」って言われるキャラって、昔の意味でのキャラクターなんだよね。今言うところのキャラ萌えっていうときのキャラって、もっともっと類型的なもの。キャラ立ちとキャラ萌えは全然反対の話。キャラが立つっていうのは昔はすごい目立ったんだけど、それ自体がある共同体の中でまずい方向に行っていじめられちゃう。

鈴木:キャラ立ちっていうのはおかっぱでもツインテールでもツンデレでもいいけど、いっぱい用意されているマス目の中に入っていけることをいうんだと。

佐々木:昔のドラえもんでいえばジャイアンがいて、スネ夫がいて、出来杉がいて、っていうものの中に入っていくような。

鈴木:そういう意味でこの桜庭一樹の『少女七竃〜』は、キャラクター小説としても理解できるけれど、キャラ立ってるが故の悲劇が書かれてる。

仲俣:CM中に遺伝の話も出ていたけど、キャラクターっていうのがある意味、拘束的な条件として出てくる。でもキャラっていうのは、ポストモダン的なデータベース。ここ10年くらいはキャラ的なものが社会認識が強かった。でも桜庭の次の作品は、女の三代記を通じた歴史の問題を扱っている。語られなかった歴史の方へといってる。ナショナリズムの問題も関わってくるけど。

鈴木:むしろキャラ作りってITの問題に関わってる。恋人とのメールが動物言葉になったりしてキャラ入ってる。文字で何かを表現しようとしたときに、容姿の情報(ライトノベルはイラストが大事だけど)、どういう語尾なのか(「〜だっちゃ」みたいな)、そういうのがないとキャラ分けができない。メールとか電子的なコミュニケーションってキャラ作りやすいなと。津田さん、その辺どう?

津田:mixiとかそういうキャラを作るのにいいツール。その中でバーチャルなコミュニケーションをやっていくときに、人との距離感が掴みにくい。きつい口調のメールとか、冗談で言ってるのかどうか本当に読めない。行間を読むのにすごく限界がある。いじめの話に関連すると、ブログの炎上問題があったり、Winnyで個人情報が漏れたときに、便乗して愉快犯敵に攻撃したり、犯罪自慢をしてるmixiの日記を炎上させたりっていうのがいじめに関わってくるなと。ネットにそういう場ができてきたときに。いまのいじめられっこの逃げ場ってどうなってるんだろう。僕だって昔はクラスに馴染めなかった。その時ゲームに逃げたりしてた。でも今はゲームに逃げようにもオンラインで人と繋がってる、そのとき、ムカつく外国人を攻撃してやれとか、あるいは炎上させちゃえなんていうのが面白い。もしかしたら、それがいじめられっこの逃げ場になっている話ってどのくらいあんのかなと。

鈴木:難しいなあ。そういう人もいるかもしれないし。逃げ場って話でいうと、ケータイメールとか、ネットいじめの話を聞いたとき。数年前から話題になってたけど、高校の掲示板で名指しで批判されるとか、ケータイのメールに匿名でメール送ってくるとか、クラスのMLからハブるとか。そういう逃げ場っていう意味で、いじめは学校の教室の問題ではなくなっているという話。

斎藤:それは24時間繋がってるから、、、

鈴木:そう、切れてるときがないから、逆に、それを試すために、メールを送って、数分以内に返信が返ってこなかったら明日から無視ね、みたいな。中学生の女の子って昔からそういうことをやりがちだと思うけれど、そういうところに無前提にケータイが入ってきてる。でも持ってないと今度は本当に仲間に入れない。一方的に持たせなきゃいいんだって言ってもしょうがないし、でも大人達はそこで何が起こってるのか全然分かってないし。

柳瀬:そこで言うと、さっきのITの話。表情が見えないって話をしたじゃないですか。人類はこんなに書き言葉で情報を交換することが増えてきて、でもそんなのでコミュニケーションなんかできるわけない。それをできる、って壮大な実験をやったのがたとえば2ちゃんねるだったのかもしれないけど、「バカ」って言おうと「バーカ」って言おうと、文字としては同じ。津田さんも言ってたけど、行間が読めないんですよ。
ところが、最初からこれがコミュニケーションのデフォルトになっちゃうと、文字の交換の方がコミュニケーションの量が多いってことが生じる。昔は会って30分、あと電話くらいだったのが、今やメールの方が多いみたいになっているんじゃないか。これは今までと全然違う話。いじめとディスコミュニケーションがリンクしてるんだと思う。

