帝国の竜神様23

1942年 4月3日 異世界派遣船団到着後 東海道線上

 俺と撫子、遠藤とメイヴとフィンダヴェア、更におしかけ獣人の長のフレイヤやディアナは堀社長と共に今回の船団派遣報告に東京に向かっていた。
 相変わらず、フレイヤとディアナは服を着るのをいやがったが、とりあえず撫子の着服した着物を強引に着させることとなった。
 ……撫子にしろ、メイヴにしろ、フレイヤやディアナにしろ、和服の似合わないけしからん胸をしている。
 なお、兎耳族にしろ狐耳族にしろ、子供は当然のごとく貧乳なのだが、成長期において進化でもしたのかと疑うばかりに胸が大きくなるとの事。
 もちろん、彼女達の意思で貧乳のままでいるというケースもある。
 まぁ、巨乳か貧乳かの選択はその時につき合っている男性の選択による事が大きいらしい。
 なお、彼女達も長耳族と同じく不老ではあるが不死ではない。
 と、同時に長耳族・黒長耳族みたいな長寿がある訳でもなく、人間以下の寿命しか持っていない。
「んじゃ、フレイヤやディアナって何歳なの?」
 という遠藤の言葉に二人ともさらりと百何十歳というのだから更に尋ねてみると、ろくでもない答えが待っていた。
「僕達は、寿命が無くなる前に『再生』したんだよ」
「『再生』?」
 ディアナの答えに問いで返した俺に、フレイヤが説明をする。
「モルボルという大きな袋の化け物みたいなものがいると思ってください。
 この化け物が私達のオーラを吸い取って生きているのです。
 オーラというのはその人が生きた証でもあります。
 そういうものを吸い取って、食べた人を赤子にしてしまうのです。
 私達は、自ら食べられて体を赤子に戻したのです」
 なお、当然食べられている間は体を陵辱されるらしい。
 そして、多くの獣人はその快楽に負けて体すら溶かしてオーラに変えてモルボルに貪られてしまうとの事。
 獣人といい、モルボルといい、いい趣味してやがる。古代魔術文明。
「当然であろうな。
 博之たちの住む世界ではどうか知らぬが、本来性行為とその結果として派生する新たな命の誕生というのは、魔術の根幹をなすオーラとマナにとって重大な基礎をなしておるかなのぉ」
 撫子の当然と言わんばかりの補足にこればかりはそんなものなのかと納得するしかない。
 ちなみに連れてきた残りは、そのまま御殿場まで鉄道に乗ってもらい、富士の長耳族居住地で生活してもらうことになっている。
 今回の派遣でイッソスで買ったのを含めた黒長耳族が約2000人、おまけでついてきた狐耳族が400人、兎耳族が300人弱。
 獣人達の前張りに誇らしく日の丸が書かれているのが返って卑猥な事はなばなしい。
 忠誠を誓った後に、日本の説明をして国旗を見せた時皆が書き始めたのを見て呆然とする俺と遠藤に、「国旗を体に飾って忠誠の証にするのです」というフレイヤの言葉の説明など耳に入るわけも無く。
 胸と股間を隠す日の丸の前張りという「前張り帝国人」(遠藤命名)が出来上がった訳で。
 まだ裸のほうがましだったのじゃないのかという卑猥さ加減は富士の居住区でなんとかする事にしよう。
 頭が痛い……。
 あと、メイヴの一族全部を連れてきたから黒長耳族が突出しているが、次回からは黒長耳族が買ってくる100人程度を入れて兎耳族、狐耳族共に数百人ずつやってくるのではないかと帝国は想定していた。
 撫子たちが、こっちにやってきてから四ヶ月。黒長耳族安住の地の話はそろそろ異世界に広がっているだろうから、これからはいかに効率よく彼女達をこちらに連れてこられるのかが問題となる。
 下田から東京に向かう特別列車の中から町々を眺めると、一月ほど本土を離れていた間に帝都は前以上に活気付いているようにみえた。
 通過する駅で待っている人たちの顔が明るいし、港にずいぶん物資が集まっている。
