英文法の袋小路(EAC)3

英文法の袋小路(EAC)
英文法の袋小路(EAC)2



[35] Thu Sep 23 08:03:22 JST 2004
大西泰斗
>raintreeさん
 はははは。おもしろいホームページご紹介ありがとうございます。知らなかったなぁ。こんなのまであるとは。書名を使うのはいいんだけど、それならそれでもう少しキチンとしたものを書いてもらいたいとは思います。
 「過去分詞ー>完了」というのは、無理のない考え方です。「自動詞:完了」「他動詞:受動」、さらに「両方同じ形」。この条件で、2つの用法をまとめようとすると、どうしたって「完了」から「受動」を引き出すことになる。「受動」から「完了」は出てこないからね。そのメカニズムは、どっかで紹介したことがあったように思うし、単純なんだけど、本に書くつもりはありません。普通のネイティブが「2つを」「同一のものとして」使っていると確信がもてないし、「自動詞なら完了」という方が、学習者にとってより負荷の低い学習法なのかなとも思うからです。「単純」とはいっても、やはり一般の学習者にはなじみのない説明手順をもちださなくてはならないのです。


[9] Thu Sep 23 22:44:18 JST 2004
やま
raintreeさん、貴重な情報ありがとうごさいます!検索、上手ですよね。

http://smartech_osaka.tripod.com/education/reading...
↑、は誰が書いてるんでしょうか。本文中に「本書」ってあったから、本にもなってるみたいですが、筆者は確認できませんでした。でも、ここから少し抜粋してみます。(改変してます。)

>過去分詞は、「過去の動作の結果として残る状態」を表す形容詞です。

>過去分詞は、「"go" すれば "gone"という状態になる」、「"marry"すれば "married"という状態になる」のように理解するのです。

>このことは、ネイティブスピーカなら教えられなくとも、誰でも知っていることです。だから、文法書に記載する必要はないのです。

このことを踏まえて、もう一度「The toy was broken by Tom.」を見てみると、こうは考えられないでしょうか。「そのオモチャはトムによって壊れた。」、と。

トムのせいで「壊れる」actionが起こり、結果として「壊れた」stateである、ということです。日本語としては変ですが、言ってることはわかりますよね。受身で訳さなくても、内容は表せているように思います。

それと、同じことを何度も言いますが、自動詞、他動詞って、現象面の指摘にすぎなくて、本質的な、「内容」の区別ではないですよね。たいていは自動詞・他動詞どちらでも使えるんですから。英英辞典にも、transitive、intransitive、の表記はありますが、これらの言葉が「使い方」を表しているのでなければ、『他動詞であり、非他動詞である』と、矛盾してることになりますから。

transitiveって、そのまま「移行性がある」って考えたらうまくいく気がします。
I finished.  / I finished it.
この2つの文では、「終わる」ものが「移行」してますよね。
だから、transitive. 、のように。


[10] Thu Sep 23 22:44:43 JST 2004
やま
自動詞、他動詞というのは、内容の区別ではない、ということで話を進めると、感情の動詞の場合、

  • The news surprised me. 
そのニュースは私を「驚かせた」 (言うならば他動詞、で動作。)
  • I was surprised by the news.
私はそのニュースによって「驚いた」 (言うならば自動詞、で完了した状態。)

こう考えた方がすっきりすると思います。

「私は驚いた」という日本語を表す時に、「I surprised.」がダメな理由は、このカタチのままだとaction、動作を表すことになるからでしょう。ちょっと想像してみてください。
「驚いた」という「動作が完了した状態」、はあったとしても、
「驚いた」という「動作」、は自分一人でできますか?
できませんよね。心は自分の意志では動かせるものではないからです。

surpriseには自動詞はない、とか、そういう話ではないと思います。(I was surprised. のsurprised は、言うならば、他に影響を与えていないという点で、自動詞でしょうしね。)

