帝国の竜神様25その二

1942年 4月4日 満州国 新京 関東軍司令部

「第三軍司令部より入電。
 『そ連邦、無線封鎖継続中ナリ。如何セン』。第四軍、第六軍司令部からも同様の入電が入ってきています」
 ソ連の不気味な沈黙に司令部は疑心暗鬼になっていた。
 何しろソ連軍が国境全域で無線封鎖を実行したのだから。
 無線封鎖後、普通は攻撃が開始される。
「各地の国境はどうなっている?」
 関東軍参謀長はうなりながら満州全域の地図を睨み付けたまま動かない。
「それが何処も平穏だそうで……」
 通信文を持ってきた参謀が困惑する。
「やつら、何を考えているのだ?」
 この無線封鎖にともなって関東軍は臨戦態勢に入っていた。
 指示を出していた男は今度は大声で通信参謀を呼びつけた。
「各軍司令部に厳命。
 変化あるまで待機。監視のみに留めよ」
「こっちから、攻撃はするなという事ですな」
 参謀長が声を出した作戦参謀に頷いた。
「航空偵察は出さんのですか?」
「国境を越える訳にはいかんだろう。どうなるか予断を許さないのだから」
 苦虫を噛み潰した表情で参謀長が答える。
 誰もが「まさか?」と思わずにはいられなかったソ連の無線封鎖。
 モスクワ前面にドイツ軍に迫られていながら、我々を攻撃するなんてと思いつつじっと国境線向こうの動向に注意を払い続けた。
 何しろ帝国は大陸の泥沼から足抜けした事による兵力再編がほぼ終了しつつある段階にきていたのだから。
 支那派遣軍は解散され、石油が出た満州にはさらに兵が集められ、支那派遣軍の装備はまとめて満州軍に再配備されていた。
 支那事変前16個歩兵師団を中心とする75万人の兵力は3個戦車連隊と22個歩兵師団を中心とする100万に増強され、800機の陸海軍航空機によって防空する体制に移行している。
 まさに大日本帝国建国以来の規模と言ってよい。
 しかし、それだけの大軍であっても、いまだ現在続いている独ソ戦の中では一地域に展開する戦力でしかないのだ。
 ソビエトという大陸国家――人口2億を超える超大国――にとっての100万の兵員とはそういうものであり、これを相手取ると考えるなら現状でも安心していられないのだ。
(一体どうなる事かしら……)
 そんな事を思った巫女服を着た黒長耳族の女が、この司令部の主との面会を控えていた。
「すまないな。こんな騒がしい状況で」
「いえ。戦は殿方の仕事ですゆえ」
 陸軍大将の階級章をつけた軍人が入室してくると、特務大尉の階級章をつけた海軍軍服を着込んだ黒長耳族の娘は立ち上がり敬礼しつつにこやかに微笑んだ。 
「ヴァハ特務大尉と申します。閣下」
「かけたまえ。海軍さんの詳しい話が聞きたい」
 関東軍総司令官梅津美治郎は彼女に莞爾と笑って座らせた。
 黒長耳族利権は海軍が握っており、撫子が見つけた北満州油田を開発しているのも黒長耳族である。
 その為、満州における海軍の立場がじわじわと増大していた。
 ハイラルを中心とした、北満州油田に海軍航空隊の基地ができたのも海軍の影響力増大と関係が無いわけではない。
 採掘と輸送、さらに原油に大地の力と水の力を利用したろ過魔法と火炎系魔法による沸騰を複合させた原油精製に実験段階ながら成功していた。
 更にイギリスとの裏取引で原油精製プラントを入手できる目処がついた事もあり、満州の重大性を更に帝国に刻み込む事となった。
 もちろん陸軍もこの動きを黙認するつもりも無く、満州増強に伴って作られた北満州方面軍はハイラルに司令部を置き、油田死守と戦略的予備の位置づけとして3個戦車連隊はここに配備されていた。
「ハイラルにいる海軍航空隊はまだ展開途中ですので、もしソ連が攻めてきた時の海軍のソ連攻撃は第一機動艦隊が主体となります。
 失礼ですが、閣下はソ連が何時攻めてくると思いますか?」
「何時、と言うことはないな」
「と言いますと?」
「今の状況で攻めてくる理由は無い」
 梅津はあっさりと言った。
「ならば、この無線封鎖は?」