 察したのか堀社長が口を開いた。
「今、帝国は第一次大戦のような好景気に沸いているのだ。
 私の会社も手一杯なのだよ。イギリス向けに」
 堀社長いわく、三国同盟を結んではいるが対英戦より対ソ戦にシフトしつつある帝国と事を構えたくないイギリスが出した懐柔策なのだそうだ。
 タイにわが国のダミー法人を作り大量の船をそちらに登録させて、中立国としてインド洋を自由に航行するのを黙認する代わりに、東洋艦隊をはじめとする対日戦戦力を全て対独戦に向けたとの事。
 もちろん、中立国としてトルコに船をやってトルコ(実際はドイツ)向けの商品(錫やゴムや石油)を細々と降ろしているのでドイツも表向きは抗議していないそうな。
 それが軌道にのるのを確認した後にダミー法人から大量の船舶の受注が行われて全国の造船所は大忙しらしい。
「で、そのダミー法人と業務提携して大量の金を用意してわが国に信じられないほどの造船好況をもたらしたのがロイズさ」
 イギリスのあの名高い保険組合たるロイズが金を出す。当然裏でこの筋書きを書いたのはイギリス政府なのだろう。
 堀社長がイギリスのあざとさにあきれ果てた様子で説明を続けた。
「やはり、太陽の沈まぬ大英帝国を作っていただけにわが国と違って考える事があざとい。
 あいつら、ドイツの潜水艦が手を出しにくい汚い手を思いついてきた」


二週間前 東京 海軍省

 その提案が出された時に海軍軍令部の若手は誰もが激昂した。
「ドイツを裏切って西インド洋まで海軍の船出せというのか!!」
 今までは日本で作った商品を日本の船でタイのバンコクに運び、そこからタイ船籍(に転籍させた日本船)の船で英領植民地やトルコまで運んでいた。
 それを英国政府が、
「各植民地に効率よく配分する為に、全ての商品受け取りをスリランカのコロンボにて行いたい」
 と通達してきたのだ。
 ボルネオやビルマ、またはオーストラリアなんかは位置的に完全に逆なのだが、英国を怒らせて貿易停止なんて喰らいたくないからその条件を飲むと、今度は親切にもこんな提案をしてきた。
「今は、世界中で戦争をしているご時世ですので、船団を組んで護衛をつけられたらいかがですかな?
 もちろん、護衛をつける事による料金の高騰にも我々は応じましょう」
と。
 ただでさえソ連極東軍をひきつけ、わざわざ少なくとも貴重な資源をトルコ経由で回してくれている日本を敵に回したくないのだから、日本船が往来するインド洋ではドイツの潜水艦の活動は著しく低下していた。
 誤射がドイツにとって著しい不利益になりかねない可能性もある現状で無制限潜水艦戦なんてできる訳でもなく、実際に攻撃寸前で日本船と気づいて攻撃を取りやめたケースもかなり出てきていた。
 更に護衛を組んでうろうろしようものなら、ドイツ潜水艦はわざわざ護衛の前で確認の為に潜望鏡深度まで上がるという危険をおかす必要が出てくる。
 だからこそダミー法人を通じてロイズは護衛用の駆逐艦を求めた。
 当然の事ながら、対米戦用の決戦戦力が下がってしまうから海軍はこれを拒否しようとしたが、そんな海軍首脳部を前にロイズから出向した英国人のダミー法人役員は流暢なキングスイングリッシュで悪魔の誘惑を囁いた。
「契約書を良く見てください。
 『駆逐艦のレンタル』と書いているでしょう?
 あくまで古い旧式駆逐艦を『貸して』もらいたいだけなのですよ。船員つきで。
 しかも、たった二年間」
 この二年間というのにも理由がある。
 今のペースで英国が独力で戦うならば二年以内に英国商船団は壊滅し、ロイズも破産してしまうからだ。
「更に、戦時下という事も兼ねて、レンタル料金は高く設定しています。
 二年で、駆逐艦一隻が買えるだけの料金のつもりですが?