もう少し考えたとしても、過去分詞は完了、そして状態であるということを、私は言える予感がします。予感が。

blue poppyさん、れむさん、というかみなさん、すいません、またおじゃましてます。


[11] Thu Sep 23 23:36:38 JST 2004
raintree
>やまさんへ
I suprised. で言い切ってしまえば当然、"(You) Suprised what?"と直ぐにつっこまれますね。この場合のsuprisedは『驚かせる』の意味で、当然目的語が必要です。『驚かせた』というのは一人では出来ません。で、その逆『驚いた』も誰かや何かが無ければ『驚く』こともないはず。
I was suprised at the news.
で、ここで I was suprised. で言い切れば "(You were) suprised what?"とつっこまれる場合と。There was no action on the field over the weekend.などと驚く理由を先に言っておけば I was suprised.と言い切ってもおかしくないですよね。(ココでI suprised.って言うと激しく笑いをとることに?)なんかイマイチよく説明できないんですが、もしかして他動詞をbe+p.pにすると自動詞化するような感じがするのですが。気のせい(暑さのせい?)でしょうか。


[12] Thu Sep 23 23:46:51 JST 2004
raintree
--------→ という力の流れが主語からみた動作で

--------(自動詞)や

 ←-------- (be+他動詞の過去分詞)が主語からみた状態を表してる。

てのはだめですかね。


[13] Fri Sep 24 04:03:06 JST 2004
やま
raintreeさん、同じ筆者の、チャプター3から引用します。↓
http://smartech_osaka.tripod.com/education/reading...

>be動詞が 進行や受身の意味に対して全く貢献していないということは、現在分詞や過去分詞が次のような修飾用法を見れば明らかです。
  • children playing in the room
  • 10 people killed in the accident
be" 動詞などなくとも、十分進行や受身の意味は出ていることは明らかです。しかし、日本ではこの説明に対しては、恐ろしくなるような抵抗があるのです。折角習った「be + 〜ing , be + p.p.」という知識を捨てるのがよほど嫌なのでしょう。彼らは次のように抵抗するのです。「children (who are) playing in the room の who are が省略されている。10 people (who were killed) in the accident の who are が省略されている。」という説明をして、自分自身も十分説明ができたと思い込んでいるのです。往生際が悪いとはこのことで、それほどまでに重要な  "be" をなぜいとも簡単に省略できるのか、という論理的矛盾には全く気付いていないのです。不可欠なものはその名のごとく省略できないのです。

、と書かれてある通り、be動詞のあるなしは、意味の決定において全く関係ないと思います。
それに、「I surprised.」 はダメですが、主語を表さない「Surprised.」なら、自分が驚いた、という意味を表せるでしょう。


[14] Fri Sep 24 04:03:20 JST 2004
やま
それと、自動詞だから、他動詞だから、という説明は、私は無理があると思います。例えば、

  • finish は、自動詞ですか?他動詞ですか?その過去分詞のfinished は、自動詞の時は完了、他動詞の時は受身と、意味が変わるのですか?だとしたら、あるfinished が、元は自動詞なのか、他動詞なのか、見分ける方法はなんですか?

  • marryは 「I married him.」のように他動詞で使えますが、なら、「I was married.」は受身なんですか?「結婚する」の受身って「結婚される」ですか?それとも、この場合のmarryは自動詞なんですか?

  • The toy broke. は自動詞で、The toy has broken. のbroken は自動詞で、完了。でも、The toy was broken.になると、そのbroken はとたんに他動詞に変わり、受身を表していると考えるのですか?

