ストロベリー・パニックのSS保管庫です。

著者:名無しさん(4-244)


何と夜々だった。――ではなくて南都夜々だった。
不意に廊下で出合った奥若蕾は驚きを隠せない。
「あら。蕾じゃない」
正確には驚きや、喜びや、恥ずかしさや、そんな自分に対する怒りを隠せない。
彼女は努めて不愉快そうな小難しい顔を作ると、やっとの思いで言い返す。
「どこ行くんですか?夜々先輩。聖歌隊の練習が無い時は暇そうですね」
「どこに行こうと私の勝手でしょ」
可愛げのない後輩を軽くあしらうと夜々はプイっと歩き出した。
こんな所で時間を無駄にはしていられないのだ。

しかし彼女は直ぐに後悔することになる。蕾が夜々の後ろを歩くのだ。
『ちょっと、付いて来ないでよ』と言いたかったが、それはあまりにも自意識過剰で大人気ない。
そもそも、ここから外に出るなら皆そちらへ行くだけのことなのだから、不思議でもない。
ならば先を行かせてタイミングをずらしておけば……と、夜々が思考を巡らせていると
前からミアトル下級生がやってきた。
上級生のお部屋番制度のためだろう、ミアトルカラーのメイド服が夜々の心を和ませた。

夜々は思わず立ち止まって、そのフワリとしたスカートや
その淑やかに歩く様や奥ゆかしい後ろ姿を目で追いかけ、
果ては微かに香る残り香さえも逃さぬように楽しんでみるも、そんな楽しい時間は続かない。
自校の下級生が不機嫌さ二割増しの顔で睨んでくるからである。
また、つまらぬものを見てしまった……そう思いながら夜々は囀る。
「良いわよねー、ミアトルの一年生って。健気で可愛くて」
「………」
スピカの一年生の人相は更に悪くなる。またまたつまらぬものを見てしまった。
「ほんっと"ミアトル"の一年生って可愛いわよねー」
「……なにが言いたいんですかっ」
「……………」
しかし夜々は言葉を返さない。代わりに飄々とした表情を返すのみ。
結果睨めっこのような形になる。
片一方は、嘲笑うようなからかうような冷ややかな目で。
もう片一方は、悔しさを滲ませた睨むような熱い目で。
…………。
随分と長い間睨んでいる。ケンカじゃなければ恋人同士のようだ。しかし――
「どうして先輩は人をバカにするようなコトを言うんですか!」
結局先に声を出した蕾の負けである。そもそも片っぽが冷ややかで
もう片っぽが頬を赤くして睨んでいる状態で勝負などあったものだろうか……。
しかも夜々は、慈悲もなく止めを刺すのだ。
「どうしたの、蕾。私は独り言を言っただけよ」
「……っっ!?」


わざとだ。故意に意地悪を言っているに決まっている。
蕾だってわかっているのだが『私は独り言を〜』というセリフは色んな意味で彼女を刺激する。
例えば。
もしも本当に独り言だったらどうしよう……、とか。
でも例え独り言だったとして何がマズいことがあるだろうか、とか。
もしかして話しかけてくれないと不安になってしまうほど夜々先輩を××なんだろうか、とか。
いや、それは絶対にないから安心だけど、自己中思考な痛い娘と思われなかっただろうか、とか。
何を気にしているんだろう、嫌われたって構わない相手のはずなのに、とか。
考えすぎ!そもそも夜々先輩はわざと言っているんだから、とか。
わざと、ということは本当は私の気持ちを――とか。
『故意に意地悪』を『恋に意地悪』とか。
そ、そんなわけないもん……とか。
このように蕾は壮絶な死闘を自分の中で繰り広げていたわけだが、それは目の前の敵からしてみれば
隙だらけなのだった。夜々は睨み返すだけで精一杯の蕾を軽く鼻で笑うと、くる、と背を向けた。
「ぁ……」
夜々先輩が行ってしまう――。思わず漏れた自分の声の弱さに萎れていく気持ち。
それを無理矢理押し込めて、去っていく夜々の姿を蕾は見つめ続けた。

一方、夜々は上機嫌そのものだ。
後輩を撒いてスッキリした。それしか頭の中にはない。
夜々は全く気付いていないのだ。蕾がどんな思いで、いつも夜々と接しているのかを。
睨み合いの時だってそうだ。
夜々が視線を少し逸らした途端、蕾は頬を染めてボーっと夜々を見つめているというのに。
その様は、まるで吸血鬼に魅了された娘のようなのに。
例え振り返っても蕾は自動的に、しかめ面に戻ってしまうので仕方ないのだが、彼女は蕾が部屋で一人、
夜々との事を思い出して身体が異様にポカポカしてしまって困っていることも知らない。
恐らく知っても怒りで腹が煮えくり返っているとしか解釈しないだろう。
二人の日々は、こうして過ぎていく筈だった。

