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K-017

死帳な死生観と種の宗教


今までの格好いいキラ様は何処に行ってしまったんでしょうか・・・まぁ、ある意味とっても人間らしい感情をむき出しにした最後でしたから、物語としてはこれで良かったのだと思いますが。でも、ファンとしてはなぁ・・・・・・こんなに好きだったのに、最後の顔がああいう形になるなんて、切ない。

もちろん、デスノートのキラ(夜神月)のことです。

死によって「無」になるというのは、「天国も地獄もない」というのは、現実的な死生観ですね。デスノートという存在、死神という存在、死神界や死神大王という存在があるのに、人間は死ぬと魂が抜けてどこかに行くわけではなく、無になる。
.・・・本作の死神というのは、ノートに人間の名前を書き、書かれた人間の残り寿命を奪うことで自分の寿命を延ばしているという存在ですが、要するに彼らにとっての人間は家畜と同じなんでしょう。ただ、無に帰るのを淡々と見るのみ。

天国や地獄があると信じている人間であっても、家畜が死んで天国に行くなどということを考えたりはしません。家畜だけでなく、その人間と深い関わりを持っていないすべての動植物の死は、そんな考えとは無縁です。

今まで生きてきた自分という存在が、そして深い関わりを持った人達が、死ぬと無に帰してしまう、何の意味もない形になってしまう、というのを認めるのは辛いことです。だからこそ、魂という存在を考えだし、それに救いがあると考える。すがるものがあるから、死の恐怖を緩和することも出来る。(月は信じてなかったから、ああいう最期だったんだよな・・・死んだ後の魂の存在を信じてたら、もっとパニックになったかな?)


あ、私はこんな感想を持ってることからわかるとおり、仏教もキリスト教も信じてない、ごく一般的な日本の若者wです。・・・ま、カトリックは中高で学んでますので、一般的とはちと違うかもしれませんが。
別に宗教を信じる気持ちを否定するわけでも、宗教画に感銘を受けないわけでも、まともに祈ったことがないわけでもないですよ。
生きている時に神にすがる感情は、当たり前に持っています。神ってのが、キリスト教でも仏教でも八百万の神でもないような感情ですが、それは祈る場面によって異なるのか。神社なら神様、お寺なら仏様、教会ならイエス様やマリア様の向こうにおられる神様。

でも、死んだ後の魂が・・・という感情は、ないんですよね。
無に帰るのは当たり前だという、リアリスト。
ところが、生命の誕生の時には、魂の存在があると思い、それに神の意志が関係していると思う。
.・・・・・・矛盾しているんでしょうか、これって?
「どれ位の確率で、人は生まれることが出来るのか」ということを、きちんと生物で学んでいれば・・・こういう考えを持つのは、そう珍しくはないと思いますが。

ちなみに、フィクションなら、転生ネタとか神様の子供とか、そういう話は大好物です(笑)。死者の魂の存在を当たり前に受け入れますし、魂に救いを求めます。こういうネタに浸ることが出来るのが、寛容な宗教気質の日本の良い所。(唯一神を信じるキリスト教的価値観だと「神が複数いるって何なんだ」と、認められないんですよねー・・・というか、そもそも801にカトリック教徒は填っちゃダメです)


さて、そこで・・・ちょっと、種の世界の宗教観について考えてみます。

一般的に論じられているらしい「種世界の宗教観」って、誤解があると思うんです。
もしかしたら、設定の誰かがどこかで馬鹿なことを言ってたせいなのかもしれませんが・・・・・「種世界には宗教がない」というのは、嘘です。

年表では、そんな表現になっていません。一時、各宗教界が混乱して、権威失墜した時期がある(それが、コーディブームの発端。CE30年〜54年)というだけです。
それに、オーブには「ハウメアの神殿」があって、そこで「ハウメアの神に結婚を誓う」形になってましたよね。まぁ、オーブは地域宗教だとしても、他の地球各地で、宗教があるという描写はないものの、ないという描写もない。つまり、どっちともとれる。
だから、多分普通に、フレイはキリスト教徒(どんな教派かは不明だが)だったんじゃないかな。

しかし、私がどこかで見た覚えのある設定、これは間違ってないと思います。
それは何かといえば、「コーディネイターは宗教を信じていない(プラントには宗教がない)」という話。
理性的な現実主義な人は無神論者になるという点・・・だけでなく、もし宗教を信じていたら、「自らの存在が間違ったものである」という意識に到達してしまって、それを乗り越えるのがかなり難しくなると思うんです。第2世代以降ならばまだしも、第1世代の場合は特に。だから、この設定は納得しています。
そして、神を信じてないから、ラクスという虚像に縋ってしまうのかもしれません・・・よくわからないけど、あのプラント民の心理は。

ただ・・・では、あのプラントの墓地はいったい何なのでしょう?
葬る時には、どのような形で祈るのでしょう?
結婚の時には、人前婚のような形をとるのでしょうか?

死者を悼む気持ちは、宗教と切り離して考えて良いのかも知れません。
死んだら無に帰ると思っていても、残された者の気持ちを救う為の手段に宗教を持ってこなくても、形のある寄り所があればクリアすることは可能だと思いますから。
葬り方については、単に習慣として踏襲しただけで・・・特に宗教的な意味を持っているわけではないのでしょう。個人の墓にすることで、宗教に頼らずに死者を悼むことが可能という面があるのかもしれませんし。(そう考えないと、あの墓地のフォローが出来ない)

とりあえず、言えることは・・・ラクスもキラも、神を信じるという気持ちを全く持っていないことは確実だろうな、と。本人達自身が神のようなものですから、他を信じる必要などあるはずもないですけどね。

.・・・逆に、ラウは神の存在を知っていたのか・・・・・・だからこそ、だったのかもしれない。年末SPでは、冒頭のナレーションで聖書の一節を引用していましたし、ね。
(逆に、形だけで全然あってないのがスペエディのアスランでしたが・・・)

(2006/5/10)

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2006年05月10日(水) 21:13:16 Modified by reyz




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