佐々木:もっとボキャブラリーが豊かで、もう少し差異があればいいんだけど、言葉がプレーンに、単純化されていく。そうするとコミュニケーションもシンプルになる。
それは小説と関係しているかもしれない。読むことっていうのができなくなっている。読むことができないから書く言葉も単純になるし、それを読む方も単純になる。もっと読む方を育てた方がいいと思う。小説の新人賞なんかも、読んだことない人ばかりになってる。

鈴木:小説を読んだことがなくて、ケータイメールで書いてくるっていう。難しいですよね。書くことについては文章は上手くなってるし、気も使えるようになってる。でも、他人の言葉を読むことによって他人の心を読む、みたいなのは、ある意味国語教育の問題化もしれない。
メール、もうじき出る内藤朝雄さんのいじめ論は注目ですね。折に触れていじめ問題は扱っていきたい。
交通情報いきます。

〜交通情報〜

鈴木:話戻すと、国語教育って言えば、今年は教育も大きかったね、斎藤さん。あれは何が問題だったんですか?愛国心ですか?

斎藤:大きくはね。あとは、うーん。

鈴木:バウチャー制とか、教育は不当な支配に屈しないのどうのっていう、法律の文言の問題になってましたね。この番組でも扱ったけど。

佐々木:あと「塾廃止論」。

鈴木:ああ、ここにきて塾廃止論!かなりアツい感じの教育議論、それどこいくんだみたいな。ドラスティックに変えていこうという動きは、小泉政権の郵政に続いて、安倍政権の教育っていうことで、ばたばたっといくのかなと。
ここで曲はさみます。佐々木さんの持ってきた曲は?

佐々木:僕のレーベルから一昨年デビューした。口ロロ。津田さんにも褒めてもらった。今年彼らが、坂本龍一のレーベルからメジャーデビュー。そのシングルにも入る予定で、宮本亜門のプラネタリウムのテーマにもなってる。「スターフライト」聞いてください。

〜曲〜

鈴木:サブパーソナリティの皆さんに持ってきてもらったお薦め。佐々木さん。

佐々木:阿部和重の「ミステリアスセッティング」。もともとケータイ配信されていたもの。「Deep Love」が流行ったときに、阿部さんがこれやってみたいって言ってて、ちなみにそのときこれ面白いらしいよってケータイ見せたのが中原昌也さんだったらしんですけど。それが数年後実現したと。ケータイでやったってことだけじゃなくて、いわゆるDeep Loveとかセカチュー的なベタ純愛ものを、そのままやって批評化してるのが面白い。
金沢大の仲正昌樹氏による『集中講義!日本の現代思想』。こういう本をいっぱい書いてるんですけど、いわゆるニューアカ以降の思想の問題についてマトリックスをつくり、また右も左もやっつけろてきな人なので、そういうアグレッシブで言い放題の本。
三冊目が、マンガで『24のひとみ』。ジャケ買いだったんだけど面白かった。24歳のひとみ先生っていうのが高校に赴任して、「私はウソしかつきません」って宣言するという、クレタ人のパラドックスをふんだんに使ったナンセンスギャグマンガ。

鈴木:ケータイ小説で言うと、2006年はケータイコンテンツってかなり注目されましたね。

津田:やっぱり音楽、着うたが売れた。CDより利益率高いんですよね。今は着うたに懐疑的だった音楽業界も、うはうはでもうPC向け音楽配信なんていいじゃん、みたいになってる。

鈴木:あとケータイ発の作家とか、ブログ発本とか、掲示板まとめ本とか、電車男以降の動きもたくさんありましたね。あと仲正さんの本なんですけど、現在まで網羅する内容になってるんですけど。最後の方で僕の名前とかも出てきて、なんで僕とかが最先端になってるのかよく分からないんですが、面白かったのは、最近の若手の思想家っていうのが、大きな物語を語らずに、人と人とはコミュニケーションなんかじゃ分かり合えないということを前提に、自分のちまちまやってる小さい領域の話ばっかりやってる、と。で、「大きな物語なんかないんだー」っていう絶望系か、小さなところでまとまる「セカイ系」かしかないんじゃないかって言ってる。俺とか確実にセカイ系なんだろうなーと。
セカイ系って言葉が2006年はよく使われた。仲正さんもそうだし、浅羽通明さんの『右翼と左翼』の中でも、ネット右翼はセカイ系だみたいな。セカイ系の意味が拡張した年だったなあと。仲俣さん、佐々木さん、セカイ系ってそもそも何ですか?

