帝国の竜神様08
博打打ちと撫子の間で、こんなやり取りがあったという。
「相手のペースでゲームが進み、こっちはチップはあと少し。
さて、どういかさまをする?」
「簡単なことじゃ。
相手にテーブルを投げつけてチップを返してもらうのじゃ」
帝国はこの言葉の意味を後で知って世界と共に愕然とする事になる。
昭和17年1月31日 三峡
ここ三日間昼でも夜でも三峡は不思議な光に包まれていた。
その中心にいるのは巫女服姿の撫子一人。
撫子のいる現在位置から周囲3キロ周りには人一人いない。
博之はそこから離れた楼閣よりその光円を眺めていた。
「真田少佐。
周辺に異常はありません」
「ご苦労。遠藤大尉。
警戒を続けろ」
とだけ言った。
海軍式の敬礼をした遠藤が退出した後についていった女性兵士の耳は普通の人類より長かった。
こんな光円の結界を博之は一ヶ月前に見たばっかりだったりする。
富士山に現れたこの結界によって彼女達は現れた。
帝国は撫子に対する餌付けの一環として彼女達黒長耳族を保護する方針だったが、彼女達黒長耳族の有志が兵として志願してきたのだ。
そもそも帝国に女性兵士という概念が看護婦や慰安婦程度しかなかっただけに彼女達の参加は困惑と共に迎えられた。
だったら、まとめて大陸に送り込んでしまえと誰が考えたのか知らないが、彼女達は俺と共に大陸に流れる羽目となった。
上海海軍特別陸戦隊漢口支隊所属第一志願大隊大隊長。
という長い身分が、今の俺の身分だったりする。
運悪く撫子のおかげで佐官になってしまい、しかも連合艦隊付きという宙ぶらりんな佐官にうってつけな仕事だったりする。
女と一緒に戦地に行けると勝手(志願して)についてきた遠藤を副長に、後は色々問題児を集めた独立愚連隊。
その認識はあっさりと彼女達によって覆される事になる。
「よーし、行くぞぉ」
「はいっ!」
階下から聞こえる遠藤の声に返事をする凛とした返事。
その後で重低音と共に、楼閣全体を揺らす振動。
二階ぐらいの高さの石人形に遠藤と黒長耳族の乙女達が肩に乗ってパトロールに出ようとしていた。
撫子と帝国政府の間の協定に、
『3.撫子は富士演習場を許容しえない数の眷属を召還しない。
4.3.の改定は改めて帝国と撫子との間で協議する。』
とはあったのだが、4.の適用はわずか数時間後だったという。
撫子の言葉に感激する黒長耳族の長、そして歓喜する黒長耳族は来賓(監視)の帝国軍人にとって想定していた政治的儀式でしかなかった。
問題は富士の森に住む為の作業段階に起こった。
なにしろ12月の富士である。回りは真っ白け。
開いている隊舎に黒長耳族の娘さん達を収容して除雪作業をしようとした富士演習場の陸軍兵士達は、黒長耳族の娘さん達の除雪の手伝いを受け入れる事にした。
それから数分後。陸軍士官は腰をぬかしていた。
まぁ供の兵士も腰をぬかしており、黒長耳族の娘さんは二階を覗ける高さまででかくなって娘さんの指示で歩いてゆく雪だるまの上できょとんとしていたのだが。
魔法による従者形成と呼ばれるものであり、雪だけで無く土や木や石でもできるという向こうの世界の魔術師ではあたりまえの技術だという。
目の前で、足りなくて足りなくて自主開発すらうまくできず悩みまくっていた重機問題の回答の一つが目の前にある。
ある陸軍士官はプライドを投げ捨てて土下座までして黒長耳族の受け入れを海軍に申し込んだという。
うろたえたのは海軍である。
陸軍が反対するだろうと思っていたからこそ最初少なめに黒長耳族を受け入れようとしたのだが、陸軍があっさりと賛成に回り、あまつさえ土下座してまで彼女達を求めているという事実は日頃の仲の悪さも手伝って海軍内部はこの撫子と黒長耳族という『利権』を死守する方針を固める事にした。
海軍とて、南方諸島の基地建設に彼女達が仕えると踏んでいたからこそなのだが、今度は撫子がその方針を一蹴した。
「武功はもっとも大きな戦で立てた方が後々彼女達の待遇も良くなるではないか」
しごくもっともな意見なのだが、海軍にとってその大きな戦というのは対米戦であってめでたく回避され、今の主戦線といえば中国大陸しかない。