 ヴァハの言葉を梅津大将が引き継いだ。
「ソ連軍がついに切羽詰まって欧州に兵を回すのだろう」
 既にドイツの大攻勢にロストフが陥落していた事は全世界に対し大々的に発信されていた。
 ゲッベルス宣伝相が世界――特に日本――にばら撒いた写真には、ドナウ川を背景に鉤十字の描かれた零式輸送機からロンメルが降り立つ姿を捕らえたものや、ロストフ攻略に功のあったとされた『日本人』義勇SS兵と女性フレンチメイド義勇SS女性兵に対しヒトラーが勲章を授与している姿が映っている。
 この一連の写真が英国を激怒させているのだが、この満州にその情報は届いてはいない。
 冬季攻勢の挫折後、モスクワに兵を留めながら、南部バクー油田を守る兵力はソ連に残ってはいない。
 その残っていない原因は、この満州近辺の極東ソ連軍を引き抜けないからであった。
 その極東ソ連軍をついに引き抜く決断をスターリンはしたと梅津は考えていた。
「我々が今やらねばならぬ事は、はねっかえりどもの暴走だ」
 深くため息をつきながら梅津大将は愚痴をこぼした。
 現段階ですら、「ソ連に先制攻撃すべし!」の声が高まっているし、極東ソ連軍が引き抜かれたと知ったら「今までの恨み」とばかり攻め込みかねない。
 もちろん、事態を知らないまま恐慌に駆られて暴走する例もありうるだろう。
 梅津大将の関東軍司令官就任の理由が暴走する関東軍を制御する為であり、現在まではそれに彼は成功していた。
 だが、兵力増強に伴う将兵のチェックはまだ済んでいない。
 どのレベルで、暴走しかねないか検討がつかなかった。
「で、君達、この場合は神祇院にお願いしたいのだが」
「つまり、馬鹿のチェックをしろ、と?」
 ヴァハは眉を顰めた。
 ただでさえ黒長耳族は人手が足りない。
 その状況での陸軍所属将兵のチェックなんていくら人員がいるのか考えるだけで頭が痛くなるが、
「かしこまりました。微力を尽くします」
 としか答える事ができなかった。
 ハイラルに戻る列車の中でヴァハはふと気づいた。
(陸軍内部にも憲兵が思うのだけど……彼らは何をやっているのかしら?)
 と。


1942年 4月4日 夜 帝都東京 霞ヶ関

 大日本帝国は近代国家と呼べるだけの国家組織を作っている。
 だからこそ、巨大官僚組織が跳躍し稟議書と根回しが必要になっている。
「で、大蔵省から回された予算案はどうなった?」
 内務官僚の一人が、大蔵省から送られた昭和17年予算案に目を通した。
「あれ?
 内地開発の案はあらかた通らなかったのか?」
 地方局に所属する官僚が、不審そうに予算案に目を通していると、大蔵省と折衝した内務官僚が口を開いた。
「ああ、なんでも内地開発より満州・朝鮮・台湾に回すそうだ」
「って、関門トンネルの二期工事や黒部の水力ダムはどうするのだ?
 あれは黒長耳族がいないとできない前提で計画を立てていたはずなのだが?」
 さすがに大規模計画だけに軒並み却下された地方局は面子丸つぶれで声のトーンに怒りが伝わっている。
「黒長耳族は大陸に回すそうな。
 ほら、黒長耳族が要望を出していた緑化計画というのがあるだろう。
 あれに予算をつけるそうだ」
 地方局官僚が鉄道省向けの予算を確認する傍らで、神祇院に所属する男性官僚が呆れたように呟いた。
「あっちかよ。
 あれは黒長耳族の神祇院知事ですら『後でいい』と言った計画じゃなかったのか?」
 何しろ、神祇院知事のダーナから「とにかく日本人の役に立ちたい」との内意を受けて色々画策したのが彼だったりするので、地方局官僚以上に怒りは深かったりする。
「大蔵いわく、『国家百年の計』だそうな」
 大蔵省官僚の石のような声を真似た折衝担当官僚の声に笑いが起こるが事態は何も解決していない。
「国家百年の大計ですか。だからこそ外地より内地の開発にこそ力を向けるべきだと言うのがわからないのかね。
 黒長耳族の石人形を使えば短期間で成果も上がるはずなのに」
 地方局官僚がぼやくと神祇院官僚もそれに追随した。