と、疑問点は多いし、もしそういうメカニズムだったとしたら、過去分詞だけ他の文法事項と比べても、「突出して」、意味決定までのプロセスが煩雑ですよね。だから私は、従来の理論(過去分詞の意味決定)に穴があると思っているんです。


[15] Fri Sep 24 05:29:05 JST 2004
やま
とにもかくにも、この筆者が言ってることには、ほとんどの部分、共感できます。
ページにアクセスすればいい話ですが、一部、貼り付けて紹介しますね。

>理屈はどうであれ、真似をしさえすればよいのですが、文法を軽視する人も、文法にこだわる人も、結局、私達が中学、高校で習った英文法に従おうとして、現実に使われている英文を拒否してしまうのです。他の多くの学問分野では、既存の理論で説明できない現象に出会うと、その理論の再検討を行なうのですが、英語研究の分野では、理論(文法)で説明できない現象(上のような文)に出会うと、その現象の存在を否定しようとしてしまうのです。「語学は学問ではない」とはよく言ったもので、事実を否定するような態度はとても学問とは呼ぶことができないのです。本書は、先ず上のような文が存在することを素直に認めることからはじめ、これまでの「学校文法」を理論的に再構築していくものです。

>「I am finished.」、仕事が終わったときなどによく使われる英語ですが、日本人は同じような状況では、間違いではありませんが、"I have finished the job."などと言ってしまいます。その理由はおそらく、学校文法では「完了は have + 過去分詞であって、be + 過去分詞は受動態である」となっているからだと思われます。

>「have + 過去分詞は完了である」ということを先生が言うと、何の疑問も起こさず、そのまま受け入れてしまうにもかかわらず、英米の権威ある書物や雑誌上で使われている、"I am finished." などの英語に出会うと、あの恐るべき従順さが急に消失し、反抗的になり、「文法的に誤りだ」などと異議を唱えはじめるのです。

>権威のある英米の文献に逆らい、日本のローカルな出版社の英文法書に忠実であり続けるという「短いものに巻かれる」日本の英語学習者の一大特徴を指摘しておきます。真似をすればよいのです。得意なはずの真似を。


[16] Fri Sep 24 05:30:40 JST 2004
やま
>「He is gone.」、この文も、"I am finished."と同じです。英語の過去分詞は、それ自体で("have"などを必要としなくとも)過去の動作の結果として残る状態を表す形容詞なのです。このようなことは、ネイティブスピーカなら教えられなくとも誰でも知っていることなのです。だから、文法書には記載する必要はないのです。「have + 過去分詞」は言語の発展の歴史に おいて、「過去分詞=完了」の後に、それも、そのことから発展してきた認識なのです。

例えていうならば、「アメリカ人が英語を話す」ことは、その前の「イギリス人が英語を話す」ということから発生してきたこととよく似ているのです。「have + 過去分詞 =完了」ということに対して、何の疑問も発せず、「過去分詞=完了」ということに関して疑問を発するのは、「アメリカ人が英語を話す」ときには何も疑問に思わず、「イギリス人が英語を話す」ことを知って、「なぜイギリス人は英語を話すのですか?」と質問することと同じなのです。「過去分詞=完了」ということから「have + 過去分詞=完了」が生まれて来た過程を説明することあできても、「過去分詞=完了」ということは説明不可能なのです。これは、アメリカ人が英語を話すということは、イギリス人が英語を話すということから歴史的に説明できるのですが、逆にイギリス人がなぜ英語を話すのかということは説明できないのと同じ理屈です。

過去分詞は「"go" すれば "gone"という状態になる」、「"marry"すれば "married"という状態になる」のように理解するのです。

http://smartech_osaka.tripod.com/education/reading...


[17] Fri Sep 24 06:48:49 JST 2004
raintree
面白くなってきますた!他の方の意見も拝見できればいいのですが。


[18] Fri Sep 24 13:08:38 JST 2004
ヨシカワ-1

>やまさん
おひさしぶりです。
能動態と受動態について、私は少し深めに(でも、かなり単純に)、こんなふうに考えています。

英語の「Verb」と、日本語の「動詞」は、それぞれの言語がもつ「根本的な意識構造の違い」を背景として、少なからず性格を異にするものなのではないか。そういった違いを考慮に入れずに「Verb=動詞」と思い込んでしまうことが混乱の一因になっているのではないか。