 作る金があっても資源がない?ご安心を。
 お金を払っていただければ、滞りが無いように我々が必要な物をきちんと準備させていただきます。
 たとえば、インドの銑鉄やオーストラリア経由でくず鉄なんかを」
 オーストラリアから出る鉄鉱石では無く、アメリカのくず鉄を三角貿易で日本に持ち込むと言っているのだ。
 この当時の日本の製鉄は高炉一貫製鉄を行う企業もみられたが、インドからの安い銑鉄及び米国からの安いくず鉄を輸入し、平炉で製鋼する企業が多かった。
 実際、米国のくず鉄対日輸出禁止は我が国の産業に大打撃を与えるだけの経済制裁でもあったのだ。
 それを実質的に解除させる。彼はそう言っているのだった。 
 悪魔的な魅力を持つ提案だった。
 たった二年間駆逐艦を貸すだけで、駆逐艦が一隻作れるレンタル料金が手に入り、建造時の資源購入も保障してくれるというのだから。
 二年後には駆逐艦が二隻に増える計算になる。しかも一隻は新型駆逐艦。
 さらに資源も向こうが滞りないように持ってきてくれる。
 対米戦力比の維持のためにも大建艦をせねばならない海軍にとってこの契約は魅力的だった。
「あと、こちらはオプションですが、巡洋艦レンタルの料金表も用意しました。
 こちらも二年お借りするだけで、レンタル料金で巡洋艦がもう一隻買えるだけのものを用意しました」
 交渉に出ていた山本は、この役員には悪魔の尻尾がついていたと後になって語ってくれた。
 イギリスは世界各地の植民地を守る為に、航続力があり武装の大きい巡洋艦をその主戦力に据えていた。
 それすら貸してくれと言ってくるという事は、やはり大西洋が逼迫しているという事なのだろう。
 日本は日本で、水雷戦隊の旗艦として使っていた老朽化した軽巡洋艦の代替案をどうしようかと悩んでいたおりなので、この提案は渡りに船でもあった。
 ごくりと海軍関係者はつばを飲み込む。
「まぁ、お出しにはならないとは思いますが、更にオプションとして海軍航空戦力――空母――の提供時における契約の料金表も用意しました。
 いえね。オランダ政府が発注していたインドネシア向けの原油精製施設がこの戦争のおかげで宙に浮いていましてね。
 米国銀行の融資でプラントそのものの製造は続けられていまして、どこかに使える場所は無いかと探していたのですよ」
 山本を含め海軍はこの英国人がインド統治の要職にいた英国上流階級の切れ物である事を知らない。
 あまりにも美味しすぎて、その場で判子を押しかねなかったので一度帰ってもらって呼ばれたのが堀だったという。
 山本の困惑の理由を聞いた堀もこれは判断つきかねんと感じ、翌日の交渉で「英国人以上に英国人」の元大使を代理人として連れてくる事にした。

「海軍代理人の堀悌吉です」
「同じく海軍代理人の吉田茂です。
 すいませんな。軍人さんは商売が分からなくて」
 流暢なキングスイングリッシュと共に差し出された手を英国人は握って自己紹介した。
「バンコク商会理事のトーマス・ウィンスロウと申します。
 ミスター吉田とは何度か英国でお会いした事があると思いますが?」
「ああ、覚えていますぞ。
 たしか、インドでマウントバッテン卿の下で働いていたような」
 三人がテーブルにつくと、わざわざ彼のためだけに用意したヴィクトリアンメイドの日本人が紅茶を差し出す。
「日本にも正しくメイド文化が根付きつつあるとは思いませんでしたな」
「当然の事でしょう。
 我が国近代化の手本は英国ですからな。中にはドイツとかいう不届き者もおりますが」
 というか、明治維新からこのかたドイツを手本に近代化したのだろうがと突っ込むほど堀社長も馬鹿ではない。
「さてと、貴方の興味深い提案について、いくつか質問をさせて欲しいのですがよろしいですか?」
 堀の言葉に、ウィンスロウも優雅に笑みを浮べながら頷いた。
「単刀直入にお聞きしたい。
 そこまでして日本を取り込んで、英国にとって利益があるのですか?」
「無いですな。
 日本を巻き込むことで大赤字は確定でしょう。
 だが、今、日本を巻き込まないと我が国は破産しますので。
 貴国の諺を借りるのならば、『溺れる者は…』というやつです」
 単刀直入な答えが返ってきて唖然とする堀だが、「英国人以上」と称された吉田はそれで満足はしない。