「まったくだ。
 関門で経験を積ませて、弾丸列車計画や大清水トンネル、信濃川、利根川治水計画と色々考えていたのだがなぁ」
「まぁ、仕方あるまい。
 来た時期が既に予算折衝期だったのだから根回しに時間が足りなかったのだ。
 まだ、融通が利く外地で予算を奪い取るのがやっとでな。
 今年の補正予算は鉄道省と商工省と連盟で予算をつけるから我慢してくれ」
 根回し不足といわれては地方局官僚と神祇院官僚は折衝担当官僚もうなずくしかない。
「で、他の予算はどうなっているのだ?」
 今まで黙っていた警保局官僚が尋ね、折衝担当官僚が大蔵とのやり取りを詳細に語りだした。
「陸・海軍の予算は大縮小だな。
 陸が動員解除で100万、40師団相当を削り。海が空母以外の大型艦は建造中のもの以外軒並み中止。
 建造予算が前年度に出ているから大きな削減は来年以降にずれこみそうだが、巡洋艦以下の新造艦建造は計画そのものが白紙だと」
「つまり、今のところ船台にのっているやつ以外は無かった事になるわけか」
「そういうことだ。後、航空機についても計画の整理縮小が確定で、生産している航空機も計画より縮小」
 軍の大削減に誰かが思わず声をこぼした。
「良く飲んだな。両方とも」
「予算案の80%が軍関連なのだから、そこから削らないと金が生まれないだろうが。
 戦争終結を旗印にした大蔵の息の荒い事と言ったら凄かったぞ」
 折衝担当官僚の大蔵官僚の真似に地方局官僚が思わず口をこぼした。
「で、そうして浮いた金も企業に買ってもらった国債償還にあらかた消えるわけだが。
 国民が怒るわけだ。われわれの血税はどうしてわれわれに還元されないのか、と」
 神祇院官僚が思い出したように口を開いた。
「異世界交易だっけ、あれのうまみがかなりでかいが、どうなのだ?」
「たしか、地方の地場産業で異世界向けの工芸品を作って、黒長耳族にインフラ整えさせる計画じゃなかったのか?」
 地方局と組んだ土木局官僚が折衝担当官僚に質問をぶつけてみた。
「黒長耳族が大陸で緑化計画に出るから、インフラ整備は国鉄だのみだと。
 効率は落ちるけど、地場の男を雇って工事をするしかないだろうな」
 地方局官僚が思わず天を見上げた。
「ああ、竜神様。なんで貴方はあと二ヶ月早くこの帝都に出現しなかったのか」
 それに神祇院官僚も苦笑して追随した。
「まったくだ。そうすれば、根回しもすみ、予算も通り、国内産業を発展させることができたのに。
 とりあえず、予算案の大枠は了解した。
 異世界交易の剰余金は補正を組ませるのだな?」
「まあ、どうなるかは正直わからんよ。英国向け船舶建造の臨時予算がどうなるかまだ決まっていないからな。まあ努力はするが。
 ……後半の国会は補正がらみで揉めるだろうな」
 地方局官僚が嘆息した。
「いっそ戦時なら、こんな調整なんてする手間必要なくなっていたのに」
「そういうな。今、わが国は戦争をしていない――平時ってやつなんだから」
「事変は戦争じゃなかったよな?」
「どうだったかな。
 とりあえず次の補正で、黒長耳族使っての国内整備予算を強く押すから、今度は根回ししくじるなよ。
 さて、各局の予算説明に向かってくれ」
 会議室に集まった官僚たちが分厚い書類の束を抱えて出てゆくなか、折衝担当官僚が帰宅支度をする。
「おう。もう上がりか?」
「ああ、概算が通ったのだから休ませてくれ」
 彼はそう言って内務省庁舎を後にした。

 とある料亭に入る。
 そこでは、十数人の男達が紙に目を通しながら酒を飲んでいた。
「遅くなりました」
「構わん。内務省内部はどうだった?」
「地方局がえらくごねていまして言い訳するのに苦労しましたよ。
 『何で黒長耳族を大陸に回すのだ?』って」
 その彼の言葉に料亭にいた男達が一同に苦渋に顔をゆがめた。
「あいつら、国内で黒長耳族を使う意味を分かっていないだろ」
 内務省折衝担当官僚とやりやっていたはずの大蔵官僚が呆れた声を出した。
「分かるわけ無いじゃないですか!
