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【定義】

禅僧が臨終に及んで、その禅境や弟子に対する遺誡などを偈頌にしたもの。辞世の句。

【内容】

禅僧は、古来からその臨終をどのように迎えるかにこだわりを見せるが、例えば臨済義玄とともに教化を振るった鎮州普化の最期などは、その理想像の1つである。

そこで、禅僧らしい最期を迎えるにあたり、様々な「臨終行儀」が考えられた。特に中国で宋代に入ると、遺書・沐浴・遺誡・遺偈・坐亡などが行われるようになり、日本でも鎌倉時代の禅僧では、これらが詳しく記録に残されるようになった。特に遺偈は、中国で「人の将に死せんとする、その言や善し」(『論語』)という、臨終の言葉を重んじる伝統もあり、積極的に行われるようになった。

なお、日本曹洞宗道元禅師は以下のような遺偈を残しておられる。

五十四年  五十四年
照第一天  第一天を照らす
打箇𨁝跳  箇の𨁝跳を打して
触破大千  大千を触破す
 咦      咦
渾身無覓  渾身に覓むる無し
活落黄泉  活きながらに黄泉に落つ

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