ストロベリー・パニックのSS保管庫です。

著者:名無しさん(2-373)


 夜。
 テーブルの上のランプだけが小さな光を灯す薄暗い部屋で、深雪は力なく項垂れていた。
 ここは実家である六条の屋敷の深雪の自室。
 そこで深雪は何をするでもなく、己が内に沈み込むように頭を垂れる。
 深雪の目の前にはグラスに注がれたままろくに口を付けられていない赤ワインが、ランプの光を透し、鈍く輝いていた。

 顔を上げる。
 すると嫌でも視界に入ってくる、純白の衣装。
 この薄明かりの中でさえその存在を誇示するかのような華美さは、しかし今の深雪にとってひどく陰鬱な思いしか生み出さない。
 明日、深雪はこれを着る。
 数えるほどしか顔を合わせた事のない男の嫁となる為に。

 知らず夢想する。
 目の前のドレスにナイフを突き立て、一心不乱に引き裂く凶暴な自分を。
 想像の中の深雪は、家の事情など全く意に介さず、痛快に花嫁衣裳をボロボロにし、自由を得る為に屋敷を飛び出す。
 そして、望み通り自由を勝ち得た深雪は、そして……………どうなるというのだろう。
 こぼれるのは、自嘲の笑み。
 稚拙な妄想に、呆れを通り越して愛おしさすら感じる。
 仮に実行したとしても、すぐに連れ戻され、代えのドレスが用意されるだけ。
 それが現実。

 そんな無味乾燥な現実も妄想も全て忘れたくて、目の前のワインを一気に呷る。
 ……不味い。
 深雪はまだ酒に飲み慣れていない。故に気持ちよく酔うことも中々できない。
 感じるのは、口の中の渋みと胸の内の不快感だけ。
 そもそも、おおっぴらに飲酒が許された年齢でもない。
 そんな年齢の自分が、よく知らない男のところに嫁がなければならない。
 自分の意思とは関係なく、家の事情で。
 相手の男はそう悪い人間と言うわけでもない。
 いや、むしろ容姿は申し分ないし、人格も深雪の知る限りでは非常によくできた人間だった。
 深雪の事を絶対に幸せにしてみせる、とも宣言しており、そのこと自体には悪い気はしない。
 実際、相手の男にはそれだけの度量も財力も持ち合わせている。恐らく。
 この男の下で幸せになれるような気も、しないではない。
 でも。それでも……。

「やっぱり涙が止まらないのよ……静馬………」

 搾り出すように出たその言葉は、誰にも届くことなく、闇に溶けて消えた。


 深雪の式に対する要望は、教会で挙げたい、というものだけだった。
 相手の男は、「やっぱり女の子は教会の結婚式に憧れるものなんだね」と納得していたが、深雪自身は、自分がこんな提案をしたのが意外だった。
 確かに、教会での結婚式というシチュエーションに多少なりとも憧れを抱いている事は否定しない。
 だがそれは、自然に出会い、恋愛を経てそこに至るストーリーに対する憧れであり、あらゆる過程をすっ飛ばしていきなりゴールだけ用意されても、喜びなんて欠片ほどにも感じない。
 そう思っていたはずなのに、それでも自分は教会の結婚式を望んだ。
 その理由を自問して……やがて気付く。
 そして深い深いため息の後、すっかり癖になった自嘲的な笑みを浮かべていた。
 つまりあれだ。深雪はこの期に及んでなお、ありえない妄想を抱いているのだ。
 それは、フィクションの世界ではあまりに有名でありふれたワンシーン。
 望まぬ結婚を迫られ、失意の中でバージンロードを歩く花嫁。
 そんな花嫁を救い出すようにその場から掻っ攫っていく、花嫁と相愛の人。
 全てを捨てて愛の逃避行を遂げる二人。
 そんな夢物語を、無意識の内に思い描いてしまった。
「いったい、誰が連れ出してくれるっていうのよ……」
 心の中で想うあの人物のことを忘れるために、深雪はわざとそんなことを呟いた。