つまり、撫子はこう言っていたのだ。
「自分達を対中国戦に使え」と。
屋久島・北海道知床・日高山脈・東北白神山地や奥羽山脈に次々と黒長耳族植民地を作る事が陸海軍の間で合意され、黒長耳族を加速的に受け入れてゆく事になった。
それに伴い長耳族志願兵も急増。彼女達も自分達が使える事をアピールしないとこの帝国で生きていけない事を重々承知していた。
「で、俺はこうして大陸の楼閣で佇んでいるか」
誰もいない部屋の中、夕焼けに負けずに光輝く三峡方面を眺めたままぽつりと独り言を口にした。
あの光の中で何をしているのかは国民党軍も興味があるらしいが、魔法結界内に足を踏み入れようとする者は誰もいなかった。
ただの飛行機乗りが何の因果で陸戦隊を指揮する羽目になるのやらと嘆息しても仕方ない。
彼女達の操る石人形がこの大陸でどれほど役に立ったか考えるまでも無い。
爆弾で壊された鉄道の修復に巨大な石人形達が砂利を整え、線路を運んでゆく。
壊れた・ガス欠のトラックを石人形が押して自陣に持ってゆく。
ゲリラ達の攻撃に盾兼囮として石人形達がつっこんて行く。
全て彼女達の功績だった。
彼女達自身のスキルも馬鹿にならない。
山野の薬草に詳しく、その知識で多くの怪我人を助けた。
人以上の適応力を持つ山林地帯ではゲリラを掃討してみせた。
夜の慰安も凄かった。
黒長耳族の長が相手をした時は、陸軍の中隊が一夜にして吸い取られたという笑い話がある。
わずか一ヶ月。大隊所属で日本人を除いた500人程度しか彼女達はこの大陸にいない。
それだけの力がこの漢口近辺では敵味方とも絶対的脅威としてその名前を轟かせていた。
何で彼女達が向こうの世界で迫害されていたのか分かったような気がした。
その力は固体として人間達にとって絶対的脅威だったのだろう。
そうで無ければ彼女達がいう500年に渡る迫害の日々を説明できない。
手を貸したのが政治的軍事的に追い詰められていた帝国だっただけの事。
考えたくない考えが頭の中をよぎった。
もし、帝国がこの戦を終わらせてその窮地から脱却した時に彼女達を支援し続けるのか?
その時、撫子は?
大々的に行われた撫子の大陸お披露目は大陸住民に衝撃以上の何かをもたらしていた。
そもそもこの大陸は易姓革命思想というものがあり、王朝交代時における正当性を与えるものだっただけに、清から中華民国への移行時の混乱がそのまま続いているこの中華大陸で皇帝の象徴である竜が日本軍機と共に空を飛ぶというのは、国民党共産党等の大陸勢力の全否定に繋がりかねなかった。
ありがたい事に、元や清という前歴もある。
図らずも日本がこの中華王朝を継承するというプロパカンダとなった。
撫子は零戦を連れてこの一ヶ月間大陸を飛びまくった。
重慶お披露目から四川、西安、広東に占領地宣撫の陸軍要請を受けて北京や上海、満州まで飛んで見せた。
効果は劇的に現れた。
まず占領地の治安が回復していった。
点と線でしかない占領地だったが、その占領地でのテロやゲリラが急激に減ったのが一つ。
当然、殺し文句は「触ると竜神様に祟られるぞ」。
死者を恐れる日本と違い生者こそ恐れる中国では、生身の竜の怖さが増強されたのだろう。
汪兆銘政権が急に協力的になったのが更に一つ。
内部に国民党と繋がっている者が多いだけに、汪兆銘政権が協力的になったのは福音と言ってよかった。
竜の権威によって新たな支配者となろうという野心むき出しなのが問題ではあるが真面目に仕事をする分には問題がない。
中国人は勝ち馬に乗るのが早い。
だが、奥地にある国民党政府と共産党は頑強に抵抗を続けていた。
彼らは帝国がこれ以上攻め込む余裕が無い事を知っている。
そして、英米ソの支援がある限り大陸を逃げ回ってしまえば帝国が干上る事を知っている。
だから、撫子顔見せという飴に対しての鞭を今から行おうとしていた。
光がゆっくりと闇の中に消えてゆく。
どうやら撫子の儀式が終わったらしい。
楼閣から出て、トラックで迎えに行くと撫子がいきなり抱きついてきた。
「博之ぃ♪」
いつもと様子が違う。
というか声が甘い。
吐く息も色っぽい。
そして妙にしなを作っている。
「おいっ、みんな見ているだろっ!
