呟き尾形の哲学自転
※この記事は、私がみなてつwikiへ投稿した記事を基にした記事です。
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本質直観とは対象となる事象を、主観を伴わなずに純粋経験しているものを、知覚(直観)することを指します。
現象学では、本質直観をエポケーによって見出されるものとされています。
これは「現象学入門」という竹田青嗣氏著作の本にあった例ですが、日常生活は、探索ロボットで未知の惑星を探索しているようなものだ。
と表現されています。
これは、直接、未知の惑星に下りることはできず、コクピットから探索ロボットの映し出す情報(画像やら音やら)を認識しているにすぎず、この例において、純粋な情報(画像や音やら)を知覚することを本質直観だということです。
その情報が何か、どんな意味があるのか、と判断してしまうと、主観によって情報が加工されるので、純粋経験ではなくなりますし、本質直観とはいいません。
ですから、本質直観とは、その普遍的な意味を感知すると言うことではありません。
エポケー
※この記事は、私がみなてつwikiへ投稿した記事を基にした記事です。
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本質直観とは対象となる事象を、主観を伴わなずに純粋経験しているものを、知覚(直観)することを指します。
現象学では、本質直観をエポケーによって見出されるものとされています。
これは「現象学入門」という竹田青嗣氏著作の本にあった例ですが、日常生活は、探索ロボットで未知の惑星を探索しているようなものだ。
と表現されています。
これは、直接、未知の惑星に下りることはできず、コクピットから探索ロボットの映し出す情報(画像やら音やら)を認識しているにすぎず、この例において、純粋な情報(画像や音やら)を知覚することを本質直観だということです。
その情報が何か、どんな意味があるのか、と判断してしまうと、主観によって情報が加工されるので、純粋経験ではなくなりますし、本質直観とはいいません。
ですから、本質直観とは、その普遍的な意味を感知すると言うことではありません。
エポケー
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