ややこしい書き方をしましたが、私が考えているのは、こういうことです。


1.英語と日本語の「根本的な意識構造の違い」について
●英語は、「作用を与えるもの」と「作用を受けるもの」とを明らかにしようとする意識が強い。
●日本語は、そういった意識が「ゆるい」。あまりそういうことを意識せずに、言葉を使うことができる。




[19] Fri Sep 24 13:09:03 JST 2004
ヨシカワ-2

2.「Verb」と「動詞」の性格の違いについて
●英語の「Verb」は、「作用を与えるもの」と「作用を受けるもの」との「因果関係」を明快にする役割を担っている。つまり、「Verb」を真ん中において、次のような因果の連鎖が語られるわけです。(他動詞の場合)
「作用するもの」→「どういう作用を行うのか」→「作用されるもの」
※「自動詞」とは、「作用を与えるもの=作用を受けるもの」というふうに考えています。
●日本語の「動詞」も、「Verb」同様にそういった「因果関係」を明快にする機能をもっているわけですが、ただ、それが「ゆるい」。作用を与えるもの、作用を受けるものに言及せずに、「どういう作用を行ったのか」だけを語ることが普通にできる。
たとえば、「Finished?」「Finished.」という会話はinformalだけど、「終わりましたか?」「終わりました」という会話は、それなりにformalなシーンでも通用しますよね。




[20] Fri Sep 24 13:09:26 JST 2004
ヨシカワ-3

3.英語の「受動態」とは「作用を受けるもの」から因果関係を語るスタイルである
●受動態(他動詞の場合)の語順はこうですよね。(←は因果関係の流れ)

「作用を受けるもの」←「どういう作用を行うのか」←(by「作用を与えるもの」)

こういうふうに「因果関係」を「ひっくりかえして」語るのは、まぁ、ちょっと普通じゃないですよね。こういった普通じゃない語り方をあえてするということは、「作用を受けるもの」から語りたくなるようなモチベーションが発話者の意識の中にあるからなのでしょう。決して、気まぐれで「ひっくりかえしている」わけではない。どういうときに、「ひっくりかえしたくなる」のかは、大西先生の『ネイティブスピーカーの英文法』に克明に記されていると思いますので、煩雑になるのを避けるために省きます。
●また、「作用を受けるもの」から何かを語るとき、その作用がすでに「完了」している(ことを何となく意識している)方が自然なように思えます。それで、受動態には、「過去〈の作用〉を視野にいれながら、〈作用を受けた後の〉現在について語る(『ネイティヴの感覚がわかる英文法』P94より/〈 〉内はヨシカワが補足)」形である過去分詞が選ばれるのではないか。
それをふまえて、上記の「語順/因果関係の流れ」を書き換えてみると、こうなります。

「作用を受けるもの」←「すでに作用は完了しているんだよ」←(by「作用を与えるもの」)

こういうふうに語れば、普通、「要するに〈作用された=受身〉ということが言いたいのね」という意味が生まれてくるのではないでしょうか。
大西先生が〈Mon Sep 20 15:10:26 JST 2004〉で「もう少し突き詰めると「完了」になる、という論点」とお書きでしたが、私は、以上のように“少し突き詰め”て考えたりしています。

※ちなみに、自動詞の場合は
「作用を与えるもの=作用を受けるもの」←「すでに作用は完了しているんだよ」だから、生まれてくる意味は、素直に「完了」になる。
I'm finished.やI'm done.(私は終わってるよ)については、そんなふうに考えています。




[21] Fri Sep 24 13:09:44 JST 2004
ヨシカワ-4

4.日本語の「受身」は、因果関係を「意図的に強調」するスタイルである。
●たとえば、『やりました』よりも『やられました』と語る方が、「作用を与えるもの」と「作用を受けるもの」の存在が強く意識にのぼりませんか?日本語の「受身」というのは、能動態で語っているときの「因果関係のゆるさ」を解消して、「因果関係を意図的に強調する」スタイルであるように思えます。
というわけで、日本語の「受身」の感覚で、(そもそも因果関係を明快に語る言語である)英語の「受動態」を理解しようとすると混乱してしまうのではないか。
たとえば、英語の「受動態」には、「by+作用を与えるもの」を語らないことで、「因果関係をあいまいにする」効果すらあったりしますよね。