やめないかっ!!」
どんだけうろたえても今回は撫子の押しが強かった。
「仕方ないであろう。
日本から離れて龍脈操作をしたのだぞ。
お主が抱いてくれるのであれば、こんな手間をかけなくて済んだのだ」
可愛く怒っているのは分かる。だからその豊満な胸を押しつけんじゃない。
「まだ抱かぬのか?
わらわが処女じゃないからなのか?
そりゃあ、わらわもかつて人間に仕えた時に色々仕込まれたがそんじょそこらのサキュバスよりは上手いと自負……」
いや、そういうことじゃなくって……
「やっぱり処女の方がいいのか?
あれは広がるまで痛いのじゃが博之の要望なら……」
「だから離れろっ!
この発情竜がっ!!」
何とか突き飛ばして撫子と距離をとる。
「まったくどうしたんだ?
今日のお前おかしいぞ?」
撫子を見ると肩で荒く息を吐いているがなんとなく情事の後のような雰囲気があるのはどういうことだ?
「だから、龍脈操作のせいだと言っておろうが。
己の契約龍脈ではない龍脈を操作するのは大変なのだぞ。
魔力は契約龍脈から補填されるのだが、感情にその反動が来るのじゃ。
ストレートに言うとさかる」
ぶっちゃけすぎだ。この馬鹿竜。
「仕方ないであろう。
これで快楽殺人なんぞやってみろ。この大陸の人民の数ぐらい食い殺しておるわ」
瞬間にして場が凍る。
忘れそうになるが人間の形をしているがその正体は竜だという事を。
「まぁ、わらわとて無理強いさせるつもりはない。一人で体を慰めるわ。
その代わりの業は中華の民に負ってもらうがの。
歪みを放置せざるを得なかったからしばらく地震が頻発するであろうよ」
実に人の悪い笑みを浮かべた撫子の方を見ずに、俺は無線機に手をかけて遠藤を呼び出す。
「遠藤大尉。こっちは終わった」
「了解です。少佐。
既に想定地区の住民は避難させています。
我々も避難を」
無線機を切って全員に告げる。
「予定通り撤収するぞ!」
黒長耳族の娘に抱きかかえられる撫子を見ながら、いつかは抱くのかなと何気に考えていた。
姉に似た容姿に対する抵抗、突然の出会いと戸惑い、己の外部環境の変化。
いろいろあるが、結局先送りのままで来てしまったのは否定できない。
いつか、そう遠くない未来に、きちんと撫子に話をしないといけないな。
「わかった。待っておるぞ。博之♪」
「だから人の頭を読むんじゃないっ!
