帝国の竜神様49 前編

1942年 5月20日 マリアナ諸島 サイパン島 愛国丸

 青い海、青い空、白い雲。
 カモメが空を悠然と舞い、波の音は静かに船体に当り緩やかなリズムのハーモニーを耳元に届けさせる。
 乙姫様が捕獲されてこの船で惰眠を貪っているおかげで、ここに集まった日米両海軍の将兵達はのんびりと通常勤務に戻っていたりする。
 艦橋に向かう途中、足を止めてそのまま海を眺める。
「世界は、戦争しているんだよなぁ」
 ぽつりと口に出してみた。
 この青い海のはるか向こうでは多くの将兵が相手を殺す事だけを考えて、文明の最先端の武器を持って血と屍のダンスを踊っているはずである。
 文明は便利になったもので、地球の裏側で行われている凄惨な殺し合いもその数時間後には俺達の耳に入っているというすばらしさ。
 クレタ戦は先のイタリア艦隊の殴り込みにも負けずに攻略を続行。詳細は来ていないが、英軍有利に進んでいるらしい。
 独ソ戦の方は大きく動いた。
 スターリングラード包囲の予備と思われていたヴォロネジ近辺の機甲師団を含む中央軍と南方A軍がヴォロネジを突破。
 そのまま北方に進路をとり、はっきりとモスクワ攻撃に向かう意思を示したのだった。
 全世界を驚愕させた南方からのモスクワ攻撃にソ連軍は全戦線で動揺し、今までの主戦場だったスターリングラードとドン河の戦線が囮と気づいたソ連軍は慌てて部隊を戻そうとしている。
 その後退を邪魔するのが『雪原の狐』と名将の誉れ高いロンメル将軍。
 ドン河近辺でソ連軍は見事なまでに拘束されてどうなるか先が見えない。
 合衆国は合衆国で高みの見物といかず、サンフランシスコ爆撃をかましたハワイの竜によって西海岸全体が大混乱の途上にある。
 議会はこの攻撃を防げなかったルーズベルト大統領に対する非難が西海岸選出の議員から出て、大統領が応対に追われている様子を昨日寄港した合衆国の補給船が積んでいたロサンゼルス・タイムズが伝えていた。
 何で現在の日米関係なら機密になりかねない情報がこの愛国丸なんぞにあるかというと、この船に乗っている人間のお客二人が一応身分上では記者だからだろう。
 時々ふらりとお客様が外出する事があるが、米艦隊への「取材」だったり、英国貨物船への「紅茶の買い付け」だったり、当然中ではそれ以外の事もしているのだろう。
 その新聞の日付は三日前。
 グアムまで飛行機で運んでいるんだろうなぁ。
 そんな贅沢を許容できる米国の物量の凄さに感心するべきか、そんな物量を投入するほどこのマリアナが米国に注視しているのか、両方なんだろうが。
 で、貴重な情報満載の新聞を敵地真っ只中の食堂で悠然と開いて談笑するフレミング・ダレスの両氏の心臓は鉄でできているに違いない。
 挙句、
「捨てておいてくれたまえ」
と読んだ新聞を二人への警戒真っ只中の黒長耳族の巫女に頼む始末。
 彼らの上位機関が我々に与えられる情報だけを先に検閲した上で、あの二人に渡しているからこそできる行為なのだろう。
 少し二人から話をそらすが、ここで重要なのは新聞の情報ではない。
 報道機関に公開されている事だから当然米国の日本大使館あたりでも購入・翻訳されて東京に送られている情報ばかりである。
 情報戦で生き延びてきたその手のプロのメイヴに言わせるならば、
「情報にも意思があるのです」
 と、かつて語っていた事を思い出す。
 異世界には地球みたいに新聞やラジオ等の報道機関は発達しておらず、しかも黒長耳族そのものが差別され迫害される情況では情報入手の段階から苦労をする。
 そのような情況で「与えられた情報」という物の意思、つまりこの情報を与える事によって受信者が踊るであろう発信者の意思を推察する事が大事だと言う事になる。
 地球に来たメイヴを含めた黒長耳族全体で一万人を超えていない上に、着てからの時間は半年しか立っていないのだ。
 その状況下でどうやって帝国の諜報部門を取り仕切るようになったかというと、彼女達が徹底的にその意思に拘ったからに他ならない。
「その情報を意図的に与えた事によって、発信者は得をするはずだ」
「その情報を偶然入手したのならば、発信者は損を避ける為に動くはずだ」
「こちらが発信者ならばその情報は与えるべきものか?与えてはならぬものか?」
 異世界とは桁違いに溢れている情報の海に溺れなかったのは、このとてもシンプルな行動指針が大はずれを起さかったのが大きい。
 それを踏まえて、この新聞を考えると色々と面白い事が見えてくる。
 新聞の情報を誰に伝えたいか?
