帝国の竜神様閑話09

1942年 7月 ロンドン 大英博物館 図書室 

 大英帝国宰相という地位は多くの人と会う事を宿命づけられる。
 ましてや、戦時下のしかも負けかけている戦争の時はなおさらのはすである。
 にもかかわらず、この老人は忙しい時間を割いてまでこの大英博物館にやってきたのには理由がある。
 随行の秘書官と更に二人の紳士を従えたチャーチルは、大英博物館図書室の中央で佇んでいた男に声をかけた。
「すいませんな。ジョーンズ博士。
 他の仕事で時間通りに来る事ができずに」
「英国首相閣下ともなればそれは当然の事でしょう。
 で、このしがない考古学者に何のご用事で?」
 バトル・オブ・ブリテンの爪跡で貴重品は地下倉庫にしまっているがらんどうの図書室を眺めながら、ジョーンズ博士と呼ばれた男が老人に尋ねた。
「貴方の専門分野のことです。博士。
 この世界において多くの事実を書き直さねばならぬドラゴンとその影響の事についてですよ。
 そして、貴方が米国政府に書いてくれた報告書の事でもあります」
 老人らしい達観としたした声ががらんどうの本棚に響く。
 まるで、今までの大英帝国の栄華が虚構のようにみえるのも、この何も無い図書室のせいだろうとジョーンズはふと思った。
「はて、英国首相閣下が聖杯や聖櫃の事に興味をご存知とは……何か閣下の興味を引く出来事がありましたかな?」
 チャーチルは、ジョーンズの手に一枚のコインを握らせた。
「昔から麻薬や武器など違法な物の取引に美術品を使うのは有名ですな。
 英国情報部は、大英博物館や博物館図書室と協力してこの手の古美術品にも目を光らせているのですが、このコインは日本帝国の帝都トウキョウの古物商から手に入れた物らしいですよ。ご存知ですか?」
 コインは重く、その重さから純金・またはそれに類する物であるとジョーンズは即座に感じた。
 ゆっくりと手を開いてその金貨を眺めた。
 世界史上に残った誰の顔でもない顔がそこに彫られていた。
 裏面を見ると何か文字のような物が見えた。
「これは、私の知らない文字ですな」
「で、しょうな。
 出所がトウキョウなら一つあてがありますからな」
 その言葉で分からないほどの頭なら、ジョーンズはここに呼ばれてはいない。   
「あのドラゴンが元々いた場所てすか」
 チャーチルはただ微笑むだけだがそれが正解であることをジョーンズは悟った
「まさか、私にまたナチス相手の聖杯や聖櫃争奪戦を今度は日本としろと?」
 先回りしてジョーンズはわざとらしく皮肉の形を取って志願するが、チャーチルの言葉はジョーンズの先の先まで読んでいた。
「スパイでは貴方の才能が生かされない。
 そんな仕事はここにいる彼、ムスカ大佐がしますゆえ博士には本当の考古学者としてのお仕事をしてもらいたいのです」
 チャーチルの紹介に随員の一人がジョーンズに手を差し出した。
「英国情報部のムスカと申します。
 以後、お見知りおきを」
 うやうやしく一礼して見せるが、人を下に見下すような感じがどうもジョーンズには好きになれなかった。
 まぁ、聖杯や聖櫃を奪い合ったナチどもとも通じる非人間味があるから、この手の情報局の人間というのはみんなそんなものなのかもしれない。