この馬鹿竜がっ!!」
昭和17年2月5日 重慶
「つまり、どういう事だ?」
国民党率いる蒋介石は部下の将軍達に問うた。
「長江が三峡で塞がれています」
つまり、ここ数日間の地震は三峡が震源だったがその理由が今、分かったわけだ。
竜が日本軍機と共に空を飛んだ時点で何かを仕掛けてくるとは思っていた。
たとえ、竜によって重慶が焼かれても、成都や昆明に撤退すればいいと思っていた。
それがどうだ。
重慶は四川盆地の端にあり、その四川盆地から長江は海に向けて流れていく。
その大河の流れが塞がれたら、いずれ重慶を含めて四川は水に沈む。
三峡を塞いで見せたのだ。四川を水に沈める為に第二第三の三峡を作るのは容易なのだろう。
国家と人民がが変わろうと土地は残る。
ところがあの竜はその土地を消して見せたのだ。
長江を塞き止めて水に沈めるという奇想天外の手を使って。
既に、三峡封鎖は日本軍によって激しく宣伝され、住民達は大パニックになっている。
もちろん今すぐに重慶が水に沈むなんて事はありえないのだが、そんなのが地震におびえる住民達に分かる訳がなかった。
揺れは突然来た。
「地震だっ!」
「竜の怒りだっ!!」
激しい揺れに机の下に隠れながら蒋介石は部下の将軍達が発した言葉を聞き漏らさなかった。
そう。地震を竜の怒りと解釈した一人の将軍の悲鳴を。
それは蒋介石自身も内心思っていた事だった。
三峡閉鎖後から内陸部で激発する大地震。
間違いなく竜の警告だった。
「畜生」
揺れが収まった部屋の中で立ち上がりながら蒋介石は罵倒する。
三峡を塞いだだと?
やつらは孫文先生の夢を実現してみせただと?
その役目は中華民国主席たる私がすべき仕事だったのに。
腹立たしいが、それよりも今後だ。
竜の力はいやというほど思い知った。
いまや、時間は我々にとって敵になろうとしている。
この豊かな四川盆地が水に沈む。大量の流民が出る。
英米の支援がいくらあっても足りない。
四川が水に沈めば、巨大な緩衝地帯ができる。
日本軍も攻めていけないが、こちらも攻め込むのが難しくなる。
その間に汪兆銘が竜を背景に纏めてしまうだろう。
これだけのデモンストレーションをやってのけたのだ。
今の中国で竜に逆らう機運なんてなくなっている。
ならば、この竜の力を使って共産党を叩くべきではないのか?
「汪兆銘政府の内通者に話をつけてくれ。
日本政府と話がしたいと」
帝国の竜神様08
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「相手のペースでゲームが進み、こっちはチップはあと少し。
さて、どういかさまをする?」
「簡単なことじゃ。
相手にテーブルを投げつけてチップを返してもらうのじゃ」
帝国はこの言葉の意味を後で知って世界と共に愕然とする事になる。
昭和17年1月31日 三峡
ここ三日間昼でも夜でも三峡は不思議な光に包まれていた。
その中心にいるのは巫女服姿の撫子一人。
撫子のいる現在位置から周囲3キロ周りには人一人いない。
博之はそこから離れた楼閣よりその光円を眺めていた。
「真田少佐。
周辺に異常はありません」
「ご苦労。遠藤大尉。
警戒を続けろ」
とだけ言った。
海軍式の敬礼をした遠藤が退出した後についていった女性兵士の耳は普通の人類より長かった。
こんな光円の結界を博之は一ヶ月前に見たばっかりだったりする。
富士山に現れたこの結界によって彼女達は現れた。
帝国は撫子に対する餌付けの一環として彼女達黒長耳族を保護する方針だったが、彼女達黒長耳族の有志が兵として志願してきたのだ。
そもそも帝国に女性兵士という概念が看護婦や慰安婦程度しかなかっただけに彼女達の参加は困惑と共に迎えられた。
だったら、まとめて大陸に送り込んでしまえと誰が考えたのか知らないが、彼女達は俺と共に大陸に流れる羽目となった。
上海海軍特別陸戦隊漢口支隊所属第一志願大隊大隊長。
という長い身分が、今の俺の身分だったりする。
運悪く撫子のおかげで佐官になってしまい、しかも連合艦隊付きという宙ぶらりんな佐官にうってつけな仕事だったりする。
女と一緒に戦地に行けると勝手(志願して)についてきた遠藤を副長に、後は色々問題児を集めた独立愚連隊。
その認識はあっさりと彼女達によって覆される事になる。
「よーし、行くぞぉ」
「はいっ!」