 俺や遠藤、メイヴや綾子だ。
 そして、この四人に伝えるという事は撫子にそれを言い含めるという意味を当然持つ。
 つまり、最終的な受信者は撫子という訳だ。
 撫子にこの新聞記事を見せてダレスやフレミングには得する事があるという事だ。
 それは何か?
 飛行機で持ってきたのだろう最速の情報。
 独逸有利の戦局、合衆国の政治的混乱の情報を撫子に伝える事によって英米にとって得をする事は何か?
「そうか」
 その答えを思いついてその場でぽんと手を叩く。  
「『この場で恩を売れば高く買い取るぞ』と言っているのか!」
 撫子には恩を売る手段も権限も持っているのだ。
 このマリアナでの一連の騒動は形的にはマリアナの竜と撫子仲介による日米英の多国間交渉となる。
 更にややこしい事に、撫子は先に帝国と協定を結んで半ば国家内国家という超法規的存在と化しているから、形式的には帝国が英米に仲介するという形にもなる。
 東京の外務省の介入を井上中将が排除して現場で片付ける決意をした結果、半年前にこじれにこじれ開戦寸前までに至った英米との外交関係改善まで今の撫子はできうる地位と権限を持ってしまっている。
 フレミングの代表者や特命全権大使の話が今、やっとはっきりと繋がった。
 このままいけばマリアナの竜と日米英三国は、帝国=撫子協定に準じた形での協定なり条約が結ばれるだろう。
 その時にその仲介をした撫子は強力な親英米派として認知され、ほぼ帝国内で手が出せない絶大な政治権力を手に入れる事になる。
 撫子観察による竜の情報収集どころの話じゃないな。
 独逸有利の戦局で動揺するであろう帝国国内に、強大な政治権限を持つ親英米派要人を作り上げる策謀など誰が考えたんだろう? 
 あの馬鹿竜なら、右翼や陸軍に狙われても死なないだろうな。拳銃の弾はじくし。あいつ。
 そして都合がよい事に、撫子は馬鹿竜であるがゆえにその政治権力を過度に使わないし使えない。
 実に都合がいい政治的神輿だ。
 となれば外部の英米だけでなく帝国内部の誰かも一枚噛んでいるんだろうな。
 しかし、撫子が独逸側に付く可能性だって無いわけではないのだがと思ってその可能性を打ち消した。
「その為にダレスやフレミングが乗り込んだ訳か」
 人間(竜)、話をした事ないやつより話をしたやつの方に親近感が沸くのは当然だろう。
 横浜から乗り込んでからずっと紳士的に振舞う二人の愛国丸での待遇は明らかに変わっている。
 俺自身が警戒感はまだ残っているが信頼できる敵というか、クレタ戦の記事を目にすると「英軍がんばれ」とふと思った上で、「同盟国は独逸じゃないか」と自らの頭を拳骨で軽く叩く始末。
「何をやっている?」
 振り向くと西村少将がいた。 
 俺の姿を見て莞爾に笑っておられたけど、撫子をめぐる壮大な策謀の可能性を話したら、
「さもありなん」
 と頷いて、一つの昔話をしてくれた。
 先の第一次大戦で日英同盟に従って欧州に艦隊を派遣した時に、英国人の人種差別に英国嫌いになった将兵は少なくないという話を。
 枢軸同盟参加における海軍の独逸ひいきの背景は、実体験で英国を嫌った連中が年をとって海軍の中心になったというのも大きい。
 人間、感情は馬鹿にできないものだ。
 なお、
「西村少将自身はどっちなのですか?」
とたずねたら、
「武人は政治に口出ししないのが嗜みじゃ。
 戦えといわれた相手とただ戦うのみよ。
 それよりも少佐、ここはいいからお客様の方の接待に行きたまえ。
 少佐の言う策謀が本当ならば離れていてはいけないだろうて」
 と返されて立ち去られた後、はぐらかされたのかなと思ったりする。
 お客様が根掘り葉掘りと撫子から情報を聞き出そうとし、それをメイヴと綾子が防ぐというにらみ合いの最中で実はそれから逃げてきたというのがしっかりとばれていたらしい。
 それでもなお俺達が枢軸に転ぶ可能性だってあると思うのだが、そのあたりどう考えていたんだろう?