かなり言葉足らずですが、時間切れになってしまったので、今日はここまでにしておきます。それでは、また。



[22] Fri Sep 24 22:17:39 JST 2004
raintree
自動詞と他動詞って概念も西洋のものですから、異なる言語体系の日本語に当てはめるととても難解なものになってますよね。英語学習においてこれらの概念を習得する方が我々日本語のそれよりはるかにハードルが低いと思います。
他動詞はその動作の波及する目的語を必要としており、自動詞は必要としないものである。と同時にVoiceという基準があり、目的語の存在を前提として active voice と passive voiceの2つの態をあらわすのが他動詞の特徴であり、また目的格の語もなく2つの態の区別がないものが自動詞の特徴であります。日本語においては自他の区別と態(Voice)の問題とはまったく関係なく自動詞にも受身の態が成立してるので、日本語を介して自他動詞やVoiceを考えると些か混乱を招くのも仕方のないことかもしれません。

大西先生のおしゃるように
>「自動詞なら完了」という方が、学習者にとってより負荷の低い学習法なのかな
と言うのが最短距離なのかも?


[23] Fri Sep 24 22:51:56 JST 2004
raintree
あ、目的語ってキャッチボールする相手みたいなもの。相手がいるから投げられるし(能動態)受けられる(受動態)。だから、受身になるのは目的語が必要な他動詞。自動詞なら投げる相手もいないし、ボールを受けることもない。受動態にならないよ。

失礼しました。


[24] Sat Sep 25 10:53:57 JST 2004
大西泰斗
>ヨシカワさん
 そうですね。あまり深く検討はしていませんが、日本語と英語の「受動」。守備範囲は異なるように思えます。たとえば日本語の「迷惑受動」。「〜される」を「受動」とすると、日本語の場合 go だって「受動」になります。「あいつに行かれちゃったよ」。ヨシカワさんのアイデアはもう少し検討しますね。

>raintreeさん
 「他動詞をbe+p.pにすると自動詞化するような感じがする」というのはその通りだと思います。自動詞というのは主語の属性(性質:行為含む)をあらわしますよね。他動詞も過去分詞となり受動態になると、killed (殺された)という性質(やまさんのことばでは「状態」ですね)をあらわすので、本質的に自動詞と同じことだと私も思います。他動詞ー自動詞という区別は、そもそもあいまいなもので、ある1つの動詞の具体的なインスタンスについて「ああ、これは他動詞」「これは自動詞」ということはできます(目的語の有無を確認すればいいのですから)が、「この動詞は他動詞です」といった断言はなかなかできないような気がします。普通他動詞パターンを取る動詞も、自動詞として使うことはとくに珍しいことでは有りません。This shirt washes easily. などとても自然ですよね。be+ppは主語だけで文を完結できる自動詞のようなものだ、こうした意見も至極まっとうなものです。
 


[25] Sat Sep 25 10:54:14 JST 2004
大西泰斗
さて、過去分詞を「完了」と「煎じ詰める」のに私が躊躇しているのは、「完了」という意味から「受動」を派生させるにはもう1つステップがいるためです。受動を派生させるためには、意味上の目的語が主語と一致するということを保証しなくてはならないからです。

 John killed Mary.(Mary:目的語) Mary was killed.(killの目であるMary:主語)


もちろん「過去分詞はね、完了さ。それでもって他動詞の場合には「殺す」の本来の目的語は主語になってるんだよ」なーんて言うのは簡単だし、毎度私もそーゆー説明を書いたり消したりしています。ただこの「説明」に「他動詞」という区分がでてくることを考えれば、「自動詞は完了:他動詞は受動」という rule of thumb と学習負荷は似たようなものになってしまうのです。また、こうした目的語が主語に一致するプロセスはppだけではないことを考えると(さっきのT shirt の例)、もっとおもしろいプレゼンテーションの仕方があるようにも思えるのです。つまり、「主語と目的語が一致する」という受動態の性質を、「他動詞の自動詞化」という一般的な動詞のもつ性質として説明できるとすれば、晴れて「過去分詞は完了です」と言うだけで全部説明できたことになる、そうした筋道を考えているのです。えーん。書いてるうちに錯綜してきたね。みなさんごめんなさい。