「まぁ、その赤字分は日本をコントロール下に置く事で取り返そうと考えているのでしょうな」
 かちりとウィンスロウがティーカップを置くときに不快な音を立てた。
「我が国は、資源も無ければ金も無い。
 ところが、ドラゴンという資源を今の所持つ唯一の国となった訳だ。
 そのドラゴン達がこの世界で暴れているので、この大戦はめちゃくちゃになっている。
 だからこそ、ドラゴンを何とかする為に我々のほうにも手をつけに来たと。
 対独戦の勝利の為という目的の他に、対ドラゴン戦の準備として我々日本に近づいた。
 英国首相閣下のお心はそのあたりではなかろうかと」
 堀には考え付かなかった、『対ドラゴン戦』という見方に唖然としながらもウィンスロウを眺めるとその目が『正解』と物語っていた。
「対独戦に日本を引きずり込みたいというのは本音としてあります。
 ですが、独ソ戦の結果次第で我が国と敵対する可能性がありますからな。
 その前に餌をぶら下げて、我々に噛みつかれないようにしておこうと」
 事実だった。
 独ソ戦の様子見の為に外交的にひきこもった大日本帝国内部では、次の相手を考えてドイツにつくかイギリスにつくかで激しく対立していた。
 もし、独ソ戦がドイツの勝利で終わるのならば、シベリア山分け後に対英戦参加の申し込みをしてくるのは目に見えている。
 陸軍はロシアの大地に拘束させて、今回の艦船レンタルで対英戦に投入する海軍艦船を先に拘束しておこうという狙いがあるのは間違いではない。
 二人がそんな事を考えているのを見越して、ウィンスロウはゆっくりと話を続けた。
「今回のご提案の狙いは東インド洋から西太平洋にかけての商船の保護にあります。
 東太平洋はアメリカの縄張りだから気にしなくても構いません。
 日本がこれを保障していただけると、太平洋から東インド洋にかけてドイツ潜水艦が手を出せない聖域が出現します。
 まぁ、インド洋全域を貴国が保障してくれるととても助かるのですが、残りは大西洋と共に我が国ががんばる事にしましょう。
 とにかく、戦力を集中させて大西洋を維持し続けて、米国をこの戦争に引きずり込んでしまえばこの戦争は我々が勝ちます。
 その為に邪魔なのですよ。
 ハワイとアイスランドのドラゴンが」
 にこやかに口を開いたウィンスロウが海軍にすら語らなかった本音を晒して見せた。
「いやいや……英国というのは壮大な考えをお持ちなのですな」
 呆れる堀に今度は吉田が突っ込みを入れた。
「戦争なんてものも、始める前から終わり方を考えておくものなのでしょうな。
 戦って勝つだけの軍人さんはそのあたりが分からないから困る。
 失礼。堀社長も元は海軍将官(アドミラル)でしたな」
「いえいえ。
 野に下って、軍人の考えがいかに古いか思い知りましたから気にせずに。
 ただ、人前でそのあたりの事は言わない方がいいと忠告はしておきますぞ」
 堀が苦笑しつつ話を戻そうとウィンスロウに対して口を開く。
「そちらの本音は分かりました。
 で、その上でそちらが求めている物をお教えいただきたい」
 考えるふりをしながらウィンスロウはすらすらと要求を述べた。
「そうですな。
 そちらのドラゴンと言いたい所ですが、いきなり切り札を求めるほど我が国は無粋でも衰えている訳でも無いですな。
 さしあたって、軽空母二隻と二個水雷戦隊あたりを。
 掃海艇・駆潜艇はマラッカ海峡の為に出せるだけ。
 そして輸送船やタンカーは貴国ドック全てで作れるやつを全部」
 当然、派遣される船団は交代用に本土待機する分があるだろうから、実際はこの倍となる。
「実質一個艦隊じゃないか!」
「艦隊一個を投入するだけで、二年後にはもう一個艦隊ができて、更に石油精製プラントと対米交渉の仲介というオプションまでつけました。
 何が不満なのですかな?」
 声をあらげた堀にさも当然と言ってのけたウィンスロウ。
「我が国は現在中立であり、大戦に関与していないがゆえに自国は自国で守らねばなりません。
 貴国とは違い、貴国の要求できるものが全てできるほど我が国は工業化されていないのですよ。恥ずかしい話ですが」
 ウィンスロウは堀の言い訳を静かに聞いた上で冷徹にぶったぎった。
「だから、軍向けの生産を止めてしまえばよろしいではありませんか?