 俺や遠藤は海軍軍人だ。英米と戦う愚かさは十分分かっているが、綾子やメイヴ、大元たる撫子はそんなの関係ないだろうし。 
 そんな事を考えつつ来た道を戻り、何気に撫子達がいる歓談室の窓の中を眺めた。
 そして改めて納得すると同時に、撫子とメイヴのテーブルの前に積まれたお菓子の山に英米の本気を見たのだった。
「ぱくぱく……
 まぁ、あいつなら……もぐもぐ……
 それぐらいの……ごっくん♪
 芸当が出来なければ困る……ごくごくごく……」
 とりあえず、食うか喋るかどっちかにしろと何度も言っているだろうが。
 歓談室に入って聞こえてきた言葉で撫子の他の竜への評価だろうとは思っていたが、それが今もこの船で眠っているマリアナなのかサンフランシスコを焼いたハワイなのかはさすがに分からなかった。
「お、博之も戻って来たのか。
 今、ハワイの竜の話をしておった所じゃ」
 口周りチョコレートをつけたまま先回りの説明ありがとう撫子。
 どうりで巫女服のメイヴの眉間に皺がよっている訳だ。
「余計な事おっしゃらないでください。博之様」
 普通テレパスで嗜める所をわざわざ口に出して注意するあたり、よほど機嫌が悪いらしい。
 そりゃ、英米のスパイ相手にお姫様の相手と来れば苦労も耐えないだろう。
「そのお姫様のお世話をほったらかして、艦橋にさっさと逃げたのは何処のどなたでしたかしら?」
「私が悪うございました」
 メイヴに潔く頭を下げる。
 切れる女が切れているときにわざわざ的になる馬鹿はいない。
 なお16日に全世界を駆け巡ったニュースの他、間が悪い事にマリアナの竜が同時期に発見されて、異世界派遣船団からは陸軍大損害の報告が飛び込むすてきぶり。
「何故このタイミングで起きてきやがった……」
 と机の書類を宙に撒き散らして井上中将は嘆き、既に嘆く体力すら無くした南雲中将は淡々と何か疲れた様子で書類地獄の判子を押し続けているという。
 竜捜索が終わって書類仕事がなくなったと思ったらまったく逆で、竜発見による交渉経緯を知りたいが為に、日米英外交関係者の外交電の飽和襲来に、捜索に使った艦隊や増援飛行隊の帰還スケジュールの作成、そして常時発生する基地と艦隊経費の報告書……などなど。
 とどめとばかりに陸軍・海軍・外務省からそれぞれやってくる「マリアナの竜を帝国の手に」という命令外の「要請」に金太郎飴のごとく答える毎日では嘆く体力すらなくなるというもの。
 最近、南雲中将はしきりに「海っていいよな……」と呟くあたり少し心配ではある。
「で、ハワイの竜がどうしたのですか?」
 俺が皆――撫子、綾子、メイヴ、フレミング、ダレス――に尋ねながら撫子の隣に座る。
 入り口に黒長耳族の巫女が二人、窓に二人の計四人が警備に立っており、紅茶を入れている英国メイドもフレミングの後ろで人形のように仕事に徹している。
 ここには居ない遠藤とフィンダヴェアはメイヴに代わって異世界での陸軍大損害の情報の確認に追われて席を外している。
 この二人が戻ってくると、今度はメイヴと綾子が席を外して遠藤の仕事の引継ぎをする手はずだ。
 なお、俺は基本的に撫子に付いていろと厳命されている。
 それもこれも、ちょいと乙姫様捜索で撫子の側を離れた事で色々と迷惑がかかったらしい。
 具体的には「博之に会いに行くのじゃ!」と叫んで愛国丸から脱走しようとして綾子とメイヴの心労を三倍増しにしてみたり。
 「暇なのじゃ!」と叫んで米国艦に見物に行こうとしてやっぱり綾子とメイヴの心労を五倍増しにしてみたり。
 何で、こっちの方が倍率高いかというと米国艦の停泊する桟橋で、松の廊下よろしく撫子一同が押し問答をやっていた所、たまたま何も知らず地元民の芸と勘違いした米軍水兵がチョコレートを撫子にあげてしまい、撫子とメイヴまでそのスイーツな味の虜になってしまったという自らの誘惑とも戦わねばならなかったからである。
 かくして、南雲・井上中将は南海竜派遣艦隊名義の緊急伝で「アンコと和菓子職人を大至急飛行機で送れ」という電文を打つ羽目に。
 さらにおまけだが、ダレス氏の情報によるとこれ以降餌付けされたサルのごとくふらふら米国艦に遊びに行く撫子に米国側はアイスからチョコまで用意して大歓待をする羽目になり、撫子の機嫌を取ったからという事でこのチョコをあげた水兵にはフレッチャー提督名義での感状が送られたとか。
 そして、あと数日後には西海岸からオーストラリアに至るまでかき集めたお菓子および玩具、更に女性用衣類や装飾品だけ満載した輸送機がやってくる予定である。
 メイヴの杞憂がこんな所で的中するとは。化け物物量国家め。
 なお、マリアナに送る為の輸送機は現場担当者に皮肉を込めて「サンタクロースエアライン」と呼ばれたらしい。
 閑話休題。
2007年12月31日(月) 03:14:25 Modified by nadesikononakanohito




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