ある日、蕾は聖歌隊の練習を終え、倉庫へ入った。昨年使った衣装を調べる必要があったのだ。
倉庫は明かりがあるのだが、白熱灯は頼り気なく周囲を照らすのみで覚束ない。
そういえば、ここは「出る」という噂がある。こんな時に蕾は思い出してしまった。
(そんなもの、下級生を脅かすために上級生が作ったものに過ぎないってば……!)
そう、例えば夜々先輩のような意地の悪い――って、なんで、ここでまた夜々先輩が!
三又槍を持った夜々を頭の中から追っ払うと、蕾は辺りにスイッチがないか探した。
確か、この倉庫は中にもスイッチがあって、それを押せば、もう少し探しやすくなる筈だ。
最初入り口傍の頼りない白熱灯のスイッチを入れて、それを元に次のスイッチを、という順番に
なっていて、更に奥に行きたいときは更に奥のスイッチを、という仕組みなのだ。
ややこしいシステムのせいで蕾は大変な目に遭っているのだが。


そのとき、蕾の肩が急にグッと掴まれた。
「蕾」
「ひぃっ……!?」
「次のスイッチはあっちよ」
振り返ると、薄暗く狭い部屋の中で白熱灯に照らされた夜々がいた。
「あ、悪霊………!」
「………」
流石にムカッときたようだが、夜々は続ける。
「一年に倉庫を任せるのは酷だから、ということで来てみれば、悪霊とか……」
ポンポンと肩を叩いて夜々は奥へと進んでスイッチを押した。
すると、パッと、明かりが付くのだが、頼りない白熱灯が、もう一つ奥に増えるだけのようである。
「け、結局、明るくならないんですね……」
その発言に夜々はニヤリとした笑みを返した。しまった!と蕾は思った。
「さ、さーて、昨年の衣装は……っと」
蕾は黙々と作業を続ける振りをする。
「で? 倉庫の幽霊の話でも思い出して怖がってたの、蕾?」
「ち、違います! いきなり夜々先輩が出てきたから……」
それは本当だった。驚いたのは、むしろ夜々がいきなり直ぐ傍に来たからだった。
それを「悪霊」と言ってしまったのは、直前の思考とこんがらがってしまったからだ。
「実は、あの話って私が作ったんだけど、意外と信じられているのよね」
「な……っ!!」
蕾の予想は大当たりだった。
「なんで、そんなことをするんですかっ!」
「ん〜? 可愛い子が怖がってる姿って、やっぱり可愛くない?」
「そ、それだけのために……」
蕾は、ふにゃふにゃと脱力した。
「あと、光莉が怖がったら、どんな顔かなって」
脱力した身体に楔を打たれたような気がした。

(夜々先輩……また光莉先輩の話ですか?)
夜々の視線の先には常に光莉がいる。夜々が常に気にかけているもの。それは少なくとも蕾ではない。
「あ、そうだ。実は話そうと思ってたことがあるのよ」
「………なんですか」
「今度、私の部屋に来ない?」
「え?」
「ほら、蕾も光莉のことが好きなんでしょ? それで聖歌隊に入ったぐらいなんだし」
「!? 前にも言いましたけど、それは大きな誤解ですからっ」
「事実でしょ?」
「違います! 光莉先輩は尊敬する先輩のお一人です!」
「照れない照れない。素直になりなさいよ、蕾。まあ光莉に会えるってわけじゃないけど」
蕾が聖歌隊の誰かに憧れて入ったというのは良く知られている話だ。
それで「誰なの?」とからかわれることもあるのだが……蕾は何だか泣きたくなってきた。
そりゃ勿論、蕾だって夜々が天使と形容するほどの光莉を前にして、眩く思うことはあるのだが。
「で、それで今度二人で光莉を手に入れるための対策を練ろうと思うのよ」


「夜々先輩と二人で、ですか……?」
「そ。とりあえず天音先輩から光莉を奪って次は私たちの勝ったほうが光莉を手に入れるって寸法」
(夜々先輩と二人っきりで………)
夜々が何か言っているが蕾の耳には入っていないようだ。
そういえば今も二人っきりだ。蕾は考えた。
倉庫の入り口は閉まっていて殆ど密室。こんな狭い場所で二人きり。
思えば、倉庫の照明も薄暗くて逆にロマンティックな雰囲気な気がしてきた。
「あっ、こんなとこに去年の衣装があった! ……じゃ、そういうことで良いわね、蕾」
「わ、私は別に構いませんよ」
「光莉相手に、どう接するかの模擬訓練を行うつもりだから」
それは、つまり夜々を光莉と見てアレコレするという意味だ。蕾は一瞬クラッ、とする自分を感じた。
一体、どんな訓練をするのだろうか?
戸惑う蕾をよそに夜々は手をひらひらと振りながら倉庫の出口へと向かっていった。