佐々木:『最終兵器彼女』あたりに淵源があるとか言われる。「きみとぼく系」とも言われるけど、一対一の純愛、友情みたいなのと、宇宙が破滅するとか、未来から何か来るみたいなものすごい巨大なもの、この二つが通底してしまう、一緒のことになってしまう。学園ラブロマンスの主人公が、結果、宇宙を救う、みたいな。この言葉に対しては、そんな話しょーもねーよみたいな感じで揶揄する風潮が強かったと思うけれど、でも日本のはやり言葉って、呼ばれた人たちがそれを誇りに思っていくみたいなことになりがち。そういうわけで意味が拡大されていって、セカイ系ってことばがいろんなところに進出しちゃった。

鈴木:メール、この番組だってセカイ系でうんざりだ、という。

佐々木:あーその通りですよ。

仲俣:蔑称として言われているようなセカイ系にはあんまり興味なくて。新海の「ほしのこえ」も見て、物語としてはあまり興味もなかった。確かに、さっきの「世間」さえも通用しなくて、キャラ的なコミュニケーションを強いられる社会で、そこにリアリティを感じる人がいるのは分かる。それにエンターテイメントの枠組みだから、それは全然OKでしょ。ただそれを批評とか、社会を語る言葉にするのは、鋭くないなあと。

鈴木:先ほどのメールの人を批判するわけじゃなくて、むしろセカイ系なリスナーの人に聞いて欲しいけど、セカイ系じゃん、っていう批判の物言い、きみぼくと、天下国家にしか興味のない若者はけしからん、みたいな話は、誰を相手に言ってるのかなと。つまり、それ、君の見ている若者と、天下国家を繋いだ、それ自体がセカイ系な物言いじゃない?って思う。あんなのセカイ系じゃん、って言った瞬間、自分がセカイ系になっちゃうのが、この言葉の気持ち悪いところですよね。

佐々木:仲正さん自体がセカイ系ですよね。

鈴木:社会批評的な、お前セカイ系じゃん、みたいな優越感ゲームの話は横に置いておいて、今年はエンタメとしてのセカイ系はヒットしましたね。ハルヒとか。あれは彼女を退屈させないことが世界の破滅を防ぐっていう謎の設定で押し切るという。

佐々木:ハルヒの世界って、キャラの世界の究極、完成型。ある意味ライトノベル以降の成長がなくなったから、桜庭一樹とかも、小説の方に進化し始めたのかなと。

鈴木:ハルヒについて俺が喋ると、長門有希への愛を一時間語るスレとかになるんで避けたいんですけど(笑)、あと今年だと、あっっ、ひとりひとりの前にビールが。でも、僕の分は当たり前のようにないんですね。スタジオでは飲んでますけど、ドライバーの方は飲まないでください。

津田:でもこの番組って、難しいこと考えながら運転してるから危ないんじゃないですか(笑)。

仲俣:あ〜セカイ系って〜(笑)

津田:なんて言ってたら、高速のカーブがぐわーって。

鈴木:勘弁してw セカイ系ものでいうと、「時をかける少女」アニメ版のブーム。仲俣さん見ました?

仲俣:見てないですね。オリジナル世代で、リメイクものにはあまり興味がなくて。

佐々木:僕、見ましたけど、全然違う話なんですよね。

鈴木:原作の話を踏襲した、次の世代の話なんですよね。

佐々木:原作の映画版で原田知世が演じてた役の、めいの話なんだよね。

鈴木:っていうのをバラしていいのかw まあ設定として出てたりしますけど。セカイ系って言うのか分からないけど、いわゆるジュブナイルものっていうのを現代風にリメイクするとこうなるんだっていう。僕は見てボロ泣きでしたけど。