階下から聞こえる遠藤の声に返事をする凛とした返事。
その後で重低音と共に、楼閣全体を揺らす振動。
二階ぐらいの高さの石人形に遠藤と黒長耳族の乙女達が肩に乗ってパトロールに出ようとしていた。
撫子と帝国政府の間の協定に、
『3.撫子は富士演習場を許容しえない数の眷属を召還しない。
4.3.の改定は改めて帝国と撫子との間で協議する。』
とはあったのだが、4.の適用はわずか数時間後だったという。
撫子の言葉に感激する黒長耳族の長、そして歓喜する黒長耳族は来賓(監視)の帝国軍人にとって想定していた政治的儀式でしかなかった。
問題は富士の森に住む為の作業段階に起こった。
なにしろ12月の富士である。回りは真っ白け。
開いている隊舎に黒長耳族の娘さん達を収容して除雪作業をしようとした富士演習場の陸軍兵士達は、黒長耳族の娘さん達の除雪の手伝いを受け入れる事にした。
それから数分後。陸軍士官は腰をぬかしていた。
まぁ供の兵士も腰をぬかしており、黒長耳族の娘さんは二階を覗ける高さまででかくなって娘さんの指示で歩いてゆく雪だるまの上できょとんとしていたのだが。
魔法による従者形成と呼ばれるものであり、雪だけで無く土や木や石でもできるという向こうの世界の魔術師ではあたりまえの技術だという。
目の前で、足りなくて足りなくて自主開発すらうまくできず悩みまくっていた重機問題の回答の一つが目の前にある。
ある陸軍士官はプライドを投げ捨てて土下座までして黒長耳族の受け入れを海軍に申し込んだという。
うろたえたのは海軍である。
陸軍が反対するだろうと思っていたからこそ最初少なめに黒長耳族を受け入れようとしたのだが、陸軍があっさりと賛成に回り、あまつさえ土下座してまで彼女達を求めているという事実は日頃の仲の悪さも手伝って海軍内部はこの撫子と黒長耳族という『利権』を死守する方針を固める事にした。
海軍とて、南方諸島の基地建設に彼女達が仕えると踏んでいたからこそなのだが、今度は撫子がその方針を一蹴した。
「武功はもっとも大きな戦で立てた方が後々彼女達の待遇も良くなるではないか」
しごくもっともな意見なのだが、海軍にとってその大きな戦というのは対米戦であってめでたく回避され、今の主戦線といえば中国大陸しかない。
つまり、撫子はこう言っていたのだ。
「自分達を対中国戦に使え」と。
屋久島・北海道知床・日高山脈・東北白神山地や奥羽山脈に次々と黒長耳族植民地を作る事が陸海軍の間で合意され、黒長耳族を加速的に受け入れてゆく事になった。
それに伴い長耳族志願兵も急増。彼女達も自分達が使える事をアピールしないとこの帝国で生きていけない事を重々承知していた。
「で、俺はこうして大陸の楼閣で佇んでいるか」
誰もいない部屋の中、夕焼けに負けずに光輝く三峡方面を眺めたままぽつりと独り言を口にした。
あの光の中で何をしているのかは国民党軍も興味があるらしいが、魔法結界内に足を踏み入れようとする者は誰もいなかった。
ただの飛行機乗りが何の因果で陸戦隊を指揮する羽目になるのやらと嘆息しても仕方ない。
彼女達の操る石人形がこの大陸でどれほど役に立ったか考えるまでも無い。
爆弾で壊された鉄道の修復に巨大な石人形達が砂利を整え、線路を運んでゆく。
壊れた・ガス欠のトラックを石人形が押して自陣に持ってゆく。
ゲリラ達の攻撃に盾兼囮として石人形達がつっこんて行く。
全て彼女達の功績だった。
彼女達自身のスキルも馬鹿にならない。
山野の薬草に詳しく、その知識で多くの怪我人を助けた。
人以上の適応力を持つ山林地帯ではゲリラを掃討してみせた。
夜の慰安も凄かった。
黒長耳族の長が相手をした時は、陸軍の中隊が一夜にして吸い取られたという笑い話がある。
わずか一ヶ月。大隊所属で日本人を除いた500人程度しか彼女達はこの大陸にいない。
それだけの力がこの漢口近辺では敵味方とも絶対的脅威としてその名前を轟かせていた。
何で彼女達が向こうの世界で迫害されていたのか分かったような気がした。
その力は固体として人間達にとって絶対的脅威だったのだろう。
そうで無ければ彼女達がいう500年に渡る迫害の日々を説明できない。
手を貸したのが政治的軍事的に追い詰められていた帝国だっただけの事。
考えたくない考えが頭の中をよぎった。
もし、帝国がこの戦を終わらせてその窮地から脱却した時に彼女達を支援し続けるのか?