 何を好き好んで少数民族問題を背負い込む羽目になるのやら。
 しかも、なまじ力を持っているだけにたちが悪すぎる」
 そう。黒長耳族がらみの国内開発予算をとめたのは彼らだったのである。

 撫子と黒長耳族保護の波紋はこの四ヶ月の間にじわりじわりと帝国体制内に毒の様に広がっていった。
 彼女達は迫害されている事もあり、その持てる力の全てを使って日本に恩返しをしようとしている。
 それが実は大問題だったりする。
 彼女達の保護と引き換えにただ同然に得られる石人形を中心とする巨大な労働力に多くの政府官僚はあっさりと狂った。
 戦時、あらゆるものが動員される中で、国力に乏しいい帝国にとって彼女たちの価値はあまりに大きかったのは当然だった。
 無投資にもかかわらず、工場を建て、あるいは資源を掘り出し、あるいは食料を生み出すものたち。
 それは、膨大な戦費によって破産寸前に追いやられていた帝国にとって無から金を生み出す錬金術であった。
 だが、現在は戦時ではない。危うい上に立っているとはいえ、大日本帝国は戦争のない状態――平時にある。
 そして平時だからこそ、この錬金術が問題になった。
「彼女たちがここまで健気でなければ、しようもあったのかもしれないな」
 座にいた若手の官僚がつぶやく。
 黒長耳族は異世界でも半ば奴隷以下に迫害されていたが、大日本帝国という新たな保護者に嫌われないように異世界以上に働く事を決意していた。
 彼女達は自分達に価値があると分かれば保護してもらえるというその一点にかけ、このお人よしの遅れた帝国主義国家の関心を買い取る事に成功したのだ。
 その結果が、黒長耳族保護を名目に内務省内部で盲腸と化していた部署を中心に成立した神祇院である。
 神祇院は彼女たちの有能な働きにより、現在では帝国髄一のカウンターインテリジェンスであり、国内諜報機関となりおおせた。
 だが、その神祇院は現在混沌状態にある。
 設立当時からの黒長耳族を主体とする長耳局と、女性参政権を得た純粋な日本人であるナース達看護局の間で、どちらが主流派となるかを争っているためだ。
 まずいことに、黒長耳族のトップが名目上とはいえ天皇にあり(それを裏付けるかのように彼女たちは緋袴を穿く権利を有している)、一方ナースのトップはこれまた名目上だが赤十字総裁である皇后にある。
 この状態で、どちらが本流かを主張するのは極めて政治的に微妙なことになる。
 事態をややこしくさせているのが、先日帰って来たばかりの異世界派遣船団の結果だった。
 二千人ほどの黒長耳族が自ら進んでの無償奉仕に近いとはいえ神祇院に所属し、あまつさえ数百人規模の兎耳族、狐耳族まで連れてくるという事態に海軍はおろか陸軍も歓迎し、この会合の面子は皆悪夢を見たかのように頭を抱える事となった。 
 今日、改定された第三次帝国−撫子協定で獣耳族の保護まで加えられ、信じられないほど急速に水膨れする異世界人女性に看護局に所属するナース達も対抗上人間を入れざるをえず、実際使える女性を入れるという事は英独のひも付きメイドしか残っていなかった。
 ならばと、水膨れするであろう予算で彼女達を縛ろうとしたが、異世界交易によって持ち帰った大量の金貨に誰もが目がくらんでいる。
 さらに、現在の東条内閣が、固有の調査機関と内部調整機構を有しておらず、国内問題に対して有効な手を打つことがひどく難しい上に、その調整すらも神祇院に一任していた状況がどんどん事態を悪化させていた。
 それゆえに彼女たちの存在が危惧され始め、先日の銀座カレー事件で各省庁が競って神祇院に肩入れをしたのだった。
 表向き黒長耳族が主流である神祇院を支持する裏に、日本人女性である看護局を支持する事に他ならなかった。
 陸海軍が黒長耳族を歓迎しつつもここに集まった者達が憂慮しているのが、黒長耳族の彼女たちの多くが特務の名前で階級を与えられ軍の諜報部や参謀として軍務をこなしているということにある。
 つまり、一朝事が起これば、何らかの手段によって部隊の妨害や指揮を行える立場にあると言うことだ。
 そして、諜報も担当すると言うことはいわば政治将校として軍内部に影響力を有するのである。
 黒長耳族で構成された諜報機関だけに、黒長耳族の長や撫子が政治的介入を決意した場合、これに乗ってしまう可能性を捨て切れなかったのだ。