 父と共に歩く、真っ白なバージンロード。
 その先に立つのは、柔和な笑みを浮かべた深雪の結婚相手。
 教会に流れる賛美歌は深雪たちを祝福しているが、それで深雪の心が晴れるわけでもない。
 思わず俯きがちになる。
 花嫁がこんな調子ではいけないと思いながらも、今の深雪には上手く振舞えそうになかった。
 一歩一歩進むたびに心の靄は広がり濃くなっていくようだ。

 そんな賛美歌のみが響く厳かな雰囲気の中で。
 ふと、小さなざわめきが起こった。
 そのざわめきは波紋を広げ、やがて参列者全体に広がる。
 急に騒がしくなった周囲に驚き、顔を上げる深雪。
 そして、それを目にして―――いつの間にか自分は妄想と現実の区別もつかなくなるほどおかしくなってしまったのか、と思った。

 だって、そんなはずない。
 こんな、こんな夢物語が現実になるなんて……ありえない。
 それでも深雪の震える唇は、目の前の人物の名を紡ぐ。
「………静馬……?」
 そう、今深雪と花婿の間に割ってはいるかのごとく立っているのは、花園静馬その人であった。
 深雪、深雪の父、花婿、牧師、参列者達。
 それらの周囲の視線を一身に受け、静馬は屹立していた。
 何の臆面もなく、まるで自分がこの場の主役であるかのように。
「君はいったい何のつもりで」

「――――深雪」

 初めに話しかけたのは深雪の父だったが、そんなことなど完全に無視している静馬は深雪と向き合う。
「………」
「貴女、幸せになりたい?」
「……………………ええ」
 満足げに微笑む静馬が、手を差し伸べる。
「ここから私を連れ出していいのは、私を幸せに出来る人だけよ」
「あら。この花園静馬以外に、そんな人間いるのかしら?」

 胸が熱い。
 何も考えられない。
 目には愛しいあの人しか映らない。
「静馬っ!!」
 駆け寄る深雪を静馬は優しく抱きすくめる。

 ……

 そこの後のことはよく憶えていない。
 深雪はただひたすら静馬にしがみつき、走り抜けた。


「ふぅ……流石に少し疲れたわ……」
 ベッドに座り込んでため息混じり呟いているのは静馬。
「お疲れ様。何か飲み物でも頼む?」
 そんな静馬を労う様に声をかける深雪。
 今は花嫁衣裳を脱いで、静馬が用意しておいた服を着ている。

 ここはとあるホテルの一室。
 静馬が事前に用意していたらしく、二人は一息ついているところだった。
「冷蔵庫の中にワインが入っているから、それを頂戴」
「ワインを冷蔵庫の中に入れているの?」
「私は冷やして飲むのが好きなの」
 冷蔵庫を開けてみると、確かに赤ワインが入っていた。
「白ワインなら少し冷やして飲むと美味しいって言うけど、赤ワインを冷やすなんて聞いたことないわ」
「そう? 美味しいのに」
 静馬は、さも当然のように言う。
 しばらく離れていても、静馬は深雪が知っている我が道を行く静馬のままだった。
 そのことがどうしようもなく嬉しくて、思わず顔が緩んでしまう。

「何? 貴女も飲む?」
 そんな深雪を静馬は怪訝そうに見ながら、渡されたグラスに口を付ける。
「私は……まだお酒には慣れてなくて」
「ふぅん……じゃあ、こんな飲み方はどう?」
 そう言うや、静馬はワインを口に含み、深雪の唇を強引に奪った。
「っ!?」
 あまりに突然の出来事に硬直してしまう深雪。
 静馬はそんな深雪のことなどお構いなしに、舌で巧みに口を抉じ開け、ワインを流し込む。
 ……美味しい。
 昨夜飲んだワインより渋味も酸味を強く、深雪の好みからは程遠い味のはずなのに、そう思ってしまった。


