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K-004

コーディネイターとクローン


私が、このSEEDシリーズの設定において、一番納得がいかないことは、「コーディネイターの技術が当たり前にあって、クローン技術は違法だとされていること」です。

そもそも、最初から・・・ジョージ・グレンによってコーディネイター技術が公開され、その技術で当たり前のように、何万、何十万人もの第1世代コーディネイターが「すぐさま」生み出されていったというSEEDの設定を見た時に、すさまじい違和感を感じました。


ジョージ・グレンが生み出される(&成功体として認知される)までに、どんなことが行われたと思いますか?

ジョージ・グレンが公開した、自分のような「成功体のコーディネイターを作る為の技術情報」を「彼を作った科学者達」が得る為には、それこそ「数限りない人体実験の犠牲」があったはずなのです。

遺伝子自体を弄ってしまうということが、どれほど危険なことなのか実感することは、普通の人には難しいかもしれませんけれど・・・「染色体異常の病気」というのが一番わかりやすい例でしょうか? ・・・染色体が(偶然)少しでも傷ついてしまった状態で受精した卵が育つと、「生まれつき何らかの欠陥を持った状態で」子供が生まれます。人為的に受精卵に手を加えるということをしたならば、たとえ机上の理論は間違っていなくても、組み替えの操作ミスが起こらないとは言い切れません。

そうして組み替えが失敗したなどの卵は、「その時点で失敗だった」とわかる状態ならばまだマシです。
もっと悲劇なのは、その受精卵を「代理母(卵子提供者と同じである場合も違う可能性もありますね)の子宮に戻して、育て続けたあげくに、失敗したとわかった場合です。

その失敗作は、「人間ではないもの」として、処理したのでしょうか?
我々の現実でも妊娠3ヶ月までは「人とは見なされません」から、考慮しませんが・・・それ以降は一応「人」と呼ばれます。もちろん、生まれ落ちた後ならば、完全に「人」です。
その上、もし・・・胎児のうちに欠陥がわかって、人工中絶ということにするとしても・・・・・・・その際の代理母の体に対するダメージは、月数によっては相当なものになります。実験に協力した「女性」は、いったいどういった手段で集められた存在なのでしょうか?

そして・・・通常生き残れる程度の失敗(どこかの養護施設に引き渡せる)ならばともかく、「明らかな失敗」がわかった実験体の場合には・・・その実験体を科学者達が育て続けようとするでしょうか? いいえ・・・どれだけ多く「処理」されたか・・・? 「意志を持たない状態」の時期ならば、まだ人道的だと・・? 生きる為に足掻き続ける本能がある・・・育つことが出来れば、意思を表示することが出来るはずの、同じ人間です。たとえ、「作り出されたもの(の不完全な形)」だとしても。


さて、とりあえず、コーディネイター化の技術は成功しました。その理論は完全なものが出来たのでしょう、それに従えば第1世代のコーディネイターが生み出せます。

ですが、「瞳の色が違うわ!」などと馬鹿なことを言っていた・・・・・「自分たちが望んで人為的に手に入れた、(本来)無条件で愛すべき自分たちの子供」を、「設定通りに行かなかったから」拒否するような親も多かった、というのはわかります。

それは、この現実社会でも、同じだからです。
不妊治療の末にやっとの思いで手に入れた「愛すべき子供」が、欠陥を持っていないことを願う・・・「パーフェクトベビー」願望は、普通に妊娠した夫婦よりも、もっと強いものになります。
「愛すべき子供」が「愛せない子供」になることの悲劇、それを乗り越えるだけの「子供への愛情」よりも「それまでの努力の浪費への後悔」が先となってしまう・・・・・そんな気持ちは、わからなくもないです。
でも、そこで「いらない」と言われる子供の気持ちはどうなりますか? 子供が望んでそうなったわけではない、親が望んで生まれたはずの子供なのに。

現在、好みの子供を産む為に最適な能力を持つ男を精子バンクで探して子供を産む、というのは現実に行われています。コーディネイターとある意味同じ様な存在ですが、少なくとも一般的には「受け入れがたい」と思われています。子孫を残したいと思う本能、よりよいものを求める本能はあって当たり前のことでしょうが・・・・・行きすぎた願望は、それが叶わなかった時に破滅を呼ぶのです。


.・・・・・「生み出されたもの」に罪はない、というのは、(例えまだ偏見が根強くても)「不妊治療の末に生まれた子供達」が非難される謂われは何処にもない事と同じく、当たり前のことです。

ですが、「失敗することもある、安全性が未知である技術」を使いたいと願う「親」に対しては、非難の目が向けられることもまた、必然でしょう。「パーフェクトベビー」でなくても構わない、と思える親だけならばともかく、実際には「思い通りにならなかった子供はいらない」などと言っていたのですから。