 もちろん彼女たちが帝国を裏切るとは思えないが、だからと言ってそれを制度で認めてしまうのはあまりに危険が大きすぎた。
 物事は何事も例外はあるし、仮に日本人が黒長耳族を迫害するようになれば、彼女たちもやむをえない手段をとる可能性もある。
 そして、そうなる可能性は決して少ないものではない。
 神祇局とはまさにそんな場所となっていた。
 かつて陸軍が有していた諜報機関は長い大陸での戦争の結果ほとんどが弱体化し、内務省の保持していた特別高等警察も本土はともかく外地の諜報に手が回らない。
 にもかかわらず、東京では英独による女性市民権を隠れ蓑とした諜報機関が荒れ狂い、それにつられて他の政治活動も活発化している。
 なにより、陸軍の動員解除により国内の労働力が余り始めている。
 その一方、生産される物資は、英国に資源という首根っこを押さえられているため国内を満足させる最低限に近い分量しか手に入れられていない(生活できる必要なだけの物資を注意深く交易されているのだ)。
 余剰に乏しく、しかもその貴重な余剰も一次大戦よろしく欧州に輸出され、国内には残らない。
 結果、物価だけは際限なくあがり続ける。
 この状況で国民が未来に希望など持てるはずもない。
 幸い、現在は戦争終結という幸事により国民は幻惑されているが、これが落ち着けばどうなるかは火を見るより明らかである。
 市民権運動は女性権についての話で埋め尽くされているので悪化していないが、これに経済的困窮の不満が加わった場合、その矛先は魔法を持っていないため安く働けない日本男性から仕事を奪い、その上権力をかさにした黒長耳族に向けられてしまうのだろうという事は明白だった。

 経済とはいきつく所、価値の問題である。
 もう少し言い方を変えると「誰が貧乏くじを引くか」という言い方でもいい。
 だからこそ、彼女達黒長耳族は自ら最初に貧乏くじを引いたのだ。
 永遠の時間を持つ彼女達にとって時間は彼女達の絶対的な味方だ。
 なお、異世界での人間とエルフの対立から始まった「大崩壊」という破局とその後500年に及ぶエルフ迫害はこの時間が原因だったりする。
 少数だが時間と共に絶対的優位に立ってゆくエルフに大多数の人間が恐怖感を覚えたのだ。
 もちろん、彼女達も500年前の失敗を繰り返したくはないし、人間社会との良き共存を望んではいた。
 だが、人間のほうに先が見えるもの――エルフの持つ貧乏くじは最後人間が引く事に気づいたやつ――がいると、たとえエルフがどう語ろうとも反エルフ感情が広がってゆくのだった。
 そして、大日本帝国にそれに気づいたのはやはり秀才ぞろいの政府官僚達の一部だった。
 彼女達を保護するのはまぁ仕方が無い、助けを求めた美女ぞろいの一族をむげにするほど人でなしでもない。
 だが、彼女達が持っている巨大な特権は解体しないといけなかった。
 それがこの会合に集まった人間達の共通項だった。

 彼女達を権力の中心からいかに引き剥がすか。
 内務省地方局が出してきた国土開発計画は黒長耳族使用という問題点のほかに、地方の豪農階級に富をもたらして末端の小作人まで富が回らないという致命的な欠陥があった。
 黒長耳族と地方豪農が婚姻関係で結ばれたりでもしたら日本に新たなる貴族階級の登場を許しかねないし、これ以上富の偏在を許したら共産革命すらおきかねないこの計画を修正するにあたって地方豪農階級から土地を取り上げる必要があった。
 その為、遠慮仮借なく異世界から富を吸い上げ、その利益で地方の地主から土地を買い上げる。
 説明していた内務省官僚がまとめに入った。
「われわれの間では、『農地解放』と呼んでいます。
 彼らの経済的自立を助けないと地方経済の立ち上げすらままなりません」
 中央の男が計画の書かれた紙に目を落としながら呟いた。 
「恨まれるな、地方の地主から。彼らは決して小さい勢力ではないぞ」
 座の真ん中にいた陸軍の同士が声をあげた。
「畑閣下のお力によって憲兵を抑えました。部隊の移動、隠蔽工作も大陸の兵の帰還に合わせてやっていますからまずばれないでしょう。
 東条首相の所まで情報は届かせないようにします。
 近衛第一・第二師団も我々に賛同しています。
 動員解除と内地への帰還において、第一陣は東北・北陸・山陰方面の師団を中心に帰還させます」
 帰還師団の人員構成は多くが小作人の次男・三男等が所属していた。
