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ラテン語古典ラテン語ガリア戦記ガリア戦記第5巻
ガリア戦記語彙集

ローマ軍団8個半がガリア北部で冬営する


Subductis navibus
(カエサルは陸地に)船団を引き上げて、

concilioque Gallorum Samarobrivae peracto,
ガリアの会合をサマロブリウァ(現在のアミアン)にて済ませて、

quod eo anno frumentum in Gallia propter siccitates angustius provenerat,
その年のガリアにおける穀物が、干ばつ(旱魃)のために非常に乏しく収穫されたので、

coactus est aliter ac superioribus annis
(カエサルが)強いられたことは、前の年と異なり、

exercitum in hibernis conlocare legionesque in plures civitates distribuere.
軍隊を冬営地に配置して、諸軍団をより多くの部族のところに分屯させることであった。

Ex quibus
それら(諸軍団)のうち、

unam in Morinos ducendam Gaio Fabio legato dedit,
1個は、モリニ族に率いて行くために副官であるガイウス・ファビウスに委ねた。

alteram in Nervios Quinto Ciceroni,
2個目は、ネルウィイ族に(率いて行くために)クィントゥス・キケロに(委ねた)。

tertiam in Essu<vi>os Lucio Roscio;
3個目は、エスウィイ族に(率いて行くために)ルキウス・ロスキウスに(委ねた)。
(訳注:ロスキウスの役職については、53節を参照。)

quartam in Remis cum Tito Labieno in confinio Treverorum hiemare iussit.
4個目は、レミ族にティトゥス・ラビエヌスとともにトレウェリ族との境界で越冬することを命じた。

Tres in Belgis conlocavit:
3個(の軍団)をベルガエ人のところに配置した。

iis Marcum Crassum quaestorem
それらを財務官であるマルクス・クラッスス

et Lucium Munatium Plancum et Gaium Trebonium legatos praefecit.
およびルキウス・ムナティウム・プランクスとガイウス・トレボニウスの両副官に指揮させた。

Unam legionem, quam proxime trans Padum conscripserat, et cohortes V in Eburones,
パドゥス川の彼方(現在のポー川の北岸)で最近に徴集していた1個軍団、それから5個歩兵大隊を、エブロネス族に、

quorum pars maxima est inter Mosam ac Rhenum,
かの者らの大部分はモサ川(現在のマース川)とレヌス川(現在のライン川)の間におり、

qui sub imperio Ambiorigis et Catu<v>olci erant,
アンビオリクスとカトゥウォルクスの支配下にあったが、
(訳注:このころのガリア北部・ベルガエ人には二重王政の慣習があったらしい。)

misit.
(この部族のもとに)派遣した。

Iis militibus
それらの兵士たち(1個軍団と5個大隊)には、

Quintum Titurium Sabinum et Lucium Aurunculeium Cottam legatos praeesse iussit.
クィントゥス・ティトゥリウス・サビヌスとルキウス・アウルンクレイウス・コッタの両副官に指揮を命じた。

Ad hunc modum distributis legionibus
このやり方で諸軍団を分屯すれば、

facillime inopiae frumentariae sese mederi posse existimavit.
糧食の欠乏を容易に救うことができると考えたのだ。

Atque harum tamen omnium legionum hiberna
それにもかかわらず、これらすべての軍団の冬営地は、

praeter eam, quam Lucio Roscio in pacatissimam et quietissimam partem ducendam dederat,
ルキウス・ロスキウスに指揮権を委ねていた非常に平和かつ平穏な地方を除けば、

milibus passuum centum continebantur.
100ローママイル(約150km)と離さずに配置されていた。

Ipse interea,
(カエサル)自身はその間、

quoad legiones conlocatas munitaque hiberna cognovisset,
諸軍団が配置され、冬営地が防備されたのを認知するまでは、

in Gallia morari constituit.
ガリアに留まることを決めた。

(訳注:8節より、この夏にカエサルが保持していた兵力はローマ人8個軍団とガリア人騎兵4000騎であった。
ブリタンニアへ侵攻した5個軍団のうちから、どのくらいの兵力を失ったのかは不明であるが、
パドゥス川北岸で新たに徴集した1個軍団を併せても、カエサル率いる軍団兵は全部で8個軍団と5個大隊である。
サビヌスとコッタに付けた5個大隊は、最前線を補強するために他の軍団から引き抜かれたのかも知れない。)

ガリア戦記5-25へ続く)

このページへのコメント

QEARII Thanks for the blog.Really looking forward to read more. Much obliged.

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Posted by seo thing 2013年12月20日(金) 14:28:51 返信

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