当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

 2017年9月21日放映のアメトーークを見た。テーマは、「コメンテーターやりたい芸人」である。

 結論から言うと非常におもしろかった。雛壇の面々は(芸人のくせに)「コメンテーターをやりたい」とぶち上げてカッコつけている(そのくせ実際にやってみると全然スマートにできない)のを笑ってもらう役回りだった。彼らが「与太郎」としてカんだり、逃げのコメントを言ったり、それっぽいことを言って誤魔化そうとするたびに笑いが生まれていた。そのうえ品川がいちいち的確なツッコミや掘り下げをしてくれるので有機的な絡みからの笑いが生まれていた。品川は、本当に、仕事がないのがもったいないと改めて思う。あんなに実力があるのに仕事がないのは、よほど人間性に問題があるのではないかと勘繰ってしまう。

 後半の実際にコメンテーターをやらされたクダリでは、追い詰められた芸人たちの無様さが非常によく出ていた。こちらも、かなり見ごたえがあった。

 それにしても、情報番組のコメンテーターは不要な仕事だとつくづく思う。
 与えられている尺が短いので、深いことは言えない。芸人であればおもしろいことを言うのは一つの手だが、生放送の情報番組なのでテロップや音響や後付けの笑い声みたいな補助的な演出は入れられないうえに、周りに芸人がいるとも限らないので的確なツッコミが入らないことも多い。また情報番組なのでシリアスな話題を扱うことも間々あるだろうが、シリアスな展開の中でボケると浮いてしまう。ゆえに、コメントで笑いをとるのは非常に難しい。
 短い尺の中で耳目を引くには、トランプ大統領や(サンデーモーニングの)張本のように極端なことを言うのが手っ取り早いが、極端な言説は大抵の場合間違いなので(「正解」は、大抵の場合もっと穏当なところに落ち着くものである)、張本みたいに冗談で片付けられないと有害ですらある。

 だから結局、コメンテーターのコメントには極端で有害な言説か、浅くてどっちでもいいような言説が並ぶことになる。コメンテーターに与えられたギャラと時間を削って、他のところに回した方がよほどいい番組作りができると思う。
 今回のアメトーークが、ここに書いたようにコメンテーターという仕組み自体を揶揄できる番組作りになっていたら筆者も舌を巻いただろうが、さすがにそこまで意識した画作りはされておらず、単に「コメンテーターやりたい芸人」の無様さが嘲笑されていただけだった。だから、「コメンテーターやりたい芸人」の無様さを糾弾して嘲笑う側に立っていた竹山や宮迫の実際のコメントを紹介して、その浅さを嗤ってやればもっと良かっただろう。品川ならば、「あなたたちも我々と同類である」ということが指摘できたはずである。

 さすがにそこまでやると情報番組自体をバカにすることになるし、芸人の食い扶持(=コメンテーターという仕事の枠)を減らすことになるので、できなかったのだろう。ただそこまで思い切ってこそ、初めて一人前のコメディができるのだと思う。

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