その時、撫子は?
大々的に行われた撫子の大陸お披露目は大陸住民に衝撃以上の何かをもたらしていた。
そもそもこの大陸は易姓革命思想というものがあり、王朝交代時における正当性を与えるものだっただけに、清から中華民国への移行時の混乱がそのまま続いているこの中華大陸で皇帝の象徴である竜が日本軍機と共に空を飛ぶというのは、国民党共産党等の大陸勢力の全否定に繋がりかねなかった。
ありがたい事に、元や清という前歴もある。
図らずも日本がこの中華王朝を継承するというプロパカンダとなった。
撫子は零戦を連れてこの一ヶ月間大陸を飛びまくった。
重慶お披露目から四川、西安、広東に占領地宣撫の陸軍要請を受けて北京や上海、満州まで飛んで見せた。
効果は劇的に現れた。
まず占領地の治安が回復していった。
点と線でしかない占領地だったが、その占領地でのテロやゲリラが急激に減ったのが一つ。
当然、殺し文句は「触ると竜神様に祟られるぞ」。
死者を恐れる日本と違い生者こそ恐れる中国では、生身の竜の怖さが増強されたのだろう。
汪兆銘政権が急に協力的になったのが更に一つ。
内部に国民党と繋がっている者が多いだけに、汪兆銘政権が協力的になったのは福音と言ってよかった。
竜の権威によって新たな支配者となろうという野心むき出しなのが問題ではあるが真面目に仕事をする分には問題がない。
中国人は勝ち馬に乗るのが早い。
だが、奥地にある国民党政府と共産党は頑強に抵抗を続けていた。
彼らは帝国がこれ以上攻め込む余裕が無い事を知っている。
そして、英米ソの支援がある限り大陸を逃げ回ってしまえば帝国が干上る事を知っている。
だから、撫子顔見せという飴に対しての鞭を今から行おうとしていた。
光がゆっくりと闇の中に消えてゆく。
どうやら撫子の儀式が終わったらしい。
楼閣から出て、トラックで迎えに行くと撫子がいきなり抱きついてきた。
「博之ぃ♪」
いつもと様子が違う。
というか声が甘い。
吐く息も色っぽい。
そして妙にしなを作っている。
「おいっ、みんな見ているだろっ!
やめないかっ!!」
どんだけうろたえても今回は撫子の押しが強かった。
「仕方ないであろう。
日本から離れて龍脈操作をしたのだぞ。
お主が抱いてくれるのであれば、こんな手間をかけなくて済んだのだ」
可愛く怒っているのは分かる。だからその豊満な胸を押しつけんじゃない。
「まだ抱かぬのか?
わらわが処女じゃないからなのか?
そりゃあ、わらわもかつて人間に仕えた時に色々仕込まれたがそんじょそこらのサキュバスよりは上手いと自負……」
いや、そういうことじゃなくって……
「やっぱり処女の方がいいのか?
あれは広がるまで痛いのじゃが博之の要望なら……」
「だから離れろっ!
この発情竜がっ!!」
何とか突き飛ばして撫子と距離をとる。
「まったくどうしたんだ?
今日のお前おかしいぞ?」
撫子を見ると肩で荒く息を吐いているがなんとなく情事の後のような雰囲気があるのはどういうことだ?