 貴国は中立国だ。金のかかる自国用の軍艦など置いておいて、この時に稼がなくしてどうするのですかな?」
 沈黙する堀に吉田が愉快そうに笑い出した。
「少し紳士的な冗談とはいいかねますが、贈り物をもらい、食事をして、部屋に招きいれて、服を脱いで灯りを消してベッドに横になる婦人の気持ちなのですよ。今の我が国は」
 吉田の皮肉たっぷりな冗談に、ウィンスロウも皮肉たっぷりに返した。
「なるほど。
 そして、部屋にいる男は一人ではないと。
 レディとしてはあまり許される行いでは無いでしょうか、レディの行いを許すのが紳士のたしなみですからな。
 だとすれば、我が国に必要なのは間男を蹴り飛ばした後に、愛の言葉と口付けいうわけですな」
 陸軍はイギリス外交筋が提示した「ソ連崩壊後の極東ソ連領侵攻について黙認する」に完全につられて、兵力を増強してはいるがまったくと言っていいほど自ら攻め込む気はなくなっていた。
 あとはその陸軍といがみ合って何でも反対しかねない海軍主流派を納得させるだけの甘い言葉を提示すればいい。
 ウィンスロウはまさに愛人に愛の言葉を囁くような笑みで、口を開いた。
「やる気の無い、やってもできない対米戦の為の戦力維持ですか。
 貴国の苦しみは元宗主国としてとてもよく分かりますぞ。
 ところで、我々は不思議に思っていたのですよ。
 何でも太平洋には日本・ハワイの他にもう一匹ドラゴンがいるとか?
 何故、もう一匹のドラゴンと交渉に入らないのですかな?」
 かくして、陸海軍一致という信じられない合意の元、ダミー会社への艦隊移籍という契約は成立する事となった。


1942年 4月3日 異世界派遣船団到着後 東海道線上

「つまり、次に行くのはマリアナというかのぉ」
 お茶を飲みながら撫子が言うと堀社長は首を縦に振った。
「そういう事だ。
 横須賀で整備と補給をした後に、マリアナに向かってくれ。
 第四艦隊の井上君の所に行く事になるだろう。
 本当は、山本自ら結果を聞きたかったのだが、ソ連の無線封鎖で呉から動く事ができん。
 勘弁してくれ」
 堀社長は頭をさけたので俺達はうろたえる。
「いいです!
 気にしないでください。堀社長。
 けど、このソ連の無線封鎖は、こっちの動きを知って……」
「私は、その可能性があると思っている」
 堀社長の意見は、英国と秘密交渉をしているのを知っている帝国政府にとっては当然の事と受け止められていた。
 何しろ、「ソ連崩壊後のシベリア切り取り放題を英国黙認」はソ連にとっては何時寝首をかかれるか分かったものではない。
 ならば、弱い日本軍を叩いてしまって後方の憂いをなくしてしまってからドイツと当たるとスターリンが考えてもおかしくはない。
 そんな疑心暗鬼の中で起こったソ連軍の無線封鎖だ。
 満ソ国境だけでなく、その見事なまでの無秩序な混乱劇は本土にまで波及した。
 第一航空艦隊は錨をあげて日本海に向けて進んでいるし、陸海軍航空隊も沿海州のソ連軍を叩く為に待機に入ったと報告を受けている。
 東京ではソ連大使が呼ばれ、ベルリンでは大島大使がヒトラーの歓待を受け、ワシントンの関係者はソ連のこの行動にあきれ果て、イギリスでは日ソ両大使を呼んで仲介の準備を始める始末。
 情報の秘蔵という概念すら持っていない帝国は、豪快にこの馬鹿騒ぎを世界に拡大させてしまっていた。
 なお、黒長耳族そのものが足りず英独のメイド工作に忙殺されている神祇院はこの馬鹿騒ぎを制御できず、「防諜活動における最大の大失敗」と後日総括している。
「それで、いつごろ出れば?」 
「整備と補給が澄み次第といいたい所なのだが、ソ連の動向しだいだろうな」
 そうこうしているうちに、東京駅に特別列車が滑り込む。
 で、俺と遠藤は呆然とする羽目になる。
 帝都東京は今、メイドと巫女とはいから女学生にナースからなる制服ブームに浮かれていた。
「これは……何だ?」
「メイドと巫女だろう。あとははいから女学生。所々にナース」