 帰還後、彼らの任務は地元の凱旋パレードに参加して豪農階級に圧力をかける事だった。
 彼らの圧力の元で豪農階級から土地を取り上げる農地解放政策を強引に導入する予定である。
 陸軍の同士が語り終えると、海軍の同士が中央の男に向けて報告しだした。
「海軍も横須賀鎮守府は我々が握っています。
 保護派が下田に移りましたから。
 英国向け船舶建造の臨時予算を中心に財閥企業に飴を与えて黒長耳族を取り込まないようにさせます」
 中央の男も頷いて苦笑した。
「山本君も堀君もはしゃぎすぎだな。私からも一言釘をさしておくよ」
 次に背広を着た男達が報告をする。
「近衛元首相も我々に協力すると。
 さすが栄華を誇った藤原氏の本家。
 彼女たちの危険さをよく分かっていました」
 近衛元首相がこちらにつくという事は、貴族院の大勢を抑えたと同義語でもある。
「外務省ですが、吉田さんが賛同してくれました。
 異世界交易なんぞという怪しげなものよりさっさと対独参戦に踏み切らせたいのでしょう。彼は」
 ここに集まった面子で共通しているのが、各省庁で革新派と呼ばれ軍の暴走に警鐘を鳴らしていた官僚たちだった事。
 黒長耳族と異世界交易が今の軍独裁をかえって強化しかねない事に危惧していたのだった。
「帝国内部について問題はなさそうだな。
 後は、あの竜神様か」
 そして皆頭を抱え込む。
 彼女をどう扱うのかで、誰もが頭を悩めた。
 間違いなく、撫子は帝国の救世主であった。
 彼女のおかげで文字通り対米戦一直線だった帝国を非戦へと導くきっかけとなり、泥沼化していた大陸からの撤収にさえ成功した。
 だからこそ、彼女の眷属である黒長耳族の保護と権力分離をどう説明するかで男達は悩んでいたのだ。
 新聞社記者たる男が口を出した。
「絡め手ですが竜に対する悪評を広めて、竜越しに黒長耳族と妥協を図るというのはいかがですか?」
 全員の視線が記者に注がれ、中央の男が口を開いた。
「悪評?
 銀幕御前などで必死に保護を訴える彼女達に悪評などあったか?」
 その問いに邪悪な笑みを浮べて記者は口を開く。
「なにも、日本人は帝国領内にばかりいるわけではありませんよ。
 我々には救いの神ですが、ハワイで食われた合衆国市民と呼ばれるかなりの部分が日系人だった事を広めればよろしいでしょう」
 その言葉に皆その手があったかという驚きが浮かんでいるのに記者は満足した。
「幸い、ハワイの合衆国市民の人道的支援という事で、日系人のかなりの部分が帝国に戻ってきている。
 彼らを焚きつけましょう」
 全ての報告が終わった後、誰かが言った。
「陰謀渦巻く世界。まるでビクトリア朝ですな」
「当たらずとも遠からず、だな。世はメイドにあふれているから」
 華やかな陰に隠れ、いったい英国はどうなっていったか。
 階級の固定化が進み、富めるものはさらに富み、飢えるものはさらに飢える社会。
 植民地争奪によってしか成り立たない国家への変貌。
 それはあまりに想像しやすい刹那的世界だった。
 その道を走った帝国が、1941年12月までの対米戦という破滅寸前の状況にまでいたろうとしていたことをここにいるものたちは理解している。
 過去の英国がそれに生き残れたのは、ただ単に、当時最も強力な国力を有していたからに過ぎない。
 そして現在の日本は、欧米列強を圧倒できる国力など有していない。
 時間が必要であった。すべてをうやむやにしてしまえるだけの時間が。
 全員が頷いたと同時に中央の男が〆の言葉を口に出した。
「勘違いしてもらっては困るのは、我々は二・二六の馬鹿達の二の舞をするつもりはない。
 一部では本当にクーデターを起こそうとする馬鹿もいると思うが、彼らと一線を画してあくまで合法的な行動により彼女達に悟らせる事が目的なのだ。
 それを忘れぬ事の無いように」
 会がおひらきとなり集まった官僚達がばれないように少しずつ席を立ってゆく。
 その時に中央にいた会合の黒幕に声をかけて出て行った。
「では。米内閣下」
 と。

 帝国の竜神様25
2008年05月15日(木) 17:55:12 Modified by nadesikononakanohito




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