さて、そんな感じでコーディネイターが増え続け、コーディネイター同士で結婚、子供を産み育てるようになった時代・・・・・いよいよナチュラルとの意識差が決定的になった時、コーディネイター技術はようやく世界的に封印される技術となりました。むしろ、遅すぎたのではないかというタイミングですが。


しかし、それ以前から行われていた「最高のコーディネイター」を作る為の研究は続き・・・・・あまたの犠牲のもとに、唯一「人工子宮内で育つことによって、設計図と寸分違わぬ完璧なコーディネイター成功例」、キラ・ヤマトが誕生します。

これが明かされた時、私はいったい「何に」そんなにショックを受けるべき事だったのか、さっぱり理解出来ませんでした。
実験動物と同じように生み出されたのがショックだった、とでも言うのでしょうか?
普通の(第1世代&第2世代)コーディネイターと同じように、お母さんのお腹にいたことすらなく、人工的な装置だけで生み出されたというのがショックだったのでしょうか?
ここで、「キラは今までナチュラル、あるいは第2世代だと思っていた」というなら話はわかりますが、程度の差はあれ、第1世代は「もっとも人工的な手順の結果生み出されたもの」であることには変わりないのに。
しかも、今まで孤児だったわけでもありません。「赤ん坊の頃から、優しい両親に囲まれて過ごした、幸せな子供」です。生まれよりも育ちではないのですか?

「実験の結果、成功しなかったものたち・・・キラときょうだいだったと呼べるもの達」の存在に気づいて涙したと言っても・・・・・これは、「コーディネイター技術を確立させた時の犠牲」と同じ事です。少なくとも、第1世代のコーディネイターは、自然に生まれた者ではないことを一番よく分かっているのだから、「その陰の最初の犠牲者達」の存在に気づいても良さそうなものなのに。

それに、ある意味では「最初のコーディネイターを作り出す為の実験」よりは、よっぽど人道的ですよ? 「実験の為に母胎で育てる代理母」という犠牲が不必要になったんですから。そんな犠牲がない方が、よっぽどいいです。

だいたい、研究員の妻の卵子を使って研究していたというのがそもそも意味不明です。
精子みたいに簡単に取り出せるようなもんじゃないんですよ・・・排卵誘発剤をうって、痛みや副作用などに耐えつつ、しかも一度に最大でも数個だけしか手に入らないもの、それが卵子なのに。ヴィアだけじゃなくて、他の研究員の妻も提供してたのかしら? 
そもそも卵子提供に同意してたんだろう?なのに「命は作り出すものではない」とか言ってるのが変です。同意もなく、だまされて卵子提供させられたかもしれませんが、それにしたって、「単なる卵子」を取られただけなのに「あの子」「私の子」って何なんだ?
ここにも関連したことが書いてあります)

これが、普通の話のように・・・・・「主人公だけが何故か持つ、特別な力」を作り出す為の研究に、悪の科学者達が必死になって、「やっと作り上げた唯一無二の存在」っていうならともかくとしてねぇ・・・SEED時代は単に、「設計図通りに育つことが可能な技術」ってだけで、「設計図」自体は何万もの人々にもうすでに応用されていて、ありふれた技術ですよね? 

普通は「設計図」を作るのが大変だから、その犠牲になった存在のことを思って泣く、というのが定番なのに、それがすでに存在しているなら泣き所がない。

ガンダムWの主人公であるヒイロ・ユイは、キラなんか目じゃないほど凄まじい「生身での超人ぶり」を発揮しています。なので、「きっと人工的に遺伝子を弄られて作った兵士だな」という説が飛び交った(実際、そう考えないとあり得ません・・・)んですが、それが支持される、受け入れることが出来るのは、「主人公ただ一人(or数人)の存在」だからではないか?

そういう設計図がもうすでに全世界にばらまかれて当たり前に受け入れられていた状態、という設定自体は、虚構の作劇上認めるとしても、何故「その大本を作る為の犠牲」は描写せずに、「枝葉で使用する技術を作る為にあった犠牲」を大きく取り上げなきゃいけないのか。そんなもので、どうやって感動出来るって言うんですか。
しかも、犠牲を払って出来たものなのに「欠陥があった」ならともかく、「完璧な存在」とされるなら余計に!


だから、この話で完全に、SEEDという物語が、「同情されるべき存在ではないものを同情されるべきものとして描いている」駄作となっています。


私は、この「コーディネイター」という存在に対し、どのような答えを制作側が出すのか・・・・・もうすでに生まれてしまった者達を排除する、ブルーコスモスのやり方は否定されるべきですが・・・現実問題として、「遺伝子操作による能力向上」をまさか賛美する視点では描かないだろう、と思って見ていたのですが。


これ以上人為的な手段を使うことなく、シーゲル・クラインの唱えた「ナチュラルへの回帰」が実現されるのを予感させるラスト

あるいは、

相容れないものとして存在するならば、地球から遠く離れた宇宙の果てに行って、ナチュラルとは関係のない「別の道」を歩き続けるラスト

どちらかになると予想していたのですがね・・・・・・・・・
なんで、どっちでもなかったんでしょう?