「ナチどもと争うのはこのムスカ大佐に任せるとして、本当に貴方の持つ才能を大英帝国は必要としているのですよ。
 スコット博士」
 今度は、随行していた別の男がジョーンズに手を差し出す。
「オックスフォード大学で考古学を専攻しています。ユーリ・スコットと申します」
「その名前は聞いた事がありますな。
 去年の大空襲時に怯まずに授業をなさったとかで」
 英国はこの手の美談を宣伝せねばならないほど、空襲と海上封鎖に追い詰められていた裏返しでもあるのだが、この紳士が『鉄の睾丸』のあだ名を持つほどの肝と博識をジョーンズは宣伝とは思えなかった。
「さて、ジョーンズ博士。
 我々はドラゴンがこの世界にやってきてから、ありとあらゆる文献を洗いざらい再調査しました。
 その中で、一つ北欧・ゲルマン・ケルト等のサガにある共通点を見つけた」
 神話の共通性はそもそも情報伝達が吟遊詩人を通じて行われており、各地方の相互に歌われたサガなどがその地方の特色を加えた上で改良されていったのというのが考古学上の定説になっている。
 だが、その根本のアーキテクトにモデルが存在していたら?
 ジョーンズの頭にある言葉がよぎる。
「『楽園』ですな。
 ティル・ナ・ノグやヴァルハラ等呼び名は色々ありますが、罪人である我々の世界からの救済として考えられた永遠の若人の国。
 ……まさか?」
 そこまで、ヒントを言われて分からないジョーンズではない。
「そうです。
 更に旧約聖書の楽園や、バベルの塔にも我々は関心を持っています。
 異世界とこの世界が繋がっていたならば、あまりに多くの神話や伝承が説明できてしまう。
 バチカンでは既に枢機卿会議でこの話題が出て大いに揉めたとか。
 かつて、ドラゴンがいた世界とこの世界は繋がっていた可能性があるのですよ」
 スコットの言葉が持つ重さは果てしなく思い。
 新たなる新大陸の発見は、世界大戦で揺れる人類史において新たなる衝撃となる。
 何しろ、この世界は地球という星が全て人類の物であり、人が大地の全てを手に入れたと信じたことによって人同士で大地を奪い合う為に世界大戦まで起しているのだから。
 新世界の発見は、更に人類が手に入れる土地の拡大を意味し、それは現在起こっている世界大戦の全否定にすら繋がりかねなかった。
「ええ。我々は新たなる大航海時代の可能性の扉の前で殺し合いをしているのですよ。
 愚かしい事に」
 自嘲気味に笑うチャーチルの目は野心に燃えていた。
 大英帝国の宰相として人臣位を極めたというのに、この野心の炎は何処から来るのだろうとジョーンズは思った。
「貴方が、この依頼を引き受けてくれるのでしたならば、英国情報部に大英博物館および博物館図書室の全面的協力をお約束しましょう」
 もちろんジョーンズに依存は無かった。
「だが」
 と、ジョーンズは確認の言葉を求めた。
「北欧は広く、伝承は膨大、そして時間は有限だ。
 私を雇うという事は、ある程度のあたりはつけているのでしょう?」
 ムスカがジョーンズに優越感を浮べた笑みを晒して一枚の羊皮紙を差し出す。
 イングランドからブルターニュまでの地図のある場所に赤インクで二文字のアルファベットが記載されていた。
「私の調査の結果、キリスト教の布教進度から考えて、その街が一番可能性として残っていたと博物館と図書館のスタッフは証言してくれました。
 我々はこの街を探す事から始めたいと思っています」
 ムスカの言葉を聴きながら、ジョーンズはその二文字のアルファベットをただ見つめていた。
 今はナチスに占領されているフランスの花の都パリの語源の一つとされている「Ys」の二文字を。

 ジョーンズが地下の資料室にスコットと共に降りていったのに、チャーチルはまだこの図書館のがらんどうの書庫を眺めていた。
「ムスカ君。
 分かっていると思うが、ジョーンズ教授に誰も近づけないように」
「ナチは当然ですが、米国もですか?」
 確認の質問というよりも、当然の事という仕草でずれた眼鏡を指で押さえながらムスカはチャーチルに言葉を投げかけたがその問いにチャーチルは何も答えなかった。
 肯定とも否定ともしない。それは、手を汚してはいけない最高権力者の肯定と解釈すべきだとムスカは判断して敬礼の後、図書室から出て行った。
「借金を返済する為にも、我らは新たなる植民地が必要だからな」
 人を食ったようなチャーチルの意地の悪い言葉を聴いたのは、秘書官しかいなかった。


帝国の竜神様 閑話09
2007年09月16日(日) 02:49:58 Modified by hrykkbr028




スマートフォン版で見る