 俺の呆然とした呟きに、遠藤も似たように呆然と言葉を返す。
 街を行きかうモダンガール達がまるで大正浪漫なはいから女学生と、19世紀末期のロンドンか近くに神社があるのかと疑いたくなるようなメイド服と巫女服との群れ・群れ・群れ。
 さり気にレアらしくナースが闊歩しているのもその白衣の天使姿からかえって存在感が出ている。
「良く見るといい。
 メイド服にもミニスカートとロングスカートに分けられているだろう?」
 苦笑しながら堀社長が説明する。
「どっちでもいいじゃないですか!」
「俺はミニスカートがいいけどな。
 屈むと見えるな。あれ」
 異世界に帰りたくなってきた俺はたまらず叫び、遠藤はわざとらしく財布を落そうとポケットに手を突っ込む始末。
 だが、苦悩の色深い堀社長はこめかみを押さえながら洒落にならない事を言ってのけた。
「それが、あのスカートの長さが問題になっているのだ。
 何しろ、女性参政権をかけた政治運動なのだからな」
 そして、俺と遠藤は東京駅前で見事なまでに固まった。
 女性参政権運動は1931年には婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過するが、貴族院の猛反対で廃案に追い込まれ戦争の激化で運動そのものも押さえ込まれていた。
 ところがこれも撫子たちがやってきた事で激変。
 撫子の帝国協力と兵士に志願したメイヴ率いる黒長耳族の存在が押さえ込まれていた女性参政権運動に火をつけたのだ。
 戦争体制に移行して、軍の影響力が強かった東条内閣が懐柔の為に黒長耳族族長のダーナやメイヴに三位という官位を与えた事や彼女達専属の官庁である神祇院設立が致命的政治ミスとなった。
 「戦争に参加すれば官位(爵位)がもらえる。官位(爵位)がもらえるという事は自動的に貴族院に帰属できる」という女性参政権の道が運動を進めていた先進的女性達にそう解釈されてしまった。
 これに目をつけたのが、大戦に自陣営に引きずり込みたいドイツとイギリスである。
 議会政治において新たに参加するであろう女性という強大な票を獲得して自派に取り組めば、軍の影響力が強いとはいえ一応民主主義国である日本議会が強力な味方となる。
 議会政治とプロパカンダを理解しすぎていたゲッベルス宣伝相はメイドSSを流行の尖兵と位置づけして婦人層を取り込み、トルコとタイを使った三画交易を使ってまでメイド服とメイド映画を持ち込んでスカートの短い大陸風フレンチメイドを流行させ、保守的な空気に倦んでいた日本の女性層に一大ブームを巻き起こした。
 「どうせ女の遊びだ」とたかをくくっていた東条内閣は事態を静観するという男らしいミスを重ね、今度は外交と諜報にかけてはろくでもないほどえげつないイギリスの介入を呼び込んでしまう。
 英国情報部の意を受けて大挙するヴィクトリアンメイド達が「伝統と格式こそ流行の最先端」を合言葉に、ロングスカートを冬の帝都で舞ってみせる姿がフレンチに恥じらいを覚えた婦人層をひき付ける事に成功したのだ。
 この時点において、事態は完全に政府の制御する状態から外れて暴走してゆく。
 英独のメイド達は諜報と色事による政府中枢の懐柔を目的としていたから、大量の手駒を得た彼女達は猛然と活動を始め、軍から政治家、官僚に実業家の幅広い男達をオセロゲームのごとく奪い合っていた。
 事態は更に悪化する。
 そもそも、メイヴ達異世界人が先導して官位や爵位をもらい、国政に関与するのを同じ同姓の女性達の大部分はあまり支持していなかった。
 それが表面化しなかったのは、女性参政権という大目標があるのと、表立った場所では変身魔法を使って日本人と同じ外観で動いた黒長耳族の配慮のおかげだったのだ。
 だが、英独に踊らされたメイド達が激しく対立しつつ政府中枢の男達を奪い合っていく様を見て、彼女達は恐怖に駆られかつ怒り狂った。
「天下国家を論ずるのに諸外国の服装を持って語るなど言語道断!
