呟き尾形の個人的な資料です。

リンドバーグ翼の日

1927年(昭和2年)の5月20日午前7時52分。
 当時無名の青年、チャールス・リンドバーグが「スピリット・オブ・セン
トルイス」号で大西洋単独横断飛行をニューヨークから出発しました。
 これは、燃料積み込み重視のため、非常用パラシュートもなし、サ
ンドイッチ5個と1リットル弱の飲み水を携えただけの命がけの飛行
でした。
 総飛行距離約5800キロメートル、33時間39分のフライトの末、翌
21日の午後、「翼よあれがパリの灯だ」という有名な言葉とともに、
パリのル・ブールジェ空港に到着したそうです。
 世界初の単独無着陸大西洋横断飛行に成功しました。

 この、単独無着陸大西洋横断飛行に挑戦しようとしていたのは、
リンドバーグだけではありませんでした。
 当時、3機が大西洋無着陸横断飛行計画を立てていたそうです。
 みな高名なパイロットで、副操縦士を同伴しており、飛行機もまた
高性能な機体でした。
 しかし、試験飛行の段階でことごとく失敗していたといわれていま
す。
 一方、リンドバーグの計画は、これらの計画と比べると、無謀とも
いえる計画だったといわれています。
 飛行機は単発機の上、燃料を積むために無線機、燃料計も取り
外したうえに、副操縦士もいないという無謀ともいえるチャレンジで
した。
 このことから、りンドバーグの計画は、多くのアメリカ人の失笑を
買い、ばか者呼ばわりまでされる程だったといわれたそうです。

 それだけに、当時、無名の青年、リンドバーグの単独無着陸大
西洋横断飛行がどれほどすごい快挙であるか理解できるかと思
います。

 また、単独無着陸大西洋横断飛行を成功させたリンドバーグが、
帰還すると、アメリカに国民的英雄としてニューヨーク市のウォール
街でのパレードがおこなわれました。
 その際、高層ビルの窓から紙吹雪をまいて歓迎の意を表すのが
伝統となっているのですが、ニューヨーク市衛生局の統計によると、
リンドバーグの凱旋パレードでは 1800トンという史上最大量の紙
吹雪がまかれたと言われています。
 ちなみに、1920年代のパレードにおいては、第1次世界大戦の
終了ムードの中で、大統領を招いての凱旋パレードが行われた時
の紙吹雪の量は1550トン。
 1960年代、初めて宇宙空間を飛んで帰ってきた宇宙飛行士の
パレードでは1000トンだったということから、1800トンの紙ふぶ
きのおおさから、リンドバーグがどれだけ英雄として歓迎されたか
わかります。







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