【定義】
坐禅の際に手で組まれる印の形、つまりは仏陀の禅定印である。日本曹洞宗では、坐禅の際、法界定印を行う。法界定印という名称は、大日如来が明らかにする三昧の境地に入るための印である。なお、『普勧坐禅儀』や『坐禅用心記』では、この名称が見えないため、おそらく形をもって、単純に名称を充てただけの可能性がある。ただし、瑩山禅師の親撰は疑われるが、以下の表記が確認される。
「法界定印」ではなく「定印」ではあるが、どちらにしても瑩山禅師か明峰禅師の時代までには用いられていたことを意味する。この名称については、臨済宗であれば鎌倉時代の『大覚禅師坐禅論』『法灯国師法語』などで見え、曹洞宗であれば江戸時代になるが、面山瑞方師の『建康普説』などに見える。
【内容】
具体的な手の組み方については、以下の通り。
なお、現在では両方の親指の間について、付かず離れずというような教えもあるが、原文では「あひささふ」とあり、『普勧坐禅儀』などでは「両大拇指、面相柱矣」とあるため、おそらく本来は指を離さず、付けて行うべきだったのだろう。
また、現在の法界定印は、右手が下、左手が上となっていて、一般的な仏像の禅定印である左手が下、右手が上という状況と逆になっている。その点について、中国で議論があったようである。
この問答を見る限り、インドの方法を中国で勝手に変えたため、詳しい理由は分からないとしている。
坐禅の際に手で組まれる印の形、つまりは仏陀の禅定印である。日本曹洞宗では、坐禅の際、法界定印を行う。法界定印という名称は、大日如来が明らかにする三昧の境地に入るための印である。なお、『普勧坐禅儀』や『坐禅用心記』では、この名称が見えないため、おそらく形をもって、単純に名称を充てただけの可能性がある。ただし、瑩山禅師の親撰は疑われるが、以下の表記が確認される。
足、仏地に結んで悪処に入らず。手、定印を結んで経巻を取らず。 『三根坐禅説』
「法界定印」ではなく「定印」ではあるが、どちらにしても瑩山禅師か明峰禅師の時代までには用いられていたことを意味する。この名称については、臨済宗であれば鎌倉時代の『大覚禅師坐禅論』『法灯国師法語』などで見え、曹洞宗であれば江戸時代になるが、面山瑞方師の『建康普説』などに見える。
両手の印契、是を法界定と名づく。十指は乃ち十法界の依止なり。結契して仏印を成ずるときは、則ち有情無情法界円融し、六凡四聖迷い無く悟り無し。 『建康普説』
【内容】
具体的な手の組み方については、以下の通り。
右手を左足のうへにおく、左手を右手のうへにおく。ふたつのおほゆびさきあひささふ。両手かくのごとくして、身にちかづけておくなり。ふたつのおほゆびのさしあはせたるさきを、ほぞに対しておくべし。 『正法眼蔵』「坐禅儀」巻
なお、現在では両方の親指の間について、付かず離れずというような教えもあるが、原文では「あひささふ」とあり、『普勧坐禅儀』などでは「両大拇指、面相柱矣」とあるため、おそらく本来は指を離さず、付けて行うべきだったのだろう。
また、現在の法界定印は、右手が下、左手が上となっていて、一般的な仏像の禅定印である左手が下、右手が上という状況と逆になっている。その点について、中国で議論があったようである。
問う、此方の相伝に右手等は多動なる為に、坐する者は要すらくは左で右を圧せしむ。今、乃ち彼と碩反す。未審し、何の故ぞや。答う、西方の諸仏、仏より以来、相承する坐法、皆な是の如し。並べて是の印法なり。此方にて擅ままに改む。吾、所として未だ詳しからず。 『修禅要訣』第8問答
この問答を見る限り、インドの方法を中国で勝手に変えたため、詳しい理由は分からないとしている。
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