 大和撫子は大和撫子らしい気品を持って女性参政権を勝ち取るべし!!」
 かくして、大正デモクラティックな袴姿女学生派まで出てきてサイレントマジョリティが軒並み追随してしまう。
 政府が規制に乗り出そうとしても、大陸の戦争が終わったことによる開放感が空気として流れており、反対の男性政治家の嫁・娘・妾までがメイド服、祖母は袴をたたんでいたという笑えない話まで出る始末。
 衆議院に「兵士等国家組織に貢献する者に限って」という条件付女性参政権法案が提出されて信じられないスピードで可決すると、貴族院も黒長耳族がらみで圧力をかけざるをえない軍の意向に沿って反対できずに可決という日本議会史上に残るスピード可決で女性参政権は認められてしまった。
 そして、この騒ぎで漁夫の利を得たのがナース達である。
 白衣の天使こそ、ナイチンゲールから始まる歴史と伝統から国家組織に貢献すると認められていたから、特権階級よろしく誇らしくナース姿で街を闊歩しだすという笑えない事態になっていた事に気づいたのは法案が成立してからという間抜けさ加減。
 そして、全てが決まってから東条内閣はその事態の全容を把握して真っ青になる。
 外国勢力の意を受けて国政に参与する議員の誕生など許せるわけがない。
 かといって、自らがまいた種で急激に膨れ上がった女性参政権運動を軍事力で潰したらどのような状況になるか分からない。
 霞ヶ関で交わされた冗談に、「メイド達の清教徒革命かぁ」「メイド達のミュンヘン一揆だろ」「女学生の昭和維新かも」「ほら見ろよ。ナース様のお通りだ」という本気で笑えない冗談が残っているあたり男たちの意気喪失ぶりを現している。
 で、全てを諦めきった段階で同じ女である神祇院に下駄を預ける事にした。
 彼女達もメイド工作を防ぐ為に文字とおり体を張っていたが、圧倒的に数が足りず、事態の全容を聞かされて呆れ怒り狂ったがそこは同じ女。
 無力感漂う政府を言葉巧みに騙くらかして、「神祇院所属女性にも参政権を与える。なお政府職員は巫女服着用」という一文を付帯条項に入れさせようとしてこれにナース派が猛反発。
 激しい暗闘の結果、「神祇院看護婦局を設立。看護婦局職員はナース着用」という政治的妥協が成立して、神祇院は職員大量募集をかけたのだった。
 その結果が、この帝都に広がるメイド・巫女・女学生にナース天国なのである。
「凄い世界になったものだ」
 呆然とした俺達はいつの間にか海軍省に連れられて、派遣船団の報告を終えて一息ついていた所である。
 その海軍省ですら、数人の巫女女性とナースをみかけるあたり、時代はわずか一月でここまで変わるのかと呆然と思う始末。
「とりあえず、仕事はここまでだ。
 俺は家に帰るがお前は?」
 遠藤の言葉に俺も疲れた様子で、
「久しぶりに向こうに顔を出すさ」
 向こうという言葉が、俺の姉が妾となった大原伯爵家の事を指しているのを遠藤は知っていたので、複雑そうな顔をするが表立っては何も言わなかった。
 散々荒れて迷惑をかけた伯爵家ではあったが、年の離れた伯爵と本妻との一人娘とは何故か交友が続いていたのだ。
 義理の従兄妹に当たる大原綾子は、第一次大戦中の交易で富を得た大原伯爵家の一人娘として蝶よ花よと育てられたのだが、本妻死後にその綾子付き女中として雇われたのが俺の姉だった。
 撫子がらみでしばらく向こうに顔を出していないから心配しているだろう。
 だから、その義理の従兄妹の綾子が、
「お帰りなさいませ。博之お兄様」
 と、女学生服で出迎えた時に真剣に世の中を呪いたくなった。


 帝国の竜神様23
2008年04月09日(水) 16:35:24 Modified by nadesikononakanohito




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