 一通り流し込むと、静馬は口から漏れ出たワインを舐めとるように丁寧に舌でなぞった。
「急にどうしたのよ」
「ん、どうしたはこっちのセリフよ」
「え?」
「あれだけ劇的に再会したんだから、部屋に入った瞬間すぐにでもベッドインかと思っていたのに、そんな素振りさえ見せないなんて」
「……それは………」

 正直な話、深雪もすぐにでも静馬と一つになりたかった。
 だが、この期に及んでまだ深雪は迷っていた。
 静馬が今ここにいるのは、多くの覚悟をし、様々なものを捨てた結果だろう。
 果たして自分にそれだけの価値があるのか。
 自分ごときが静馬の輝かしい未来を閉ざしてしまっていいのか。
 今ならまだ引き返せるのではないか。
 そんな迷いが、深雪の中に渦巻いていた。

「はぁ……どうやら私は貴女を救えたつもりだったけど、実際はまだ全然救えてないみたいね」
 深雪の心象を全て見抜いてか、そんなことを呟く静馬。
「―――――いいわ。あなたの迷いもしがらみも、全部忘れさせてあげる」
 静馬は深雪を抱きしめ、ベッドに倒れこんだ。
 一瞬息が詰まる。
 深雪は抵抗すべきか否か迷った。
 が、すぐにそんなことは無駄だということを思い出す。
 その気になった静馬は退けるには、心から完全に拒絶するしかない。
 ほんの少しでも気を許している部分があれば、静馬は巧みにその部分を突き、抉じ開け、自分のものにしてしまう。
 今の自分に、静馬を拒絶することなど出来るはずもなかった。
 だから、もう全て受け入れよう。
 自分が幸せである事を、受け入れよう。

 初めは軽めのキスからだった。
 互いの唇を貪り、舌を絡めあう。
 深雪はただそれだけに夢中だというのに、静馬はキスと並行して器用に深雪の服を脱がしていく。
 それから静馬の口づけは、頬、首筋、胸、と少しずつ移動していく。
 一つ一つを丁寧に、ゆっくりと、時には痛いくらいに。
 深雪のカラダに無数のキスマークができるのに、さほど時間は掛からなかった。


「そういえば、あの男とはもう寝たのかしら?」
 静馬が、ふいにそんな事を尋ねてきた。
「ふふ、どっちだと思う?」
「どっちでもいいわよ。どうせ今からは私だけのものになるんだから」
 深雪は少しからからかってみるつもりではぐらかしたのだが、どうやら静馬はそんな事お構いなしらしい。
 残念に思いながらも正直に白状する深雪。
「ないわよ。あの人とはキスすらしたことないわ」
「あら、そう………よかった……貴女は今も昔も私だけのものなのね……」
 そう言う静馬の安堵に満ちた優しい微笑みは一瞬見た気がした。
 が。
「さ、それじゃ続き続き♪」
 次の瞬間、その表情は獲物を狙う獰猛な笑みへと変わっていた。

「ちょ、ちょっと、待ってよ!」
「何?」
「その……貴女も脱いでよ。私だけ裸なんて、恥ずかしいじゃない」
「ふぅむ……そうね。折角だからお互い生まれたままの姿で楽しみましょうか」
 恥ずかしさをなんとか押し殺している深雪に対し、静馬はあっけらかんと答え、何の躊躇もなく服を脱ぎ始めた。

 程なくして現れたのは、完全なる美の権化。
 その肌はどこまでも白く滑らかで。
 蟲惑的な曲線を描くカラダのラインは、同性の深雪でさえ、いや同性だからこそ、その完璧さに魅入ってしまう。
 そんな静馬の繊細な指で、自分のカラダをかき乱されると思うと心がどうしようもなくざわめき、高揚していった。
 だが、その手に握られていた物は、繊細さとは無縁の無骨な物で―――。
「って、何よそれ!?」
「あら、知らない?」
 静馬は手に持った物―――バイブのスイッチを入れ、ウネウネと蠢かせて見せた。
「いや、そういうことじゃなくて」
 静馬の楽しそうな顔に、軽く眩暈を感じる深雪。
 というか、この目の前の完璧美人は一体どんな顔をしてこんな物を購入したのだろうか。
 まぁ、最近は通販などで簡単に手に入るのでその可能性が一番高いが……普通に店で買ってそうでなんだか怖い。
「んー……まぁ、そうね。今日は私達が再会し、新たな出発を迎える記念すべき日だもの。こんな無粋な玩具、いらないか」
 その言葉にホッと胸を撫で下ろす深雪だったが、今の言い分だとこれから先使われる事もありそうだ。気をつけよう。