そうして迎えた当日。
部屋に招き入れられた蕾はベッドに、ちょこんと腰掛けていた。
スピカの制服にセーターが似合う女の子はスカートの端をぎゅっと掴んで、伏し目がちに
夜々から目を逸らしていて普段より随分としおらしい。
ハハァ、やっぱり仮想的とは言え光莉相手に練習するのは緊張するのだな、と夜々は盛大に誤解した。
それにしても初々しくて実に良い! ――更なる誤解の極みへと夜々は進んだ。
「さて、最初の課題だけど、まずは光莉が天音先輩の話を切り出そうとした時、どうするか――」
「あ、あの。夜々先輩?」
「なによ」
「例えば……例えばの話ですよ? キ、キスの練習とかはしないんですか……?」
「キスぅ〜?」
蕾は顔が真っ赤だ。
「それはまた、短絡的というかなんというか……」
流石の夜々も腕を組んで、はたと考え込んだ。
「っていうか、その前の段階さえどうにかなれば、後のことは如何ようにも好きにできるし」
「そ、そうですか?」
蕾は軽いカルチャーショックのようなものを感じた。
「でも、そうね。練習しておいて損はないかも。念を入れるには越したことないか」
夜々は豪気な性格だった。練習のキスは練習と割り切れるようだ。それが幸いした。
彼女は蕾の隣りに腰掛けると蕾の肩に手を置いて言った。
「じゃ早速やるわよ。まずは蕾から。私を光莉と思ってするのよ」
「………」
茫然とした表情で夜々を見つめる。自分からの提案とは言え、いきなり、することになってしまった。
夜々はスッと目を閉じると蕾のキスを待つ。もう逃げられない。
蕾は震える手で恭しく壊れやすいものでも触れるかのように夜々の顔に手を添える。
緊張するのも無理はない。……初めてのキスは好きな人としたいものなのだから。
綺麗な瞳。今は閉じているが。艶やかな黒髪は今も光を弾き。
いつも意地悪なことをいう唇は、そっと閉じられ口付けを待つ。
蕾は、何度も躊躇うようにして、じぃっと夜々の顔を見つめてから目を閉じると夜々の顔へ近づく。
そして蕾はついに口付けをした。


夜々は――中々上手いキスだと冷静に思っていた。思ったよりも積極的で少し驚かされたけれど。
まあ、これぐらいなら光莉には良いんじゃないだろうかと分析していた。
蕾の唇の柔らかさを楽しむこともできたし、さてこれで採点も終えようかと思っていたところに。
「ん……れろっ」
「…………!」
蕾は舌を絡めてきた。
(いきなり……? これは流石に光莉相手にはどうかしら)
夜々は、まだ驚かない。飽くまでも客観的に判断し、後で注意しておこうと思うほどだった。
夜々は本当に豪気な性格だった。舌をちゅっ……ちゅっ……と吸われてもまだまだ慌てない。
少し苦しいが。これは練習だから。蕾のキスを採点するためなのだから。
――しかし状況は一変して変わる。
「んぅっ………夜々せんぱ……くちゅ………」
「!?」
今、誰の名を呼んだのか。
目の前の、そう本当に目の前にいる蕾は夜々の名を呼んで尚キスを止めようとしない。
はむっ、と唇に吸い付きじゃれ続けている。まさか蕾は……光莉目当てじゃなかったのか!?
蕾はひたすら一心不乱に夜々の唇の感覚を味わおうとする。
夜々はタジタジになっている自分を感じた。気付けば蕾に押され身体が倒れ始めそうになっている。
しかも蕾は少しもペースを緩めない。とても冗談とは思えない様子だ。
胸にカァーーッと熱いものが込み上げて夜々は蕾を恐る恐る引き離した。
「んぁ……っ。 ………お、おわり……ですかぁ………?」
名残惜しそうな蕾と合わせるように二人の間をつぅと引く銀糸。
「……っ」
どれだけ激しいキスをされてたかわかるというものだ。

彼女は「も、もう少し、練習しませんか……?」と、ぼーっとしながら言った。
……蕾は気付いていない。途中で夜々の名前を呼んでしまったことも。
どれほど夜々とのキスを熱心にしていたのかも。
盛大に誤解していたとは言え、ここまでやられれば誰だってわかる。
夜々はスッと立ち上がると「今日の練習はここまでよ……」と言った。
「え……?」と未練たっぷりの声を出す蕾だったが、ふわふわと覚束ない足取りの自分を
夜々が送ってくれて、しかも、その背中を押す手が温かくて幸せだった。

………………。
パタン。
一人自分の部屋に戻り夜々は、頭を抱え考え込んだ。
まさか蕾が自分目当てだったとは……。にわかには信じがたいことだった。
しかし、そう考えるしかあるまい。でなければ、あの夢中な様は説明つかない。
少なくとも仮想の練習相手にすることじゃない。
夜々はそっと唇に手を当ててみた。まるで蕾とのキスの感覚が蘇るようだった。

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