[26] Sat Sep 25 21:48:00 JST 2004
raintree
>This shirt washes easily. ですね。
普通に考えれば this shirt 主語 washes 自動詞 です。が、ちょっと捻くれて考えると(てゆうか、S+V+C という構文が未知なスペイン語圏の人がいいかな)this shirt は目的語で washes 他動詞ととる人もいるかも(゜Д゜;|||)
この文は(we can) wash this shirt easily.ともとれるので this shirt が washes の目的語と感じる英語学習者(もちろんビギナーです)もいるかも知れません。

さて、These magazines sell well.をスペイン語で言うと、
Estas revistas se venden mucuo.
Estas revistas (these magazines) se (themselves) venden (sell) mucho (well).
se は再帰代名詞で、venden は vender の再帰動詞。 英語のbe+p.pに相当するser受身とともによく使われる再帰受身という文です。

英語のThese magazines sell well.は These magazines sell themselves well.から来たと考えることも可能です。 


[27] Sat Sep 25 21:53:03 JST 2004
raintree
↑S+V+C ぢゃなくて S+V ですた。訂正よろ!
S+V+Xってのが個人的にはスキです。


[28] Sat Sep 25 21:56:49 JST 2004
raintree
やまさんのいうように 他動詞・自動詞 の一般化ってのも案外難いかも?



[29] Sat Sep 25 22:03:14 JST 2004
raintree
あ、肝心なことを忘れてました。『主語と目的語が一致する』という意味では
These magazines sell well.
Estas revistas se venden mucuo.
これらの文も主語と目的語が一致していると思います。 
なんと This shirt washes easily. は受身だった????


[30] Sat Sep 25 22:12:37 JST 2004
raintree
あれれ、てゆうかよくせんせいのレス読んだら同じ事を言ってたんですね。
大変失礼しました。んーおっちょこちょいと言うか。やはり暑さのせいで・・・


[31] Sun Sep 26 00:11:43 JST 2004
ヨシカワ

いつもは、週末はPCのそばから離れることにしているのですが、大西先生がひさしぶりに頻繁に登場されるので、ちょいとうれしくなって、少しだけ書き込みます。

>大西先生

>日本語の場合 go だって「受動」になります。「あいつに行かれちゃったよ」

なるほど。そう言えば、cryだって、dieだって、「受動」になりますね。「彼女に泣かれちゃってね(困ったよ)」「かわいがってた猫に死なれちゃってね(弱ったよ)」。「迷惑」というか、もう少し広く「マイナーな気持ち」が表現できるような感じですね。
ただ、これらの表現で「受動」の意味を生み出しているのは、「〜される」ではなくて「〜れる」ではないでしょうか。「される」は、分解すれば「する+れる」。「される」をくっつけて受動にすれば、上記の例文は、こうなりますね。
「あいつに行かされちゃったよ」「彼女に泣かされちゃってね」「かわいがった猫を死なされちゃってね」。
最後のは、ちょっと不自然ですけど。しかし、こうなると、「使役」なのかな。ふむ。「受動」表現は実に、なかなか奥が深い。なんだか、じわりと、日本人的な感性がにじみ出しているような気がします。



[32] Sun Sep 26 05:33:35 JST 2004
やま
[1]
I finished.
I finished it.