「だから、龍脈操作のせいだと言っておろうが。
己の契約龍脈ではない龍脈を操作するのは大変なのだぞ。
魔力は契約龍脈から補填されるのだが、感情にその反動が来るのじゃ。
ストレートに言うとさかる」
ぶっちゃけすぎだ。この馬鹿竜。
「仕方ないであろう。
これで快楽殺人なんぞやってみろ。この大陸の人民の数ぐらい食い殺しておるわ」
瞬間にして場が凍る。
忘れそうになるが人間の形をしているがその正体は竜だという事を。
「まぁ、わらわとて無理強いさせるつもりはない。一人で体を慰めるわ。
その代わりの業は中華の民に負ってもらうがの。
歪みを放置せざるを得なかったからしばらく地震が頻発するであろうよ」
実に人の悪い笑みを浮かべた撫子の方を見ずに、俺は無線機に手をかけて遠藤を呼び出す。
「遠藤大尉。こっちは終わった」
「了解です。少佐。
既に想定地区の住民は避難させています。
我々も避難を」
無線機を切って全員に告げる。
「予定通り撤収するぞ!」
黒長耳族の娘に抱きかかえられる撫子を見ながら、いつかは抱くのかなと何気に考えていた。
姉に似た容姿に対する抵抗、突然の出会いと戸惑い、己の外部環境の変化。
いろいろあるが、結局先送りのままで来てしまったのは否定できない。
いつか、そう遠くない未来に、きちんと撫子に話をしないといけないな。
「わかった。待っておるぞ。博之♪」
「だから人の頭を読むんじゃないっ!
この馬鹿竜がっ!!」
昭和17年2月5日 重慶
「つまり、どういう事だ?」
国民党率いる蒋介石は部下の将軍達に問うた。
「長江が三峡で塞がれています」
つまり、ここ数日間の地震は三峡が震源だったがその理由が今、分かったわけだ。
竜が日本軍機と共に空を飛んだ時点で何かを仕掛けてくるとは思っていた。
たとえ、竜によって重慶が焼かれても、成都や昆明に撤退すればいいと思っていた。
それがどうだ。
重慶は四川盆地の端にあり、その四川盆地から長江は海に向けて流れていく。
その大河の流れが塞がれたら、いずれ重慶を含めて四川は水に沈む。
三峡を塞いで見せたのだ。四川を水に沈める為に第二第三の三峡を作るのは容易なのだろう。
国家と人民がが変わろうと土地は残る。
ところがあの竜はその土地を消して見せたのだ。
長江を塞き止めて水に沈めるという奇想天外の手を使って。
既に、三峡封鎖は日本軍によって激しく宣伝され、住民達は大パニックになっている。
もちろん今すぐに重慶が水に沈むなんて事はありえないのだが、そんなのが地震におびえる住民達に分かる訳がなかった。
揺れは突然来た。
「地震だっ!」
「竜の怒りだっ!!」
激しい揺れに机の下に隠れながら蒋介石は部下の将軍達が発した言葉を聞き漏らさなかった。
そう。地震を竜の怒りと解釈した一人の将軍の悲鳴を。
それは蒋介石自身も内心思っていた事だった。
三峡閉鎖後から内陸部で激発する大地震。
間違いなく竜の警告だった。
「畜生」
揺れが収まった部屋の中で立ち上がりながら蒋介石は罵倒する。
三峡を塞いだだと?
やつらは孫文先生の夢を実現してみせただと?
その役目は中華民国主席たる私がすべき仕事だったのに。
腹立たしいが、それよりも今後だ。
竜の力はいやというほど思い知った。
いまや、時間は我々にとって敵になろうとしている。
この豊かな四川盆地が水に沈む。大量の流民が出る。
英米の支援がいくらあっても足りない。
四川が水に沈めば、巨大な緩衝地帯ができる。
日本軍も攻めていけないが、こちらも攻め込むのが難しくなる。
その間に汪兆銘が竜を背景に纏めてしまうだろう。
これだけのデモンストレーションをやってのけたのだ。
今の中国で竜に逆らう機運なんてなくなっている。
ならば、この竜の力を使って共産党を叩くべきではないのか?
「汪兆銘政府の内通者に話をつけてくれ。
日本政府と話がしたいと」
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2010年01月11日(月) 14:52:39 Modified by nadesikononakanohito