長くなりましたが、クローンについても書きます。

クローン技術というのは、昔のSFで描かれている、「細胞を使った人間とそっくり同じ見た目、年齢になる(すぐさま育ってその状態)」「培養液に浸かって同じ個体がふよふよ浮いている、全く同じ意識感情を持っているので、死んでも代わりはいる」とか、そういう技術ではありません。
(エヴァのレイがそうだったみたいだけど、そりゃリアルじゃないお話なら・・・そういう存在が複数、大量に存在しないなら、許容される虚構です)

実際のクローン技術は、クローン羊のドリーが発表された時に、普通の人は理解したはずですが・・・「細胞の元となった存在と、同じ外見、意識になることはあり得ない。なぜなら、生まれてから育つまでの過程が、オリジナルの存在とは異なる過程を持つから、同じ存在になるというのはあり得ない」ものです。

SFで想定されていたようなクローンは、「一卵性双生児」と同じです。この場合、育つ年数も過程もほぼ同じ環境ですから、かなり似た存在になります。
ですが、一卵性双生児を「同じ人格、同じ個性、同じ存在だ」などといいますか? どんなに外見が似ていたとしても、どんなに似たような個性を持っていたとしても、「同じ存在」だなんて、いいますか?

.・・・・・普通の人間ならば、一卵性双生児と実際に接した事のある人間ならば、そんなことは言うはずありません。


ならば、一卵性双生児よりもかけ離れた存在になるクローンを作ることが、どうして悪いのかと言えば・・・テロメアが短いのを克服出来ない、とかそういう事じゃないんです。

「人体実験で、あまたの犠牲を伴わないと成功することが出来ない技術」だから、現実の我々の世界で禁止されている、それだけのことです。
(臓器移植の為だけの存在を作り出すという話ならば、人としての形を持たない存在ならば、ES細胞研究など可能な国もあります。それも禁止という所もありますが)

なので・・・・・「単なるクローン」よりも「遺伝子操作」の方が遙かに難しいはずなのに、そしてコーディネイターの研究にはかなりの犠牲が伴ったはずなのに描写されず、なぜクローンだけが禁忌とされるのか・・・・・全くわかりません。


ただ、あのイメージ映像から考えてみると・・・今現在使われる技術、代理母を使った技術ではなく・・・・・人工子宮で誕生した存在、と考えた方が良さそうです。
しかし、それでも「人工子宮技術を研究する為に、なぜクローンを使うことが禁忌なのか」わかりません。単なる受精卵を使う研究を先に行っているはずですし・・・・・「クローンは自己存在が曖昧になるから」という解釈の法律だった、なんて成り立ちませんよ・・・コーディネイターが存在する世界で。

いえ、ラウの場合はクライアントの要望なので、資金調達の為に無理してでも研究したのはまだ理解出来ます。そこで成功した人工子宮技術を応用して、その後10年で最高のコーディネイターを作る技術に転用した、ということでしょうから。


しかし、問題はレイの存在です。レイが作られたのは、キラと同じような時期のはず・・・・・もうすでに、単なるクローンの人工子宮技術なんて、何の価値もないはずなのに。

そこで、思うんですが・・・レイの場合は、「クローン+コーディネイター化」の実験をしてみたくて、生み出されたのではないかと。
それなら、最高のコーディネイター作りに転用出来るから行った、と理由付けが出来ますしね。「テロメアの欠陥のない完全なクローン」を作ろうとする必要性は全くないものの(金を出すクライアントはその頃もういないはずだし)、その理屈なら・・・・・
とはいえ、「実験の為の実験」によって、「最適な処理を行う配慮」もせず、「ただ出来るからと言うだけで」作られた、というのは・・・・・どうしようもなく不幸な存在ですね・・・。


『遺伝子操作して、人の手で作り出したもの』には人権があるが、『クローン』には人格を認めない・・・・・なんていう解釈で設定されたこの世界、本当に笑ってしまいます。
『擬似的に作ったプログラムがベースで、人の手で作り出したロボット』には人権があるが、『一卵性双生児』の個々の人格を認めないと言っているのと、極端に言えば同じ事なのですから。


レイは、レイという存在であって、他の誰でもありません。
.・・・・・・・・・・ああ、つくづくあんな馬鹿なことを言った議長が憎い・・・人形として愛していたとしても、それを本人に伝えちゃいけないんですよ・・・。

(2006/1/14)

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2006年03月05日(日) 14:09:18 Modified by reyz




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