「さて、と。気を取り直して、いくわよ」
 つぅ、と深雪の乳房が描く曲線を指でなぞりながら、静馬は言った。
 恥ずかしそうにコクンと頷く深雪。
 しかも上目遣いで。
 普段の凛とした顔が羞恥と期待に染まり、瞳は潤んでいる。
 その威力たるや、最早致死量の可愛さであり―――静馬の欲望や煩悩、その他諸々本能を呼び覚ますには十分すぎるものだった。
 深雪の味を確かめたい。感じたい。全部自分のものにしたい。いや、する。
 静馬の情欲は際限なく深雪を求め、また深雪もそれに応えていた。
 互いの大事な部分を全てさらけ出し、舌を這わせ、指で弄り、全身で感じ取る。
 最愛の者との行為に、容易く絶頂に至ること数回。
 だが、その程度では満足できない。
 頭は蕩けてまともな思考も出来なくなっていたが、それでもカラダは快楽を求め続ける。
 ただ目の前の者の愛しさ故に。

 静馬の舌と指が深雪の秘部を深く突く。
「―――っ!」
「ふふ……またイッたのね深雪。え〜っと、これで7回目だったかしら?」
「6回目、よ……まったく、激しすぎるわよ……」
「何言ってるのよ。この私を8回もイかせた癖に。貴女がこんなに積極的に攻めてくるなんて思いもよらなかったわ」
 静馬はすっかり呆れ顔だ。
「だって、静馬のカラダはこんなにも魅力的なんですもの……」
 目の前にある静馬の太腿辺りに舌を這わせる深雪。
「もう、深雪ったら……って、あら? もしかしてもう朝?」
 カラダを起こしてカーテンの隙間を覗くと、確かに朝日が昇ってくるところだった。
「あはは……私達、まるまる一晩中愛し合っていたわけね……」
 自覚した瞬間、どっと疲れが出てきた気がした。
「どうする? 一応9時にチェックアウトの予定だけど」
「正直、このまま一眠りしたいところだわ」
「そうね。ロビーに電話して時間延ばしてもらいましょう」
 そう言うと静馬はベッドを離れ、備え付けの電話の方へ向かった。
 ああ……本当に疲れた……。


「深雪ー、とりあえずチェックアウトはお昼の1時にしてもらったから……ってもう寝ちゃってるし」
 安らかな寝息をたてる深雪の様子に、静馬は小さく笑う。
 その柔らかな頬を撫でながら、ベッドに座る。
 この世界で最も大切な、愛しい人。
 もし昨日あの場に自分が間に合わなかったら、と考えるとゾッとする。
 あのままだったら深雪は知らない男と夜を過ごしていたかもしれない。
 そう考えると、本当に間に合ってよかったと思う。
 ミアトルにいたときから、深雪には助けられてばかりだった。
 その恩返しが少しでも出来たかと思うと、胸に自然と温かいものが満ちた。
 あの場から連れ出した責任として、私はこれから先この笑顔を守っていかなければならない。
 ……いいえ、もしかしたら守るなんて私の傲慢かもしれない。
 いつも守るつもりでも、最後に守られていたのは私だったから。
 だからせめて支えあおう。
 互いに背負っているものは決して軽くはないけれど、それに押しつぶされることのないように、私たちは支え合って生きていかなければならないのだ。

「―――ねぇ、深雪。一緒に幸せになりましょうね」

 そう呟いて、私はまどろみの中に落ちた。

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