佐々木:いい映画ですよね。

鈴木:あとは『半分の月がのぼる空』もそうだし、コンテンツっていうかオタクものは大ヒットしましたよね。

斎藤:『Death Note』とかどうですか。

鈴木:あー。マンガものだとNANA、のだめ、ハチクロときてデスノも大ヒット。

佐々木:ある意味セカイ系だよね、デスノも。

鈴木:確かに世界を背負っていながらあのミサミサの位置はどうなんだっていう。そんな僕はミサミサ萌えですけど。

佐々木:セカイ系批評家だw

鈴木:Lifeはセカイ系ですもん。ま、誠実な態度として、セカイ系じゃない番組しか世の中にはないわけですよ、マスメディアの枠には。2ちゃんでもブログでもいいけど、個人的な語りとしてやっていたものが、エンターテイメントの側に浸みだしていくときに、既存のマスメディアがそれを扱えてない。扱えない中で、この番組が正面からセカイ系を標榜するのは、負け戦のようにも思えるけど、意味はあるんじゃないかなと。

斎藤:批判する人ってセカイ系の何を批判するんですか。

鈴木:それが分からないんですよ。だから言ってるお前がセカイ系じゃんって思ってて。天下国家のばかでかいことと、身の回りのこと、すごい抽象的なこととすごい具体的なことしかできないから、たとえば、ナショナリズムで盛り上がるのはいいけど、法律とか経済とかがすっ飛ばされてるじゃん、という。2006年は靖国問題もありましたけれど、突如としてそういう方向に行っちゃう若い奴はバカでけしからん、みたいな。ああそうですかっていう。

佐々木:「社会性がない」って言われてるんだけど、その社会って何だっていう。

柳瀬:社会性がないっていうのは、昔はおいちゃんが若者に言う言葉だった。でも今は若い奴が若い奴に向かってセカイ系とか言ってる。言ってる奴にも社会性がない。社会ってバーチャルなものじゃないから、色んな場で働きながら手前で生きていくっていうのが社会性。それはコンビニバイトだって芽生えるもの。セカイ系批判をするセカイ系な人たちはイメージでしか語れないけれど、なんか、自分の持ってないものに向けて話をしてるなあと。

鈴木:若者が具体的な関係を生きてないって前提自体が根拠ないなあって。エンタメで流行ったとか、ネットでっていうのもそうだけど、具体的な生活がその外にはある。だったらエンタメやネットでセカイ系になって何が悪いんだという。

柳瀬:ブロードバンドが普及して、iモードが出てきて5年ちょっと。その間のフリクションがそれなのかなと。だから今結論を出さなくてもいいのかなと。

津田:「世間」ってさっきからのキーワードで言うと、ネットでよく使われる「空気読め」っていう話。これがネットで使われるっていうのが象徴的。

佐々木:ネットの成長とパラレルでね。

津田:過激だけどツッコミどころのある記事を見たときに、はてブでいっぱい反応がある。で、その反応を見ながらでしかものが言えなくなってるんじゃないか。

鈴木:ブログユーザーはそうだけど、一番そういう意味で空気読めっていうのを感じていたのは、企業じゃないかと思うんですけど。

津田:(噴く)何を言わせようとしてるのかなー?

鈴木:なんでそこで笑うのかなー?どこの企業でもいいんですけど、ネットで不穏な空気が流れたら、危ないからすぐ撤回みたいな。

津田:一番怖かったのが、モーグルの上村愛子が、亀田の試合を見て感動した、とブログに書いたらコメントが荒れて。で、結局撤回しちゃった。亀田の件についてはどういう気もないけど、人がどういう風に思うかなんてのは自由じゃないですか。自由な思想に対して、匿名の圧力が来るっていうのは、大げさな言い方をすれば治安維持法の時代なの?っていう。

鈴木:批判がいく分にはいいんだけど、批判が来たから撤回するべきだ、っていうルールになりつつあるのはまずい。

津田:そこ込みでね。色んな炎上があって、でも書いた人に落ち度がある場合もあった。植村ブログに関してだけは、怖い時代になったなあと。

鈴木:ネットものの話は曲の後で。僕のセレクトの曲。2006年、iTMSではじめてお金出してかった曲。この歌詞っていうのが、サザンくらいから続いているそつのない歌詞の書き方っていうのとはまったく違う言葉の使い方をする若い人が出てきたっていうのにも感動した。というわけで、その曲。RADWIMPSで「有心論」。

「文化系大新年会 朝まで生Life Part2」
2007年01月08日(月) 10:54:51 Modified by ID:pYp5FHWYpg




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