この文の意味の違いを決定している因子は、目的語の「 it 」ですよね。
動詞の意味の最終的な決定条件は、目的語の有無である、と。
自動詞のfinish、他動詞のfinish と、2つの異なったfinishが存在しているのではなく、
動詞の後ろの要素、目的語が動詞の意味を決定している、と考えた方が私は合理的だと思います。

[2]
Mary was killed. の killed を「殺しが完了した状態」、「殺し終わった状態」、と考えると

  • Mary was 殺し終わった状態
  
、、ちょっと無理ですかね。by Johnをつけた方がわかるでしょうか。
「殺し終わった状態 by John」というのは、「Johnによって殺された」に、つながりませんか。

それと、ごめんなさい。ヨシカワさん、raintreeさんの言っていることは、ちょっと置かせてもらってます。ヨシカワさんの話は具体例を頂けたらな、と思います。


[33] Sun Sep 26 11:45:09 JST 2004
ヨシカワ-1

おはようございます。何やら活性化した週末を迎えているヨシカワです。

>やまさん

>ヨシカワさんの話は具体例を頂けたらな、と思います。

そうですね。私の言っていることは、やまさんの言っていることと、論理の「出発点」が異なるので、あまりかみあってはいないですね。
どういった「具体例」がほしいかよくわからないので、とりあえず、私の話の「出発点」をもう少しわかりやすくするために(さらにややこしくなったら、ごめんなさい)、
話の発端に遡って↓この問題提議を受けて、私が考えたことを少し説明しておきます。

The toy was broken and he threw it out.
この文は受身でしょうか?
私はそうは思わなかったし、あるネイティブも、
このbroken にaction は感じない、と言ってました。

● 私は、「受身/受動態」という表現について、“「作用を与えるもの」からの語り方を、「作用を受けるもの」からの語り方に「視点変更」すること(ひっくり返して語ること)”と考えているので、“The toy was broken.”という文章はさしあたって「受身/受動態」であると考えて特に違和感を感じませんでした。
むしろ、「受身であるか、どうか」ではなく、“日本語の場合「受身」という視点変更を行ってもaction感は消えない(むしろ高まることすらある)のに、英語の「受身」の場合、action感が希薄になるのは何故だろう”と思ったわけです。
作用を与えるものと受けるものを「ひっくりかえして語る」こと自体は、必ずしも、action感の希薄化を要請するものではないはずなのに…と、まぁ、そう思ったわけです。



[34] Sun Sep 26 11:45:51 JST 2004
ヨシカワ-2

●そこで、とりあえずは、こういう仮説を立ててみました。

[A]英語の「受身/受動態」は、そもそも“能動態のaction感を薄めて語りたい(作用の因果関係の生々しさを緩和したい)”というモチベーションのもとにある表現である。
[B]日本語の「受身/受動態」は、“能動態のaciton感を強めて語りたい(因果関係の生々しさを強調したい)”というモチベーションのもとにある表現である。

少し補足すると、日本語の「受身/受動態」の「因果関係の生々しさの強調」のベクトルは、「誰か/何かのせいで(不本意ながら)」という方向をとることが多い。大西先生が指摘された「迷惑受動」という表現は、そのベクトルを明示するものだと思います。

● 日本語の「受身/受動態」の感覚で、英語の「受身/受動態」のことを考えると、どうもしっくりこない(混乱が生じやすい)のは、こういった「モチベーションの違い」がかなり影響を与えているからではないか。そういう視点にたちながら、いろいろと考えをめぐらせて、「“Verb”と“動詞”を使って何かを語る時の“意識構造の違い”」にまで遡って、(自分の語感に沿いながら/かなり荒っぽく)論理立ててみたとういうわけです。

といいうわけで、やまさんと私の「問題意識」に、(おそらく、深くからみあう所はあるにせよ)かなり違いがあるというわけですね。



[35] Sun Sep 26 11:46:09 JST 2004
ヨシカワ-3

あ、それから、「他動詞/自動詞」を区別して語る(学ぶ)ことにも、そんなにストレスを感じていません。「他動詞/自動詞」という「文法用語」自体は、なんだか意味不明な、へんな日本語だとは思いますけど、「他動詞=“他者を動かす”機能をもつこと」「自動詞=“自己を動かす”機能をもつこと」であり、たいがいのVerbがその両方の機能をもっているけれど、「どちらかの機能への偏りが生じやすい」といったぐらいに(いまのところは)考えています。初学者として、その「偏り」のあり方を学習中という感じですね。

やまさんの論理を読み、対話を続けるうちに、何か違った「実感」がつかめるかもしれません。ひとつ、よろしくお願いします。



[36] Sun Sep 26 20:09:14 JST 2004
raintree
参考になるリンク張りまーす。
日本語と英語の受身
http://people.uleth.ca/~uzawa/essay5.htm
迷惑受身
http://students.washington.edu/koji/JIL/passive_by...



[37] Mon Sep 27 11:36:36 JST 2004
れむ-1
とても高尚な議論がかわされているところ、突然話を戻してしまって申し訳ありません。
この議論のそもそもの発端となった問題なんですが、


2004センター試験第2問 問10からです。
As soon as the star player came in, the game ( ).
1 had been excited 2 became excited
3 had been exciting 4 became exciting

上記において、became excitingが正解であるとする「文法規則による以下の説明方法↓に問題がある」だけ

参考書・問題集の解説等では、人が主語の場合がbe+excited 物が主語の場合
がbe+exciteingとされており、この問題の場合もthe game が人ではないので
became excitingが正解となっています。[Fri Jun 18 21:38:49 より]

なのであって、「becomeはcome to beの意味である(ネィティブスピーカーの単語力/1.基本動詞 P81より)」ということから、

As soon as the star player came in, the game (became=came to be) exciting.の表現のほうが
As soon as the star player came in, the game (became=came to be) excited.という表現より、
”この話し手がこの文章を綴る際に伝えたいであろう「普通の気持ち」をよりよくあらわしているであろう”として、正解とする。

と、理由付けしてはいけないのでしょうか?英語における国語力を問われていると考えて。


[38] Mon Sep 27 11:37:58 JST 2004
れむ-2
日本における「国語」のテストにも、そーいう類の設問はありますよね。「このとき、作者はどのように感じていたのでしょう。問題文の文章を読んで、次の中から1つ選びなさい。」みたいな。
 そういう時に問われているのは、あくまで「普通」に考えて作者はこう思うのだろうなぁ…というもっとも「普通」の感覚であって、「自分自身の(特殊な)感じ方」ではない。
 問題の出題者の意図するところが、受験者の「普通感覚」を見極めたいのか、奇抜な個性や独創的な発想をみたいのか、によって変わってくるのかもしれませんが、センター試験の選択問題ということからも、「前者の発想=普通の感覚」が求められると当然推測可能ですよね。

そうすれば、文法がどーのこーのという解釈を抜きにしても、すっごく自然に以下の選択ができてしまうような気がするんですが…。

As soon as the star player came in, the game (became=came to be) exciting.(○)
As soon as the star player came in, the game (became=came to be) excited.( )

また、

"The toy was broken and he threw it out."においても、この話し手がこの文章を綴る(語る)際に伝えたいであろう「普通の気持ち」を考えてしまうと、「(おもちゃが自分で勝手にこわれるはずないのに)”壊れていた”という表現をしていることに「え?なぜ?」と思うし、もし、自分の子供が"The toy was broken and I threw it out."と言ってきて新しいおもちゃをねだったとすれば、当然「なぜ(誰によって)そのおもちゃはこわれた(された)のか?自分でこわしちゃった(完了?)のか、誰かお友達もしくはお兄ちゃんにこわされちゃった(受身?)のか、はっきり言わないと新しいおもちゃは買ってあげません!」と返答するような気がします。


[39] Mon Sep 27 11:54:25 JST 2004
れむ
すみません。
自分でこわしちゃった場合でも完了ではなく、The toy was broken(by me)の( )をあえて省略するという事によって「自分がこわした」という事実をごまかそうとしているだけの受身ということになるのかな?



英文法の袋小路(EAC)4

2007年05月01日(火) 19:58:47 Modified by onishi_eah1




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